07話 お披露目
【あらすじ】
貧しい村で生贄に捧げられた少女は、山奥の社に住んでいる神と出会う。神の滋養になるため食い殺されると思っていた少女だが、神は少女を気に入り側に置くことに。
次第に明かされる神の本性。果たしてそれは本当に神なのか、それとも……。
『はい、そこで周って、扇を返す! そう! 良いですよ!』
鬼たちによる花嫁修業が始まってはや数ヶ月、今は踊りの稽古に入っていた。私は鬼たちと大分、仲良く、というのは語弊があるのかもしれないが、ともかく普通に話せるようになっていた。
『素晴らしい! 飲み込みが早いですね! これならもうすぐある祭りでも、充分披露できるでしょう』
「え、えぇ? そんなのあるんですか!?」
『おや、御君から聞いておられない?』
「なにも……」
『まったくあの方は、またすっぽかす気でおられる。今回ばかりはそうもいかないというのに』
「あの、そんなに大切なお祭りなんですか?」
そもそも、何が集まるのだろう。当然のことながら、村の祭りではない。そんなものは開かれたことが無い。三つほど山を越えたところの少し裕福な村では何年かに一度祭りをやるらしいけれど、この方々が人間の祭りに参加するとも思えない。
『祭り自体は、大したものではありません。ただ集まって酒を飲んだり食事をしたり、割と頻繁にやる宴会です。けれども、今回はあなたがいる』
「はい、わたし、が?」
『そうです。あの方の、妻! これがどういうことかお分かりですか? 神すら畏れぬ、あのお方が、自ら、妻にと望んだ人間! 此度の祭りは、常よりはるかに色々なものが集まりますよ。全ては、あのお方に見初められた人間を見るために、です』
「そんな……」
『なめられてはいけません! 胸を張りなさい。貴女は確かにヒトだ。愚かで脆弱な種であることは、覆らない。けれども、私は、私たちは貴女のことを認めています。あとは、他の神々や、物の怪どもにも認めさせれば良いだけです』
「だ、大丈夫でしょうか……」
『我々がみっちり仕込んだのですから、文句は言わせません! あなたは、あの方の隣で堂々としておけば良いのです。礼儀作法も、踊りも唄も、私たちに習った通りにすれば、なにも問題はありません』
はっきりと言う鬼は、普段厳しいだけに、その言葉が決して偽りではないと分かっていたから、とても心強かった。
『さ、稽古を再開しますよ! 本番に向けて仕上げねば!』
「はい。よろしくお願いします」
それから、あっという間に時間が過ぎて、祭りの日はやってくる。
『今日のために、我々があなたに合う衣装を用意しておきました』
「わぁ、すごい、綺麗な百合の柄が……!」
『あなたに相応しいでしょう。さ、着替えたら御君のところへ参りますよ。おそらく御君も着替えて、貴女の晴れ姿を楽しみにしておられますからね』
「はい」
どきどきしながら、襖の向こうに声をかける。
「あなた、着替えが出来ました。入っても、良いですか?」
『あぁ、私も用意が出来た。開けていいよ』
優しい声に、安堵を覚えて、襖を開く。
『よく、似合っているよ』
「本当ですか? 服に着られてないですか?」
『全然、お前は美しいからね、白百合はよく似合う』
「うふふ、ありがとうございます」
と、ここまでは夫婦の仲睦まじい様子だったのだが、鬼の様子は少し違った。
『御君、その羽織は……!』
紅葉の刺繍が入った羽織は、お世辞にも高級なものでは無かった。素材は良かったけれど、仕立ても刺しゅうも職人のものでは無い。彼女はそれを見て気づいた。
「あなた、それ、もしかして以前、私が作った……!」
『そうだ。お前が私のために作ってくれたものだ。他にもお前が作ってくれたものはあるが、私はこれが一等気に入りでな』
「で、でも、今日は凄い方がたくさん集まるんでしょう!? 私の作ったのなんか着て行ったら、あなたが笑われてしまうかも……」
『なに、心配はいらんよ』
微笑んでいるが、鬼は彼女と同じ心配をしていた。
『御君、どうか御考え直しを、季節にも合いませんし、今は初夏です。他の者に貴女がわずかでも付け入る隙を与えてはなりません!』
『分かっている』
『ならば早急にお召しかえを───!』
鬼の言葉は聞き入れられず、主人は門を繋げ始める。くるくると、いつもより大きい円を宙に描き、それは別の空間への道となる。
一歩足を踏み入れれば、そこは別世界。
色とりどりの初夏の花───紫陽花、桔梗、クチナシに百合、本来ならば別々の場所で咲くはずのものも、まるで『夏』を題材にした花束をつくったかのような、歪で美しい空間が広がっていた。
『美しいだろう?』
「は、はい」
あっけにとられている妻の肩を抱き、優しく微笑む存在に、彼女は思わず見惚れてしまう。しかし、次の瞬間、耳に飛び込んできた言葉が、彼女を正気に戻した。それは低く、冷ややかな声で囁かれる。
『神殺しの姫君じゃ。あなおそろしや』
『鬼どもを従えて、珍しく宴にやってくるとはどういう風の吹き回しだ』
咲き乱れる花の向こうに、ゆらゆらと浮かぶ影は、神であったり、物の怪であったり、龍や、精霊であったり、様々なモノであった。そして、それらは『神殺し』の傍らにいる存在を見止めるや否や、よりいっそうざわついた。
『まことに、あの姫君が、女を隣に置いている! 下らぬ噂では無かったか!』
『わしの目がおかしくなったのでは無いのか!? 見よ、ヒトの子を連れておるぞ! 『あの』姫君が!』
『この目で見ても信じられぬ! 数年前にも求婚してきた男神を殺したと言うのに、まさかヒトの子を娶るとは! 天変地異の前触れかもしれんぞ!』
口々に、飛び交う。それはとても、異質で、畏ろしいものだったはずだ、けれども、不思議な事にヒトである彼女は僅かも怯えていなかった。隣にいる存在があまりに大きかったからだろうか。
そのまま歩いていくと、金の髪に緑の瞳という、この国では見ることの無い色彩の男性が、穏やかな声で、夫婦に声をかける。
『君が宴に来ると聞いたときは耳を疑ったけれど、来てくれて嬉しいよ。良い席を用意してある。きっと君の奥方も気に入るだろう』
『悪かったな。急に席を用意させて』
どうやら、二人は旧知の仲らしい。
『君のためならいつでも用意するよ』
案内された場所には、赤い敷物が広々と敷いてあり、程よい木陰に、よく花が見える場所だった。それでいて、出席している者がほとんど全員見渡せる、明らかな特等席、といった具合。
『気の回し方は、相変わらずだな』
にやり、と笑ったその表情は、悪い事を考えている時のそれ、だと、彼女は気づいただろう。
程なくして、出席者が揃うと先ほどの男性が宴の挨拶をする。どうやらあの人が今回の主催者だったようだ。男性が口上を述べ終わると、ちらりと視線をおくる。微笑みでそれを返すと、主人は悠然と座ったまま、地に轟く声で告げた。
『久しぶりだな。こうして顔を合わせるのは』
まずその一言で、会場中の視線が集まる。それを満足げに確認してから、そのまま挨拶を続ける。
『知っている者も多かろうが、此度は理由あって宴に参加する運びとなった。皆、気になっていると思うが、正式に私の口から言わせてもらおう』
微笑んで、傍らの人間に、優しく触れ、抱き寄せる。
『彼女が、私の最愛の妻だ』
言い切ると、会場は一斉に騒ぎ出す。それは祝福の類であったり、神殺しの姫君に想いを寄せていた者の嘆きであったり、また、単純に驚きの声であったりした。
色々な言葉が飛んできたが、それを無視して、高らかに言う。
『私が今日、着てきた羽織は、この妻が作ってくれた物でな、一等気に入っている。側仕えの鬼が季節に合わぬと止めるのを振り切って着てきてしまったんだ』
はつらつな笑顔で言っているが、すでに、傍にいた鬼は真っ蒼になっている。けれども、それも無視して更に彼女は続けた。それはそれは、楽し気に。
『着物が季節と合わぬならば、季節を着物に合わせれば良い事だからな』
そう言って、パチン、と一つ指をならす。その瞬間、初夏の花で満ちていた空間が、秋の色に埋め尽くされた。
『ついでに、我が妻の装いも秋らしく変えてしまおう』
「えっ」
パチンと鳴らせば、白百合は消え、菊の花が艶やかに着物を彩る。
それを見て、参加者たちは様々な反応を返す。
あるものは動揺し、自分の装いが季節外れになってしまうと不愉快に思っただろう。けれど、またある者は、これは愉快、とばかりに自分の装いも塗り替えてしまった。またある者は、やれやれ、またか、と思って呆れたりもしただろう。けれど、自由で傲慢で、それでいて、どうしようもなく強大な彼女に、文句を言う者はいなかった。ただ一人を除いて。
「せ、せっかく、着付けてもらったのに……!」
それは文句と言うよりも、単に少し寂しそうなだけだった。けれども、神殺しは愛しい妻が寂しそうにしているのを見て、少し困ってから、もう二度、指を鳴らした。
一つ目で、妻の着物に百合の花を戻し、二つ目で、彼女の周りにだけ初夏の花を咲かせた。
『これで良いか?』
「え、ぁ、ありがとう」
そんなつもりでは無かっただけに驚いたが、彼女は素直に喜んだ。
『はははっ、良い顔だ。今日はお前のために宴に来たのだから、お前が楽しまなくてはね』
甘い声に、目いっぱい優しい言葉、そんなものは、ここ数千年、誰一人として見たことも聞いたこともなかった。会場は、ざわつくのを通り越して、もはや静まり返っていた。
『そうだ、鬼に聞いたよ。今日のために踊りを練習したんだって? 是非とも私に見せてくれないか』
「あ、は、はい!」
緊張して、思いきり立ち上がってしまう。立ってから、色々と習った礼儀作法を思い出して、あぁ、今の動きはだめだ、どうしよう、やり直さなくては、でもそんなことをしたら余計にだめだ。焦って焦って、こんなことでは、恥をかかせてしまうと余計に焦る。
「あ、ご、ごめ、なさ」
『いいよ』
「え」
『礼儀も、なにも、気にしなくて良い。お前は私の妻なのだから。お前を笑う者は、私が消し飛ばそう。お前を理由に私を貶める者も、消してしまえばいい。なにも難しいことは無い。私にとっては、造作もないことだ』
「そ、それは、それはだめですよ。そんな簡単に、殺してはいけません!」
『そうか? お前が言うなら、まぁ、消し飛ばすのはよしておくけれど、でも、お前が何か失敗したからって焦ることは無い。お前は、ただ私のためだけに微笑んで、私のためだけに踊ればいいのだから』
恐ろしいほどの、独占欲。けれど、そんな愛情が、二人にとっては当たり前で大切だったのかもしれない。先ほどよりずっと落ち着いて、習ったことを思い出し、彼女は見事な踊りを大勢の参加者の前で披露したのだった。
『いやぁ、今日の宴は実に愉快だったよ』
主催者の男はこの上なく嬉しそうに言った。
『周りの奴らの、驚いた顔と言ったら! 最高だよ! 君が神を殺したと聞いた時もそうだけどね、今回は人間を娶るなんて、本当に飽きさせない女だ』
それに、主人は不機嫌そうに返す。
『楽しそうで結構なことだな。お前のような奴が最高神であるなどという事実の方が、余程『愉快』だと私は思うがね』
『それってどういう意味!?』
『さて、どういう意味かねぇ』
二人は楽しそうに話している。両者の僕たちがそれを戦々恐々と見守っているのには気づいていないのか、それすらも楽しんでいるのか。
『それより、例の件、本当に頼めるのか?』
なにやら改まった様子で、主人が尋ねると。
『あぁ、任せて。でも、前にも言ったように、こちらに預けてしまった方が早く終わるよ?』
『いいや、私は、片時もアレを手放したくは無いのだ。そう急ぐことでもないのだから……それに、お前のような節操なしに預ける気にはなれんからな』
『嫌だなぁ、流石に君のモノに手を出す気は無いさ!』
『どうだか。アレの魅力に気づいたら、すぐに手に入れたくなるに違いない。もっとも、そんなことをすればいくらお前でも、私が消し炭にしてやるがな』
『怖い怖い! 分かったよ! 預かるのはよしておくから、勘弁してくれ!』
冗談(?)を言い合いながらも、なにやら、話はまとまったようで男は花嫁の方へ向き直った。
『やぁ、麗しの花嫁、今日は僕の宴に参加してくれてありがとう。君の踊りはとても美しかったよ。まるで花の精が舞っているかのようだった』
「あ、ありがとう、ございます……」
『そんなに怯えないで! 君を困らせたら、僕は君のパートナーに消し炭にされてしまいそうなんだ。あ、ほら、今だって睨んでる!』
そのあまりにも人間くさい物言いに、彼女は思わず笑ってしまったが、それを見て嬉しそうに微笑んでくれる。男は思ったよりも気さくな人物で、神様なのにちっとも恐ろしくはなかった。
『実は、あそこで睨んでいる者に頼まれたんだけど、君を、僕の眷属にして欲しいそうなんだ』
「けんぞく、ですか?」
『そう。君は人間だろう。少し、違うものも混ざって、普通の人間とは少し異なるけど、でも我々のような存在には至っていない』
そう言われて、以前、特別な食べ物だから、体が丈夫になっているということを言われたのを思い出した。
『そのままでも悪いとは言わないけれど、僕の眷属になればもっと二人は長く一緒にいることが出来るんだ。どうかな?』
「あの、なりたい、です。どうしたら、その、あなたの『けんぞく』になれますか?」
『難しいことじゃ無い。僕を信仰して、毎日、僕に祈りを捧げてくれればいいんだ』
「それだけ、ですか?」
『うん。それだけ。本当は僕の宮にきて、僕の下で働くともっと早いんだけど、君のパートナーは随分と嫉妬深いようだからね。時間はかかるけれど、君には素質もあるようだし、気が向いたら捧げものをしてくれてもいいよ。踊りや、歌も、僕らには良い栄養になる。まぁ祭壇の作り方とか細かい事は……そうだな、鬼たちに聞けば教えてくれると思うから、そんなに気負うことは無いよ』
「ありがとうございます」
一途にヒトでないものを慕う人間の娘。神からすればそれは滑稽であり、同時に、哀れであった。
『……本当にいいのかい?』
「え?」
『一度人間で無くなれば、もう戻ることは出来ない。与えられた命を、捻じ曲げることに耐えられるほど、愛というものは重くないはずだから』
「……では、何なら、命を越えられる思っておられますか?」
その問いに、神は即答する。
『信仰だ。それ以外にはない』
神をなによりも信じ、それを支えに生き、そして神の元へ行くために死ぬことすら恐れない。信仰は命よりも重く、人間の究極の救いである。それが神の主張であり、また、それはほとんどの人間にあてはまった。そして、目の前にいる娘も、それを否定はしなかった。否定しない代わりに、微笑んで、幸せそうな顔で言った。
「信仰が重く、愛はそれより軽いとおっしゃるのなら、私の命は、更にそれより軽いのです」
『そんな、ことは……!』
「私は、もとより生きることを望んだことなんてありません。いつでも、あの方の好きな時に殺してくれていい。それは今も変わらない想いです。命なんて、どうでもいいんです。だから、あの方が私を愛してくれている間は、いつまでもあの方の傍にいたい。愛と信仰の違いがどこかは分かりませんが、私にとってあの方は、少なくとも自分の命よりは遥かに重い存在です」
そうであることが、幸せなのだというように、笑って、告げる姿は、それだけで美しかった。
『無粋な事を言ってすまなかった。君が一日も早く正式な眷属となるよう僕も力を尽くそう』
「よろしくお願い致します」
こうして、今回の宴はつつがなく、全ての目的を達成し、終わりを迎えた。
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