07
※残酷な描写、性的な描写があります
あらすじ
人口の約30%が霊力を持ち、妖《あやかし》と呼ばれる人間とは異なる種族との共存が求められる社会。共存とは言うものの、霊力の少ない人間からすれば妖は脅威である。従ってそれらと対抗する術を学ぶための学校が存在する。──その中で名門校である土御門学園に所属する少年少女の物語。
本作は高校生編と中学生編で構成されている。
高校生編では、新しく生徒会に選ばれた高校一年の三丿神《さんのかみ》が、同じく一年生で生徒会に選ばれた三幸《みゆき》と出会い、どこか陰のある美しさに惹かれながら彼女の心を知ろうとする。様々な男を翻弄し、従えるために手段を選ばない三幸の真意とは……?
【7】
「最近なにかあった?」
生徒会室の本棚を整理していると珍しく千尋からそんなことを言われて、三幸は振り返る。
「どういう意味?」
千尋は三幸の様々な活動についても知っているし、家の事情についてもほとんど全てを把握しているといっても過言ではない。だから今更それをどうこう言うことは絶対にあり得ないし、滅多なことではお互いのやり方に干渉しないのが二人にとっては当たり前で、だからこそ「なにかあったか」などという曖昧な、しかし含みのある問いは奇妙だった。三幸は本当にその質問の意図を測りかねて聞き返す。
千尋は言いにくそうに口ごもると、目線をすこし後ろ、つまり本棚しかないはずの場所を見てから、言葉を選んで言った。
「たとえば……その、使鬼となにか、話したり、とか」
思い当たるのは二日前に風呂場で当たり散らしたことだろうか。次の日も嫌に丁寧な言葉づかいをするもので、あまりに居心地が悪く、もっと言えば八つ当たりをした自分の幼稚さが余計に思い出されるので名前を呼ぶ前と同じに話してくれて良いと言ったことくらいだ。
そうして三幸はもしかしたらと思い、言ってみる。
「最近はじめて名前を呼んだ」
「……名前を? それは確かに、珍しいね」
「えっ、三幸ちゃん使鬼の名前よばないのか?」
話を聞いていた三丿神が驚くのも無理はない。普通、使鬼と主人の関係は密接なもので、日常的に名前を呼ぶし、そもそも主従関係を作るにあたっても名前が重要な結びつきとなる。そして、普段は人目を避けて姿を見せない使鬼を喚び出すためにも名前を呼ぶ。つまり、名を呼ばないで関係が成り立つことはあり得ないのだ。あるとすれば、それは主従が逆転してしまっている状態。つまり、使鬼──とそれはもはや呼べないが、人間に好意をもった妖が一方的に人間に関わってくる状態である。好意があるといえば聞こえはいいが、それは非常に危険な関係でもある。人間は妖を制御できておらず、また妖と人間では価値観があまりに違いすぎる。好かれている人間も、その周りの者も危険に晒すため、そのようなことがあればすぐに妖側を討伐するのが鉄則である。
それに思い至らない三丿神ではないと思い、三幸はすぐに事情を簡単に説明する。
「私の使鬼は、祖父から譲ってもらったんだよ。最近までずっと祖父の命令で私を守っているのかと思っていたから名前も呼ばなかったけれど、このあいだ呼んだら、ちゃんと私の使鬼になってることが分かってね。それからちゃんと名前で呼ぶようにしてるんだ」
三幸にしてはずいぶんとあけすけにそう説明した。それも、心なしか嬉しそうにも見える表情で。
おかげで千尋はことの全貌を掴むことが出来たし、三丿神は説明の意味がよく分からなかったが追求はしなかった。
──二日前の晩、三幸が完全に眠りについたのを確認したソレは足音も気配もなく動き出した。するすると影だけが壁を這い、三幸の居室からはずいぶん遠い部屋までつくと襖のさかい目に消えた。
「どうした、牛宿。わざわざ儂の所に報告しに来るとは、そんなに甲斐甲斐しいやつだったかな? それとも、もう子供の子守は飽きたか」
それが来ることを知っていたかのように老人は薄明かりの中、本を読みながら暇を潰していた。
「支配権を解除してほしい」
老人は鼻で笑った。そのうえでもちろん態度でも言葉でも溢れんばかりの嘲笑を隠さずに言った。
「そういうことはもう少し勝ち目があってから言うものだ。いくら面倒な仕事をさせられているとはいえ、儂から逃げようとは、ずいぶんと短絡的だな。いつのまにそんなに馬鹿になったんだ?」
「あんたの孫娘を見ている間にだ。どうせ他に二十七煙もいるんだから構わないだろう」
襖にうつる影は、二本の角が異様に長く見えた。
「……妙な言い方だな」
老人は笑うのをやめた。まさか、と思う。
「儂から逃げて、どこへ行く」
勘のいい老人は、その答えに気づいていたが思わず聞いた。信じられなかったからだ。けれども、ソレは平坦な声で淀み無く、答えた。
「傷だらけの愚かな娘のところへ」
支配権は移行されていたわけではない。そんなことは出来ない。
『使鬼を譲る』などという現象はどこにも存在しないのだ。当然三丿神はそれを知っているから、三幸が何を言っているのか分からなかった。千尋もむろん知っている。けれども彼の目には、その使鬼が誰に使役されているか、その結びつきが見えるのだから余計に混乱した。
先週の金曜まで彼女の祖父のところへつながっていたはずの、彼女の影に潜んでいるそれが、たった二日の間に彼女と結ばれていたのだから。
彼女の霊力で使鬼を従えられるわけがないのは今更疑いようもなく、しかし目の前に確かに彼女に従う鬼がいるのだ。それも、自分ですら従えるのに労を要するほどの鬼が。
『名を呼んだ』と言った。正確には呼ばされたのだろう。妖のことに関しては基礎知識すら危うい自覚のある彼女は例外もあるだろうと気にも止めていない事実だろうが、主従を結ぶためには名を呼ぶことが不可欠である。名を呼び、妖がその人間を自らより高位の存在であると認めて始めて主従は成されるのだ。
***
「……おはよう。まさか夜の間ずっといたの」
「はい。主人の側に控えることが我らの使命ですから」
かしずく影に彼女は戸惑いながら言った。
「その、その喋りかた、違和感があるから、いくら昨日まで私が主人の自覚すらなかったからって。そんなに急にかえなくてもいいでしょ」
影は笑う。可笑しそうに、優しげに。
「なんのことでしょう。ご不満があるなら命令していただかなければ分かりかねます」
「……牛宿、命令です。今まで通り喋りなさい」
「かしこまりました。三幸の言う通りに」
互いの名を呼ぶ
行為にしてみれば簡単で けれども意志がなければ絶対に成立し得ない盟約
彼女は何も知らない
彼女が知るのは人との関わりであって
妖とのそれではないのだから
弱く 見えず 術を持たぬ娘
けれども強かに 敵を見据え 戦うことを選んだ
その生き方に その危うさに
どうして惹かれずにおれようか
従ってやろう もうお前には 敵わないから
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