15話 アコニ
※小児加害など一部残酷な描写があります
あらすじ
近代ヨーロッパを舞台にした復讐劇。
ある事件により、車椅子での生活をおくることになった少女イネスは、その事件に関わった人間を探し出して自らの手で復讐することを願っている。唯一の味方である元奴隷のルイに協力してもらうが、なかなか犯人は見つからないまま、親の勧める実業家イーザック・フォーゲルの元へ嫁ぐことを決める
最初は互いに利害関係のみで成り立つ冷え切った夫婦関係だったが、ある出来事をきっかけに仲が深まり、やがて復讐へ協力してくれることになるが……。
【アコニ】
「イネス、よく休めた?」
料理をテーブルに並べながら尋ねる母親に、微笑んで答える。
「えぇ。よく眠ったら、喉が渇いてしまったわ」
そう言って、ルイに紅茶を一杯持ってきてくれるように頼む。
「どうぞ」
「ありがとう」
一口のんで、ほっと息をつく。
「お母さまの淹れる紅茶って本当に美味しいわ」
「あら、うれしい。ありがとう」
和やかな雰囲気で、ルイを含めた家族が、食卓につく。
「せっかくだから向こうでの暮らしを教えてちょうだい。旦那さんとはうまくやっていけてる?」
「心配事があったらすぐに相談しなさい」
両親の温かい言葉に、涙が出そうになった。
「うん。イーザックはとても優しくていい人なの。ね、その前に、お父さまとお母さまにプレゼントがしたくて、そっちに行ってもいい?」
「えぇ、えぇ、もちろんよ」
ルイが立って車いすを押そうとするのを制止して、イネスは自分でカラカラとタイヤを動かし、両親のすぐそばまで行くと、微笑んでアコニの花束を差し出した。
「これ、とっても綺麗な花でしょう? どうしても、お父さまとお母さまに差し上げたくて、買って来たの」
「まぁありがとう。ほんとうに素敵な花束ね」
花束を受け取った両親は、次の瞬間息を呑んだ。イネスが、欠片も笑ってはいなかったから。
「イ、イネス? どうしたの、そんなに怖い顔をして」
「お父様、お母様、私を愛しているのなら、もちろん私の話を最期まで聞いてくれるわよね。私の旦那様のことよ。彼って本当にいい人なの」
キィ、と車いすを回転させて、両親に背を向けながら、イネスは話し始めた。
「いつも私のことを気遣ってくれるの。たまに厳しい事も言ったり、怒られたりもするのだけど、それも全部、私のことを思って言ってくれるのがよく分かるのよ。お仕事が忙しくても私との時間を作ろうとしてくれて、それに意外と面白い人なのよ。真面目な顔で冗談言ったりするから、本当に面白くって、ね」
「まぁ、じゃあうまくいってるのね。それは良かったわ。ねぇあなた」
「あ、あぁ、良かったよ。娘が幸せでなによりだ」
淡々とした口調で話すイネスに違和感を感じながらも、両親は喜んでみせる。
「……お父様とお母様は、いつも私に優しかったわね。怒った事なんて一度もないわ」
「あら、だってイネスはいい子だものね。怒ることなんか何にもなかったわよ!」
「……そう。そうね。……あのね、イーザックはね、私の過去も、愛してくれるのよ。ねぇ、この切り刻まれた醜い両足すらも、彼にとっては私の一部であり、愛おしいと言ってくれたの」
「イネス……?」
「私の憎しみは、自分の憎しみでもあると、言ってくれたわ。だから私は、一人じゃないの」
「イネス、何を言っているの? ねぇ、こっちを向いてちょうだい。イネス。何か誤解があるんじゃないかしら? ちょっとお話をしましょう。ね、ほらお料理を食べながら」
イネスの様子がおかしいことに、焦る両親は必死で宥めようとしていた。それを無視して、イネスはやっと少し微笑むと、ルイを見て、告げる。
「剣を」
その一言で、ルイは跪いて、イネスに剣を捧げる。細く、鋭い、イネスのためだけに作られた剣。
「イネス!! なにを、それはなんだ! ルイ、何をしている!?」
父親は声を荒げ、化け物のように怒鳴る。車いすを動かして、醜い化け物を見ると、自分の体が殺意で満ちていくような気がした。
「イネス! いい子だからそんなものは離して!」
「そうだ、ルイ、すぐにイネスから取り上げなさい!」
あぁ、なんて醜い、なんておぞましい、私を穢した男どもとは比べ物にならないほどに、歪んで腐って、中身の無い生き物。
「お父様、お母様、私を愛してる?」
「もちろんよ、イネス! 大事な娘だわ。だから、ほら、言うことを聞いてちょうだい!」
「……愛って、なにかしら」
小さく呟くと、それを最後にイネスは剣を抜いた。鞘が、カンッ、と床に落ち、両親の顔は一層青くなった。
「復讐の花を捧げましょう。さようなら、愛していたわ。この家族を───」
「イネス!! なにを、なにを!!」
ギィイ、と床がきしんで、タイヤは回る。滑らかに、廻る。
銀色の刃は鈍く輝いて、赤色をうつす。ワインの瓶は割れて、真っ白いテーブルクロスを染め上げる。艶やかに、なにもかもを、赤黒く───復讐の誓いは今、果たされる。
「やめて、やめてちょうだいイネス! ルイ、なにをしているの!! はやくイネスを、あぁあ、あなた! 血が、こんなに!!」
泣き叫ぶ母親を見て、彼女は笑っていた。逃げまどう母親を追いながら、ルイに命令する。
「ルイ! 逃がさないで、扉をふさいでおきなさい!」
狂喜に満ちた主人に、顔色一つ変えずルイは従った。決して手は出さず。愚直に見守って。
「イネス様、先に御父上の息の根を止められてしまったほうがよろしいかと」
「あら、そうね。うふふふ、あははははははっ!!」
床には真っ赤なタイヤの跡がついている。真っ白いイネスの服はまだらに染まって、華やかだった。
「イネス! イネス、なぜ、こんなこと、を」
息も絶え絶えな父親が、床でうずくまって、たくさん血を吐いている。
「うふふ、なぜ? おかしなことを聞くのね。一度だって私を想ったことなど無いくせに、今更、父親のような顔をしないでちょうだい。この化け物が」
憎悪に満ちた瞳で、イネスは父親の頭を突き刺した。
「次はお母様の番よ」
扉に立ちふさがるルイにすがりつく母親の方へ、ゆっくりと車いすを進めていく。
「ルイ、お前、誰がお前を買ってやったと思っているの! はやくそこをどきなさい!!」
「……奥様には、大変感謝しております」
「そ、そうでしょう! ほら、私を助けなさい!!」
「ですが、奥様は勘違いをしておいでです」
「なにを───!」
背中に突き刺さる剣に、それ以上、言葉を発することが出来なかった。けれど、ルイは穏やかにその問いに答えた。死にゆくものに対して。
「私を救ったのは、イネス様です。そして、あなた方が僕に下さった、金で払える恩は、既にお返しいたしました」
「っ、ぃ……」
ごぼごぼと血のあふれ出る口で、おそらくは何かを問うているのだろう。
「四年間の沈黙を、親切な御夫妻に捧げます。どうぞ、おやすみください」
その言葉を受けるかのように、間もなく母親は力尽きた。
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