06
※残酷な描写、性的な描写があります
あらすじ
人口の約30%が霊力を持ち、妖《あやかし》と呼ばれる人間とは異なる種族との共存が求められる社会。共存とは言うものの、霊力の少ない人間からすれば妖は脅威である。従ってそれらと対抗する術を学ぶための学校が存在する。──その中で名門校である土御門学園に所属する少年少女の物語。
本作は高校生編と中学生編で構成されている。
中学生編では、三幸が中学生の時に巻き込まれた事件から、生まれた時の話まで遡る。義妹、義母との確執、愚鈍な父、奸悪な祖父、誰一人味方とは言えない家の中で三幸が苛烈極まる精神を育てていく。
力はなく、美貌と話術のみを武器にする少女の、危うくもあり、どこか清々しくもある生き様を描きました。
【6】
三幸の母が死んでから二年が経ち、彼女はわずかながらの霊力を認められ土御門学園へ入学することが出来た。
霊力について学ぶようになって嫌がらせで眠れない日や、妹に殺されかけたこともあったが、晴れてこの年まで無事に生きて制服に袖を通すことが出来た。
過激だった様々な悪意ある攻撃も祖父の口添えで信じられないほど減り、少々の嫌がらせはあったが少なくとも自室で誰かに邪魔をされることは無かった。屋敷の女主人である御角明の手下だった侍女達も祖父に目をつけられればこの屋敷にはいられないのだから大人しくするほかなくなったのだろう。
妹ばかりは、この家において祖父を脅威とも思っておらず──彼女は正当な跡取りであり霊力にも恵まれていたのだから家から追い出される不安を持たないのは当然のことである──あの日、なぜか井戸に落としたのに怪我もなく平然と戻ってきていた三幸を気持ち悪いと言いながら今も同じように暴力をふるい続けている。
「三幸お嬢様は制服がよくお似合いですね」
御角家専属の運転手がそう言って、妹よりも早い時間にでる三幸に合わせて車を用意する。彼女の姓は未だ白石だが、霊力者のみの学校で彼女が一応は御角の血を継いでいるということを知らないものはいない。そして、御角の家ともなれば色々な面倒事に巻き込まれる可能性は当然ある。三幸が誘拐されようが殺されようがこの家に大した問題は無いが、父親は絶対に一人で出歩かないようにと言った。三幸が無事に土御門学園に入学できたことで祖父や妻からなにか言われる心配がないと思ったのか、最近では前にも増して分かりやすく三幸を気に掛けるような発言をした。
当然、妻の明はそれを良しとしなかったが、この頃は家の中での勢力関係が変わりつつあったため、あまり理不尽な文句をつけることが出来なかった。
というのも、明の娘である御幸よりも白石の三幸の方が家の中で支持をもち始めたのだ。
御幸は現在小学校に通っており今は五年生になる。前述した通り彼女は二歳年上の姉への嫌がらせを今なお数年前から変わらない様子で行っており、それらは当然この家に仕えるもの皆が知っている。彼女は父と祖父の前でだけそれを控えたが、たいていは人目をはばからず姉に暴力をふるい、汚い言葉を浴びせた。最近では庭用のほうきで姉が学校へ出かける直前に殴るのがハマっているようでほとんど毎日早起きをして彼女は殴りにきた。
それに対して三幸も、ずっと変わらず抵抗すること無く身を縮めて妹が殴り疲れるのを待つ。変わったのはその後の使用人たちの態度だった。
飽きて家の中に戻った御幸が、完全にこちらから意識をそらしたのを見るや否や一人の使用人がパタパタとやってくる。
「白石様、お召し物に葉っぱがついて……」
言いかけて三幸の顔を見てから今度は先程より青ざめて言う。
「頬から血が出て……! すぐに手当いたします!」
あわてて救急箱をとりに戻ろうとする使用人を三幸は優しく声をかける。
「長谷川さん、ありがとう。でもこのくらい気にしなくて平気よ」
やわからな微笑みと、丁寧につむがれる言葉、そして何より目を見て名前を呼ぶこと。それらの行動全てが、御幸の正反対であった。御幸は母が親しくしている使用人達、つまり三幸を目の敵にしていまだ根気強く嫌がらせを続ける者たちの名前は覚えていたが、それ以外の者はたとえ自分の生活に深く関わっている──たとえば料理人など──の名前はまるで覚えていなかった。覚えなくても差し障りはないのだ。役職の名で呼べば用事はすませられたし、名前を必要とするような個人に対しての用事はなかったのだから。
三幸は違った。どれだけ関わりがない相手でも家に一度入った人間の名前は全て覚えていたし、何か仕事を頼む際にはあえて個人を名指しして任せた。良い仕事をしてくれたと思えばわざわざその者のところまで行って、ことのついでではなく、礼を言うためだけに調理場や車庫にまで突然現れるのだ。
それも最初のうちは一人でいるときに礼を言いに来た。けれどもそのうち三幸に褒められたと嬉しそうに周りに言う使用人があらわれ始めたあたりで今度は周りに人がいるときに感謝を伝えるようになった。
皆、表向きは女主人に従って御幸をたてたが内心は、乱暴で口汚く使用人をモノのように扱う妹よりも、優しくて穏やかで偉ぶったところのない、それでいて気品のある姉の方が遥かに主人として相応しいと思っていた。
「みーんな三幸お嬢様の味方ですよ」
いつもどおりの道を走らせながら運転手の男は言った。周りの様子をみながら少しづつ手のひらを返し始める使用人の中で、この男もいつの間にか三幸の味方だと自称していた。会話をするようになったのは中学に入ってからで、それまで運転手は他の使用人のように住み込みで働いているわけでは無かったので会う機会もなかったのだ。
「井道さんったら口がうまいんだから」
運転手の男──井道は家で働く関係者の中でも自分が最も三幸と親しいという自負があった。学校の行き帰りに二人きりで話す時間は多かったし、稀に屋敷の中で見かけると三幸はすぐに気づいて微笑んでくれた。時にはわざわざ走って話しかけに来てくれることすらあったのだから。他の使用人と違って自分は屋敷の中の勢力関係を気にする必要性が薄い。だから三幸も安心して心を許してくれるのも当然だろうと思っていた。
「俺も三幸お嬢様のことは心から尊敬していますよ」
井道は感じ入ったように言う。
「あの性悪の妹をぶん殴らないでいるんですから。ほんとにあいつ性格悪いんですよ。イライラしてるとすぐ難癖つけて怒鳴ってくるし、甲高い声が癪に障って引っ叩いてやろうと思ったことが何度あることか。本当に三幸お嬢様はよく耐えてらっしゃいます。我々はみんな分かってますからね。どっちが正しいかなんて」
「味方が多くて嬉しいわ。でも憎まれ口はそのへんにね。どこで誰が聞いているか分からないんだから」
「おっと、申し訳ありません。つい、お嬢様といると気が緩んでしまって、お耳汚しを」
このように、三幸の人格を褒める声は増え始めて、中には三幸のほうが跡継ぎとして相応しいのではないかという声すらあることを御角明は知らないわけではなかった。そして、それが決して妄言で済まない可能性があることも。
三幸の霊力が御幸と比べて劣っていようとも、土御門学園に入学できたならある程度周りは黙らせられる。そもそもあの学園のCクラスはそういった霊力の少ない人間が跡継ぎとしての体裁を持つために設けられた特別枠なのだから。あとは他所から霊力の高い男を婿にもらってくれば家の仕事は成り立つ。子どもの霊力には心配が残るが、そんなものいよいよとなったら他所から養子でも貰ってくればいい。しかしそんなことになれば自分の娘はどうなるのか。いや、自分自身だって、あの女の娘が家を取り仕切るようになればいくらでも理由をつけて追い出せる。
それを避けるためにはもはや嫌がらせなどをしている場合ではない。あの娘は母親譲りの笑顔を浮かべておきながら母親よりずっとうまく人を操る方法を心得ている。このままでは夫もアレに騙されて言いなりにならないともいえない。そうなる前に穏便に、あくまで他の人間が反対できない形で遠くにやってしまわなければ。
そう思って明は最近では夫も娘も放ってあちこちの家の家系図を見合わせて頭を捻っていた。後々敵対しない、けれども監視できないほど遠くはない家の息子と早いうちに婚約させてしまいたい。
そこそこの家柄で適当に三幸のためだと言っておけばあの馬鹿な夫も反対はしないはず。今はまだ家を継がせる気はないだろうから。
しかし。
「縁談? まだ早いだろう。そんなに急ぐことはないじゃないか」
あっけらかんとなにも分かっていない夫は言った。
「そんなことないわ。もっと幼い頃から婚約しているお家だって珍しくないでしょう。あの子もそろそろお相手を何人か考えておいてもいい頃よ。それに急に相手が決まるより今のうちから交流を深めておいたほうがあの子も安心なんじゃないかしら」
「まぁまぁ……だからって流石にまだ中学生なんだし」
「あなた! ちゃんと考えてください。御幸と違ってあの子はいつまでもこの家にはいられないのよ? 家で使用人として雇うって言うなら話は別ですけどね」
使用人として、という言葉に反応して急に夫は目を泳がせると弱気になって返事をした。
「分かった。わかったよ、とりあえず三幸に話してみるから」
「候補は考えてありますから、ちゃんと話ておいてくださいよ。いい加減に濁したってかえってあの子のためにはなりませんからね」
「あぁ、分かったよ……」
***
「──ということがあって……」
しょぼくれた父親が話があるとわざわざ部屋まで来たので何事かと思えば、なにを今更。噂好きの使用人からあの女が最近あちこちの家の情報をあつめていることは聞いている。むしろ気づいていないのはこの鈍磨な父親と阿呆な妹くらいのものだろう。
さて、どうしたものか。ここで私が答えたことはそのままあの女に伝わるはずだ。物わかりの良いふりをして受け入れても構わないが、あの女はそんなに馬鹿じゃない。たやすく受け入れれば逆に不審感を持たれるかもしれない。ならば逆に……。
「……あの方は」
ほんの少しうつむいて 充分な間をとってからゆっくり顔をあげて 無理に笑ってみせて ちょっと震えた声で
「……私をはやくこの家から追い出したいのですね」
わざとらしいくらいに悲壮感たっぷりに言えば、父親は大慌ててそれを否定した。
「い! いや! 決してそういうわけではないはずだ! まさか! 確かに父さんも早すぎると思っているよ。もちろんすぐに結婚だなんて話じゃない!」
「いいんです。いずれは出ていかなければいけないのは、分かっていますから。ただ、こういう形になるとは思っていなかったので少し驚いて……」
「いや……いや、驚くのは当然だ。やっぱり、急に縁談なんておかしいよな。明には父さんから言っておくよ。お前は心配しないで──」
「父様」
焦りから饒舌になって目を泳がせる父親の言葉を静止して、とどめを刺すのを忘れない。
「あの人に伝えてください。縁談については、考える時間が欲しい、と」
「三幸……! 無理することはない。私がきっぱり言っておく」
「いいえ、本当に……いいのです。ただ、お相手についてはお祖父様に相談するように言ってください」
「……分かったよ。そう伝えておく。ただ、嫌になったらいつでも言いなさい。父さんはお前の味方だからね」
「ありがとう。お父様」
あなたの力なんてかけらも期待していないけれど。その無意味な言葉だって無いよりはマシかもしれないわ。
そっくりそのまま、というより多少の主観も交えてその会話を妻に伝えた父は、三幸が祖父の名前を出したのもあってこれ以上この話が続くのは免れるだろうと甘いことを考えていた。
けれども、一刻も早く目障りな娘を追い出したい明がその程度のことで考えを変えるはずはなかった。
「あの図太い白石の娘も、今回ばかりは堪えたようですね」
着付けを手伝いながら使用人が軽口を叩く。このごろ機嫌の悪い奥方のご機嫌取りを兼ねて。
「どうだか! お義父様のことを引き合いに出してくるくらいよ。ちっとも慌てちゃいないわ。あの年寄りの一声で自分の進学が決まったから気に入られていると思ってたかを括ってるんでしょう」
そう言いながら内心は明も、あのいつだって余裕たっぷりに笑っている小娘が夫の言う通り狼狽えていたのならいい気味だと思っていた。むしろ、自分でその話をしに行かなかったことを後悔していた。
「でもちょうど良かったわ。どのみちお義父様にはお話ししなくちゃならないし、むしろお義父様のお許しがでたら良いと言うなら、揉めることもなくて手間が省けるわ。あの人もどうせ父親には逆らえないんだし。案外はやく話がつきそうじゃなくて?」
艶やかな着物の色合いを確かめながら、女はくすくすと笑った。自分の想像する未来が、安寧が間もなくやってくると疑いなく思って。
コメント