アコニの花束 11話

11話 表情

※小児加害など一部残酷な描写があります

あらすじ
近代ヨーロッパを舞台にした復讐劇。
ある事件により、車椅子での生活をおくることになった少女イネスは、その事件に関わった人間を探し出して自らの手で復讐することを願っている。唯一の味方である元奴隷のルイに協力してもらうが、なかなか犯人は見つからないまま、親の勧める実業家イーザック・フォーゲルの元へ嫁ぐことを決める
最初は互いに利害関係のみで成り立つ冷え切った夫婦関係だったが、ある出来事をきっかけに仲が深まり、やがて復讐へ協力してくれることになるが……。

【表情】 「───私は、あの日、乙女ではなくなったのよ。恋に憧れを抱いていた子供は、もう死んでしまったの。それであの時、私は血が止まるのを待ってから、医者の前でも両親の前でも演技して見せたわ。足がいたくて泣いている、かわいらしい女の子の演技をね。みんな騙された。知っているのはルイだけ。……これで分かってくれたかしら? 私は、あなたの妻になれる資格なんて、ほんとは無いの」  イーザックのことは好いている。彼の好意を否定する気もない。けれど、彼の妻として、彼の隣に眠り、その腕に抱かれるには、イネスの傷はあまりにも深かった。 「ルイ以外の全ての男が化け物にしか見えなくなっていたけれど、あなたのことは……あなただけは、私を見て、化け物のようには微笑まなかったから。だからあなたとなら結婚しても良いと思ったの。今はあなたに恋をして、あなたから向けられる好意を嬉しく思えるけれど、きっと一生それ以上にはなれないわ。嫌でしょう? キスをしただけでナイフを突き立てるかもしれない女なんて」  イネスは涙を流しながらそう言って、イーザックを見ていた。俯いて、おそらくはイネス以上に泣いている優しくて不器用な男を。 「……、すみません、ちょっと……言葉が、うまく出て、こなくて、少し、待って下さい」  震える声でそういって、いつも固い表情がよりいっそう厳しくなって、けれども潤んだ瞳をみるとなんだかとても、愛しく思えた。 「えぇ、私はちょっとお化粧をなおしてくるわね」  鏡を見ながら、イネスは自分の赤くなった目を見て、随分人間らしい顔も出来るようになったものだと思った。それに、自分の過去を悲しいものだと思えたのも。  受けた屈辱は、復讐心となってイネスの心を燃やしたが、自らを憐れむことにはならなかった。それが今、はじめて自分はかわいそうなのだと思えた。子供のころの自分をかわいそうにと思い、泣いても、それが自分を貶めることでは無いと分かったから。 「そろそろ、彼の涙は落ち着いたかしら?」  鏡から視線をはずし、イネスは目を真っ赤にしているであろう男を想って、自分でも知らぬ間に自然と微笑んでいた。  イーザックの元へ行くと、彼はイネスに気付いてすぐに顔をあげた。そうして、ひどく震える声で尋ねた。 「ナイフが、全ての刃物が、恐ろしいとは思わなかったのですか……?」  面白いことを聞くものだと思った。 「そうね。不思議な事に、思わなかったわ。だって、私はあの時ずっと思ってたの、『この手に剣があれば』とね」  男たちの持つ大きなナイフを見た時も、ルイの血まみれの剣を見た時も、ひたすらに。 『それが私のものであれば、それを使うことが出来れば───私が、この手で!!』  己を守り、己を害する者を殺すことの出来るその力を渇望した。腕力ではかなわなくても、するどい刃物があれば、人間という生き物は簡単に殺せるのだから。 「憧れていた剣が、道具としての剣になって、私はより一層それを求めるようになったのよ」 「……分かりました。では、まずはその復讐の手助けをさせて下さい」  硬い表情でそう言った彼に、イネスは少し動揺して返す。 「え、で、でもこれはイーザックには関係の無い事なのよ? わざわざ片棒をかつぐ必要はないでしょう?」 「確かにあなたの復讐と、私はなんの関係も無いかもしれません。けれど、私は今、あなたを傷つけた人間を殺したいと思っています。だから、私にもあなたの復讐を、そしてあなたの人生に関与することを、許してはくれませんか」  貴女が、自らを穢れているのだと思い、そしてそれでは私の妻として相応しくないと言うのならば、私も共に穢れを背負いましょう。剣を語る貴女は生き生きとしていた。だから私も恐ろしくはない。ただ、隣に立つ権利が欲しい。 「……っ、ありがとう。私の、っ、私を、あなたは、この殺意ごと、愛してくれるのね」  イネスは、こうして、イーザックを受け入れた。 「えぇ。もちろんですよ」  復讐を固く誓い、殺意に燃える相貌すらも、美しいと感じ、知らぬ間に惹かれてしまったのだから。 「共に、復讐を」 「喜んで」  ───予定より随分遅く帰ってきたイネスに、ルイは心配そうに声をかけた。隣にいる、屋敷の主人には目もくれず。 「大丈夫よ、ルイ。ナイフは使わなかったから」  そう言っても、ルイは激しくイーザックを警戒しているのが分かった。 「どうしたら私はルイ君からの信頼を得られるのかな……」  少し困ったように、イーザックが言う。これからはもっと協力したいし、信用もして欲しいのだが、どうにも向けられる視線は鋭くなるばかりだった。どうしたものかと思っていたら、イネスがおもむろに、彼の名を呼んだ。 「ルイ」 「はい、奥様」  かしずく従僕に、彼女は凛とした声で告げる。 「あなたは、私の大切な騎士ナイト───他の人間に目を向ける暇があるなら、私を見ていなさい。そして私を傷つける者を正しく見極めなさい」 「っ……」 「イーザックは私を傷つけないわ。私を見ていれば、私が彼を愛していることが分かるでしょう。違うのかしら、私の忠実な騎士は……?」 「申し訳ありません。分かって、います。……イーザック様、申し訳ありません」  イネスのこの一声によって、イーザックに対するルイの態度は徐々にではあるが、軟化していくことになった。 「車いすに乗ったまま剣を扱うのはどうですか?」  あれから数週間、イネスとイーザックは、共に剣の稽古をするようになっていた。イーザックは幼少の頃にいくつかの習い事をしたが意外にもその中で剣が達者で、今でもその腕は衰えていない。 「立てるようになることは重要ですが、やはり動きに無理がある。それなら、いっそ車いすに座ったままでも戦えるようになれば良いと思うんです。片手で剣を持って、もう片方の手で車いすを動かせば、立っている時より素早い動きが出来るはずです。そのためには車いすを改造したほうが良いかもしれませんね。その辺はアダルフォと相談してみます」  この頃にはアダルフォにも事のあらましを説明し、彼もまた心強い協力者となっていた。 「確かに。立つことばかりに捕らわれていたわ。座ったまま……考えてみるわね」 「それなら剣はもっと長い物の方がいいでしょうか」  ルイが提案し、イーザックが出来るだけ軽くて長い剣を作れないか、知り合いの鍛冶師に頼んでみるということになった。 「イーザック様は本当に顔が広いのですね」  稽古の休憩中に、ルイは珍しくイーザックに話しかけた。 「あぁ、まぁ仕事柄いろんな人間と付き合う事になるからな」 「……その分なら、イネス様の仇も、きっとすぐに見つかるでしょう」  ルイはそう言って僅かに微笑んだ。 「え───?」  もちろん伝手をつかって探してはいる。出来るだけ早く見つけようと。ルイが探していた時よりは、事実として早くなっただろう。けれど、なにか、違和感が───。 「イーザック! アダルフォがお仕事のことで話があるって、探してるわよ!」 「ウィ! すぐ行くよ!」  違和感の正体を、彼はその日のうちに知ることになった。それはあまりにも早く。 「アダルフォ、これは真実か?」 「はい。間違いありません」  執務室で、薄暗いまま、イーザックはアダルフォに渡された報告書を手にしていた。重い空気が部屋に流れている。 「っ、こんなことを、彼女に、どう伝えろと言うんだ……」 「伝えないという道もあるでしょう」 「そんなこと……! ……そうか、そういう、ことか……。あぁ、なるほどな」  何かを理解したイーザックは、皮肉気に笑った。 「旦那様がお望みでしたら、私はこの報告書を即座に抹消します。どうなさいますか」 「……伝えるさ。だが今すぐにではない。彼女が、人を殺せるだけの技術を身につけた後に」  その後で、彼女が復讐を遂げるかどうかを、選べば良い。 「それでは奥様は逃げ道を失うことになるのではありませんか」 「もし、迷ったまま剣を振るうのなら、その時は俺が止める。軽々けいけいに伝えてしまってから、目標をはきちがえて稽古を続ける方が危ないだろう。彼女がこの事実を知ったとしても、剣を諦めるとは思えないからな」 「かしこまりました。では、それまでは、なにも言いますまい」 「あぁ。頼むよ」 「ルイ、お前は、彼女のたった一人の騎士として、真実を伝えるべきだっただろうに。……兄としてか、それとも別の想いがあったのか、結果として取り返しのつかないことをしてしまった」  この国では滅多に降ることの無い雨が、窓に打ち付ける。曇り空は部屋を一層、陰らせて。 「歪んだ忠誠で、彼女を苦しめるのか……」  イーザックのひとり言は、雨の音に消えていった。

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