白い背中 エピソード2

エピソード2 秋

あらすじ
穏やかな高校生活をおくる少年。警察組織に所属している父親を持つ彼は、幼い頃親しかった少年と再会するが、少年の父親は暴力団関係者であり、互いに成長した今となってはかつてのように会話をすることはない。しかし彼は思わず少年のことを目で追いかけてしまって……。
四季を象徴としながら二人の関係が変わっていくストーリーになっています。わずかに『薔薇色の男娼』と繋がっている部分がありますが、直接関係はないので片方だけ読んでも困らないはず。

【エピソード2 秋】  俺は昔から父親と反りが合わなかった。けれども、幼い頃はなんとなくだったものが年齢が上がるにつれはっきりと分かってきて、そして日を追うごとに衝突は激しくなる。  口論になる理由は様々だったが、主に進学に関するものが多かった。今思えば俺は随分と幼稚で特にやりたいことなんか無かったくせに、父親にあれこれと言われるのが嫌だった。  とにかく俺を警察官にしたいらしい父親は国立の良い大学へ行けとしつこく勧めてきた。幸い成績は良かったし勉強も嫌いでは無かったから、最初はそれほど反発もせず勧められた大学のパンフレットを見たりして、そのうちオープンキャンパスにも行ってみようかと思っていた。  けれども、そんな俺をよそに父親はある時期から今まであまり気に留めていなかった成績表を見せるように言ってきたりテストの点数はどうだったんだと何度も聞いたり、とにかく干渉するようになった。  心配、していたんだろう。けれども疎ましかった。そのうち憎たらしいとまで思うようになった。母親はそんな俺たちを不安そうに見ていたが、結局なにも言うことはなく──少なくとも俺の知る限りでは──ただ傍観しているだけだった。  そんな毎日に嫌気が差して、けれども父親はそれほどわかりやすく間違ったことを言うわけでは無かったからこそ、俺は怒りの矛先をどこへ向けて良いかも分からずイライラして、ついに家を飛び出した。  行くあてもない。友達は少ない方では無いが、本当に親しいと思える奴はいなかった。  本当にプライベートな家族の話、親の愚痴を言えるような友達、真剣に将来について相談できる友達、理由も訊かずに家に泊めてくれるような友達……。そんなものは幻想だ。  暗くなってきた空を見ながら、俺はなんとなく悪いことをしているような気になってフードを目深に被りポケットに手を突っ込んで、ずんずん歩いた。周りの人間は俺を見ると目をそらし露骨に避けていった。そういえば、昔は目つきが悪いし周りよりデカかったせいで友達も出来なかった。幼稚園じゃ話しかけただけで泣かれたこともあったし、中学の時は不良だと思われて先生にやたらと厳しくされた。  そのうちに愛想笑いをするようになって、慣れてくると友達も先生も面白いやつだと言ってくれた。けれども、少し黙っていたりすると、怒っているのかと怯えた目で尋ねられたことは一度や二度ではない。  うんざりだった……。彼らが悪いのではない。分かっている。目つきの悪いやつが不機嫌そうに黙っていれば怖くもなるだろう。例え俺がぼんやり今日の夕飯について考えてたってそんなの分かりはしないのだから。  それでも、俺だって疲れるんだ。だから今、俺を避けて歩く人々が仕方ないのも分かっている。分かっているけど、腹が立つ!   苛立たしさで、一層早足になりながら街を闊歩して。──ふいに、視線を感じた。  俺は立ち止まって顔をあげ、チリチリと感じる先に意識を集中させた。そして、それはすぐに。  走ってやってくると。嬉しそうに尋ねてきた。 「夜の散歩か?」  柔らかく笑い、僅かも俺を恐れないその瞳はまっすぐにこちらを見上げる。 「……あぁ、ちょっと、外の空気が吸いたくて。お前は?」 「僕は家出してきた」 「えっ?」  なんと軽やかに、大したことでも無さそうに言ってしまうのだろう。 「知ってるだろ? 僕の家のこと」 「あぁ……」 「また若いのが変な女を連れ込んでね、やってられないから出てきたんだ」 「たいへん、なんだな」 「慣れたもんだよ。それより、どうやら今日は道連れになってくれそうなのがいるからな。そんなに憂鬱じゃない」 「道連れ?」 「君もどうせ、家に帰りたくないんだろ?」  彼は目を細めて楽しそうに笑っていた。やっぱり、お見通しなんだ。 「僕が家出したときに、時々お世話になってる人がいる。ちょうど今からその人の店に行こうと思っててね。一緒に来るか?」 「いいのか?」 「……せっかく会えた夜なんだ。一人ぼっちは寂しいだろ」  見たことのない微笑みで言って、彼は俺の手をひいた。  俺は連れられるままネオンの眩しい街を歩き、あちこちに輝く看板の怪しげな字面にどきどきした。ドラマか漫画でしか見たことのない夜の光景。ふらふらとした酔っぱらいや何かを叫んでいる人。  自分の知らない世界は、怖いけれど興奮した。そしてその中を堂々と歩く彼が、教室の中で太陽の光を受けて輝く彼とあまりにも違って……。 「着いた」 「え、ここ……」 「裏口から入ろう」 「ちょ、ちょっとまっ」  細い路地に入ると意外にもそこは綺麗だった。 「……こういうところってもっと汚いと思ってた」 「このあたりは綺麗にしてあるんだ。高級店ばっかりの通りだからな。でも一本向こうに行ったら血まみれの人が倒れてたり、武器持った喧嘩とかしょっちゅうだし、強姦まがいのことをしてる真っ最中だったりするから、絶対細い路地に入らないようにしろよ」 「……、け、警察とか、こないのか?」 「はははっ、呼んだら来るんじゃないか?」 「いや、み、見回りとか」 「一応してるみたいだけど。まぁそんなことより、ほら、入れよ」  重い扉をあけると、すぐそこは小さな部屋になっていてさらにガラス張りの扉がある。彼はその扉の横にある機械に暗証番号を入れ、手慣れた様子で入っていく。  ガラス扉を進むと廊下と階段が見えてきて、ちょうど階段から人が下りてくる気配がした。 「この足音はラディさんかな」  彼は独り言を言って少し立ち止まり、階段の方を見上げた。 「子供よ! ペオニアから聞いている! フロントにはもう伝えてあるから報告は不要だぞ!」  目の痛くなるようなオレンジ色の髪に、金のアクセサリーをじゃらじゃらとつけた男は元気過ぎる声で言った。 「ありがとうございます」  彼は特に驚いた様子もなく礼を言うと、俺の方を見て階段を指差した。  階段を上って更に少し歩くとまたいくつかの扉があったり階段があったり迷路のように入り組んでいたが、彼は迷わずそのうちの一つの扉の前に立ち、靴を履き替える。俺もそれにならって靴を脱ぎ、目の前にある小さなロッカーにしまってスリッパを履く。  そして、鍵付きの白い扉を開けると先程までの無機質な造りとは打って変わって、なんだか色鮮やかな絨毯やら壁画やらに目がくらみそうになる。それになんだか甘い匂いまでしてくるようだった。そこから少し歩いた先にある緑色の扉の前で、彼は言った。 「ここが僕の部屋」 「え?」  なんだか信じられない気持ちになりながらも、彼に促されるまま部屋に入ると、涼し気な淡い緑を基調とした豪華な空間が広がっていた。 「ほ、ほんとに、ここが……?」 「借りてるだけだけど。ペオニアさんのご厚意でね。空き部屋だから好きに使えって」 「す、すげぇ」  真ん中にあるバカでかいベッドはおとぎ話の世界にあるカーテンのついたベッドだし、照明だって俺の部屋についてる丸くて平たいやつじゃなかった。なんだか花のような形をしていて、柔らかい光で部屋全体を照らしていた。 「なんか、異世界に来た気分……」 「大げさだな。ちょっと良い店の中は大抵こんな感じだろ」  ひたすら戸惑う俺を面白そうに見ながら彼は部屋のタンスから服と、それからハンガーを取ってきた。 「けっこう歩いたろ。風呂、はいってこいよ」 「え……。あ、お前はいいのか?」 「僕も後から入る」 「そうか」 「どうした。一緒に入りたいのか?」 「あjmゔ%そ!?!?!?」 「ははっ! 冗談だよ! さっさと入ってこい」 「sかk=>」  俺は真っ赤になって呂律も回らなくなりながらハンガーと彼が貸してくれるという服を受け取って風呂場へ向かった。風呂も広く豪華だったことは言うまでもないが、置いてあったシャンプーやリンスがやたらと高級そうなボトルに入っていて、いい匂いだったこともあいまって俺はなんだか家でイライラしていたことが全部どうでも良くなり始めていた。  全身いい匂いに包まれている自分になんとも不思議な気分になりながら髪を乾かし、彼に上がったことを伝えようと思ったら、部屋には誰もいなかった。はて、と思いながら俺は誘惑に負けてふかふかのでっかい布団に転がる。  ちょうどその時、ガチャっという音がして俺は飛び上がった。 「ぅおっ、かえり。どこ行ってたんだ?」 「キッチンから食べ物もらってきたんだ。……その布団、寝心地最高だろ?」  ニヤリと笑って彼は言った。 「ん、あぁ……。すごいな。思わずちょっと、誘惑に負けて……すまん」 「いいよ。でもこっちのソファも中々だ。食べ物はここに置いとくから、好きに食べていい。ただしベッドの上で食べるなよ」 「あぁ、ありがとう。悪いな、何から何まで」 「気にするな」  そう言った彼は、なんだか浮かれているようにすら見えた。  その日、俺たちは久しぶりにいろんな事を話して、彼の持ってきてくれたジュースやスナック菓子をつまみながら夜遅くまでずっと起きていた。  家族のことはあまり話さなかった。ほとんどは他愛ない学校でのこと、勉強のこと、好きな食べ物やミュージシャンについて。  あの夏から互いがどう過ごし、何と出会ったのか。俺は自分のことを知ってほしかったし、彼のことも知りたかった。下らないことも一生懸命話した。この一夜で、空白の4年間を埋めるために必死だったのかもしれない。  彼はよく笑った。本当に楽しそうに笑って、ころころと表情を変える。学校での謎めいた雰囲気からは想像も出来ないほど、明るく話して冗談を言っては俺を困らせてまた笑った。  二人で眠たくなりながら歯を磨いて、ふかふかのベッドで朝までぐっすり眠る。これほど気をゆるませて眠ったのはいつぶりだろうか……。  帰ったら父親に滅茶苦茶怒られるだろうと思ったが、俺があまりにもすっきりした顔をして帰ってきたのを見て、次からは母さんが心配するから連絡くらいは入れなさいと言われただけだった。  そうして日常は、元に戻っていく。  俺たちは学校で話すことは無かった。彼はまるで他人かのように振る舞ったし、俺も声をかけようとは思わなかった。そうするのがお互いにとって正しいあり方だと理解できる歳になってしまったから。  けれども、一度でも安らぎを知った心は、摩耗していく感覚に敏感だった。薄っぺらい人間関係、過干渉な父親と見ているだけの母親、信用できない先生と決まらない進路。そしてたいした目標もなくただ机に向かうだけの自分。  何もかもが嫌になる。そんな時には自然と彼のことを思い浮かべた。  彼は、あの家を継ぐのだろうか。大人しそうに見えて強かな彼のことだ、きっと家を継いでもうまくやるのだろう。そしたら着物なんかを着たりして、怖そうな顔の男たちを従えるのか。 「……似合うだろうな」  容易に想像できる。優しく微笑んでいるはずなのに全てを見透かしているようで恐ろしい瞳、口汚く怒鳴ることなどないのに凄みのある声。彼は上に立つのが相応しい人間だ。  彼に従う者が羨ましい……、とまで俺は思っていた。けれど、願った所で叶わない夢。それならいっそ遠く離れてしまった方が、彼の姿など見ることも出来ないほど遠くへ行ってしまった方が、この妄執も忘れられるだろうか。  割り切れないまま季節は過ぎていき、未だに志望校をはっきりさせない俺に対して父親は一層厳しくあたった。  成績は足りている、向こうでの生活費や学費もある程度面倒を見てやると言っているのに、何がそんなに不満なのかとしょっちゅう怒鳴っていた。そしてそれでもろくな返事をしない俺を見て、ある日カッとなって頬を叩いた。  それほど痛くは無かったが母親は悲鳴をあげ、父親は思わずしてしまった自分の行動に青ざめながら、引っ込みがつかなくなってそのまま怒鳴り続けるしか無かった。  俺はぼんやりとしながらその家を出た。頭を冷やしてくる、とだけ言って。  ふらふらと暗くなった街を歩きながら、なんとなく携帯を取り出して気がつけば俺は彼に電話をかけていた。 『もしもし?』  彼はすぐに電話に出てくれた。けれども俺はなんと言って良いのかも分からず、ただ彼の名前を呼んだ。それだけだった。でもそれで充分だった。 『今、どこにいる?』  彼は俺の場所を聞き出すと、すぐに行くから待っていてと言って本当に数分としない内に目の前に銀色の車が停まった。 「組の車じゃないから大丈夫。おいで、僕たちの隠れ家に」  そう言って微笑むと、俺を車の中に引き入れて扉をしめた。  前に行ったあの異世界みたいな店に向かっているんだろうと分かった。  店につくまでの間、彼は黙って肩を貸してくれて静かに優しく包んでくれる。母よりもたおやかで、父よりも揺るぎない──『愛情』のようなものを、感じていた。 「ついた。起きてるか?」 「……あぁ」 「よし、もう少しがんばれ、僕の部屋についたら好きなだけ泣いてかまわないから」  俺の頭を撫でながら低く優しい声で言って、促されるまま階段をのぼり、いくつかの扉を抜けてあの部屋にたどりついた。 「……疲れているなら、眠るか?」  彼は慈しむように言う。 「いいや、……話を、聞いてほしい。きいて、くれるか?」 「あぁ、いいよ。いくらでも聞こう」  俺はその声に溺れるように、どこかはっきりとしない現実、まるで夢の中にいるかのようにぼやける視界を意識にとめながら家でのことを話しだした。  煮え切らない情けない自分のことも、彼の前では不思議と素直に認められた。父親の前ではありもしない意地を張って本当に言いたかったことも分からなくなっていたのに、彼の真っ黒い瞳の前ではそんな虚勢はまるで意味をなさないだろうと思うと、ただ弱い自分をありのまま見せるしかないと諦めもついた。  取り留めのない話しをずっと聞いてくれて、俺は泣いたり怒ったりしながら苦しかったことを全部ぶちまけた。段々と声が枯れていくのも気にせずに話していたが、感情を隠さずに伝えることは思いのほか体力を消耗し、俺はいつのまにか泣きつかれて眠ってしまったのだった。  その日、俺はまた体の力を抜いて眠ることが出来た。夢も覚えていないほどぐっすり眠って、天蓋から透ける朝日で目を覚ます。  隣には、俺より少し早く目を覚ましたらしい彼が微笑んで俺を見ていた。なんと幸福な朝だろうか。永遠にこんな目覚めを迎えられたらそれに勝る幸せなどないだろう。  ぼんやりと、俺は視線を返す。すると彼は低くささやいた。 「逃げてしまおうか。二人で、どこか遠くに……」  ──それは優しい誘惑 「僕たちのことを誰も知らないところまで」  夢に満ちた逃避行……──。  俺は真剣に考えた。それも良い、彼と一緒に家のことなんか関係ない所で二人で、出来なくはないんじゃないか。もちろん楽な暮らしは出来ないだろうけど、どこかで小さくて汚くても二人だけの部屋を借りて一緒に働いて……。  あぁでも、そんなことをすれば、苦しむのは俺ではない。彼の方ではないか。俺たちには家族がいるのだ、そして彼の家族は決して社会的に認められている人々ではない、ならば俺の父親はなんの躊躇いもなく彼と彼の家族を憎み、悪しざまに言うだろう。ありもしない罪が彼のほうへ向き、彼からあらゆる幸福を奪うだろう。  彼がそれをかまわないと言っても、たとえそれが紛れもない本心であったとしても、その夢を叶える訳にはいかなかった。 「──……ごめん」  その一言を、彼は微笑んで受け入れた。俺がそう答えることを知っていたのかもしれなかった。  だから、ほんのすこしだけ寂しそうに微笑んで、それ以上なにも告げることなく……。

次の話を読む前の話に戻る

目次

コメント

タイトルとURLをコピーしました