羅刹の娘 第二章04

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※残酷な描写、性的な描写があります

あらすじ
人口の約30%が霊力を持ち、妖《あやかし》と呼ばれる人間とは異なる種族との共存が求められる社会。共存とは言うものの、霊力の少ない人間からすれば妖は脅威である。従ってそれらと対抗する術を学ぶための学校が存在する。──その中で名門校である土御門学園に所属する少年少女の物語。
本作は高校生編と中学生編で構成されている。
中学生編では、三幸が中学生の時に巻き込まれた事件から、生まれた時の話まで遡る。義妹、義母との確執、愚鈍な父、奸悪な祖父、誰一人味方とは言えない家の中で三幸が苛烈極まる精神を育てていく。
力はなく、美貌と話術のみを武器にする少女の、危うくもあり、どこか清々しくもある生き様を描きました。

   【4】 「だから行くなと言っただろうが!」  目が覚めて最初に聞いたのは普段つとめて穏やかな友人の、怒号だった。  全身が重く傷むのに気づいてぼんやりと瞼を開くと、一瞬の眩しさに目が刺すように傷んだあと、すりガラスを通したような視界が広がっていた。  そして先程の怒号である。 「四辻、助けてくれたんだね」  薄く笑って言う三幸に、短く強く息を吐きながら答える。 「死んでてもおかしくなかった。むしろ、生きているのがおかしいくらいだったんだ! あの家の地獄みたいな庭の中で無事でいられるわけ無いのは分かってただろう。妖の封印が解かれているのも、分かってて!」 「……私が行かなければ青条の弟は確実に死んでいたでしょう」 「知ってるさ!」  間髪入れずに四辻は言った。  声には、怒りだけがあった。四辻にとっては、青条の弟が助かる可能性よりも三幸が確実に無事である方が大切で天秤にかけることですらなかった。見捨てる事実に罪悪感を覚えるより、三幸が危険にさらされた事実への怒りの方がはるかに大きかった。だから。 「知ってたよ。死ぬのは。死ねばよかったんだよ! お前が失明するぐらいなら!」  ジクジクと痛む目が、これから回復するわけでは無いらしいと三幸はそこで理解した。けれども尚も薄く笑ったまま話す。 「ひどい人、みんな生きていて良かったでしょう。私の目だけで済んだなら」 「これで幸いが四つになったとでも言うつもりか!」 「なつかしい話をするね。そうかもしれない。少なくとも、これで私は一歩天国へ近づいたかもしれないからね」  思ってもいないことを言って、女は笑った。  御角家の一人娘が重症で入院したという話はすぐに行き渡り、ひっきりなしの見舞いを断るため面会謝絶となった。そのため退院後に大量の見舞いの品を見て三幸はため息をつくのだがそれはまた別の話。  御角の祖父は生き残った悪運の強い娘に自分の持つ使鬼を一煙いちえんゆずり渡した。それが牛宿イナミボシである。結局春休みの間中入院することになった彼女に姿を現さないまま視力のかわりとなって手助けをしたのは彼である。  そして青条の弟と三幸を陥れた人物はすぐに特定されたがその立場から表向きは罰を受けること無くこの事件は御角家の妖の管理に落ち度があったとして青条家への謝罪が行われただけで深く追求されず終わることになる。御角としても、追求することは外聞が悪かったことがこれに影響した。  なぜなら、御角家の庭に封印されている妖を開放することが出来たのは、御角家に自由に出入りができ、さらに封印の場所と術式を心得ている人間でなければならない。つまり、主犯は身内にほかならない。御門家当主である三幸の父は、自身の妹がその犯人であることが分かった時点で事件をもみ消す方向へ動くようにと家の者へ命令した。 「三幸の父親は役に立ったことがない」  と、これは四辻の言である。自分の母親を棚にあげてよく言ったものだと思ったが、三幸は特に反論はしなかった。 「なんで命をかけてまで助けたんだ」  という問いには、ただ一言。 「かわいそうだったから」  と返す。  四辻はそれきり黙ってしまった。彼女の生き方を、本心を少なからず覗き見ることの出来る最初の人物だったからこそもう何も言うことが出来なかった。かわいそうだったと言ったそれが、何を意味するのか知っていたから。彼に出来たのは、側に控える牛宿や、彼女の周りにいる人間を剪定しできるだけ安全な場所を作り上げること。 「分かってるだろうな牛宿、彼女から目を離すなよ。どうせあの老人からは逃れられないんだ。あの年寄りにつかわれるよりは三幸のほうがマシだろう? お前も、ずっと見てはいたみたいだし」 「……気づいていたか」  黒い影は、影のまま答えた。苛立ちもあらわに睨みつける少年へ向かって。 「僕は、あのジジイみたいに強い支配力はない。お前を従えることは出来ないが、目だけは良いんだ。お前の──呂色の視線が彼女に纏わりついているのは視えているからな。他の使鬼よりはマシみたいだから任せるが、彼女に何かあれば僕だって、あのジジイに嫌がらせをするくらいは出来ることを忘れるな」 「……肝に銘じておこう」  ありもしない心臓にそう誓って影は消えた。  ──四辻の視ていた通り、牛宿は主人である祖父から三幸の守り役を命じられるより以前から彼女のことを見ていた。  それはずっと前、雪の降る日に、裸足で泣き叫ぶ少女を見捨てた日から。    ***  その子供は春のあたたかい日に生まれた。  御角家を継いだばかりの当主は、婚約していた霊力も家柄もつり合う女性と結婚したが、なかなか子供に恵まれず神経を尖らせる妻から逃げるように使用人の女に声をかけるようになった。  中でも霊力は少ないながらもよく仕事が出来ると評判だった女が気に入りで、彼女は当主の暇つぶしに幾度かつきあわされた。最初のうちはどうでも良い世間話、そのうちはっきりした物言いが面白いとよけいに興味を買い、将棋につきあわされた。女は賢く、あっさりと当主を負かしてしまった。これにまた愉快に思った男は女を口説くようになった。  けれども、これ以上は奥方の不況を買うと思った女は当主を避けるようになった。それが、男を狂わせた。  逃げられると追いたくなる、本能に任せて男は妻を放って所構わず彼女を口説いた。まるでなびかないと思うと躍起になって妻と別れるとまで言い出した。戸惑い、うなだれる女を見ると自分の言葉で感情を動かされているのだと思って喜んだ。あまりに、幼稚な男。怒り狂った妻が彼女にどんな扱いをしているのかも知らずに、疲れ切った女に甘い言葉を囁いてみせた。  もはやここに居られないと思った女が当主にその旨をつたえると、男は泣き縋って彼女を引き止めた。 「まつり、お願いだ。やめないでくれ! お前といるときだけ、俺は安心して心から笑えるんだ。父も、あかりも、他の使用人たちでさえ俺を役立たずと思ってる。でもお前だけは違ったんだ!」  恥も外聞もなく、ひざまずいて顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくる男に胸がかき乱される。それが女の弱さだった。  ほどなく、女は──白石まつりは、女の子を身ごもった。  正妻である御角明みかどあかりがそれを知って鬼も黙らせる形相となったのは言うまでもない。それでもなお、男はまつりを引き止めて自分が守るからと頭を床にこすりつけた。当主の一存で使用人の部屋から立派な離れを与えられ、男もまたそこに足繁く通った。  それほど思われたことも、子供を育てられる安定した環境が欲しかったのも、また男の見せる幼さを、わずかでも愛しいと思ってしまったことも。全てが積み重なって彼女は結局御角の家に残る決断をした。  そんな中で本気で離婚しようとしている男を止めたのは、自分の霊力が少なく、おそらくは我が子もそうだろうと思ったから。彼女は大事な子供の生きる道を狭めたくはなかった。霊力だけが物を言うこの世界で家を継ぐしかなくなればどれほど苦しむか分からない。いっそ正妻に子が生まれればと思ったことすらあった。  もうすでに、男のことを愛してしまっていたというのに。  生まれてきた赤子に『三幸』と名付けた母は、離れでひっそりと子供を育てる。母屋にいる正妻の報復を警戒しながら男を頼り、賢く育つようにと、どんな世界に行っても強く生きられる子になるようにと、祈るように子供を抱きしめた。  けれど、賢く美しく時には優しいまるで﹅﹅﹅母親のよう﹅﹅だった女は本当の母親になったことで変化していった。女からすれば当然の、けれども男からすればあまりにも突然に、それは進んでいった。男は甘やかされた幼稚な子供から父親としての役割を求められたが、結果として男は変わることが出来なかったのだ。  自分が一番に愛される存在でありたかった。その傍らで赤ん坊という存在を愛でられればそれでよかった。  けれども我が子を育てるために女は時に鬼となり、愛情は何よりも子供へと向かった。目線はあわず、かつて使用人だった彼女に避けられながら追いかけていたときより手応えもなく。虚しさと寂しさで男は、すぐに、本当にすぐに、逃げた。  今まで蔑ろにしていた妻の元へ。  偶然だろうか。執念だろうか。三幸に妹が生まれたのは、ちょうど二歳の誕生日を迎えた頃。  遠くから聞こえてくる華やかな音楽と人々の笑い声、それを──瞬きもせずに見つめるひだまりの中の母親を私は覚えている。  鮮やかな緑に囲まれた原風景は、思えば母屋で妹の誕生を祝う人々とそれに交わることのない離れで自分たちの平穏が終わったことを悟る母の姿だったのだろう。  そしてすぐにそれは現実のものとなる。正当な跡継ぎである妹は、母親の霊力が遺伝し将来を期待されるのに十分な資質を備えていた。明は不遇な新婚時代を送ったこともあり、母となっても女であり続けようとした。娘の世話は数多いる使用人に任せ、自分はときおり愛でる。可愛くなかったわけではないが、抱き上げている時に泣き出したらすぐ使用人に渡してうるさそうに眉をひそめた。それよりもやっと自分のところへ帰ってきた出来損ないの夫のほうが可愛くて仕方がない。それにあの、少し頭が回るだけの小狡い女が今頃どんな顔をしているのかと思うと愉快でならない。  暇なときはわざわざ離れまで行って、庭で遊んでいる何も分かっていない子供に話しかけてやると真っ青な顔で走って出てくる女が面白かった。  自分が跡継ぎを生んだとなればもう怖いものはないのだ。わざとこの女と子供を本家の集まりに連れて行って辱めてやろうか、それともまた使用人として厳しくしつけてやろうか。これからのことを考えると胸が踊る。どんなに苦しめてやっても足りないのだ。これから存分に私の受けた屈辱を返してやる。  そう誓って、真実その通りにした。使用人たちにはあの親子の味方をしないようよく言い含めたし、万が一にも夫があちらへ興味を戻さないように表向きは穏やかで甘い妻を演じた。当然我が子にも、離れにいる親子は私達を恨んでいるから気をつけるようにと何度も教え込んだ。 「覚えているわね、御幸みゆき。あなたの姉様はとっても悪い人に育てられたの。だから姉様も悪い子になってしまったの。だから仲良くしては駄目よ」  しつこく母親に言い聞かせられると、子供はそれを信じた。  一度だけ、悪い人に育てられた姉様がかわいそうだと言ったことがあるが、母が見たこともない顔を一瞬だけしてから、優しい子ね、と私を抱きしめたのでそれは言ってはいけないことなのだと思った。  時折、私達が暮らしている家にやってくるその母娘にも、母の言う通り無視をした。しばらくすると使用人たちが母娘に対して何かを言って、母がそれを嬉しそうに見ているので真似したりもした。 「何も、何も知らないのよ。あの子は」  ──母が言うのを聞いていた。唱えるように、信じるように。私達二人以外誰もいない家の中でぶつぶつと一人言を繰り返す母は、私に気づくといつも抱きしめてくれた。力強く、それは苦しいほど長く、でも私はそれが嬉しかったし、幸せだった。  もう、あの遠くの家に住んでいるもう一人の母と呼ばれる人の悪意には気づいていたけれど、そんなことは関係なかった。  だって私は、私の母さんが大好きだから。  けれどそんな戯言はもはや意味をもたなくなっていった。妹とは違う小学校へ通う私の学年があがるにつれ、母の一人言は増えていく。  時折、父親の配慮という名の愚かな親心で私達は母屋へ行ってもう一人の母親と妹と食事をすることもあった。その時のあの女の張り付いた微笑みと言ったら、神々しさすらあった。私達へのあらゆる感情を夫へ悟られないよう引きつった顔で歯を見せて笑う姿。金色の泥が溢れ出すような禍々しい鬼の形相だった。  けれども父はそんなことには気づきもせず、こうして会うことで二つの母娘が親しくなれたら良いと思っているらしかった。そんなあいつの夢想のせいで私達が何をされていたのかなど知るはずもない。それでも母は、私を育てられなくなるのを恐れて父に呼ばれれば悩むこともなく行った。そのときには、もうこの家から出ていくという選択は母のなかに無かった。  自分たちを苦しめる者への意地だったのか、それとも単に他の可能性を考えられないほど疲弊していたのか分からない。  味のしない見かけだけは向かいに座る妹のものと遜色のない美しい料理を口にしながら、私は家族という形について考える時間を過ごした。 「三幸、大丈夫よ。あなたのお父様は、本当は私たちの方が大事なんだから」  母はそんな事を言った。傷だらけで帰ってきた私を抱きしめながら。  妾の腹から生まれたことを知らないクラスメイトはいない。先生は腫れ物に触るような者と、嬉々として憐れんで来る者と、または愚かにも蔑みの言葉を吐く者と。周りの子供達はそれよりもっと多様な反応をした。全員が敵ではなかったが、味方と呼べるものはいなかった。  正しいだろう。私の味方をすれば御角家の奥方からなにをされるか分かったものではない。霊界とは関わりの薄い学校だったが、それでも子どもたちの親は私を警戒していた。私も努めて誰かと親しくならないようにした。でもさみしくはない。家に帰れば優しい母親がいて、誰より私を愛してくれている。  けれど、二つ年下の妹はそれら全ての理屈など関係なく、自分の母と周りの使用人たちを模倣してときにはわざわざ私を待ち構えたうえで容赦のない暴力をふるった。  反抗すれば立場が悪くなるのは私と母さんなのは分かっている。母屋へ行って何をされても、言われても押し黙っている母の苦しみを無駄にするわけにはいかない。  私もまた、ひたすら耐えた。  年があがるにつれ母へ向いていた害意は私へも向くようになったけれど。黙って目を伏せて、体を丸めて何も聞かないようにすればいいだけ。 「平気よ。お父様は私達の味方だもの」  そう繰り返す母の言葉だけは理解できなかったけれど。私にとっての味方は母さんだもの。平気。  母さんさえいれば大丈夫。そう思って、耐えて、耐えて、耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて──先に壊れたのは母さん。  あなたでした。  冬の寒さが堪えたのでしょうか。  雪の降る日に、白い息で手を温めながら、裏口から家に帰った。靴の中に雪が入って冷たく痛いので、すぐ母さんに泣き言を言って甘えようと思っていたのにいつものようにおかえりという声がしない。濡れた靴下を脱いで裸足で、木の床にぺたりぺたりと足跡を残しながら母の気配を探すが、家の中に物音はない。もしかしたら私が学校に行っている間にまたお父様に呼ばれたのかもしれないと思った。得体のしれない不安を感じながら急いで裸足のまま濡れた靴を履き直して裏庭に出る。  母屋に行くためにはそこから少し遠回りした裏道を通らなければならない。焦って雪の中飛び出してから、いきなり一人で母屋に行ったら怒られるだろうかと逡巡する。  所在なく、庭の中を理由もなく歩いて、ふいにパシャンと水の音が聞こえて振り返る。  視界に入ったのは古い井戸。離れを作ったときにはもう使われていなかった枯井戸で、縄もバケツもついていない形だけのもの。けれど、しばらく雪が多くてその中にも雪が積もっているのを母と見て、雪が溶けたらあのまま水たまりになるのかしらと話したのが一昨日のこと。気づけば足は井戸の方へと向いていた。  ちがう。そんなわけがないと思いながら、覗き込んで。  ──そこに水たまりはなかった。あったのはどこまでも続くかと思われる石の囲いと遠くに眠る母。  せまそうに、縮こまって眠る、母。  私は起きて起きてと叫んだ。けれど井戸の中は薄暗くて、あまりに遠くて、母の声はかえってこない。目があいてるのかどうかさえ分からない。私は走って大人を呼びに行った。まだ間に合うかもしれない。急いであの中から出してお医者様に見てもらえれば、きっと、きっと。  途中で靴が脱げたのも気づかずに裸足で雪の上を走って、何度か転びながら母屋の庭にたどり着いてやっと叫んだ。母さんを助けて、と。  答える声は、なかった。  どれほど叫んでも。  通りすがる使用人の裾を掴んで引き止めても、誰も。  ただ一人味方であるはずの父親は、妹の参観日に夫婦で行っていたからいなかった。そうだ。知っていた。数日前に妹から自慢されて、知っていた。  誰も、私を助けてはくれない。  私は、ひとり

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