羅刹の娘 第一章03

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※残酷な描写、性的な描写があります

あらすじ
人口の約30%が霊力を持ち、妖《あやかし》と呼ばれる人間とは異なる種族との共存が求められる社会。共存とは言うものの、霊力の少ない人間からすれば妖は脅威である。従ってそれらと対抗する術を学ぶための学校が存在する。──その中で名門校である土御門学園に所属する少年少女の物語。
本作は高校生編と中学生編で構成されている。
高校生編では、新しく生徒会に選ばれた高校一年の三丿神《さんのかみ》が、同じく一年生で生徒会に選ばれた三幸《みゆき》と出会い、どこか陰のある美しさに惹かれながら彼女の心を知ろうとする。様々な男を翻弄し、従えるために手段を選ばない三幸の真意とは……?

   【3】  新入生がそわそわと新たな部活への入部を終え、新たな交友関係の萌芽が見え始めるころに生徒会役員たちも仕事が落ち着き、けれども全員が忙しくしていた。  彼らは学校以外でもやらねばならないことは山とある。なぜなら全員が長兄、長姉にあたるからだ。 「先輩は今年も舞うんですか?」 「あぁ、そうだね。去年髪をきっちゃったから今年はかつらを被ってやらされることになりそうで、ちょっと暑そうだから嫌なんだよね」 「差し入れを持っていこうか。何か冷たいものでも」  そんな会話が繰り広げられている放課後の生徒会室。彼らにとってはこれは日常的なものだが、一人だけそわそわと会話に混ざれていない男がいる。 「……たいへん、なんだな」  と、言葉を選んでいるのは青条。彼もまた名家の長子ではあるが他の面々と違い霊力を主とする家系ではなく、政治家として活躍している家系なのだ。したがって社交界の経験はあるものの、祭りの際に舞を踊る側になるとか、その時の装束がどうだという話題にはついていけない。  とはいえ、同じ祭りに出席することは既に決まっているので、御角が差し入れを持っていくというのを聞いて、自分も一緒に何かしら持っていこうかと思いながらその参考に三人の会話に真剣な顔でうなずいている。 「差し入れは嬉しいけど三幸が来ると母さんが五月蝿いうるさいからね。それにそっちも挨拶回りで何かと忙しいんじゃないの?」 「私が直接行くわけじゃないさ。叔母様に会うのは私も面倒だからね。適当な使いを出すつもりだよ」 「それなら余計いらないよ。知らない人が寄越したものなんか口に入れたくないし、ただでさえ面倒が多いから、労ってくれるなら次会った時に美味しいものでも奢ってよ」  それを聞いて青条はどうやら二人の言う『差し入れ』とは疲れている友人を見舞うだけの意味では無いらしいと気づき、では自分が持って行って良いものかと眉間にシワをよせる。しかし、すぐさま公々が元気よく言った。 「俺、シャーベットのポカリ持って行きますよ!」  四辻と御角は揃ってその言葉にきょとん、としてから少し笑った。 「良いかも知れないな。脱水も防げるし、涼しくなりそうだし」  二人が笑った意味がよく分かっていない公々は、不思議そうにしながらも四辻からの好反応があったのでにこにこしながら自信満々に持っていくことを決めたようだった。 「……そういうのも、ありなのか」  ぽつり、と呟いて。青条はもう少し差し入れについて悩むことになりそうだ。  実際、差し入れに何を持っていくのも友人という立場であれば自由だったが、御角は四辻と家どうしの関係があまりに近いため周囲から友人として以前に家門同士の交流を伺われ、本人の意志だけではない様々なものを意識する必要があったが、三丿神は元々家どうしのつながりが希薄なためそのあたりの意識は低い。したがって親しい先輩が喜びそうなものという基準で先の発言をした。という御門と三丿神の家の違いというものが青条はあまり分かっていないため、混乱することになってしまった。    *** 「──それで、悩んだ結果、私に相談してきたんですよ。面白い人でしょう?」  場所はかわり、畳と木の匂いが染み付いた離れの一室。彼女は陽の光の届かないところで浅く笑いながら話す。遠くで笛の音が聞こえ、祭りの余興が始まったことを知らせていた。 「今年の会長はAにすると聞いたときはふざけたことをと思ったが、三幸が気に入っているのなら良かったよ」 「下手にSだと大して仕事なんかしませんよ。去年の会長もひどいものだったし。来年もAにしてもらおうかしらね」  くすくすと、目を伏せて笑う女。藤の花があしらわれた袖から伸びる白い手が、自らの肩にかかる髪をさらりと後ろへ流す──それを待っていたかのように、しわがれた指が彼女の襟にふれる。 「私が生徒会にいる間は、面倒事はさけたいし、良いでしょう?」  触れられているのに気づいていないかのように彼女は話し続ける。 「かまわんさ。実のところ誰が就いてもどうでもいいんだ」 「その割に彼を就かせるのに手間取ったじゃありませんの」  かわいた手は、首をなぞり、彼女はそれを受けるように顔をわずかに傾ける。形の良い顎に、それは輪郭を追っていく。 「最初はな、五月蝿いやつもおるのだ。一つ前例があれば次は楽だろう」  卯の花色のなめらかな耳を金色の眼鏡のツルに触れぬようなぞると、くすぐったそうに笑う。そうやって老人は彼女を静かに見下ろして、目線が合うのを待った。すぐにそれは顔をあげて、ゆっくりと目をとじる。充分に必要な間をもたせた上で。  彼女の目がしっかりと閉じて動かなくなって、やっと男はその唇に触れることを許される。  菖蒲あやめ色の唇に舌を這わせ、それをおしあけるとゆっくりと絡ませて、そのうちに彼女の腕が男の襟首にふれる。  唇が離れるとまた彼女は目を細めて笑い、今度は自ら男に歩み寄り小さな体を男の胸にうずめた。 「どうした、そんなに可愛いことをして」  男は嬉しそうに上ずった声を出して彼女の艶やかに流れる黒髪をなでる。二度、なでてやるとそれは顔をあげて腕の中で小さくささやいた。 「このあとも挨拶にいかなくちゃいけませんの。着付け、してくださる?」  小さく笑って、それは乱すことを求めての言葉であり同時に命令でもあった。この場限りの戯れ。  いくら今は名家の長女といえど、ほんの数年前までは──いや、今なお彼女は霊力の低い無力な小娘に過ぎないというのに、はるかに立場も力もあるその男がまるで下男のように自らの着物を甲斐甲斐しく着せることを当然のように言う。  しかし男からすれば彼女のその高慢さすら愛おしかった。従わせようと思えば簡単だった。けれども、彼女の戯れに付き合ってやる。彼女の「まて」に大人しく従い「よし」と言われれば努めて彼女に尽くす。  男にとってそれは新鮮で楽しい遊びだった。 「奥の部屋に新しい着物がある。それを着せてやろう」  孫のためと言って客間の一室に運ばせた着物はどれも上質なものばかり。 「あとで好きなものを選べば良い。またしばらく会えないだろうからな、何枚でも持っていっていい」  そう言うと、彼女の細い腰の後ろに男の手がまわった。    ***  制服も嫌いじゃないが、着物に袖を通すとまた違った気持ちになる。普段から着慣れているので特別な新鮮さがあるわけでもないのだが、不思議と着るたびに新鮮な空気を吸い込んだような気持ちになる。  加えて、今日は先輩のお家が主催する祭りに招待されている。普段遣いのものではなく少し豪華な柄が入ったものを着ていく。 「母さん! 帯、これでいいよな!」  居間でみかんを剥いている母親に見せると、顔をあげて少しじっと見てから「いいんじゃない」と言われる。 「それより本当に差し入れアレでいいの? あんまり畏まったもの渡すのも色々面倒だから困るけど、お友達なんだし奮発したっていいのよ」 「大丈夫、先輩嬉しいって言ってたし」 「そう。ま、いいけどね」 「じゃあ、行ってくる!」 「はーい、気をつけて」  すでに待っていた車の後ろにクーラーボックスをのせてもらい、運転手と談笑しながら会場まで向かう。 「今日は他の生徒会のお友達もいらっしゃるんでしょう」  学校の行き帰りでしょっちゅう生徒会のことばかり話しているので、運転手はもちろん全員のことをよく知っている。 「そうそう! まぁでも、言うてもみんな挨拶回りで忙しいみたいだから、喋れるかな~。千尋先輩もたぶん忙しいし疲れてるだろうからほんとに差し入れ渡すだけしか出来ないだろうし、みんな準備から大変そうだったんだよな」 「跡目を継ぐ子たちは十六歳くらいからもう催しの主催までやる子もいるらしいですからねぇ。まだまだ子供だって言うのに」  三丿神家の運転手はこの家のこともこの家のやり方も好ましく思っている階級の高い人物である。そして三丿神と同じ土御門学園に通っていた。もっとも、彼の場合は一般的な霊力家系と同じく中学から六年間通っていたのだが。 「それじゃ、行ってらっしゃい公々坊っちゃん。気をつけて」  見送られてクーラーボックスを右肩に携え、意気揚々と祭りの中心へと向かう。  千尋先輩には舞台の袖に行けば会えるだろう。他のスタッフの人には話を通しておいてくれると言っていたし。 「お、あれ三幸ちゃんじゃないか……?」  色とりどりの着物が行き交うなか、ひときわ輝いて見える彼女は、間違いない。  声をかけようと人混みをよけながら息を吸い込んだとき、彼女は見たことのない表情で微笑んでいるのに気づいた。  すぐに、となりに年配の男性がいることに気づいて吸い込んだものを止める。 「……あとにしよ」  楽しそうだった。いつもの大人びた表情ではなく、子供らしい、はしゃいでいるような無邪気な笑顔。親しい人なんだろう。邪魔をしたら申し訳ない。ひとまず千尋先輩のところにいき、荷物を軽くしてからまた歩いていれば会えるだろう。  そう思って、まっすぐに舞台袖にあるおそらくこの祭りのためだけにあつらえられた小屋の近くまで行くとすぐに着物を着た使用人らしき人が気づいて声をかけてくれ、中へと案内された。 「あぁ、やっと知った顔が来てくれた」  開口一番そう言って、千尋先輩は幾重にも重ねられた装束を重そうに引きずりながら手をあげる。となりの机にはかつらがおいてあり、まだ準備中らしかった。 「お疲れ様です。やっぱ大変そうですね」 「ほんとにね。暑いし、動きづらいし。おどる前からこれなんだから、もう憂鬱になっちゃうよ」  本当にうんざりしているように言う。去年まで、ただ舞台を見ている側だった頃はまさかこんなに嫌そうにしているとは知らなかった。 「まだ化粧はしてないんすね」 「うん。これから。余興もまだ始まってないし。化粧がさ、顔に膜張ってるみたいでキモチワルイからできるだけ直前にしたいんだよね」 「間に合うんですか」 「へーきへーき、慣れてるし、そんなしっかりやんなくてもどうせ遠目からじゃ分かんないよ」  想像以上にいい加減だ……。 「もう化粧してるかと思って、ストローじゃ紅が落ちるかもと心配してたんですが大丈夫みたいですね。一応スプーンも持ってきてはいるんで、お好きな方使ってください」  床の上にクーラボックスをおいて、開けてみせると千尋先輩は少し明るい表情になって、すぐにパウチを開けてシャリシャリと飲み始めた。 「あと、こっちのプラスチックの容器に入ってるのはカルピスをシャーベットにしたやつです! 味変ほしいかなと思って。よかったらどうぞ」 「わざわざ作ってきてくれたの? ありがとうね」 「いえいえ、じゃあ、俺はこれで。がんばってくださいね!」 「うん。ありがとね~」  出入り口で待っていたスタッフの人に一礼してその場を離れると、すぐに余興の笛の音が聞こえ始める。きっと、いまごろ急いで化粧を初めていることだろう。 「千尋様、ご準備よろしいですか」  笛の音が終わる頃には、片眼鏡モノクルもはずし鬘をつけた四辻が姿見の前で無表情に最後の確認をしていた。 「大丈夫だよ」  うしろ一つに奉書紙でまとめられた髪がサラサラと背中の上をすべる。 「こちらの差し入れはどう致しましょう」  山とある豪勢な贈り物。これ以外にも屋敷の方にいくつも届いている。けれども使用人の女が指し示したのはそれらとは別の所においてあったクーラーボックスだった。 「中身はすべて捨てておいて。ケースは返すから綺麗にして、それからお返しは僕が自分で選ぶから用意しなくて良い。それが入りそうな箱だけ見繕っておいて」 「よろしいのですか」  いつも言われるまでもなく大抵のことを処理しておいてくれる手慣れた侍女の言葉が珍しく、四辻は不思議に思いながら聞き返す。 「なにが?」 「ちゃんとしたお友達から頂いたものでしょう。その場で口をつけられたようですし。捨ててしまってよろしいのですか。千尋様がご不在の間は私共で警備いたしますし、保存に問題はないかと思います」 「あぁ……まぁ、ちゃんと見ててくれるのは知ってるけど、万が一があるからね。お前だって母さんに命令されたらどうせ逆らえないだろう。ただえさえ疲れてる時に余計な気をもむのは嫌だからね。捨ててしまって。あ、別に君たちで飲んでもいいよ。そのほうがもったいなくないかな。カルピスで作ってくれたやつの中だと桃がかなり美味しかったよ」  穏やかに、そこには裏切られることへの怒りもなく、投げやりなわけでもない。そんなものはとうの昔に失ってしまって。ただ誰も信用しないという、彼にとっての当たり前があるだけ。 「かしこまりました。では、千尋様のご友人から﹅﹅﹅﹅﹅の差し入れということで私共がいただきます」 「うん。ありがとね」  これで三丿神に対しても、家の者も美味しいと言ってみんなで食べたよと伝えることが出来る。きっと彼は喜ぶだろうし、違和感は持たないだろう。僕らのような家では、そんな団欒などありはしなけれど。  鼓の音が鳴り 出番がやってくる  穏やかな微笑みは消え、纏う空気が変わるのを感じて袖に控える侍女はただ頭を下げて口をつぐんだ。  四辻千尋  高校二年 十六歳 四辻家嫡男 千里眼を持つ  家の中にいる人間を一人も信用していない  誰であっても裏切る可能性を少年は知っている  親しい幼馴染でさえも ひとつ掛け違えれば敵になる  彼女もまた 他人の全てを疑って生きているのだから  特異点は ひとつ年下の少年  彼が僕たちの希望になるだろう  六月の稲妻が全てを断ち斬るその時まで

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