04話 再臨
※一部残酷な描写があります
あらすじ
怪我をして森で倒れていた少年ルカは、シスターエベーヌに拾われて傷を癒やしながら小さな森の中の家で他の12人の子供たちとともに暮らし始める。
中世ヨーロッパ、魔女狩りが過激化していた中で、不可思議な行動をするエベーヌと病弱な妹の存在。そしてある日、妹の治療のため家を空けることになったエベーヌ。寂しさで泣く子供たちの中でルカの狂気が目覚める!
【再臨】
この家に来てからもう二ヶ月が経とうという頃。俺は母さんに子どもたちの世話を任されることが増えていて、母さんはと言うとよく体調を崩すスーシの面倒を見るのに忙しかった。妹の具合が悪いのを心配してピリポはほとんどそれに付き添っていたし、バルトロマイも母さんの手伝いをしていたから手のかかる子どもはシモンと少し怒りっぽいペテロが喧嘩を始めるのでその仲裁にはいるくらいだった。二人が喧嘩を始めると、ヤコブは一緒になって暴れたがるし、頭に血が上ったペテロは大事な弟の言うことも聞かなくなってしまうので厄介ではあったが、それ以外の子どもたちはほとんど手がかからなかったので辛いということも無かった。
「いつも悪いね。ルカにばかり面倒を見させて」
そう言って、母さんは体調の良くならないスーシの看病でずいぶん疲れているのが分かった。目には隈が出来て、ろくに寝ていないのだろう。
「気にしないで。俺、子どもは好きなんだ。それにみんな手がかからないから。それよりスーシは大丈夫?」
「あぁ、……ありがとう。……スーシのことなんだけれど、やはり一度、専門の者に見せたほうがいいかもしれない。私の知識だけでは……でもそうするとしばらく家をあけることになってしまうから……」
「分かった。じゃあ留守番は俺に任せてよ。母さんは家のことは心配しないでスーシのことだけ考えてさ、はやく元気になってまた皆で一緒に御飯を食べようよ」
「……ありがとう。ルカ」
疲れたように、不器用に、ともすれば悲しそうに笑うと、母さんは留守の間に皆が困らないようにと用意を始めた。
それから2日の後、子どもたち一人ひとりを抱きしめてから「ルカの言うことをよく聞いて」と言いおいて母さんはスーシを連れて家を出ていった。
見送ってすぐは皆、母さんが居なくなってとても寂しそうだったが次第に母さんの居ないあいだしっかり家を守らなければと思ったようで、心持ち元気を取り戻していつも通りに過ごし始めた。
母さんは七日過ぎる前には必ず戻ると行ったが、けれども俺にとっての七日間と幼い子らの七日は同じ時間ではなかった。俺は曜日というものを知っていたし、一週間とか一ヶ月とかそういうものの単位を知っていたが、子どもたちにはそれらはずいぶん曖昧で、まして森の奥で誰も訪れることのないこの家においてそんなものはほとんど意味が無かったのだ。だから彼らが精神的な拠り所を失って再び気分を落ち込ませるのにそれほど時間がかからなかった。
「なぁ、母さんはいつ帰ってくるんだ? まだ七日経たないのか?」
シモンが言うと、マタイが答える。
「まだ3日しか経ってない。あと4日だよ」
「わかんねーよ。四日ってどんくらいなんだよ!」
「四日は、つまりあとご飯を十二回食べたらですよ」
苛立つシモンにタダイが丁寧に答える。
「じゅーにかい⁉」
「12くらい数えられるだろ」
マタイは刺々しく言った。それを仲のいいタダイが宥める。
賢い子どもたちも、内心とても不安で苛立っていた。それに、母さんのことが大好きなヨハネが昨日の夜から部屋に閉じこもってしまったことも皆の不安を煽っていただろう。いつもはすぐに遊びに出かけるシモンやヤコブも家の中でソワソワしていることが多くなった。俺は気分転換にと皆をつれて近くの原っぱまでお昼ごはんを持っていってピクニックのようなことをしたが、その時は少し元気が戻ったものの家に戻ってくればすぐにみんな暗い顔に戻ってしまった。
しかし六日目になると、みんなもしかしたら母さんが帰ってくるんじゃないかと玄関の側から離れないで過ごし始めた。俺も一緒になって、皆と扉が開くのを待っていたがとうとうその日は風の音が聞こえてくるだけで日が暮れた。
玄関で寝ようとするヨハネとシモンをなんとか宥めてベッドに連れて行って寝かしつけると、やっと俺も眠ることが出来た。
でも、そんな日々も明日で終わる。
そう思って。けれど、七日経っても母さんは帰ってこなかった。
シモンはマタイを嘘つきと言って怒鳴り、売り言葉に買い言葉とばかりに普段は物静かなマタイを負けじと怒鳴り返したのをタダイが泣きながらとめようとした。マタイは何も間違えていない。きっと母さんが旅先でなにかあって帰りが遅くなっているのだと。そうしたら今度はペテロが泣き出した。何かとは何だ、と。こんなことなら母さんについて行けば良かった、とも言った。けれどそんなことをすれば邪魔になるだけだと母さんに似たヤコブが言ったので、ペテロは余計にワンワン泣いた。
こうなるともう俺なんかではとうてい収拾がつかなくなって、母さんを探しに行くと玄関を飛び出そうとするヨハネを止めるのがやっとだった。
それからは遅々として時計の針が動かず、けれども皆、一時間もすると泣きつかれて眠ってしまったので俺は床に散らばって寝る目を腫らした子どもたちに寝室から持ってきた毛布をかけてやると、どっと疲れが出てそのまま自分も椅子に座ったまま眠ってしまった。
目が覚めたのはそれからどのくらい経ったのか、外をみるとすっかり暗くなっていて夕飯を作らなくちゃいけないと立ち上がった。
誰かが毛布をかけてくれていたらしい。ずるりと肩から落ちたそれを拾って、まだ眠っている子たちを起こさないようにキッチンへ向かおうとしたその時だった。
「ルカ! 助けて!」
走ってきたのは俺を避けているはずだったヤコブ。
「どうしたんだ?」
ヤコブは真っ青になって叫んだ。
「シモンとペテロが喧嘩してるんだ! シモンのやつ頭に血がのぼってキッチンの皿を投げ出して……! それがアンデレにあたったんだ! あぁなったらペテロのやつは何をするか分からない! はやくとめて!」
走ってキッチンに向かっていると、どうやら先程のヤコブの声で起きたらしい子どもたちが追いかけてくる足音が聞こえた。
「危ないから皆は下がってて!」
そう言いおいて、怒鳴り声のするキッチンに行くとそこは、今まさに包丁が振り下ろされる瞬間だった。
手を伸ばす間もなく、振り下ろされたそれから血しぶきが飛び、シモンの叫び声が響いた。
「シモン!」
俺は真っ青になってシモンに駆け寄ると、シモンは右耳を抑えてうずくまりガタガタと震えていた。シモンの耳は皮一枚でやっと顔に繋がっていたけれど、血が溢れ出してとまらなかった。
アンデレがしきりに兄を非難する声が聞こえる
ついで俺の名を呼んでまた責め立てる声がある
──なんでもっとはやく来てくれなかったの
そしてアンデレは母さんのことも侮辱し始めた
──エベーヌ様はどうして僕らを見放したの
そこへシモンの叫び声を聞いた子らが集まった
恐怖と悲鳴 そして泣き声 血の匂いと子ども
俺はじくじくと痛む記憶の中で、おぞましい衝動が肥大していくのを感じた。あの日の夜もシスターはでかけていた。皆、寂しくて不安で、誰か一人が泣き出した。誰だったろう。覚えていない。けれどもその泣き声がひどく愛らしく思えて、俺は、俺は──。
気がつけば、俺の手には包丁が握られていた。ペテロが持っていたはずのそれがなぜ、と思う間もなく銀色の塊を泣き叫ぶシモンの腹に突き立てる。
シモンは驚愕してヒクヒクと喘ぎながら「かあさま」と呼んだ。
子どもたちの泣き声が聞こえる。
「かあさま」叫んでその場に座り込むペテロの足を掴み窓に叩きつけた
さかさまに死んだ
「兄ちゃん!」兄にしがみついた弟を上から刺した
二人は重なり合って死んだ
「逃げろ!」怯えるタダイを突き飛ばして逃がそうとしたマタイに包丁を投げた
背中に突き刺さって死んだ
タダイは泣きながら走って、走って、まだ玄関の側にいたヨハネ、ヤコブ、そして騒ぎに気づいて起きたばかりのバルトロマイと毛布にくるまっていたピリポに。
「ルカが狂った! 早く逃げるんだ! マタイが殺された!」
おとなしいタダイが血の付いた服で、それは凄まじい形相で言ったのでただ事でないのはすぐに分かった。ヨハネがまず玄関の扉を開け放ち、ピリポの服をひっつかんで走り出したバルトロマイを通すと自分も一目散に家を飛び出した。ヤコブもそれに続こうとしたが、息を切らしてその場に膝をついたタダイを見てやめた。
「ヤコブ! はやく、早く逃げて」
タダイは泣きじゃくりながら言った。
「マタイも、ペテロも、アンデレも! シモンもみんなルカに殺された……!」
ヤコブは力いっぱい笑って答えた。
「大丈夫だ。オレが守ってやる!」
「だ、だめだヤコブ! 敵わないよ。君まで殺される! それに、それにルカは包丁をもってるんだ!」
「大丈夫だって。オレは怪我すんのなんか慣れてるし、ちょっと刺されたぐらいじゃ死なねぇよ! お前はここで休んどけ」
言って、ヤコブは自らキッチンの方向へと走り出した。タダイはそれを追いかける力も、引き止める言葉も、もはや無かった。
「ルカ兄ちゃん、落ち着いてくれよ!」叫んだヤコブを包丁で殴りつけた けれどもそれは起き上がり頭から血を流したまま飛びかかってきたのでもう一度殴ろうとした しかしヤコブは俺が包丁を持った右手にしがみつき離れなかった 肉が切れて廊下中が血まみれになる それでもヤコブは離れなかった あまりにも力強く腕にしがみつくから思わず包丁を落とした すぐにヤコブは包丁に飛びつきまた襲いかかってくるかと思ったが すでに死んでいた
包丁は固く抱きしめられ 取り出すことは出来なかった
「ヤコブは……?」取り残されているタダイが蒼白になって尋ねてきた
「真っ赤になって死んだよ」俺は答えた
「必死に腕にしがみついてきて、包丁を奪われちゃったんだ。マタイの背中から引き抜いたときは少し血が飛んだだけなんだけど、ヤコブはすごい力で握りしめてたから取れなかったんだ。ヤコブはすごいね」
「なんで、なんで、笑ってるの。ルカ……」
「え?」
言われて窓の方を見ると、暗闇に笑う俺が映っていた。とても楽しそうだった。そうだ、あの日の夜も、俺は笑っていた。シスターのいない教会で、不安がる子どもたちが泣いているのを見て、もっと、と思った。
もっと 泣いて もっと 苦しんで もっと その素敵な顔を見せて
「子どもが好きなんだ。弱くって、簡単に泣くから」
タダイは震える足でやっと立ち上がって、必死に逃げ出した。
「助けて!」玄関を出て裏のところに置いてある斧を持っておいかけた
タダイは頭からたくさん血を吹き出して死んだ
他に殺せるのは誰だろう。そういえば俺を呼びに来たヤコブがいない。近くに居たはずのトマスも。あの二人は俺を嫌っていたようだからすぐに逃げ出したのかもしれない。でもキッチンから玄関までの廊下には居なかった。もしかしたら二階に隠れているのかもしれない。戻って確認してみよう。
重い斧を投げ捨て、家に戻って玄関を閉めた。二人の獲物が逃げていかないように。それからキッチンへ行って新しい包丁を取ってから二階へ上がった。
ノックする。ここは母さんの部屋。もしかしたらヨハネもここに隠れているかもしれない。そしたらあと三人は殺せる。ピリポとバルトロマイは森の中に逃げただろうから探すのは難しいだろう。でも待っていれば、そのうちスーシが帰ってくる。そうするときっと友達の二人も帰ってくる。そしたら一緒に殺そう。母さんも殺そう。母さんは大人だけれど、あのシスターのように襲いかかってくるかもしれないけれど、でも、母さんの一番大事なスーシを殺したらきっと大人しくなってしまうに違いない。
扉を開けると、ヤコブが居た。母さんによく似たヤコブ。気が強くて無口なヤコブ。君はどんな声で泣くんだろうか。
「創造主よ! お助けください!」ヤコブは叫んだ。母さんの部屋にある祭壇にすがりついて──。
「エベーヌ! エベーヌ‼」母の名を呼びながら十字架を握りしめていた 包丁を振り下ろすと呆気なく死んだ でも その表情は両の目を見開いてどこか笑っているようにも見えた
「ヤコブは最期まで面白く無かったな」
そう言うと、小さな悲鳴が後ろから聞こえた。
「やっぱり悪魔だったんだ!」ベッドの下に隠れていたトマスは暗闇に縮こまって震えていた 引きずり出して刺し殺した
その後、ヨハネを探して家中の隠れられそうなところを探したがどこにも居なかった。ピリポたちと一緒に逃げたのかもしれない。でも、ヨハネも母さんが帰ってくれば当然それについてくる。ヨハネはずっと母さんにばかりひっついて、母さんが俺に頼ると不満そうに睨んできたので気に食わなかった。だから一番に殺してやろう。
いや、それとも母さんを殺すところを見せてあげるのもいいかもしれない。
そう考えながら、俺は玄関でみんなの帰りを待つことにした。
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