03話 生贄
【あらすじ】
貧しい村で生贄に捧げられた少女は、山奥の社に住んでいる神と出会う。神の滋養になるため食い殺されると思っていた少女だが、神は少女を気に入り側に置くことに。
次第に明かされる神の本性。果たしてそれは本当に神なのか、それとも……。
社の中は薄暗く、声の主は見ることが出来ない。けれども、何か、がそこにいることは分かった。少女は黙って『神』と呼ばれる何かの前で伏して、言葉を待った。すると、意外にも、楽しそうな声でそれは言う。
『もう少し、近くにおいで『花嫁』なのだろう? そう遠くては、顔も見えない』
くすくすと、笑っていた。神から見れば、私などはただの玩具に過ぎないのかもしれない。けれども、そんなことは少女にとってどうでも良かった。ただ目の前の存在に従えばいい。
暗闇の傍へ歩み寄る少女のことを、神はもっと、もっと、と近くへ寄せる。そこで少女は、奇妙な事に気付いた。はたして、この社はここまで広い作りであっただろうか? 外側から見た時はもっと小さく見えたのに、歩くほどに闇が濃くなり、どこまで寄ればいいのだろう。もう、一寸先も見えないというのに。考えて、けれども、やはり少女は声の言うまま、まっすぐ歩いた。
『あぁ、そこで良い』
神がそう言ったとき、その声は本当にすぐそばから聞こえたので、少女はその方に顔を向けた。
『娘よ、触れるぞ、暴れるなよ』
言葉のあと、すぐに白無垢の綿帽子に触られる感覚があると、それを乱暴に取られる。
『大人しい娘だな、それに……』
神は、ことさら楽しそうに言う。
『存外、悪くない造作じゃないか』
少女は、ある一点を除けば、確かに美しかった。今はまだ幼いが、もう数年で極上の美人になりそうな整った顔立ち。けれども、ただ一つ、少女はその色合いが、普通では無かった。
『白い髪に、赤い瞳か、さぞかし村では疎まれただろう?』
少女はアルビノだった。日の下では赤く腫れてしまう肌は、何も分からない人間からすれば異様なことで、その見た目と相まって、疎まれ、蔑まれるのは分かり切っていた。大人しくて、涙を流す姿も見せない子供に、両親も、村人も、少女を恐れ、同時に弱者として虐げることで安心した。大人がいたぶれば、子供はそれに倣う。少女が何の抵抗もなく、生贄になることを受け入れたのは、死こそが彼女の唯一の味方だったからだろう。神の言うままに従い、いつ殺してくれるのだろうと、そればかり考えていた。けれども、神は一向に、少女の首に手をかけてくれなかった。それどころか、楽しそうに話しかけてくるのだ。
『娘よ、声が出せぬわけではあるまい。なにか、話して見せろ。なんでもいいぞ』
「……御神様……」
『おぉ、声もなかなか愛らしい、これは気分が良いな』
神は余計に機嫌が良くなった。
『では、その邪魔な衣服を脱いで、私にその体を見せておくれ』
「……かしこまりました」
少女は、するすると白無垢を脱いでいく。少しその複雑な構造に手間取りながらも、どうせ着直すこともないだろう、と手あたり次第に紐を緩め、適当に脱ぎ捨てる。しかし、相変わらず真っ暗で何も見えないのだから、手探りで脱いでいくのは難しかった。すると、黙って眺めているらしい神が、思いついたように言った。
『あぁ、明かりがあった方が良いか』
その言葉と共に、ぽっ、ぽっ、と少女の周りに灯りがともる。そして、その灯りはほんの少しだけ『神』の影も写し出した。すらりと伸びる四肢が、おそらくは『神』が人型であることだけ分かる。
少女が全て脱ぎ終えて、裸で神の前に立つと、少し黙っていた神は、低く言った。
『捧げものに、傷をつけるとは、お前の村の人間は随分と阿呆らしいな』
あからさまに、不愉快そうに。
「……申し訳ありません」
『お前が謝る理由はなかろう。それよりも、誰だ?』
「だれ……?」
『お前に、その痣や、傷をつくった阿呆は誰だ、と訊いている』
尋ねられて、頭の中に村人の顔が浮かんだ。石を投げてきた子供たち、罵声を浴びせてきた大人たち、何かあると全て私が災いを運んだのだと嘆く母親と、容赦なく殴りつける父親の顔。誰、といわれると難しい。村の中で私に暴力を振るわない者はいたが、私を守ってくれる者はいなかった。傷をつくったもの? そんなのは、もう、全てではないだろうか。
ぼんやり、そんなことを考えていたら、神は言った。
『ならば、村の人間を全て殺してしまおうか』
それは、思い付きで言っただけだろう。けれども、冗談や脅しではなく、本気だった。この存在は、それだけの恐ろしい事が、簡単にできるのだ。
「ま、待って下さい……御神様。どうか、お慈悲を」
少女は、裸のまま這いつくばって乞うた。教えられた言葉を、そのままに繰り返す。
「どうかお許しください」
「御神様のお慈悲を」
「村に、安寧をお授け下さい」
「私の命は御神様にお捧げ致します。ですから、どうか村に恵を下さい」
繰り返される言葉に、どれほどの感情が込められていたか分からない。けれども、少女は、得体の知れないものの前で、伏して願う。
『……そうだな。降って湧いた花嫁なのだ。少しばかり言う事を聞いてやるのも良いかもしれぬ』
そう言って、神は気まぐれに、村に恵の雨を降らせた。後日、村から捧げものとして食べ物が供えられたのを見て、少女はそれを知ったのだった。
***
定期的に捧げられる穀物や、果物、動物、稀に酒などもある。そういった社への捧げものを回収するのは、私の役目になった。御神様は日の光が嫌いなのか、明るいところに出ることはせず、私に大きな黒い衣を一枚下さって、それを被って外に出れば日に焼ける心配もないだろうと言った。
それだけでなく、御神様は私に部屋を与えて下さった。まるでおとぎ話に出てくる貴族の子女のような、綺麗な畳のある部屋に、豪奢な覆いがついていた。布団は柔らかく暖かかった。食事も、御神様が何か食べているところは見たことが無いけれど、いつも私のために何処からか料理を持ってきて、私が食べるのを眺めていた。
御神様は、日に一度、私に服を脱ぐように命じた。けれど、その先、に進むことは無く、私は訳も分からず言われた通り脱いで、良し、と言われたら着直す。という行為を繰り返していた。その服も、もちろん御神様が与えて下さったもので、おそらくは上質な布で作られた、立派な着物だった。ただ布を張り合わせただけという訳ではなく、細かい刺繍まで入って、丁寧に縫製された着物は、村にいた頃は見たことすら無かった。
私は、この方の考えていることが何一つ分からなかった。『花嫁』を理由に、あらゆるものを与えて下さる御神様は、私になにか特別な感情を抱いているわけでも無く、ただヒトという生き物を観察しているのに近いような気がするけれど、ならば、なぜここまで丁寧に管理してくれるのだろうか。私は、いつ殺してくれるのかと待っているというのに。
『そろそろ痣も傷も消えたな』
いつも通り、服を脱ぐと、御神様は満足そうにそう言った。言われて初めて、私は自分の体を見て気づいた。青や赤の痣はもちろん、痕になって一生残るはずだった傷すら、一つもなくなっていることに。これも、御神様のお力なのだろうか。きっとそうなのだろう。だとしても、一体なぜ? その答えは、意外にもすぐに神の口から発せられた。
『これで、抱きやすくなった』
神は低く笑いながら、楽しそうに、嬉しそうに。
『ヒトはとかく弱い生き物だからな。この三月の間、お前に与えた食事は特別なものだ。すでに体が作り替わって、少々のことでは死なんだろう』
そこで初めて分かったのだ。神が、なんのために私に様々なものを与えたのか。全ては───。
「御神様の、遊び道具に過ぎないのですね」
『はははっ! 面白い事を言う。しかしその通りだ。この村も、お前のことも、いつでも壊せるけれど、それではつまらない。だからお前はせいぜい私を楽しませると良い。飽きるまでは、花嫁らしく愛でてやろう』
するり、と神の手が、少女の方にのびる。それはひんやりと、頬を這って顔の造形を確かめるように、優しく撫でてゆく。僅かな灯りの中、神の顔が目前に迫っていることを感じて、思わず少女は目を閉じた。
『そう怯えるな。私は美しいものを傷つける趣味はない』
耳元で囁かれて、その言葉を反芻しているうちに、ゆっくりと神の腕に、包まれるのを感じた。
そこで初めて、少女はあることに気づいた。だから、固く閉じていた目を見開いて、神を見ようと腕の中でもがいた。
『どうした? お前が反抗するなど珍しいな』
それすら楽しそうに、神は腕を緩めて、少女を見下ろす。
「っ、御神様は、その、お姿は……」
『恐ろしいか?』
神の半顔には、鱗のようなものがあった。黒い髪に金の瞳は明らかにヒトのもつものではなかった。けれども少女が驚いたのはそんなことではなかった。
「御神様は……女性だったのですか!?」
『うん? あぁ、そうだけれど、それがどうかしたのか?』
「わ、私を、花嫁だと……だって、そんな」
『なにを今更、性差など些末なことだろう。おかしな娘だな。体を作り替えられたと聞いても、ただ理解する以外に何も思わなかったというのに、私が女であることには驚くのか』
「それは、だって、女同士だなんて、どうすれば……」
それを聞いた神は、はて、と思う。その言い方だと、男女であればどうすればいいのか知っているようでは無いか? てっきり初心な生娘だと思い込み、どうやって遊ぼうか、どんな反応をみせてくれるのだろうかと楽しみにしていたというのに、まさか、あの村では生贄の娘にそういった行為について教育しているというのか?
『娘、お前は男とまぐわった経験があるのか?』
「は、え、そ、そんなこと、ありません!」
顔を真っ赤にして答えるあたり、本当なのだろう。
『しかしやり方は教わったのだろう?』
「……は、い。御神様のお手を煩わせてはならないと、その、一応、教わりました」
『やはり、村人の何人かは血祭にあげてやろうか』
折角の楽しみを半減させてくれるとは、なんとも気分が悪い。
「御神様! おやめください。どうか、どうかお慈悲を……!」
『……まぁ、いいだろう。村の者に習ったことなど全て忘れろ。お前は私に身を任せていればいい』
「はい。御神様の、お心のままに」
すがるような少女の目に、いくぶん気をよくして、ひとまず村の人間については触れないことにした。
その晩、神と少女はともに湯を浴びて、神の閨で、初夜を迎えた。
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