テレパシー 3章01話

作品
01話 冬の稽古

あらすじ
高校生になり、友達と部活動見学に向かった一信《かずのぶ》。弓道部に入ろうかと考えて、人だかりが無くなっても見学を続けていると優しげな部長から声をかけられ道具を見せてもらえることに。そこで遅れてやってきた三年生の先輩 高木(たかぎ)と出会う。
物憂げな表情で無口な高木は、冷たい印象を受けるが一信は次第に彼の優しさに気づいていく。弓を引く姿の美しさに惹かれ、高木自身へも惹かれていく一信。最初は困ったようにしていた高木も少しずつ心を開くようになり、明かされていく高木の危うさ。人間の醜さ、鬱屈を想いながらも、少年たちが愛とは何なのか考えていく物語。

『第三章』 【冬の稽古】 「冬の稽古ってほんとに寒くて嫌になるんですよー。先輩も流石に冬はやだなぁって思ったりします?」  十一月も中頃を過ぎ、寒さが本格的になってきた。一信と高木は温かい飲食店の中でくもるガラスごしに外を見ながら話している。 「俺は冬に限らず大抵の季節は嫌だが……?」  その発言に一信は口を開けたまま驚いた。 「先輩って弓道のためなら暑さも寒さも関係ないのかと思ってた……」 「お前はなんかこう、わりとポジティブだよなぁ。前にも自主練が楽しいとか言ってたし。俺は普通に嫌だったけど。飽きるしな」  一信は何事にも楽しみを見出すのが得意で、旺盛な好奇心がそれに拍車をかけ本人は全くの無意識であらゆることを苦痛なく行うことが出来た。テレパシーの能力だって一信がもっていたらもっと違うものになっていたかもしれないと思うこともある。そしてきっと、テレパシーが無くても俺の性格はこんなものだっただろう。 「『冬は寒く、夏は暑い。さりとて春も秋も虫が多くてダルいでしょう』っつってな」 「それはまぁ……そうですけど。じゃあ先輩はどうやってモチベ上げてるんですか? どの季節も嫌だったらしんどいじゃないですか?」  不満というよりは純粋に疑問なのだろう。物事をポジティブに考えることで自分を動かす人間は、ネガティブな人間がどうやって生きているのか想像しづらいらしい。 「馬鹿だな」  それは親しみを込めて。 「考えるからしんどくなるんだ。モチベーションなんていらない。ただ弓を引くだけ。上手い人は大抵そうだ。無心で、暑さも寒さも忘れて引く」 「それって、すごく難しいんじゃ……」 「お前の得意分野じゃないか。俺に思考を読ませない技術は一級品だ。ただ引くときの意識はもうちょっとクリアにしたほうが良いかもな。お前のは、砂嵐みたいだから」 「それとこれとは……砂嵐みたいなんですか?」  実際に肉体に影響を与えている温度を忘れるというのは無茶な話しではなかろうかと言いかけて、自分の思考への言及が珍しかったので思わず話がそれてしまう。 「あぁ。そういう映像だな」 「……実は僕、そういうイメージで思考をぼやかしてるんです。本当は真っ白な感じの方が先輩はうるさくなくて良いかなって思ったんですけど、そっちのほうが難しくて。でもそんなイメージ通り伝わってると思ってなかったのでびっくりしました」 「いつもそう映像が見えるわけじゃないけどな。たまに流れ込んでくることがある。相手が強く考えてることとかは入りやすいし。それに、一緒にいる時間が長い相手の方が聞こえやすくなったりする」  酔っているのではないかと思うほど高木はよく喋った。 「お前だって見ず知らずの人の声より、俺の声の方がよく耳に入るだろ?」 「そうですね。遠くにいても、先輩の声はすぐ気づきます」 「それと同じように、俺もお前の思考は聞きやすい。それに……声色とか表情で相手のことを読み取るのもやっぱり付き合いの長さがあるだろ。コレだって同じようなもんだ」  薄く笑いながら頭をコツコツと指し、その目はどこかぼんやりとしている。 「……先輩、もしかして体調悪いですか?」  言われて高木は首を傾げる。 「別にどこも」  嘘をついて無理しているような言い方ではない。 「ちょっと、触ってもいいですか?」  尋ねると、彼は屈託なく笑い全てを委ねるように目を伏せた。その無防備さにまた僕は激しい砂嵐を巻き上げながら手を伸ばし、普段は髪に隠されている額に触れた。 「……先輩。今すぐ病院行きましょう」 「え?」 「すごい熱ですよ! なんでそんな普通にしてるんですか!」  どうりでなんでも話してくれると思った。熱で判断力が鈍ってるだけじゃないか、と一信は若干の寂しさも感じながらいつもよりさらに気怠げな高木をひっぱり起こす。 「週末何してたんですか? 冬なのに薄着で外でたりしてないですよね?」  体調の悪さをじわじわと自覚し始めた高木は回らない頭で一信の言葉を反芻する。 「週末は何も……ただ月曜に父親に会って、そうだ、これからのこと、はなさないと……」 「それは、風邪が治ったら聞きますから、とりあえず病院に行きましょう」 「んん。病院は嫌だな」 「わがまま言わないでくださいよ。ほら立って」  小さい子を嗜めるように。優しさのにじむ声で促すと高木はぽやぽやした頭で言葉を選ぶ能力を失い、甘えた声で言った。 「病院は、みんなが苦しんでいるから、苦しい……。死と機械と、羨望の匂いがする。あそこに行くともっと具合が悪くなるんだ」  一信は息を呑んだ。  一瞬の内、その苦しみを想像して。 「分かりました。じゃあ……ひとまず先輩の家に行ってから往診してもらいましょう。それなら大丈夫ですか?」 「……家には帰るよ。確かになんだか頭も痛くなってきた気がするし。でも医者はいい」 「お医者さんに会うのも辛いですか?」 「いや……出来るだけ人に会いたくない。風邪の時は、ミス﹅﹅が増える。前にも医者の前で間違えたことがあるが、ろくなことにならない。体の病気が治ったら頭の病気を治しましょうと言われるのはごめんだ」  ぐらぐらした頭を持ち上げながらやっと立ち上がって店を出る用意が出来る。 「家に帰って寝れば、そのうち治るだろ。大丈夫だ。本当にまずくなったらちゃんと病院に行く」 「分かりました。じゃあ家まで送りますね」  意外にも一信はあっさり引いた。辛くても医者に診てもらったほうが良いとか、そうでなくても自分が看病しますとか、何か買ってきましょうか、とか……その他いろいろなことを言われると思っていた。けれども彼はそのまま一言も発すること無く高木の家につくと──。 「あれ、一信?」 「先輩、お家の鍵借りますね」  にこやかにそう言って高木をベッドまで見送ると鍵を持って部屋を出ていった。何かおかしい気がしながらいよいよ熱の上がってきた頭は何も理解しない。  俺は薄暗い部屋で暑苦しい布団にくるまりながら眠った。  夢の中でカチャカチャと食器のなる音、そしてパコン、と冷蔵庫の開く音を数回聞いた。けれども、物の音以外なにも無かったので俺はこれを夢だと納得して、部屋に入ってきて頭の上に冷たい何かを貼ったそれのことも気に留めず、また夢の中で夢を見る。  一信の思考を消す技術が砂嵐よりワンランク上がってしまったらしいことに気づいたのは、深夜目が覚めて、ローテーブルの上に置かれたおかゆと自分の額にはられている冷却シート、そして床に転がっている一信を発見したからだった。  俺が思わず悲鳴を上げそうになったのは仕方のないことだろう。  なんとか声を出さなかった俺は、熱を測ってから自分が少し回復していることを確認し、眠っている一信のとなりで音を立てないように温めたおかゆを食べ始めた。狭い部屋にはソファもない。俺は家の中のタオルをかき集めて一信の周りにそれを敷き、ローテーブルを片付けてなんとか一信をタオルの上に転がす。これで少しはマシだろう。病人が寝ていたベッドに寝かせるわけにもいかないし、そもそもそんなことをすれば起きた時にこいつが落ち込むのは目に見えている。  やたらと大人しく引き下がったと思ったら、はなから意見を聞く気がなかっただけとはなんともらしい﹅﹅﹅やり方だと思った。どこかその倫理に欠けた強引さすら可愛らしく思えてしまうのは、自分も狂い始めている証拠だろう。かまわない。もうそれでも良いと決めたのだから。 「おやすみ。一信」  次の日、俺は念のため学校を休み、一信は初めて遅刻をした。家に帰らないまま行ったので、シワクチャのカッターシャツに珍しく多い忘れ物をクラスメイトに勘ぐられたかもしれない。高校一年生が『朝帰り』という単語に行き着くのはどのくらい容易なのだろうかと思いながら俺は昼間まで眠り、冷蔵庫に入っているプリンを食べてまた眠った。明日にはすっかり元気になっているだろう。そしたらあいつに礼を言って……。  それから、心の中で静かに謝ろう。  そうだ、父さんのこと、これからのこと、それに、その前に……冬の稽古で教えてやりたいことが……、……。  ──ガチャガチャと鍵の差し込まれる音がして目が覚める。ぼんやりした頭を振って起き上がるまでにしばらく間があって、ちょうど一信が短い廊下とキッチンの横をぬけて俺の部屋の扉をそろそろと開けたところで目が合った。 「あれ、起きてたんですか。体調はどうです? あ、お水と体温計持ってきますね」  穏やかな調子で扉の向こうに消え、また冷蔵庫をパコンと開ける音がした。 「本当に甲斐甲斐しいやつだな」  体温計を脇の下に挟みながら俺はぼやいた。するとこいつは嬉しそうに笑いながら他になにかして欲しいことはありますか、と言わんばかりにこちらを見る。 「あぁ、熱は下がってますね。よかった。医者を呼ぶことにならなくて」 「まったくだ。お前はいざとなったら問答無用で動くからひやひやするよ」 「それはそうでしょう。好きな人が訳の分からない病気だったら嫌ですし、僕じゃ判断できないんだから。恨まれてもあなたが死ぬよりいいです」  体温計や風邪薬を片付けながらそう言ったので、彼にとってその発言は特に重い感情ではなくごく普通のことを雑談のような感覚で話しているのだと思うと、余計に真実味があった。 「……ありがとな」  高木の声に一信はパッと手をとめて顔をあげる。 「色々とありがとう。助かったし嬉しかった。俺は、めったに風邪はひかなかったんだが、安心して自分のことを任せられる人間がいなかったら無意識に緊張していたのかもしれないとも思う。……甘えさせてくれてありがとう」 「……いえ、そんな。全然……。え、先輩まだ熱あります?」  素直な感謝を伝えたら熱に浮かされてると思われたのはさておき、俺は取り急ぎ冬の稽古では手が荒れやすく弓の弦も切れやすくなるからと、使いかけのハンドクリームと薬煉くすねを渡して親が心配しているだろうから早く帰るようにと言った。 「ぶり返さないようにしばらくは安静にしてて下さいよ」  そう念押ししながら、あいつはまだ少し心配そうに、俺の家を出ていった。  その週の週末、俺はすっかり元気になったので母親に会いに行き、そして一晩寝た次の日、落ち着いた頭で一信に話をしようと思った。それは愛だ恋だについて今の自分の気持ちを伝えようというよりも、自分の家族について少し知ってほしかったという気持ちがある。父親は未来に目を向けるように言った。俺にとってはこれがその一歩である。  一信はたくさんの俺の話を聞いたあと、情報の入り乱れる頭を必死に整理しながら。  少しだけ泣いた。

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