08話 三月 終章
あらすじ
高校生になり、友達と部活動見学に向かった一信《かずのぶ》。弓道部に入ろうかと考えて、人だかりが無くなっても見学を続けていると優しげな部長から声をかけられ道具を見せてもらえることに。そこで遅れてやってきた三年生の先輩 高木(たかぎ)と出会う。
物憂げな表情で無口な高木は、冷たい印象を受けるが一信は次第に彼の優しさに気づいていく。弓を引く姿の美しさに惹かれ、高木自身へも惹かれていく一信。最初は困ったようにしていた高木も少しずつ心を開くようになり、明かされていく高木の危うさ。人間の醜さ、鬱屈を想いながらも、少年たちが愛とは何なのか考えていく物語。
【三月 終章】
なびいている
薄桜色の風を受けながら
微笑んで
かの麗人は僕を見留める
「──先輩! 僕、写真撮りますね!」
意気揚々と携帯を構える後輩に、まんざらでもなさそうに、照れくさそうに笑って小さくピースをした。
「撮れました! 完璧です」
そう言いながらバタバタとこちらに駆け寄ってきて写真を見せてくれる。思いの外、嬉しそうに笑っている自分がその画面の中にいたので恥ずかしくなりながら後輩に礼を言った。それから「伝えたい事がある」と言うと、その後輩は一瞬顔を強張らせた。
──あまりにも穏やかに笑っていたものだから。それはまるで、夏休みのあの日、別れも告げずに消えようとした時のように──
いつものカフェで。先輩は既に学ランのボタンが無くなっていたので諦めてそれを脱いで椅子にかける。
「カッターシャツだけだと寒くないですか?」
暑さよりは寒さに弱い先輩を気にして聞いた。
「いや、今日は天気もいいし、平気だ」
僕も学ランを脱ごうかと思って、やめた。それほど暑くは無かったから。
「……伝えたいことって、なんですか」
努めて穏やかに訊いた。頭の中を必死で白く、様々な思考を焼き潰しながら。なぜそれほどまでに必死なのかと言えば、一重に恐れていたからだ。別れを告げられることを。
美しく、どこか儚げな恋人は、あまりにも桜に似ていた。そのほころぶような控えめなほほえみも、あっけなく散ってしまいそうな命への執着も。
そんな人が、卒業式に改まって話があるというのだから、不安にならないはずはなかった。僕たちは既に恋人という関係であり、ここから変化があるとすればそれは別れ以外のなんだろうか。
けれども、と思う。ここ最近、特に受験が終わったあとからだろうか。あの人からほのかに熱のある目を向けられたような、そんな気がすることがあった。それが自分の願望による錯覚か、それとも本当になにか変わりつつあったのか。
その答えがまもなく分かるだろう。
「一信」
「はい」
この人はきっと、別れを告げるときこそ微笑むに違いない。だから、その表情も、声も、なにも教えてはくれない。
僕は机の下で拳を握りしめながら、なおも思考を消して言葉を待った。
そうしてすぐに、その人の薄い唇が、告げる──。
「死ぬ時は、側にいさせてくれないか」
思考は、一瞬のうちに、吹き飛ばされた。
すぐに言われたことを反芻するが、事態を理解できないあまりにただ口を開けて固まってしまっている。呆けたままの僕を無視してその人は話を続けた。
「俺はきっと、普通の男みたいな恋愛は出来ない。お前が俺に向けるみたいな欲も、この先も持つことはないかもしれない。でも、お前が俺の知らない場所で生きて、俺の知らない誰かに出会って、俺の知らないうちにその誰かに看取られて死んでいくのは、許せない」
麗人の瞳には嫉妬の色と熱を帯びた情が、輝いていた。
「お前に肉欲は抱かないけれど、お前が笑っているのを見ると幸せだと思えるし、お前が苦しんでいれば側にいたいと思う。俺たちが二人で生きていくことは、この社会の中で豊かなこととしては受け入れられないだろう。でも、それを理由にお前と離れようと思ったことはない」
重ねてその人は、大切そうに言った。
「愛している」
最上の微笑みをもって。
「この命ある限り、お前と共に生きていたい」
その人は、優しい声で誓いの言葉を紡ぐ。
「お前がこれからも、こんな俺を愛し、許してくれると思うならば、どうか一瞬、その心を覗かせてはくれないか」
僕は心を読むことは出来なかったけれど、その一瞬は、見えたような気がした。あの人の心が、僕のそれへと真っ直ぐに向かう軌跡を──。
──その後、恥も外聞もなくカフェのど真ん中で高木先輩を抱きしめながら僕がさんざん泣いたのは想像に難くないだろう。
踊り出さなかっただけマシと思って欲しい。
卒業式の告白から二年が経ち、僕はまもなく受験が始まり、先輩は二十歳になって煙草を吸い始めた。もっとも、吸い始めたばかりにしては随分と慣れた手付きで火をつけている気がしたけれど。
「上着、着ないと風邪ひくよ」
キッチンで煙草をくゆらせる恋人にそう言うと、彼は目を細め口角をわずかにあげて薄く笑い、火を消し、少し待ってから換気扇を止めた。
「さすが、未来のお医者様は心配性だな」
皮肉げに言う、彼は僕が医学部を受験すると伝えてから度々それをからかった。
「冬とは言え部屋ん中はあったけぇだろ」
面倒くさそうにぼやきながらベッドの中へと戻ってくる体は、少しひんやりとしていた。
「茶化さないでよ、僕より長生きして欲しいんだから。そのためには健康じゃないと」
長い黒髪に触れながら、瞳を見るためにそれを僅かに、かきあげて。
「僕を看取ってくれるんでしょう?」
甘い誓いを繰り返す──。
額縁の中に二つの死体が描かれた絵がある
一方は頭が砕かれた赤い果実のようであり
もう一方は体が折れ曲がり前に倒れている
彼らが恋人同士であることは
幸せそうに微笑む二人の口元から想像できる
さらに奥の暗闇をよく見ると細い三日月のようなものが確認できる
これは古来より東端に伝わる刃物とも言われるが
だとすれば なぜ それは二人が息絶えた後も
振り下ろされず 煌々と純白さを保つのか
生き絶え絶えに苦しみながらも
僅かでも長く恋人を見留めておきたい愛を知り
執行人は刃物を月に変え 闇を守っていると解釈される
死してなお想い合う姿は 美しいと思うか 恐ろしいと思うか
けれどもこれは唯一絶対の価値において不道徳な絵である
神から授かった肉体をこのように散らすことは
それ即ち神への裏切りであるのだから
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