02話 客と男娼
※残酷な描写、性的な描写があります
あらすじ
荒廃した世界でいくつか残っている人の密集した都市、そこで行われる内紛、歪んだ秩序の下にある治安維持。
堤《つつみ》は、現在の上司である男に強引に連れられて高級娼館を訪れるが、男娼のランファを見た途端どうしていいか分からなくなり店から逃げ出してしまう。しかし、しばらくしてもランファのことが忘れられず今度は自分で娼館へ向かう。
性的な関係を持たずに繋がれていく二人の関係。謎めいた男娼ランファの正体とは、そして二人の関係の行方は如何。
【客と男娼】
「俺はそういうことをするつもりはない!」
顔をまっかにしたガタイの良い男が、部屋に入るなり発した第一声がそれだった。
──ここは『白夜』と称されるほど、夜も煌々と明るい街。その白い夜は太陽の健全な光ではなく、色とりどりのネオンによって作り出される。
そんな街の一角、高級店の立ち並ぶ立地にある娼館は男娼がわずか5人だけで成立しており、裏や表で権力と金を持つものなら一度はお目にかかりたいと言われるほどの人気があった。
けれども、客層の都合上大っぴらな接客は行われず、あくまで個室で、少数の接客を行うのみである。当然、人数も限られ値段も相応のものとなってくる。『一晩』を買おうと思えばかなりの決心がいるし、気に入った相手が出来ても通うことは難しい。そういうわけで、結局それほど客は多くないが太客ばかりがついている、という状態になっている。
そんな中で、それほど金持ちにも見えない男がやってきたのは少し珍しかった。
あげくに、わざわざ一晩買ったのに『そういうコト』はしないと言い出して、どうしたものかとランファは微笑んだ表情を崩さないまま思った。
「お、俺は兄貴──あ、いや、先輩につれてこられただけで、そういう趣味はねぇんだ」
いささか趣味の悪いスーツをかっちり着た真面目そうな男。職業の方はだいたい想像がつくが、ずいぶんと気前の良い『先輩』だ。もしくは、この男がそれだけ先輩に気に入られているのだろう。
でなければ普通の娼館を紹介するのとはわけが違う。後輩にいい顔をしたいだけなら、他にいくらでも手頃な店があるというのに。
「……優しい先輩をもっているんですね」
「あ、あぁ……そうなんだよ。俺が酒も女も好きじゃねぇって言ったら、こんなとこまで、そういう意味じゃねぇんだけど……勘違いされて……」
しどろもどろになりながら説明して、相変わらずベッドの方に座る男娼を見ないように、必死に顔をそむけている。
「こういうお店は嫌い?」
問われると、男は焦って答える。
「いや、好きとか嫌いとかじゃなくて! ほんとに興味が無いんだ……。あ! だから別にあんたのことがいやだとか、そういうんじゃなくてだな……」
「おや、そうなの。なら良かった。まぁ無理にとは言わないけど、そこに立ちっぱなしにするわけにもいかないでしょう。こっちへ来たら?」
そう言って、天蓋の薄布から美しい青年が顔をのぞかせる。男娼を選んだのは先輩だったが、店で一番人気の子にしておくと言っていたような。確かにこの美しさなら大金を払ってでも会いたくなるかもしれない。
そこまで考えて、男は自分が『一晩』を買ったのだと思い出す。
この美しい青年と、一晩? 今、俺は彼とSEXをする権利があるのか?
むろん男にその気は無かったが、金を払うことで彼の肌に触れ、それを抱くことが出来るという事実がなんとも奇妙だった。
切れ長の目からのぞく漆黒の瞳は、魔性の瞳。
「どうしたの、私の顔を見るなり黙りこくって」
くすくすと笑う、その生き物が恐ろしかった。
青い衣をまとい、ランの香りをさせるその青年が。神のようにも、悪魔のようにも見えて。その瞳に囚われてしまいそうで。恐ろしくて。
俺は、気がついたら踵を返し部屋をとびだしていた。
***
あとから、男はその娼館の一晩の値段を知って真っ青になった。強引に連れられて、会計もなにも先輩が勝手に行いとにかく部屋に入れられたので、高そうな店だなとは思っていたが具体的な値段は知らなかったのだ。
その店を一晩どころか数分で出てきてしまったので、申し訳ないような、けれども無理につれていった先輩が恨めしいような、なんとも言えない気持ちになったが、ひとまずこれだけの値段を払ってもらったのならそれ相応の礼はつくさなければと考え、男は先輩の元へ向かった。
「すいません。あんな高い店を……」
「おぉ! 堤! どうだった!?」
「えぇと……すんません。俺は別に男が好きなわけでは無くてですね……」
「なんだ! まさかランファとヤらなかったのか!?」
「……すんません」
先輩は心底信じられないという顔をしていた。が、別に怒ったふうでもない。
実はこの先輩、仲間内から慕われているというわけではなく、酒癖も女癖も、もとい男癖も悪いうえに金遣いも荒く、イラついては後輩を殴り飛ばすような人物である。にも関わらず、なぜか堤は気に入られて色々と良くしてくれるのだ。
「まぁまぁ、取り敢えず座れや」
「失礼します」
先輩の座っている前のソファに腰を下ろすと、違う違う、と首を振る。
「隣に来いって。あんまりこういう話は大声でするもんでもねぇだろ?」
濃い紫色のサングラスからのぞく凶悪そうな目が楽しそうに笑っているのがわかる。堤は言われたとおり隣に座ると、すぐに肩を組まれて今更ながら少しばかり小さな声で会話を続ける。
「ランファに会いはしたんだよな?」
「はい」
「おまえ、あの顔みて勃たねぇのか?? めちゃくちゃ綺麗だっただろ? インポじゃないっつってたよな?」
「違いますけど、いや、綺麗だなとは、思ったんです」
「おぉ! そうだよな。ありゃあ全人類が綺麗だと思う生き物だからな。でもそれで何にもしないで帰ってくるとは……もうちっとお前も遊びってもんを覚えないとだな、この業界じゃ息が詰まっちまうぜ?」
そう言って、最初は有名なバーに連れて行ったり、居酒屋で飲んだりもしたがどうも酒はそれほど好きではないようで、今度はキャバクラやらソープやらに連れて行ったがそれもいまいち反応が悪かった。むしろ連れて行ったことで疲れさせたようで、よけいに目元のクマがひどくなっていた時は悪いことをしたな、と少し反省した。
どうしたもんかと、とっておきの場所を教えてやったがこれでも不発とくると、もはや打つ手なしか。そんなことを思っていた時、堤は少しぼんやりとした顔でランファと会った時のことを話し始めた。
「あの、綺麗すぎて、怖い、と思ったんです。ほんとに一瞬みただけなんですけど、天蓋の布からちょっと彼が顔を出した時に、目が、印象的で……なんというか、吸い込まれそう、だ、って思って……」
この話しぶりをみて、先輩はどうも様子が違うぞと思う。今まで連れて行った店ではただ疲れたように「ありがとうございます」と「もう大丈夫です」を繰り返していたというのに、今度は随分一生懸命話すじゃないか。
「まぁ確かに、あいつを抱く時、俺も薄ら怖くなることがあるな」
「……! 先輩、あのひとと、その、あっと……」
「そりゃあるさ、知ってて紹介したんだ。一応、他の男娼より一般受けする奴だしなァ」
ニヤニヤしながら先輩は答える。
「あの綺麗な顔で気持ちよさそうに啼くんだから、最高だよ。あれを一度知ったら他の人間じゃ満足出来なくなる」
煙草をくゆらせ、ランファのことを思い出しているのか、楽しそうに言う。
「まぁ、無理にヤれとは言わねぇよ。あの店には、一晩なにもせずに眺めてるだけっつぅ変な客も来るらしいし、要は好きに楽しめば良いんだよ。……にしても、あの店がダメならもうお手上げだと思ってたが、どうやら気に入ってくれたみたいで良かった良かった」
「え、いや、気に入ったというわけでは……!」
「なーん、言っとけ。すぐにそんなこと言えなくなる。お前もあれに魅入られたんだよ。まぁ次からは頑張って金ためて行くこったな。そのためにも仕事、行くぞ」
「あ、はい!」
……わざわざあんな大金を貯めて……いや、そもそも他のことにあまり使わないから、勝手にたまっていく貯金はいくらかあって、けっこうな値段にはなっているが、にしても、わざわざあの顔を見に行くためだけに貯金を下ろすなんてそんなバカな真似は……。
そんなことを考えた数カ月後に、男がATMの前に立っていたことは言うまでもない。
***
「おやおや、もう来てくれないかと思ったのに」
天蓋の向こうから、声がする。低く澄んだ、楽しそうな、可笑しそうな。この声すらも、悪魔の囁きのようで恐ろしく、そしてどうしようもなく惹かれるのだ。
「この前は、すまなかった。その、詫びと言ってはなんだが、菓子を買ってきたので、食べてくれ」
そっと近くのテーブルに箱を置くと、すぐにランファは天蓋から出てきた。
「なんのお菓子!?」
「えっ、そんな大したものでは……ちょっとした和菓子だよ」
「やったぁ」
それまでの妖しげな様子とは打って変わって、嬉しそうにベッドから降りてチャイナシューズを履くと、テーブルの側に駆け寄ってくる。
「開けていい?」
「ど、どうぞ……」
上目遣いに殺されそうになりながら、少し距離を取りあまり顔を直視しないよう目線をそらして箱の方を促した。
ガサゴソと箱を開け、中から最中や饅頭が見えると、またパッと笑う。
「……和菓子、好きなのか?」
「うん!」
「そうか……た、食べていいぞ。あ、お茶、いれようか。俺が使っても?」
「いれてくれるの? そこのお勝手は好きに使っていいよ」
流石は高級娼館と言うべきか、部屋にあるのはベッドだけではない。テーブルやシャワルームがあるのは分かるが、テレビ、キッチン、机に本棚、一体ここは何をするための場所なのか分からなくなりそうだ。
湯が沸くまで時間がかかりそうだと思って、ランファの様子を見に戻ってくる。
「早く食べたいから粉のやつでいいよ!」
子供のように愛らしくお茶を待つ彼が、どうして悪魔ように見えたのだろうか。
「特に好きな菓子とかあるか?」
「うーん……割となんでも好きだけど、桜餅とかは結構すきかも。皮で包んである方ね」
「分かった。次はそれを買ってくるよ」
「わーい! ね、おにいさん、そういえばまだ名前を聞いていなかったよね。私はランファ。おにいさんは?」
「俺は堤」
「堤さん、ね。覚えておくよ」
ふいに、笑顔の奥に魔性がのぞく。その黒い瞳に、声色に、色気がにじむ。けれどそれもすぐに戻って、そろそろお茶が沸いたんじゃないかと催促した。
「あ、あぁ、淹れてくるよ」
何なんだろう あの生き物は
あどけなく笑って お菓子を頬張ったかと思えば
妖艶に目を細め 伸びやかな肢体を惜しげもなく晒してみせる
あの肌に触れれば、どんな心地がするだろう。
それはどうしようもなく甘美な誘惑であったが、決して負けるまいと堤は理性で己を縛り付けた。
一度くらいなら一晩を買うだけの貯金があったがそれをせず、ほんの三十分だけ、彼とお菓子を食べる時間だけを買うようにした。ささいな会話をするだけ、それで充分だった。
「堤、最近はどうだ? ちょくちょく行ってるみたいじゃねーか。例の店」
仕事途中、少し暇になると先輩がニヤニヤしながら肘でつっついてくる。
「どうだ? やっぱり気に入ってるんだろ?」
「そう、ですね……先輩の言う通りです。正直、もうあの人の顔が頭に焼き付いて。でもまた直接見ないと耐えられなくて……」
「いーじゃん! いや、ほんと、お前にも春が来たみたいで良かったよ! これから仕事もハードになってくからな。そーいうの大事にしろよ!」
「はい」
それから、先輩と共に行う仕事も段々とグロテスクな物が増えていった。最初のうちは書類整理が殆どで、しばらくするとこの手の仕事に回される。
もしもそこが合わないようなら周りや先輩の判断次第で書類仕事に戻されるが、幸か不幸か堤は血生臭い現場にもすぐに慣れていった。
「流石は元警察官」
先輩は半分からかうように言った。
「いや、元の職場ではこんなのは……そもそも殺人現場だってそうそう見ませんよ」
「そうなのか?」
それはつまんねーなぁという顔で、先輩は転がっている死体を足でどかして歩く。
文明の頂点を過ぎ、衰退の一途をたどるこの世界において流血事件というのは少なくなかったが、警察が機能しているような地域ではそれほど凄惨な現場にはお目にかかれない。ごく普通の市民が生活している。けれどもそうでない街のほうが圧倒的に多く、最低限のルールはあるが、小さな小競り合いから組織同士の大規模な抗争まで、毎日どこかで争いが起きている。
「今は俺たちの組がここら一帯を仕切ってるが、西の方のグループが勢力を拡大してるって噂もある。いつ俺たちも吸収されるかわかんねぇ。まぁでも、もしもの時は、お前は賢く生きろよ」
それは、本当は言ってはならないはずの言葉。『賢く生きろ』とは、裏切ってでも、という意味だから。
周りからは頭のイカれた狂人だと思われている先輩がその実、相当にまともな人間だったことは堤から見れば明らかだった。
まともであったからこそ、狂ったのだ。日々を血と汚泥にまみれて暮せば──ましてや組織が成り立った最初の頃は仕事を選んでいる余裕は無かっただろう。否が応でも血みどろになって金を稼いだ。その結果として今の暮らしがあり、この狂人を生み出した。
それを見抜いたからこそ、先輩も堤を気にかけているのかもしれない。
「まともでいたら、生きていけない」
ポツリと、それはお菓子をほおばる男娼の前でつぶやいた。
「疲れてるね」
優しく微笑んだ。その悪魔は、まるで聖母のように。
「今日はここで休んでいきなよ。何もしないから」
ぼんやりとしたまま促されて、俺は天蓋のカーテンをくぐり、柔らかいベッドに沈んだ。
あたたかく心地よい。少しするとカタカタと陶器の触れ合う音が聞こえ、いい香りがしてきた。ランファが香でも焚いたのだろう。
少しあって、ベッドが沈むのを感じ、ランファが隣に寝ているのだと分かった。肌は触れない、けれどもわずかに体温と気配を感じることの出来る距離。ほんとうにすぐ側に人がいる。
心地よい安心感と甘い恍惚のなか、ゆっくり意識を失って、眠りについた。
コメント