アコニの花束 09話

09話 食事

※小児加害など一部残酷な描写があります

あらすじ
近代ヨーロッパを舞台にした復讐劇。
ある事件により、車椅子での生活をおくることになった少女イネスは、その事件に関わった人間を探し出して自らの手で復讐することを願っている。唯一の味方である元奴隷のルイに協力してもらうが、なかなか犯人は見つからないまま、親の勧める実業家イーザック・フォーゲルの元へ嫁ぐことを決める
最初は互いに利害関係のみで成り立つ冷え切った夫婦関係だったが、ある出来事をきっかけに仲が深まり、やがて復讐へ協力してくれることになるが……。

【食事】  夫婦である二人は、いつも別々に食事をしていた。それは結婚当初から決まっていたことで、互いの了承の上で成り立っている。そもそもイーザックは仕事の片手間に食事をするのがほとんどで、きちんと食卓について、ましてや妻と談笑しながらの食事などというものは無駄としか思っていなかった。そして、イネスも食事をとることは楽しみだと思っているが、好きでもない男の顔を見ながらつまらない話につき合わされて、始終にこやかにしていなければならないなんて最悪だと思っていたので、二人の意見は結果的に一致し、今日までそれでうまくやって来たのである。  しかし、そんな二人が、なぜ今は景色の良いレストランで向かい合って食事を囲んでいるのか。それは数日前までさかのぼらなければいけない。 「奥様、旦那様からお手紙です」  同じ屋敷にいるのに手紙というのもおかしな話だな、とは思ったが、とりあえずイネスはそれを受け取った。  内容は至極簡潔に『三日後、少し話をしながら食事をしたいです。出来れば二人きりで。了承してくれるなら返事を下さい。食事の場所は私が用意します』とのことだった。イネスはこの手紙を読んで、隣にいたルイには及ばないが、それでも少なからず驚かされた。確かに、最近は少しづつ話すようになって彼の好きな本の話を聞いたり、反対に私の好きな食べ物を教えたり、お互いに無感情ではなくなってきているのは、感じている。けれど、ここまで分かりやすく距離を詰めてくるとは思わなかったのだ。  しかし、わざわざ二人きりで、と書いてある。もしかして、私が剣の稽古をしていることに関してなにか話があるのでは……? 彼には中途半端な話しかしていない。彼はきちんと約束を守り、誰にも言わないでいてくれるし、人前でほのめかすようなことも絶対にしない。それに、度々くれる贈り物や、会話の中で私に好意───それは信頼できる人間に向ける者として───を感じるので、全てを話すのは難しくとも、もう少し自分のことを打ち明けるべきなのではないだろうかと思っていた。だからこれは丁度いい機会だ。  イネスは動揺するルイを放って、すぐに返事を書き始めた。 「これ、渡してきてくれる?」 「え、そんな、お食事に行かれるのですか? 嫌ならば断わってもよろしいのですよ!? そもそもそう言う話だったではないですか!」 「それはそうだけど、私も彼と話してみたくなったのよ」 「ですが、二人きりで、などと……もし何かあれば───!」 「ルイ、私、そういうの嫌いなの。知ってるでしょう? それに、彼は私を弱者と思って軽んじるようなクズではないことは分かっているわ。だからこの手紙を渡してきてちょうだい」 「……分かりました」  納得はいかないようだったが、ルイは言われた通り手紙を渡してきた。そうして、イネスとイーザックは二人しかいない広々としたレストランで、向かい合って座っていた。 「貸し切ったの?」 「はい。二人だけが良かったので」 「そう……あ、そうだ、一つだけ先に言わせてくれるかしら」 「なんですか?」  イネスはバッグから小さなナイフを取り出した。イーザックはそれを不思議そうに、けれど何も言うことなく見つめている。 「心配性なあの子がうるさくってね、念のためだから気にしなくてもいいけれど、もし、あなたが私の合意なく、なにか、しようとしたらこのナイフで刺すからそのつもりでいてね」 「な、にも、するつもりは、ありませんが、分かりました」 「大丈夫、小さなナイフだから刺しても死なないわ。たぶん」 「いえ、そもそも貴女が嫌がることは、それがどのような事であってもしませんよ。ですが、そのナイフが貴女の心の平穏を守ると言うなら、どうぞ持っていてください」  たとえ、その気になればそんな小さなナイフぐらいどうとでもなると分かっていても。 「にしても、貴女の付き人、ルイといいましたか、私は随分、嫌われてしまったようですね」 「あら、もしかして手紙を渡すときもなにか余計なことを……?」 「いいえ、ただ奥様からです、とだけ言っていましたが、まぁでも、なかなか鋭い眼光でしたよ」 「それは……ごめんさいね。根は優しい子なのだけど、ちょっと警戒心が強いというか」 「えぇ。分かっています。イネスを本当に大事に思っているんでしょう。それはよく伝わってくるので、もう少し信用してほしいという気もしますが、まぁ気長に待ちますよ」  それから、イーザックはいつものように本の話をしたり、イネスが最近気に入ってる本や食べ物はないかとか、欲しいものは何かあるか、と他愛ない話をした。それから、友人からしつこく送られてくる手紙が少しめんどくさいという話になり、少しだけ最近の仕事についても話していたが……。 「あの」 「すいません。こういった話は退屈ですか?」 「いえ、そういうわけではないのだけど」  難しそうな商談の話を、私にも分かるようにかみ砕いて説明してくれるので、それは単純に面白い旅の話と彼が普段何をしているのかを知れる、本当に興味深い話では合った。けれど、料理もそろそろ終わろうとしている。 「私は、私が剣を握っていることについて、話されるのかと思っていたのだけれど……」 「それは、えぇと、すいません、そういうつもりは無かったのですが、なぜその話をすると?」 「手紙に、二人きりでとあったから、てっきり他の人がいるところじゃ話せないという意味かと思って……」 「なるほど。言葉足らずでしたね。私は単に貴女と二人の時間を共有したかっただけです」 「あ、ご、ごめんなさい。私が変な勘違いを……!」  純粋な彼からの好意であったのに、それをまるで裏があるのだと思ってしまったのだ。なんとも申し訳ない話である。にしたって、普通そう考えるのも仕方ないのではないだろうか? 建前だけの結婚、愛の無い夫婦、それが少しづつ打ち解け始めていたとはいえ、イネスにとっては冷え切った屋敷よりは、互いに居心地がいい場所になれたらと思った程度で……。 「嫌ですか?」 「えっ」  イーザックは真剣な表情だった。 「私と偽物ではない夫婦になるのは、嫌ですか?」 「それは、その……っ」 「もちろん貴女が嫌なら、私は絶対に何もしません。神に誓って。ですが、知っておいてください。私は貴女に惹かれている。今まで仕事以外に興味など無かった、女性との会話も社交会の最低限の礼儀としてするだけで、それ以外のことは避けてきました。魅力を感じたことなど一度も無かったんです。でも、貴女のことは……」 「ぅ、……その、っ……」 「すいません。私の方からあれだけ男女としての関係を持つ気はないと言っておきながら、こんなことを言われれば、困りますよね。断っても貴女を追い出すような真似は絶対にしませんから、安心してください」 「ごめんなさい……」  それは小さな、小さな謝罪だった。イネスはイーザックを見ることも出来ず、俯いて、小さく謝っただけだった。 「いえ、私こそ申し訳ありません。どうか気に病まないで、出来ればこれからも友人のように───」 「違うんです!」  今度は強い否定だった。イネスは今にも震えそうな声を、ぎりぎりで保って、涙がこぼれないようにしっかりとイーザックの目を見て、答えを告げる。 「私も、あなたが好きなの。あなたの好きと同じように」 「それは……!」 「でも、私には、あなたの本当の妻になる資格はないわ」 「どういう、意味ですか?」  イネスは、自分が彼を愛しているのに気づいてしまったのと同時に、これほど己の過去を恨んだことは無いと思った。  あの日、あの時、もしも───。

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