04話 仕事へ行く男達
※残酷な描写、性的な描写があります
あらすじ
荒廃した世界でいくつか残っている人の密集した都市、そこで行われる内紛、歪んだ秩序の下にある治安維持。
堤《つつみ》は、現在の上司である男に強引に連れられて高級娼館を訪れるが、男娼のランファを見た途端どうしていいか分からなくなり店から逃げ出してしまう。しかし、しばらくしてもランファのことが忘れられず今度は自分で娼館へ向かう。
性的な関係を持たずに繋がれていく二人の関係。謎めいた男娼ランファの正体とは、そして二人の関係の行方は如何。
【仕事へ行く男達】
堤がランファのところに通うようになって数ヶ月が経った。思いの外入れ込んでいるようで、俺は安心している。
「よぉ、久しぶりだな。ランファ」
仄暗い闇を愛するこの悪魔なら、あいつの拠り所となってくれるだろう。
「もう来ないのかと思ったら。平津さん、久しぶりだね」
煙管を片手に煙を吐きながらランファは微笑んでいる。息も詰まりそうなほど香を焚き、部屋の中はしっとりとした靄がかかる。
「あぁ、悪いが今日は正気でやりたいんだ。準備してくれたとこ悪いけどよ」
「おや? じゃあちょっとまっておくれ。窓を少し開けよう」
火を消すと、格子窓を開けて新しい空気をいれる。
「外があったかいからしばらく開けておいても平気そうだね。それで? 急に顔を出した訳を聞こうか」
「……お前に紹介した男のことだ」
平津は椅子に座り、ランファの出してくれたお茶を飲みながらひどく静かな声で言った。
「そんなことだろうと思ったけどね」
「あいつ、随分入れ込んでるだろう。お前のことが相当気に入ってるみたいで、俺は……良かったと思ってるんだ。お前も気づいてるだろう。あいつは俺に似ている」
サングラスを外した彼の顔は、随分と疲れ切って見えた。ランファは哀しそうに、優しく笑ってそれに返す。
「……似てないよ」
本心からそう思っていた。
「堤とお前は全然似ていない。あいつはお前みたいに優しくないもの。あれはね、壊れやしない。私が保証してやる」
そう言って、優しく男を抱きしめる。
疲れて、壊れて、それでもやはり人間的であることをやめられない哀れな男を、今だけは子供のように縋ることをゆるしてやって、動物のように本能的であることを愛する。
「ぁ、あ、そんなに、かなしそうな顔で、抱かないで」
細く白い腕が、男の首に触れ、愛しげに絡む。ひんやりとしたその肌が触れ、熱が移っていく。
「お前は、だって、苦しくないのか。男に、好き勝手されるのが」
「本当に馬鹿な人……」
何を言っても、きっと信じることなど出来ない。私が好きでこんなことをしているのだと、望んで快楽に興じ、気に入った男にしか肌は触れさせないのだと、言ったところで。それは全て紛れもない事実なのに、彼は信じない。
「あんまり可哀想だから、特別に約束してあげる」
まどろむ男のとなりで悪魔は優しく囁いた。
「お前が壊れて 私を引き裂いて犯したくなったら それを享受しよう
お前が壊れて ばらばらになりたいと望んだら 私がそれを叶えよう」
歌うようにそれは言った。頭の中の片隅に言葉が残るように。彼を蝕む呪いよりも、更に強い呪いとなって。
***
「ランファ! 今日は柿を持ってきたんだ」
紙袋に入った柿は程よく熟れて食べごろだった。
「こんなにたくさん。いいの?」
「あぁ。ただ、申し訳ないんだが俺はこのあとすぐ仕事に行かなくちゃいけなくて」
「え、すぐって」
「これだけ渡したら帰るつもりで来たんだ。どうしても、顔ぐらいは見ておきたくて」
忙しなく言う堤に、ランファが不安になった。
「まさか、危ない仕事……?」
そんなに時間が無いのに、顔だけ見に来るなんて。まさか私に会って覚悟を決めようだなんて。そんな戦場へ行く兵士のようなことは言わないで。
「いや……。いや、お前に嘘をついても仕方ない。少し、危ない。死にはしなくても、怪我でしばらく来れないくらいのことはあるだろう。だから、……わるい。そんなに悲しそうな顔をしないでくれ……」
「死なないなら、何でも良いよ」
命さえあればなんとでもなる。なんとでも、してやるから。
「いってらっしゃい」
ランファは少しだけ寂しそうなふりをして、男を送り出した。
──さて、どこからがランファの本心で、どこまでが男娼としての芝居なのか。
「ランファ、これ、前に行ってたお詫び」
書類の入った封筒を差し出す。
「あぁ、そこに置いといて」
「……行くの? 仕事じゃないでしょ」
プラムは呆れたように言った。
「趣味ってことにすればいいさ。そろそろ前のから時間も開いてるし、いいだろう」
「ボクはいいけどさ。まぁ……でもその前にこれ読んだほうがいいんじゃない」
自分の持ってきた封筒を指差して、着替えているランファが一向にこちらを見ないので仕方なく書類を取り出してその表題を突きつける。
「これ! 読んで!」
「なになに『堤 恭兵の身辺調査書』? プラム……お前こんなもの作ってたのか」
「役に立つでしょ」
「あぁ、まったくだ。……いつもありがとう、プラム」
嬉しそうに、そして珍しく少しだけ申し訳無さそうに。わずかに目を伏せて彼は言った。
「向かいながら読むよ。行ってくるね」
そう言って、ランファは真っ白なシャツに黒いスキニーという出で立ちで、ナイフを一本だけ持って出ていった。おそらく近くまではペオニアが車で送ってやるんだろう。
「ランファに限って怪我なんてしないだろうけど、……まさかここまであの男に入れ込むとはね」
プラムの心配をよそに、ランファは凄まじい勢いで書類を全て読み、思考を巡らせる。堤の大体の居場所は予測できるが、混戦になってしまえば見つけ出すのは至難の技だ。
今回、彼の仕事は組織内の小グループによる裏切り行為の粛清である。当然ながら粛清される側も大人しくという訳にはいかない。ましてや元は仲間である。組織としては裏切り者でも個人としてどういう付き合いがあるかまでは分からない。それも踏まえて堤とそしておそらくそれを引率する先輩の平津は信用があってこの役目を任されたのだろうが……まだ二人共人間として若く、一切の躊躇をしないと言い切れるほど冷酷でもなかった。
けれどもその人間としての情が自らを危険に晒すということは、分かっていても逃れられない。おそらく平津は薬の一本や二本打ってから来るだろう。正気では出来まい。その分、細かな判断は堤に任される。
指揮する立場にいる以上、それほど直接的に戦闘に参加はしないかも知れないが、それでも敵からは狙われる。命の危険があるのには違いないのだ。
「どうするつもりなんですか?」
ペオニアは車を停めて尋ねた。
「幸い、敵はビルを陣取っているからね。裏から入って少しずつ数を減らす。遠距離の武器を持っているものを殺してしまえば指揮役の堤に手を出しづらくなる」
「分かりました。くれぐれも無茶はしないで下さいね。こんなことであなたが死んだら、私達は堤さんをどうするか分かりませんよ」
「はははっ、気をつけるよ」
手を振って、まるでショッピングにでも行くような足取りでランファはビルへと向かった。
***
まだ戦闘は始まっていない。けれどもビルの中からは殺気が立ち込めている。
「今入るのは危険だな……」
緊張状態でありながらまだ冷静な判断が出来る、過敏になった感覚は、わずかな物音にも反応するだろう。けれども戦闘が始まってしまえば大抵は冷静さを欠き、目の前の敵にしか意識がいかなくなる。そうなれば侵入するのも、背後を取るのも彼にとってそれほど難しいことではない。
しばらく気配を消してビルの影に潜んでいると、車のエンジン音がする。複数台がビルの前でブレーキをかけ、平津の声で命令が下される。
「気ぃ抜くんじゃねぇぞ! 温情はかけるな! 皆殺しだ! 肉の塊になるまでぶっ放せ!」
隣の運転席に堤が乗っているのを確認すると、ランファは音もなくビルの中へと消えた。
すぐに怒号とともに銃声があちこちで始まり、ビル内は騒がしくなる。悲鳴、足音、断末魔、それらの全てがランファの存在をかき消して、戦闘で割れた蛍光灯はほどよい影をあちこちに作り出した。
スーツを着た血まみれの男たちが争うなか、一人だけ真っ白なシャツの美しい青年が紛れ込んでいるというのに、誰一人それに気づかない。
彼は一瞬、影の中に消えるとそこから黒いグローブに包まれた指が現れて、ナイフがひたりと喉元にあたり、サクリと皮を裂き肉に沈み血飛沫が出る頃には手が離れている。
血の汚れ一つなく。彼は戦場を歩く。
「チッ、思ったより武器溜め込んでたな」
平津は車の中で苛立たしげにビルを見上げる。
「先輩、俺は行かなくていいんですか?」
「お前は見とけば良いんだよ。粛清ってのがどんなもんか、これから先、俺がずっとついてるわけでもねぇ。今のうちに安全な場所で仕事を覚えろ」
「……分かりました」
目の前で仲間同士が入り乱れ殺し合うのを、車の中でじっと見ている。それだけで、なぜこんなに疲れるのだろうか。意味もなくハンドルを握りしめて、黙ったままビルを凝視する。
それを、上から見下ろす影。
「おや、二人は戦闘には参加しないのか。杞憂だったみたいだね」
戦闘は少しずつ粛清の色を強め、生き残りがいないか、死体のふりをしていないかと確認するために転がっている死体の頭を更に血で汚し、それは静かに終わっていく。
「もしもし、ペオニア、終わったからそろそろ帰るよ。あぁ迎えは大丈夫。歩いて帰るよ」
生き残りの見落としがないか、他の人間が見落としそうなところは全て確認した後、ランファはその場を去った。
血と硝煙の匂いにあてられて熱くなった自分の体に、夜の冷たい風が心地よかった。
「堤もそろそろ帰って休んでいる頃かな」
きっと今回のことは彼にとって傷となるだろう。自分が人を殺すより、仲間同士が殺し合うのを見るほうが堪えるはずだ。行き場のない罪悪感と、他人事のような命の取り合いは奇妙な気持ち悪さがある。そういうものの積み重ねで、平津のように己を壊し狂人となるか、もしくは何も感じない機械のように、静かに人として死んでいくか。
それとも──。
「私のように、それを愛する悪魔として目覚めるか」
戦場のやかましさが、耳に残る悲鳴と破裂音が、どうしようもなく自分を興奮させる。目の前で散る命のなんと美しいことか。
「殺し足りない」
もっと血が見たい。もっと肉を裂きたい。骨の断つ音が、逃げようと苦しみもがく人間のあげる嬌声が! あぁ、足りない……。
人通りが少しずつ増えてきて、煌々とネオンが光る街まで戻ってきた。大勢の人々が波のように行き交う間を縫うように歩く。誰も私を見てはいない。このまま店に帰るのもなんとなく気分じゃなくて。どこかの店に入ってちょっと遊ぼうか、なんて、考えて。
ぼんやりと立ち止まった時。それは聞こえた。
「ランファ!」
声の主は、はっきりと名前を呼び、私は思わず振り返る。
「つつみ……。こんな、ところでなにを……」
「あぁ、やっぱりお前か。なんとなく雰囲気でそうだと思ったけど、いつもと服装もぜんぜん違うし、まさかと思ったが声をかけてよかった」
安心したように彼は言い、人混みを避けるため道の端へ寄った。
「実は、お前に会いに行こうと思ってたんだ」
「……そうか」
「どうした。元気がないな? せっかく無傷で帰ってきたんだから、喜んでくれないのか?」
ランファは夢の中にいるように、まどろんだ心地で堤のことを見ていた。
「うれしいよ。ケガがなくて……。でも、痛そうだ」
「え?」
するりと、ランファの傷一つ無い綺麗な指先が堤の心臓の上に触れる。
「おい、ランファ……!」
動揺する声にも気づかず、その胸の内にある心臓だけを想っていた。この上質な筋肉で守られた内臓に触れたい。優しくナイフを入れて、息の根が止まるその瞬間まで彼のことを見ていたい。もしも──今、この腰に隠しているナイフを彼の胸に突き立てたなら、いったいどんな顔をするのだろう。
恐怖に怯えるのか、私に殺されないために逃げるのか、それとも私を殺そうとするだろうか。だとしたら一体、どうやって? 突き飛ばすか、首を締めるか、銃を構えるか? いずれにせよ、それはとても楽しい遊びに違いない。
本当に、やってみようか。
「おい! ランファ! どうしたんだ。熱でもあるのか!?」
「……平気だよ。うちの店に来るつもりだったんだっけ? いいよ。案内してあげるよ。ちょうどこの後は予約の客もいなかったし」
「あぁ……本当に大丈夫か? 疲れているのなら無理しないでも」
「大丈夫。ちょっと眠かっただけ。早く行こ! それで柿剥いてよ」
堤の手を引っ張って、いつもの甘えた子供のような顔に戻ったランファと、二人で街を歩いて娼館へ向かった。
「ただいま~! あと、お客様一名はいりまーす」
フロントの老婆に言うと、シワだらけの顔がさらにシワシワになってランファを手招きした。
「堤さん、部屋の場所分かるよね? 先に行っといてくれる?」
「わかった」
堤がフロントから消えると、老婆が小さな声でピシャリと言う。
「酷い匂いだね! あんたそのままあの男と会ってたのかい?」
「あっ、そういえば……やばい。そんなにクサい?」
「臭いとも! さっさと風呂に入って着替えて来な! まったく、男がニブチンで良かったねぇ!」
「うぅーん、あっじゃあ堤さんに部屋のお風呂使っていいよって伝えといてくれる?」
「あんたは何処の風呂使うんだい」
「共有のとこ、空いてるでしょ?」
「どうせなら一緒に入りゃいいのに」
ぶつくさ言いながら、老婆は部屋へ伝えに行ってくれる。ランファは急いで風呂場へ向かい、硝煙の匂いが染み付いたシャツと、ナイフも脱衣所へ置いてシャワーを頭から浴びた。
ガシガシと髪を洗いながら考える。
堤はおそらく、鈍くて匂いに気づかなかったのではない。彼自身も同じ匂いをまとっていたから、鼻が慣れてしまって分からなかったのだ。車の中にいてそれほど匂いに慣れるか、というとこれは怪しい。まったく入ってこないわけではないだろうが、その程度ならすぐに戻るはずだ。車はビルから多少距離のあるところに停まっていた。
戦闘に参加せず、しかし匂いのつく場所にいた。おそらく、彼はあのビルの中を最後に確認するために歩いたに違いない。性格的なことを考えても、いかにもやりそうである。とすればあの現場を見たのか……。
「いや、あのくらいなら、見慣れているか」
そこまでグロテスクな死体というわけではない。猟奇殺人にあったわけではないから。けれども、では、彼はどのくらい冷静に、あの中を歩いたのだろう。
ランファは気配を殺すため、音の出ないナイフを使った。本当は鈍器のほうがより良いのだが、そこら辺は利便性に趣味が勝った結果である。銃よりも毒よりも、ランファは刃物が好きだ。
しかし、その切り傷は首を一筋、綺麗に切り裂いただけ。沢山の弾痕が残るあのビルの中に、ところどころある奇妙な死体に、彼は気づいただろうか。
見落としそうな隠し部屋にあった争った形跡すらない死体の違和感を、なぜか一つ残らず電球の割れた部屋に沢山の死体があったことを、その不気味さに、彼は──?
平津ならば、正気の時には気づくだろう。けれど、今はもうそんな洞察力は残されていない。しかし、堤は気づいたかも知れない。
そうだと良い。それなら、その疑念が頭に残って、その前に見たひたすら争いを眺めているだけの嫌な感覚の記憶を少しでも圧迫してしまえ。
「そうでなくても、私が忘れさせてやろう」
優しく、笑って。髪もろくに乾かさないまま部屋へ向かった。
***
コンコン、と音がしてランファが顔を出す。
「シャワー借りたよ、ありがとう」
堤はタオルを首にかけて、白いバスローブを着ていた。娼館では珍しくもない格好だが、堤がしているとなんとも新鮮な光景だった。
「さっぱりした?」
部屋に入り、ちょこちょこと歩いて隣へ座る。
「あぁ。仕事で汗かいたんでな。大したことは、してないが……。ランファもシャワー浴びたのか。髪がまだ濡れてるぞ」
「うん。乾かすの面倒くさいからいつも放置しちゃう。短いからほっといてもすぐ乾くし」
「風邪ひくぞ」
言いながら、堤はランファのタオルを借りて頭をワシワシと乾かしてくれる。ランファは存外気持ちよかったのか、目を細めて大人しくされるがまま。
「ほれ、これで大分ましだろ」
「ありがと」
終わるとタオルを受け取り椅子にかけて、再びベッドに戻ってくるとランファはそのまま寝っ転がった。
「堤さんも、ほら」
「あぁ」
特に抵抗もなく、彼は隣に寝ると、疲れていたのだろう。そのまま少しうとうとしだした。
「あれ、眠っちゃうの?」
「んん……そうだ、柿を切ってやろうと思ってたんだ。でも、ちょっと眠いな……」
「柿はいいけどさ、お仕事大変みたいだから、サービスしてあげようと思ったのに」
「さーびす……」
まどろみながら、繰り返して言葉の意味は分かっていなさそうだった。
ランファは堤の足に、自分のそれを近づけて、するりと絡ませる。手は、彼の胸元へ。
「おまえ、あったかい、な……──」
そのまま、彼は夢の中へ落ちていった。
「うふ、堤さんったら、私がこんなに誘惑してるのに寝ちゃうなんて」
大抵は疲れていても、いや疲れていればこそ獣のように、美しい男娼を貪るように激しく犯すのが男というものなのに。彼にとってランファは性の対象である以前に、安心してしまうらしかった。
それでも、明日起きてから今日の夜を思い出せば、顔を真っ赤にして慌てることになるだろう。疲れていても記憶はしっかりしている質だというのは確認済みだ。
「本当はもう少し先までしても良かったんだけどねぇ。それはまたの楽しみにしておこうか」
額に優しくキスを落とし、ランファもゆるゆると眠りについた。
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