01話 薔薇の庭園
※小児加害など一部残酷な描写があります
【あらすじ】
近代ヨーロッパを舞台にした復讐劇。
ある事件により、車椅子での生活をおくることになった少女イネスは、その事件に関わった人間を探し出して自らの手で復讐することを願っている。唯一の味方である元奴隷のルイに協力してもらうが、なかなか犯人は見つからないまま、親の勧める実業家イーザック・フォーゲルの元へ嫁ぐことを決める。
最初は互いに利害関係のみで成り立つ冷え切った夫婦関係だったが、ある出来事をきっかけに仲が深まり、やがて復讐へ協力してくれることになるが……。
【薔薇の庭園】
とある貴族のお屋敷に、それはそれは美しい娘がいた。黄金に輝く髪に、宝石のようなエメラルドグリーンの瞳を持った娘を、両親は大切に育て、守っている。決して傷がつかないように。
「イネス、イネス? どこにいるの?」
母親らしき女性が、彼女を探している。
「おかしいわね。また庭に出たのかしら……」
呟いて、窓を開けて庭を見下ろすと。
「イネス!」
真っ赤な薔薇に囲まれた広い庭の中で、静かに、まるで眠っているように動かない娘がいた。母親は階段を降りて、庭へ向かう。
「イネス、起きてちょうだい。お昼ごはんよ」
「……眠っておりませんわ。お母さま」
キィ、と車いすを動かして、娘は母を見上げる。柔らかな微笑みを湛えて。
それは、傍から見れば、仲睦まじい親子のように見えただろう。足が不自由な娘は花を好み、ときおり庭へ出ては幸せそうに笑っている。母親は食事の時間になれば、娘を呼びに行き、少しの間、娘と共に薔薇の美しさに浸る。
時には、食事を庭に運ばせて、父親も呼んでくると、家族で仲良く花を眺めながら談笑を楽しむこともあった。
けれども今は亡き祖父に『イネス』と名付けられた美しい娘には、大きな傷があった。ほんの少し前まで、彼女はこの庭園を自らの足で駆け回り、木々に上っては、朗らかに笑う、天真爛漫な少女であったのだ。けれども、彼女が十三歳になったばかりの日に起きた、ある事件によって、その笑顔は永遠に失われた。
「お母さま、ルイはどこ?」
娘は微笑みを崩さないまま問う。母親は少し困ったように、けれども笑顔のまま答える。
「ルイはもうすぐ来ると思うけれど……」
「そう。ならいいの」
「……ねぇ、イネス、ルイじゃなくても、もっと他に良い護衛官を付けてあげることも出来るのよ? なにもあんな、その、言いたくは無いけれど、元奴隷なんかじゃなくて、ね……?」
『ルイ』というのは、イネスがあの事件に合うより更にもっと前、街を歩いていた時に怪我をしている子供を保護したのが元でこの屋敷に住まうようになった、イネスの護衛であり、友人だった。すぐにそれは奴隷商から逃げてきた子供なのだと分かったが、イネスが必死にお願いするので、両親が奴隷商に話して買ってあげることになったのだ。
「それに、ルイも年頃の男の子でしょう。いつまでも子供の頃のように、とはいかないのよ?」
「どうして?」
純粋無垢な瞳で問われると、母親はなんと返して良いか分からなかった。昔から、女の子とおままごとをするよりも、男の子とおもちゃの剣を振り回していることを選ぶような娘に、男女の関係と言うのはなかなか理解しがたいのかもしれない。
それに、彼女の時間は、十三歳のあの日で、止まっているのだから。
「……いいえ、やっぱりなんでもないわ。早くルイが来てくれると良いわね」
「えぇ、ルイが、押し花の作り方を教えてくれるって約束したの。楽しみだわ」
「そう、それはいいわねぇ」
母親は、穏やかな表情でそう言って、娘の車いすをカラカラと押しながら、家の中へ戻っていく。
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