01
※残酷な描写、性的な描写があります
あらすじ
人口の約30%が霊力を持ち、妖《あやかし》と呼ばれる人間とは異なる種族との共存が求められる社会。共存とは言うものの、霊力の少ない人間からすれば妖は脅威である。従ってそれらと対抗する術を学ぶための学校が存在する。──その中で名門校である土御門学園に所属する少年少女の物語。
本作は高校生編と中学生編で構成されている。
高校生編では、新しく生徒会に選ばれた高校一年の三丿神《さんのかみ》が、同じく一年生で生徒会に選ばれた三幸《みゆき》と出会い、どこか陰のある美しさに惹かれながら彼女の心を知ろうとする。様々な男を翻弄し、従えるために手段を選ばない三幸の真意とは……?
『羅刹の娘』
らせつ【羅刹】
仏語。人をたぶらかし、血肉を食うという悪鬼。後に仏教の守護神となった。また、地獄の獄卒のこともいう。羅刹鬼。
──日本国語大辞典 (小学館)
【プロローグ】
十一歳、小学校最後の夏休みに、父親に連れられて大きなお屋敷に来ていた。
その家はずいぶんと古くからある由緒正しい家柄で、そのうえ一つ前の代に異常な霊力を持った者が生まれたため現在では他の追随を許さぬ立場となったのだと言われた。
そして、俺もまたその者には及ばずとも他とは異なる霊力を持っているために、学べることは多くあるだろうと言ってその家に連れてこられた。
珍しいことだった。父も母も、というより家全体が、あまり他の家紋との関わりを好んでいないことは小学生の時分でもなんとなく分かっていて、けれども今思えば、あの家はそれを押してでも挨拶をしておかなければならないほど強大で、そしてそれは、俺が近しい力を持って生まれたことによって──俺が学ぶためという建前をもって──自分たちが敵対する意志が無いことを示さねばならない相手だった。
だから、訪ねたのはその一度だけ。
優しそうな、静かに話す年老いた男に、挨拶をしてお茶菓子をもらって、父がその人と話すのを聞いているだけの退屈な時間。
何を話していたのかすら覚えていないし、今となってはその年老いた男の顔すらよく思い出せない。
ただ、ひとつだけ覚えていることがある。お茶菓子を持ってきてくれた少女の顔だ。
その女の子はおそらく俺とそう年が変わらないだろうに、大人びていて、可愛らしいというよりは美しいという言葉がよく似合う風貌だった。着ている着物から彼女が使用人の子供かなにかであるのだろうと分かったが、もしもこんな所でない場所で出会ったなら思わず名前を聞いて次の約束をなんとか取り付けようとするくらい、彼女は特別な美しさを放っているように感じた。
もちろんその当時から礼儀作法については叩き込まれていたのでその場で少女に話しかけるようなことはしなかったが、家に帰ってから父に、あの綺麗な女の子にまた会えますかと聞いた。
父は苦々しい顔をしながら、あの家には二度と行かない、とだけ言った。
翌年、かの家の奥方とその娘が交通事故で亡くなったため、父は葬儀のためにでかけていったが、当然俺がそれについて行かせてもらえることは無かった。
【一章 高校生編】
【1】
っつ、っつ、と一歩づつ確かめるような足取りで壁に手を這わせながら女が歩いている。目線は下を向き、黒髪が重力に従って重く揺れていた。
制服を着ている、けれども後ろ姿からではそれが今日入学してきた同級生にあたるのか、それとも先輩に当たるのかは分からなかった。だから、危うげな足取りの彼女への心配と好奇心の両方を持って彼はよく通る声で話しかけた。
「すみません、具合が悪そうですが大丈夫ですか?」
女は振り返り目線をさまよわせた──目が、見えていないのか、とすぐに気づいて彼は僅かな動揺を悟られぬよう言葉を重ねる。
「よければ行き先を教えてもらえますか。近くまで一緒にいきますよ」
善意による提案だったが、女は銀朱色の唇から冷たい声を放つ。
「結構です。道は分かっておりますので」
表情こそ穏やかに微笑んではいたが、そこに優しさのようなものは含まれておらず、絶対的な拒絶を示しているように見えた。しかし、確かに道は分かっているのかもしれないが慣れている足取りではない。白杖もない。
このまま放っておいても彼女は目的の場所にたどり着くことは出来るのだろう。けれどそれよりも助けたい理由が彼には二つあった。だからあえて愚者を演じて見せる。
「……まいったな。入学早々、美人さんに出会えてこれは運命かと思ったんですが。こんなにあっさり振られてしまうとは」
彼女は、男が演技めいた口調に大袈裟な身振りまでつけていることは、見えずとも分かった。足を止めない自分にずいぶんと歩調をゆるめてついてきていることも。
「お手軽な運命ですこと」
眉をひそめて言う──先程より少しだけやわらかい声で。
「えぇ。生きてると運命のフェイントが多くて困ってしまうんですよ。いつもこれが真実だと思って掴むんですが」
彼女は呆れたような顔をした。けれども、男の善意による愚行は伝わったようで。
「……あなたの運命には繋がっていないかもしれないけれど、この手を掴まらせてくれる?」
ひらりと差し出された白百合のようにしなやかに優美な曲線を描く指先。
「よろこんで」
春の陽気とは対象的に、ひんやりと冷え切った彼女の左手を自分の右腕までもっていきゆっくりと彼女が壁から手を離すのを見てから歩きはじめる。
「行き先はどちらですか?」
「生徒会室に。それから、私も一年生だから敬語でなくて構わないよ」
「え? そうだったのか。嬉しいな。でも入学式にはいなかったよな? こんな美人がいたら俺が見逃すはずないし」
「私は三丿神さんのように高等部から編入したわけではないので、入学式は休んだの。ほとんど見知った顔だからね」
この言葉に三丿神は目を瞬かせた。なにせ自分は名乗った記憶も、編入生であると伝えた記憶もないのだから。
「え……。俺のこと知ってるのか?」
「いいえ? ちょっとした推測だったのだけど、当たっていたみたいだね」
「どういうことだ⁉ 名探偵⁉」
興奮気味に驚く三丿神に彼女は丁寧な推理を話し始める。
「今日入学してきた一年生の多くは午前で式が終わりすぐに帰るから、この時間まで残っている人はそう多くない。加えてこちら側の校舎……一番奥の棟に一般生徒が入ることは少ない」
「確かにこっちの校舎入ってから全然人と会ってない!」
「つまり、今日この校舎にいる新入生というのは、生徒会役員として招集されている私と三丿神さんだけになる」
「へぇ~! すごいな!」
勢いよく感心しかけて、はたと気づく。
「……あれ、まって、それって俺が生徒会メンバーだってことは分かるけど、名前とか編入してるとかは関係なくないか?」
なぜなら三丿神は彼女が同じ一年生の生徒会であると分かっても、名前を知ることはできないのだから。けれども彼女はこともなげに言う。
「三丿神さんのような立場だとそうかも知れないけれど、私たちは生徒会役員が内定する前から、候補者についても聞いているし、決まれば当然名前もクラスも知っているんだよ。あとは、三丿神家の次期当主様が編入してくるのは周知の事実……となれば、私が君のことを知っているのも納得できるでしょう?」
諭すように言われ、謎が解けると共にじわじわと嬉しさが染みてくる。
彼女の言う通り自分は三丿神家の次期当主、加えて他のクラスとは少し違う特殊な合同クラスに入れられている。一年から三年まで一クラスで、それもたったの九人しかいないのだ。もちろん俺以外の全員が顔見知り。入学式でなんとか他のクラスの一年生と話そうと思ったが、それも俺が特殊なクラスだと分かれば驚いてみんな距離を取る。疎外感、どころの話ではない。うきうきで真新しい制服に袖を通した今朝は想像しなかった周りとの温度差と、話の和に入れない寂しさでひどく落ち込んでいたのだ。
それがどうだ。彼女は最初こそ冷たく見えたがこんなに優しく説明してくれるし、俺のクラスも家のことも知っているようなのに、過度に畏まる様子もない。
「知っててくれて嬉しいけど、改めて自己紹介してもいいか?」
「……えぇ。どうぞ」
「俺は三丿神 公々 Sクラスなんだけど、入ったばっかで知らないことだらけだし今日も全然友だち出来なくて、普通に話してくれて嬉しいよ」
「私は、御角 三幸 所属はCクラス。階級は低いけれど、よろしく」
──Cクラス、それはこの学園の中で最も弱い生徒たちが集まっている。同じ生徒会メンバーと聞いて、てっきりAクラス、最低でもBクラスだろうと思っていた三丿神は驚いた。その動揺は右腕をつたって彼女に伝わったことだろう。けれども、言い訳をするより前に先程と同じ調子で諭されてしまう。
「下位クラスだからと言って、見下すほど三丿神家の誇りは安くないでしょう」
「もちろん……。ちょっと意外だったからびっくりしたけどな。一年生で生徒会入りするくらいだから君も推薦されたのかと思ってたからさ」
「そう。私も推薦されたんだよ。生徒会顧問の先生が私を気に入ってくださってね」
「そうなのか! すごいな。……一応、聞いておきたいんだがCクラスは霊視だ、がっ、出来るって、聞いたんだけど、本当にそうなのか?」
「そうだよ。霊視だけしか出来ない。おまけに私はこの目だからね。補強器具があれば視力のほうはもう少しマシになるんだけれど」
「そうなのか……大変だな」
思わず口からでた同情を彼女は優しく笑うだけで受け流した。もう慣れているのだろう。
一般の階級を持たない、つまり霊力をほとんど持たず霊視──妖を見ること──すら出来ない人々からすればたとえC級であっても十分に異質な能力ではあるが、この学園においては言霊を用いて妖や低位の神を使役する能力があることがマジョリティなのだ。彼女は中等部からこの学園に入り、Cクラスとして決して居心地の良い思いはしていないだろう。ますます敬意をもたずにはいられない。そんな境遇でありながら、初対面のSクラスの人間に対し目の見えない状態で自分の手を委ねたのだ。
そういう人間性をもって、彼女は生徒会入りを果たしたのかもしれない。
***
「彼女はちゃんと来れるのか? やっぱり迎えに行ったほうが良かったんじゃないか。四辻」
少しばかり他の教室より広く、日当たりの良い部屋で男は話しかける。弁柄色のソファで寛ぐ友人へ向けて。
「平気だよ。むしろ迎えになんか行ってごらんよ。冷たい目で刺すように睨まれるだけさ。あいつは借りを作るのを嫌うからね」
「でも、それが無かったらほとんど何も見えないんだろ?」
彼は寛ぐ四辻の前に置いてある眼鏡へ視線を向けて言う。しかし四辻は変わらず大丈夫だろうと返すだけだった。
自分よりずっと彼女と長い付き合いである四辻がそう言うのだから、信じるべきなのだろうと頭では分かっていてもやはり心配だった。なにせ彼女は、視力を失ってからそれ程経っておらず霊力もずいぶん弱い。悪意あるものに何かされれば、抗う手段はないのだ。むろん、大事に至る前に彼女の守り人が現れるだろうが、それとてどこまで信用して良いのか分からない。
やはり迎えに行こうと椅子から立ち上がった時、それは開かれた。
安堵に胸を撫で下ろし、努めて穏やかな声で俺は彼らへ声をかけた。
「──……ようこそ、生徒会室へ」
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