14話 景色
※小児加害など一部残酷な描写があります
あらすじ
近代ヨーロッパを舞台にした復讐劇。
ある事件により、車椅子での生活をおくることになった少女イネスは、その事件に関わった人間を探し出して自らの手で復讐することを願っている。唯一の味方である元奴隷のルイに協力してもらうが、なかなか犯人は見つからないまま、親の勧める実業家イーザック・フォーゲルの元へ嫁ぐことを決める
最初は互いに利害関係のみで成り立つ冷え切った夫婦関係だったが、ある出来事をきっかけに仲が深まり、やがて復讐へ協力してくれることになるが……。
【景色】
家へと向かう馬車の中で、ルイは静かだった。穏やかな表情で、まるでこの後おこる惨劇を欠片も知らないような、そんな顔をしていた。
「急に家に帰ったら、二人ともびっくりするでしょうね」
「そうですね。でもきっと、笑顔で迎えてくれますよ」
笑顔で、それが、喜んで、という意味ではないことを、二人ともよく分かっていた。
馬車は家の前の門でとまる。ここから先は少し細長い道になっていて、馬車では通れないので、降りて車いすを押していかなければならない。道は舗装されているのでそれほど苦はないが、少しばかり面倒な道のりでもある。
「懐かしい庭……いい香りがするわ」
ほとんど一年中、何かの花が咲いている。見事な庭だった。これらはほとんどお母さまが手入れをしているもので、庭師などはたまに手入れの確認をしにくる程度だった。
カラカラと、車いすを押し進めて、白い家が見えてくる。するとすぐに、人影が見える。
「お母さま!」
ちょうど夕方の庭の手入れをしていたようだった。
「まぁ! イネス!? どうしたのこんなに突然!」
「なんだか急に懐かしくなって、お父さまとお母さまに会いたくなったの。イーザックにはちゃんと話して来たわ。ほら、これイーザックからのお土産なの。おいしいワインなんですって」
「まぁ、まぁ、とにかく家にはいりましょうか。すぐにお父様を呼んでくるから待っててちょうだいね」
イネスを迎え入れると、慌ただしい様子で父親を呼びに行った。
「うふふ、きっと喧嘩でもしてきたと思ってるんでしょうね」
本来なら家に帰る前に手紙を送るなりしてから、場合によっては夫と共に訪れるものだ。それらを全くしないで突然帰って来たのだから。そりゃあ驚いただろう。
「……なぜ、手紙を書かなかったのですか? お時間は十分にあったと思いますが」
「あら、そんなの決まってるじゃない。私、今こうして笑顔をつくるのも精一杯なのよ? 手紙なんか、万年筆のペン先をいくつダメにするか分かったものじゃないわ。それに、面白いじゃない。慌ててるあの人たち」
イネスはコロコロと楽しそうに笑っていた。
「おかえり、イネス」
「ただいま。お父さま。こんなに急でびっくりさせてしまったわよね。イーザックも少し困った顔で、本当は一緒に行ってご両親とお話出来たら良かったんだけどって言ってたわ。私が我儘言って、ルイと二人で大丈夫って言って来たの。それで、これをお土産にって。お父さま、お酒好きでしょう?」
「あぁ、ありがとう」
受け取って、中身を見ると目を真ん丸くしていた。そうとうレアなお酒らしい。
「イーザックが、気持ちだけでもって」
「いや、これは、ふーむ。イネスが気に入るのだから、もちろんいい青年だろうとは思っていたが。なかなか見どころがあるな。まさかこのワインを……ふーむ」
「夕食の時に飲んだら?」
「うむ、そうだね。イネスも少し飲んでみるかい? これだけいい酒の味は、知っておいて損はないだろう」
「でも、私、お酒の味ってよく分からないわ。私が飲むのはもったいないかも。お母さまと二人で飲んでくれればいいわ」
「ん、そ、そうかな? ははは、いや、実に嬉しいね。イーザック君にはよろしく言っておいてくれ」
「えぇ」
「いやぁ、夕食の時が楽しみだ」
上機嫌な父親に、その反応をみて、どうやら私が夫婦喧嘩で帰って来たのとは違うようだと思った母親も、安心したようだった。
「夕食までまだ時間があるわよね。お母さま。私の部屋は、残ってる? 久しぶりに自分の部屋で休んでいてもいいかしら?」
「いいわよ。部屋はそのままにしてお掃除だけしてあるから、安心して使ってね。夕食の時間になったら呼びに行くから、ゆっくり休んでいて」
久しぶりの自室は、本当にそのままだった。
「懐かしいわね、ルイ」
「……はい」
「いろんなことが片付いたら、ぜーんぶ燃やしてしまおうと思ってるの。そしたらこの部屋を見るのもこれが最後ってことになるわね。そう思うと、少し寂しいわ」
「木造ですので、火の回りが早いと思われます。どうか、お気をつけて」
「そうね、気を付けるわ」
カーテンを開けると、広々とした庭が見える。昔よくのぼって祖父に怒られた木。眺めていた綺麗な花壇。どれもこれもが愛しく感じられたが、同時に、全てを燃やし尽くしたいとも思う。思い出は、もはや憎悪に塗り替えられてしまったのだ。今はただ、イーザックの近代的な屋敷が恋しかった。
「……夕飯は、なにかしら」
窓の外を眺めたまま、イネスは無感情に言った。
「聞いて来ましょうか」
「……いいえ、行かなくていいわ。私の傍にいて。少し、ベッドで休むから。絶対どこにも行ってはダメよ」
「かしこまりました」
その返事をきくと、イネスは少し安心して、小さく笑うとすぐにベッドの上で眠りに落ちた。
ルイは、僅かも動かず、ただじっと、イネスを見守っている。これが最後の安らかなひと時であると理解して。
───コンコンコン。扉をノックする音がありガチャリと開くと、母親の声が聞こえる。
「そろそろ出来上がるから、イネスを起こしてくれる?」
「かしこまりました」
ルイが返事をして、再び扉を閉めると、私の方へ歩いてくる。
「イネスお嬢様、ご気分はいかがですか」
「……うん。ちょっと緊張しているわ」
はにかむように笑って、これから起こることに少しばかり不安も感じていた。
「花を、とってくれる?」
「どうぞ。こちらに」
差し出された青紫色の花束を受け取る。
「この花は、合図よ。いいわね? 私を守り、私のために剣を振るい、私だけを、愛しなさい」
「はい。全ては、イネス様のために」
「うふふ。じゃあ、はじめましょうか。私の復讐を───」
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