03話 娼館の人々
※残酷な描写、性的な描写があります
あらすじ
荒廃した世界でいくつか残っている人の密集した都市、そこで行われる内紛、歪んだ秩序の下にある治安維持。
堤《つつみ》は、現在の上司である男に強引に連れられて高級娼館を訪れるが、男娼のランファを見た途端どうしていいか分からなくなり店から逃げ出してしまう。しかし、しばらくしてもランファのことが忘れられず今度は自分で娼館へ向かう。
性的な関係を持たずに繋がれていく二人の関係。謎めいた男娼ランファの正体とは、そして二人の関係の行方は如何。
【娼館の人々】
ランファは最近よく来る客のことを気に入っているようだった。
こないだなんか本当は三十分だけの料金しか払っていないのに一晩泊めてやったようで、今までのランファからは考えられない。
あんな大して面白くも無さそうな普通の男、金も権力も、自信も無さそうな……よほど体の相性が良かったというのなら分からなくもないが、あの男とはまだ寝てないのだと言う。一晩泊めて添い寝しただけと聞いた時は卒倒するかと思った。
どんなに気に入った客でも金銭に関しては厳しかったし、ランファは金と権力のある男が好きだった。富は快楽を産み、権力はそれを楽しむ心を作る。金も権力も手に入れ自分に自信がある、ある種、傲慢な、そんな相手に自らを征服されていく感覚が心地よいのだと、かつて言っていた。
ボクと違ってランファは快楽に溺れることに慣れているし、それを好んでいる。危ない遊びに慣れている男としか遊ばない。
よけいに、あの男は不可解だった。
「何がそんなに気に入ったわけ?」
「おや、プラムは私があれと仲良くするのは気に食わないのかい?」
くすくすとお得意の妖しげな微笑みでライチを剥く姿が、なんと様になることか。楊貴妃も真っ青なほどライチがよく似合う。とはいえ、この娼館にいる人間の五人中三人はライチの似合う美しさと妖しさを持ち合わせていることがよけいに腹立たしい。
「……今までのタイプと違うじゃん」
「そうでもないさ。なかなかあれで、いい目を持ってる。表面だけで見れば、まだまだだけどねぇ」
「それは、ボクが上辺だけしか見てないってコト!?」
「そんなに怒らないでプラム。ごめんって。プラムも二人で話してみればすぐ気づくよ。彼のことは最初にちょっと見ただけでしょう? その時は私もあんまり面白くなさそうだと思ってたもの」
「ふーん? それが今では? まさか一晩分の代金を変わってあげるほどお気に入りになっちゃったわけ?」
頭から蒸気が出そうな勢いでムカムカした気持ちを丸出しにして言うと、ちょうど共同の台所にやってきた別の男娼が声をあげた。
「ランファが代金を変わってやっただと!?!?」
オレンジの目立つ髪をオールバックにして、かっぴらいた両眼はぎょろぎょろと威圧的で、金のアクセサリーをじゃらじゃらとつけた派手な見た目の男が、常にデカイ声を、更にデカくして驚いた。
「ラディ、私の前ではもう少し小さい声で話してくれ」
「あぁ、すまんランファ……あんまりにも驚いて。にしても本当か? ランファが自分の金を使ってやるなんて……!」
信じられない、と心底驚いている。そこへ、おそらくラディの大声を聞いたもう一人もやってくる。
「何事ですか。そんなに騒いで。昼間と言ってもあまり大きな声を出すものではありませんよ」
亜麻色の艷やかな髪に翡翠の瞳、眼鏡を掛けた上品な物腰の青年が暖簾を分けて入ってくる。
「ランファも居たのですか。あぁ、そのライチ、新鮮で美味しいでしょう?」
「うん。ペオニアが頼んでくれたの?」
「そうですよ。良かったら私が剥いてあげましょう」
ペオニアはやたらとランファにだけ甘い。自分とその他に対しては厳しい人だからその甘さが余計に際立っているが、ランファは特に気にしていないようで喜んで甘やかされている。
ライチを剥きながら話を続ける。
「それで、代金がどうしたんですって? あのお婆さんがお金の計算を間違えるわけは無いと思いますが」
ペオニアの言うお婆さんとは、この娼館で金の管理等々を預かっているいわゆるやり手婆、取り持ち女などと称される仕事を担っている老婆のことだが、ここのお婆さんは金が大好きではあるものの他の娼館のように男娼に無理強いをしたり虐待をしたりということは一切ない。頭の周るよく出来た老婆だ。
「人としてはどうか知りませんが、仕事はしっかりやる人ですからね。でも何か問題があるなら私から報告しておきますけど」
「いや、違うんだペオニア! 聞いてくれ! なんとランファが客の宿代を肩代わりしてやったんだと!」
「は?」
「信じられんだろう!」
「まさかそんな、冗談でしょうランファ」
「いや……本当だけど……そんなに驚くことかい?」
ペオニアが持っていたライチをテーブルにべちゃっと落としてしまったのは、無理からぬことだろう。要するにそれだけあり得ないことなのだ。
「だってあなた、あれだけ金のない男に興味はないと……」
「金のない男が嫌なわけじゃなくて、金のない男は心の余裕もないから、結果的にあんまり楽しくないって話だよ! だいたい堤とはまだセックスもしてないし、関係ないよ」
「まだ、してない……?? じゃあ何をしてるんです??」
「何って……おしゃべりをしたり、お菓子を食べたり……」
少し拗ねたような顔で言った後。
「あっ、この間はちょっと疲れていたみたいだから添い寝をしてあげたよ」
今度はにこにこ、にこにこ、なんの屈託もなく。
「また来ないかな~。月イチでしか来ないんだよね。持ってきてくれるお菓子がいつも美味しくてねぇ」
「……堤、という名前なんですか。職業は?」
「うーん。たぶんここら辺で一番大きいとこだと思うよ。この間は血の匂いがちょっとしたし、怪我はして無さそうだったから、でもあぁいうのって一度染み付くとなかなか落ちないからなぁ。今は比較的落ち着いてるけど、色々と小競り合いの処理をしたり忙しいみたいだね」
「その男があなたに愚痴でもこぼしたんですか?」
「んーや、堤を紹介した男が言ってた。何回か寝たけど結構いい男だったんだよね~。段々壊れていっちゃったけど」
「あぁ、あの……」
ペオニアも、同じ男の相手をしたことがある。元はプラムの客だった。けれども相性がいまいちだったので、今度はペオニアを選んだが、自分よりランファの方が良いと感じて紹介したのだ。結果的に男はランファを気に入ったようで、律儀なことにペオニアにも礼として高級な菓子折りを渡してきた。
「ちょっと似てるよね」
そう言ったのはプラム。
「真面目そうなとことか、いっつもなんか緊張してる感じとか。警戒してますって感じがだだ漏れじゃん。その堤サンとやらもさー、いつか壊れちゃうんじゃないの?」
「どうだろうねぇ」
くすくす、くすくす、ランファは楽しそうに笑っている。随分と、余裕たっぷりに。
「今度、彼と話してみれば分かると思うよ。笑っちゃうくらい分かりやすくて、きっと楽しいからさ」
***
「そんなこと言われたら、ちょっかいかけない訳にはいかないよね」
ふわふわとした髪を派手なピンク色に染めた、少し幼気な青年がにこにこと座っていて堤はうろたえる。部屋自体はいつもランファがいるところと同じだが……。
「えぇ、と……君は?」
「ボクはプラム。ランファはボクの部屋で寝てるよ。ちょっと内緒で入れ替えたんだ」
「寝ている? ランファは具合が悪いのか?」
心配そうな顔で尋ねてくる。
「違う違う、ボクがちょっと飲み物に薬を入れただけ。体に悪いものじゃないから大丈夫だよ!」
「……薬を? どこで手に入れたものだ?」
眉間にしわが寄り、瞳には剣呑な光が宿る。
「大丈夫。ボクも以前に飲んだことがあるものだし、そんなに強い薬でもないから。それに、薬をくれたのはランファなんだ。それなら安心でしょ?」
ランファがくれた、というのは嘘。でも自分で使ったことがあるのは本当。
知りたいのはこの男がランファをどう評価しているのか、ということだった。
「ランファが薬を……?」
「そう! 彼がそんな危ない薬を他人に渡すわけないってことは、堤さんならよくわかってるでしょう?」
「……俺は、ランファが善人だと思ったことは一度もないが?」
ますます彼の表情は険しくなった。
「だが、まぁ……自分で渡した薬に気づかないほど間抜けでは……いや、どうだろうな。ちょっとぼんやりしたとこもあるし……」
考えて、彼は立ち上がった。殺気立った目で扉の方を睨みつけながら。
「えっ、まってまって!! 分かった! すぐにランファのいるところに案内するから! 店の中で暴れないでよ!?」
「そうか? じゃあ早く案内してくれ」
本当に暴れるつもりだったのかと心臓をバクバクさせながら、ランファが眠っている自分の部屋へと案内する。
「この部屋、寝てると思うけど静かにね?」
「あぁ。……もしこれが変な罠だったりしたら、俺は取り敢えずお前のことだけは顔の形が変わるまで殴ると思うが大丈夫だろうな?」
「だっ、大丈夫だから絶対やめてね! こわすぎ! もう、すぐ入ろう」
本気でやるという目をしていたので恐ろしくなりながら、勢いよく扉を開けた。
「ほら、そこのベッドに──」
赤や薄桃色を基調とした、甘い香りのする部屋に、それはあまりにも青々と冴えた色で座っていた。
「──ランファが寝て……」
そう……『座って』いたのである。
「プラム、おいたが過ぎるんじゃないかい?」
「うそ……! 確かにお茶を飲んで、寝たのも確認したのに……」
「私に薬なんかが効くならねぇ、とっくの昔に薬漬けだよ。あんなもの気休めにもならない」
皮肉げに言って立ち上がると、呆然としている堤の方へ歩いていく。
「今日はなんのお菓子を持ってきてくれたの?」
「あ、あぁ、いや、今日は果物でもどうかと思って……ライチを持ってきたんだ。仕事先でもらったから」
「おやおや、それは嬉しい。私はライチが大好きでね」
「本当か! それはよかった」
その会話を見てプラムは、はっきりと気づいた。
この男は、ランファの前でだけひどく緊張している。それも目をあわすことすらろくに出来ないほど! まるで恋を知らない生娘のようではないか……これが、ランファが気に入る本当の理由か。てっきり一途に思われるのが楽しいのかと思ったが、これはそのレベルを超えている。彼と遊ぶのはまるで、白雪の上を初めて踏みつけるような快感を得られるに違いない。
「……悪趣味だよ、ランファ」
「ふふ、なにか勘違いしてるんじゃないかい? プラム」
ライチを置いてきてしまったとおろおろする堤に、先にいつもの部屋へ戻るように優しく言う。堤はそれに応じ部屋に戻ってライチを剥いておくよ、と返し出ていった。
「それで? なにが勘違いなのさ。純白を藍に染め替えるのはさぞかし楽しいんだろうね?」
「私がそんなに気長に見えるかい? お前は一応私との付き合いが一番長いはずなのに、本当に分かってない。私が好きなのは、今も昔もただ純粋で一途な愛だよ。それはいっときの快楽とは比べようもないくらい心地よい」
「彼が、それを持っていると?」
「そうだ。彼の目を見ただろう。あの狂気をはらんだ瞳を」
うっとりとして、ランファは言った。
「彼のあの瞳は、ペオニアに似ている。……だからプラムは余計に苛つくんだろう」
「確かにペオニアのことは嫌いだけどそれは別に……!」
「違うというのなら他のところに理由があるのかな?」
くすくすと笑うそれは、ならば自分で理由を見つけてみせろと言っていた。見つかるものなら……と。
「……ちょっかい出して悪かったよ。お詫びは近いうちにするから許して」
「いいだろう。でも次、手を出したらいくらお前と言えど……分かってるだろうね?」
「出さないよ」
ランファはそれで納得したらしく、自分の部屋へと戻っていった。
「また厄介なのを気に入って……」
プラムはため息をついてソファに座り込んだ。
誤解のないように言えば、プラムはランファに突っかかっているように見えるが決して仲が悪いわけではない。むしろ大切に思っている。そしてランファも皮肉を言うことが多いが、彼もまたプラムのことを嫌っているのではない。
お互いに長い付き合いだからこそ、いらぬ世話を焼きたくなったり軽口を叩いたりするのだが、今回はまた少し複雑だった。
ランファが気に入った男を見つけると、ペオニアもラディも甘いからすぐ良かったねなんて言う。もしも男がなにかランファに危害を加えるなら殺してしまえくらいに思っている。その変わりにボクばっかり気を揉んで、男の素性なんかを調べたりするわけだ。
「やんなっちゃうよ。まったく」
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