羅刹の娘 第一章05

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※残酷な描写、性的な描写があります

あらすじ
人口の約30%が霊力を持ち、妖《あやかし》と呼ばれる人間とは異なる種族との共存が求められる社会。共存とは言うものの、霊力の少ない人間からすれば妖は脅威である。従ってそれらと対抗する術を学ぶための学校が存在する。──その中で名門校である土御門学園に所属する少年少女の物語。
本作は高校生編と中学生編で構成されている。
高校生編では、新しく生徒会に選ばれた高校一年の三丿神《さんのかみ》が、同じく一年生で生徒会に選ばれた三幸《みゆき》と出会い、どこか陰のある美しさに惹かれながら彼女の心を知ろうとする。様々な男を翻弄し、従えるために手段を選ばない三幸の真意とは……?

   【5】  彼女がハイクラスの男と親しげに話しどこかへ消えていく、この間まで気づかなったクラスメイトの挙動と、空き教室や曲がり角から漏れる彼女の声、映し出された影、そういうものに気づくようになって。  しかしそれが目につくようになったのは俺だけではなかった。どうやら、今まで彼女のそういった活動﹅﹅ に気づいていなかった生徒たちも噂を耳にする機会が増えたようで、色々と不安に思っていたがすぐにそのうちの一つは現実になった。 「俺たちも相手してくれよ。なぁ、みゆきちゃん」  声が聞こえて、気配は一人二人ではなくて、俺は飛び出しそうになったがすんでのところで踏みとどまった。それは彼女のいつも通り余裕たっぷりな声が聞こえたから。 「いいよ。向こうの教室が暗くてちょうどいいの、どう?」  男たちは色めきだって、興奮気味に彼女の後を付いて空き教室へと入っていく。そこへ俺が割り込む資格など無いことも、彼女がそれを求めていないことも分かっている。分かっているが放っておくことも出来ずそろりと後をつけ、ピシャリと閉まった教室の扉の前で所在なく歩き回っているとすぐに声が聞こえた。  悲鳴──おそらくは、痛みによって思わず叫ばれたそれと、見ていた者たちの驚嘆のそれ。  何事だろうと扉の前で固まっているうちにガラリとあいて。教室へ入ってから一分も経たないというのに、平然とした顔で、まるで最初からそうなることが分かっていたように、彼女は出てきた。  ただし、扉を開けてすぐ俺のことを見て少しだけ目を開き、そして、不自然に口元にあてたハンカチを持つ指が、ピクリと動いたのを俺は見逃さなかった。 「……この教室に用事? 今は使えないと思うけど」  白々しくそういう彼女の隠したいなにかに俺は言いようのない不安を覚えて、半ば強引にハンカチを持つその手をどかした。 「おまえ、それ……!」  口元に滲む赤い──血、まだ時間の経っていないそれは瑞々しさすらあった。 「大丈夫なのか!」  焦った。彼女がその口元に何も感じていないことは分かっていても、心配だった。けれど三幸からすればその気持ちこそ苛立ちの理由になった。 「大丈夫か、だって? 私の血じゃないことも分からないくらい動揺しているの?」  灼然たる怒りをたたえた瞳、つり上がった眉、木槿むくげ色の唇だけがほほえみを崩さない。  血液は霊力が多量に含まれており、霊力の残り香も感じることが出来る俺なら血を見て誰のものか一瞬で分かるはずだった。そんな簡単なことすらわからないのかと、そして重ねて怒りの理由を吐き出した。 「三丿神君は……女を守らなければいけないものと思うのをやめたほうが良いだろうね」  口元を拭い直して目線を逸らせた様子は、女としての生き方を利用しならがら同時にそれに辟易している彼女の矛盾があった。けれど、俺にとってその感覚というのはまだ共鳴し難いものだった。だからこそあまりにもこちらの意図と違うものを感じ取られたことに苛立ちに近いもどかしさを感じ語気を強めて言い返してしまう。 「違う。その血も、さっきの悲鳴が男なのも分かってる。怪我してるかとか、女だからとかじゃなくて、好きな相手が危なっかしいことしてたら心配するだろ! 流血沙汰になるなんて! 別に相手が千尋先輩だって俺は心配するからな。お前だってそうだろ!」  そう言うと彼女は目を丸くして、口を閉じるのを忘れた。そんな顔をされるほど妙なことを言ったつもりはない。 「み、みゆきちゃん……?」  怒鳴るみたいになって怖がらせただろうか、と思い様子を伺おうとするが、後ろの扉が開く気配がしてすぐにいつも通りの感情の機微を読み取らせない表情に戻った彼女はサッと扉から一歩離れる。  出てきた男子生徒たちの一人が、灰色のブレザーの胸元を染めて口を抑えながら、おぼつかない足取りを周りの友人に支えられていた。彼らは三幸のことを見つけるとビクリとまるで見てはいけないものを見てしまったかのように、怯え、すぐに目を逸らした。 「これくらいでそんなに小さくなってしまうなんて、食べがいのないこと」  柔和な微笑みで優しく告げる。 「もう少し自分の価値をあげてからおいでなさいね」  楽しげに追い打ちをかける彼女の  ハンカチをもつ指先の白さがどこまでも美しかったことが  どうしてか脳裏に焼き付いている  血まみれになった愚かな男はきっと彼女の甘い声に騙されてなんの疑いもなくその唇にキスをしたのだろう。そして彼女の舌が彼の唇を這い、興奮と優越感と、そして女を征服しているという勘違いからあっさりと自らの内側へ──守ることの出来ない膜の中へ彼女を受け入れた。  刹那、激しい痛みが襲ったことだろう  しばらく何も食べれないかもしれない  キスをするのが怖くなるかもしれない  哀れなことだが彼女の正確な噂を入手せず、誰とでも寝る女だと思い込んだのが間違いだ。彼女はSクラスの中でも家紋に伝統があり、資産も潤沢で、かつ本人の能力も使い勝手の良いもので、人格も程々に操りやすい相手だけを好んでいる。大抵それはプライドが高い男で、要するに彼女の自由を侵害しないことで自らが甲斐性のある優秀な男だと酔ってくれるタイプなのだ。むろん、それでも彼女に溺れていく男を上手く操って束縛することが出来ないように褒めてすかして、より深みにはめていくのが彼女のやり方なのだそうだが。  しかし、今回のような浅はかな低クラスの男ならばやりようがあるだろう。彼女の血は流れずに済んだかもしれないが、毎回そううまくいくのだろうか。どれほど上手く演じてみせて操ったところで彼女自身になんの力もないのは事実。  男を見る目が長けていたとしても、断れない相手から密かな交際を強要されれば途端に危険な状況になるのではないだろうか。清廉潔白にしていればまだ家の名前で守られもするだろうが、彼女はあまりにも自分で危険な種を蒔きすぎている。逆に言えば、それを咎める気もないほど彼女の家は彼女に対して口出しも手出しもしない可能性がある。  それは、無い話ではなかった。彼女は本来、正当な跡継ぎではないのだから。    ***  公々は三幸に他人の血がほんのわずかについていただけで動揺した。それ自体が三幸からすれば想定外で、彼がどんな家庭で育ったのかを想像した。きっと、子供がころんだだけで誰かが駆け寄ってきてくれるのだろう、怪我をしていれば当然のように治療をしてもらえるのだろう、と。 「三幸、頼むよ」  白銅はくどう色の空を切り取った窓に映るのは、私をこの場所に居させるために少なからず尽力してくれた相手だ。しかし、本当に力を尽くしたのは彼ではない。 「兄さんが、そろそろ時間を取れって……。大変なのは分かってるけどさ、お願いだよ。これ以上は俺も引き延ばせそうになくて……いろいろ頑張ってはみたんだけどさ」  必死に手をすり合わせて乞う様子は嘘ではない。 「……分かっています。龍巳たつみ先生が精一杯私のことを考えてくださってることは」  そう言うと彼は少し安心して、けれどもまだ不安が拭いきれない表情で尚も背を向けるこちらの顔色を伺いながら、明確な返事が返ってくるのを待っている。 「今週は何も予定をいれないようにするから、そちらの良い日を教えてくれれば合わせます、とたつさんにお伝えして」 「わ、わかった! ありがとう。すまないな、三幸。本当に……何か俺に出来ることがあれば言ってくれ」  一生懸命に三幸に嫌われないようにする彼は、関わっている男の中でも群をぬいて扱いやすい。 「それなら、お兄さんの機嫌をとっておいてちょうだい。そうすれば私の負担が減るから」 「わかった。任せてくれ」  その言葉に振り返ってほんのわずかに微笑んでやれば彼はやっと心底安心したように息をついて、私にあわせてかがめた腰はそのままで何度も頭を下げながら部屋を出ていく。 「決まり次第すぐに連絡するからな」  ──割に生徒を見下したような態度を取る生徒会顧問が、媚びへつらったような顔で教室から出てきたのを不審に思った公々は、まさか自分を推薦した一応は教師という立場にある人間が同級生を貢ぎ物のように扱っているとは知る由もない。  一宮龍巳は三幸に好かれ続けるために必死だったが、同時に自分より遥かに格上の兄に逆らうことが出来なかった。  そして、三幸もまた幼少の頃より関わりのある一宮の家に対して、早くに当主の座を継いだ一宮龍から逃れることが出来なかった。

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