09
※残酷な描写、性的な描写があります
あらすじ
人口の約30%が霊力を持ち、妖《あやかし》と呼ばれる人間とは異なる種族との共存が求められる社会。共存とは言うものの、霊力の少ない人間からすれば妖は脅威である。従ってそれらと対抗する術を学ぶための学校が存在する。──その中で名門校である土御門学園に所属する少年少女の物語。
本作は高校生編と中学生編で構成されている。
中学生編では、三幸が中学生の時に巻き込まれた事件から、生まれた時の話まで遡る。義妹、義母との確執、愚鈍な父、奸悪な祖父、誰一人味方とは言えない家の中で三幸が苛烈極まる精神を育てていく。
力はなく、美貌と話術のみを武器にする少女の、危うくもあり、どこか清々しくもある生き様を描きました。
【9】
故人 御角 明 御角 御幸
喪主は御角家二三代目当主がつとめる。
霊力を持った者の葬儀は一ヶ月ほどかけて様々な儀式を執り行うのが通例である。
遺体に残った霊気を嗅ぎつけ妖が寄ってくる。時にやつらはそれを喰って力をつけ人に害を成した事象も少なくない。そのため、それらを防ぐために必要な期間であり、霊力が高いほどそれは長期に渡る。
葬儀の日取りが決まり、家の中が慌ただしく、あっというまに月日が過ぎていく。
「お嬢様、お召し物は如何なさいますか」
恭しくそう言うのはひとつき前まで私を『白石』と呼び捨てていた侍女の一人である。あの女主人と妹が死んだ今、あとを継ぐのは血のつながっている三幸が最も有力候補であり、現当主である父親はすでに喪があければ三幸の籍を移すと公言していた。つまり、今まで三幸をいじめてきた者たちはいつ報復を受けるか分からないと思い戦々恐々としているのである。かたや、女主人に隠れながらではあるが、少なからず三幸の味方をしてきたと感じている者たちは恐ろしい奥方と乱暴な娘がいなくなったことでにわかに湧いていた。三幸の味方をしてきたかいがあったと思っただろう。むろん当主にそんな思いが知られないよう表向きはみな悲しげな表情をしていたが、三幸に話しかける時は笑顔で、ことさらに世話を焼いたり、死んだ二人の悪口を言ったりする者もいた。
「──喪服は、洋装であればご用意できるかもしれませんが、和装ですと間に合わないでしょう。適当なものを着ていただくわけには参りませんから。制服で参列することも可能かと思いますが、どうされますか」
どう、と言っても今日は葬儀の当日で、実際のところ選択肢は制服以外にないのだが、わざわざ聞くという事自体がその侍女にとっては意味があった。
「お前は、お母様が死んでもきちんと私が嫌いなんだね」
そう言って薄く笑う三幸に、その女は動揺すらしなかった。
「とんでもございません。私は、……白石まつりが嫌いなのです。奥方様を苦しめ、狂わせたあの女が」
「なるほど。だから、その娘も許しはしないと」
「はい。私は、貴女様にしてきたことを弁明するつもりはございません。暇を出されるだけでは済まないことも覚悟しております。それでも、あの優しく聡く、明朗だった明様をあぁまで壊したまつりを、私は許すことなど出来ないのです」
この女は、馬鹿じゃない。自分の主人とその娘が死んだ理由が疑惑に満ちていると気づいているだろう。その原因が私にあるかもしれないことも。ならば、自分が同じようになると想像しないわけではないはずだ。それでもなお、私を御角の娘として認めない。
「……お前のような女が、側にいればな」
疲れ切った声で思わずそう言ってしまったのを聞いて、その侍女は初めて目を見開いて驚いた顔をした。それが少しおかしくて、もう少し話してみたくなった。
「もう、いいだろう。どうせお前はこのあとこの家を去るのだろうし、最後くらい素の顔をさらしたって。なぁ?」
「……、お好きに」
動揺をごまかすように目をそらしてそう返されたのが、一層おかしかった。
「にしたってお前も馬鹿だよ。母さんをいじめたかったのじゃなく、あの母親をたすけたかっただけなら、それなら母さんに優しくしてくれればよかった。母さんに優しくして、味方のフリをして、あの人が疲れて何も考えられなくなった頃に、この家を出るように言ってくれれば良かった。そしたらきっと、自殺なんかしなかったろうに」
「……じさつ……?」
問い返す声が先ほどまでとは違うかすれたもので、見開かれた目は、信じられないとでも言いたげだった。
「なんだ、知らされていないか。そうかもしれないね。当主が孕ませた女がいじめられて自殺だなんて外聞が悪い。都合よく事故にでもされたか」
「まつりは、自殺なんて、もっと、強かで、賢くて、でなければ明様の夫を奪うような真似など……!」
「ずいぶん、奥方から情報を吹き込まれたらしい。確かにあのひとはお前の思う通りのところもあったさ、でも、父様に愛されていると信じるくらいには弱く、私を守るために心を壊すくらいには馬鹿な人だった。苦しんでいることを悟られないために笑顔でいつづけることしか、あの人には出来なかった。──……どうやら、私達はもっと早いうちに腹を割って話すべきだったのかもしれないね」
顔を覆い、座り崩れた侍女を見下ろして三幸は続けた。
「死ぬ数年前のあの人は、ずっと独り言を言っていたよ。そういえば、その中に幾人かの元同僚の名前もあったかもしれない。もうよく覚えていないけど、今更それを知ったとて、残念だけど私は何も変われない。私は、私を苦しめた者も、私の母を見殺しにした者も、どれほど許しを乞われたとて、何も、変えるつもりはない。……でも、お前のような人間は本当は嫌いじゃなかったんだ。だからもし、思うところがあるのなら早いうちに荷物をまとめなさい。私は喪があければ、この家の全てを狂わせるのだから」
そう言って笑い、慌ただしく葬儀の用意をする家人を見下ろす少女に、ただ深く頭を下げるしか、もはや出来ることはなかった。
***
二年前に見た光景と、ほとんど変わらないものがそこにはあった。
泣き叫び声をからして棺にすがりつく父親と、うつむく使用人達や見覚えのない親族、それから名前は聞いたことのある名家の当主やその代理の者達。流石に当主の令室が死んだとあって母さんの時より人も飾りも盛大だったが、今思えば母さんの葬儀もただの愛人に対してでは考えられないほど盛大なものだったのだろう。表向きは身内のない使用人が死んだだけ。その世話を主人がしてやるのは珍しいことでは無かったが、大抵は家人だけで済ませるだろう。父の親戚や一宮のような他家の人間まで呼んだのは、父なりに母さんを愛していた証を残したかったのかもしれない。今となっては、すべてどうでもいいことだけれど。
あの日のように葬儀を途中で抜け出して、あの日のようにひとけのない家を抜けて、あの頃よりは分かる道をたどれば──。
「どこへ行くんだ?」
あの時と同じ顔で笑う、あの時より価値の上がった男が立っている。
「……納屋へ、行こうと思ったんです」
掴まれた腕に手をそえて微笑み、一歩よれば男は上機嫌で私を抱きとめる。
***
「──龍様、ご当主になられたんですってね」
ほこりっぽい納屋ではなく、勝手知ったる離れの家まで来て光が差す一室で軽い口づけを交わしながら二人は話す。
「白々しい。俺がそうなったとたん手紙をよこしたのはどこの誰だ?」
口調は荒々しく、けれども声色はむしろ楽しげにも聞こえた。
「でも、すぐにお返事をくださったでしょう。相手にしてくださらないかと思っていたわ。貴方からすればあの日のことも戯れだったのでしょうから」
少し目を伏せて思い出すような表情を見せれば、彼は拗ねた少女をあやすように髪をなで甘い言葉を囁いてみせる。
「俺はそんなに酔狂な男じゃない。お前はあの日はじめて俺を知っただろうが、俺はもっと前から知っていたんだ」
「……そうだったの。それにしたって性急な人ね。いきなりものにしようとするなんて」
「おかげで忘れられない男になったろう? 他のやつに取られるわけにはいかなかったからなぁ」
悪びれる様子もないことに、もはや三幸は腹立たしさも湧かなかった。
「怖いひと」
言葉とは裏腹に微笑んで、今度はあまえるように男の腕に体をよせる。
「でも、そんな人が側にいて欲しかったの」
上目遣いで言えば、男は分かりやすく機嫌をよくして鼻を鳴らす。けれども少女の言葉で一喜一憂していることなど自覚のない男は口では悪態をつく。
「権力と武力を持った味方が欲しいだけだろう」
「価値のある男性が魅力的に見えるのは自然なことでしょう?」
そう言われれば不思議と悪い気はしないもので、ますます腕の中の女が良く見える。
「まァ低級とはいえあの数の妖を操って、自体を都合よくもみ消せるのは俺くらいだろうな」
「手伝ってくれると言った時は驚いたけど、あの日は雨が降ってきたから失敗するのじゃないかと思っていたの。どうやって襲わせたの?」
半ば想像のついていることを敢えて聞いてやる。話して自慢したくて、手の内を見せびらかしたくて仕方がないのだから。
「S級の人間には固有の術式があるのは知ってるだろう。俺の術は妖を酩酊させることができるんだよ。それで蜱妖を五〇匹ぐらい使役したのさ。俺の術にかかればどんな状況でも関係ない」
「だから雨に弱い妖なのに襲い続けたのね。おそろしい術を持ってるのね……その上、討伐部隊の中で貴方に逆らえる人などいないのだもの。貴方が事故だと言えば、事故だったのだもの、ねぇ?」
「そうだ。あのお前のバカ親父のところまで真実が届くことなどない。だが、まさか気づかれてないと思ってるわけじゃないよな? 俺のことを恐ろしいという割にお前もやってくれたじゃないか、さすがの俺も一瞬肝を冷やしたぞ」
「あら、なんのこと?」
くすくすと笑って男の首に手をまわし、猫なで声で尋ねてみる。
「現場についたときすぐに分かったぞ。車の中から異様にカトレアの匂いがしたからな」
「なんの匂いかまで分かったの? さすがね」
「まともな霊力者なら当然だ。現場の人間はみんな気づいてた。大胆な女だよ。この部屋で香を焚いたんだろ?」
少女を抱きすくめ、彼女の紺色のスカートの裾へ手を伸ばす。白くやわい太ももに男の手が触れ、それを合図に少女は自ら口づけを求め二人はそのまま軋む床の上に横たわり、ついばみ合って笑う。カトレアの甘く、けれども生命の鋭さを孕んだどこか怪しげな香りに満ちた場所──小さな思い出の部屋で少女は自ら幼い頃の記憶を傷つけ、切り捨て、ゆるやかに、成長を遂げてゆく。
「さァ、お前の望み通りもう誰から見ても俺達はおんなじ匂いがする。満足だろう? これで葬儀に戻ればみんな気づくだろうな。お前が俺を使って憎い母娘を殺したってこと」
スカーフを結び直す三幸に囁けば、物言わぬ微笑みが返ってくる。
男は、死んだ運転手が一番ひどく匂ったことを当然知っていた。そのために誰より惨たらしく喰われたことも。なぜその男が匂ったかと言えば三幸が何かしたことに違いなく、それは面白いことではなかった。けれどもそれも全て、今日この時のために、自分との関係をこうまで明白に主張するためだったのだと思えば溜飲は下がった。
「戻りましょう?」
平然と微笑む女が男の心の奥底にある何かを掴んで離さない。弱く、儚く、羽をもいでしまえば簡単に価値を失う蝶のごとき女、けれども不思議とそれを野に放ちひらひらと舞う様を見ていたいと思ってしまうこの感情を、なんと呼べば良いのだろうか。なんの力ももたない卑小な虫とさしてかわらないはずの存在に、こうまで心惹かれる理由は──?
分からなくても、どの道こんな小娘一人に手をかけてやって何か不利益を被るほど俺の立場は弱くない。それならば、分からないままでも構わなかった。ただ惹かれるまま好きなように気まぐれに愛してやれば、それが出来る力と場所に生まれたのだから。
そう思い、男もまたゆるやかに狂っていく。
葬儀に戻れば、一通りの儀式がひとまず済み火葬のための準備までの名前のない時間、それはまるでパーティーの会食かのごとく挨拶をし、世間話に見せかけた腹のさぐりあいが始まっていた。
しかし、三幸と一宮が戻ってくると視線は一気に集まる。ほとんどが高い霊力を誇る良家の人間なのだから当然、すぐに彼らから香るものが何であり、それが何を意味するのか理解する。それはむろん参列していた使用人の多くも。
まだ中学にあがったばかりの、きれいな制服に身を包んだ少女が静かな微笑みをたたえ、加えて、まるでそれが自然なことであるかのように一宮家当主の手が肩に添えられている。先程まで話のタネにされていた御角の残されたあとつぎ娘は、聞いていた醜聞から想像されているよりずっと悠々と微笑んでいた。
「俺はお父上に挨拶をしてくる。三幸、またあとで」
「えぇ、お父様はとても傷ついてらっしゃるから、どうか慰めて差し上げて」
そう言って離れた二人のことに気づいていないのはなおも泣き崩れ立ち上がることもできない御角の父親と御角明の家族だけだった。
誰もが背筋を凍らせて三幸のことを遠巻きに見る中、声をかけたのは参列者の中で数少ない三幸と同じ制服で参列していた四辻千尋だった。
一宮が彼女から離れるやいなや小走りでやってきた彼は、蒼白な顔で名前を呼ぶ。
「三幸!」
誰もが呼ぶのを控える、死んだ娘と同じ名前をなんの他意もなく口にする数少ない人間だった。
「あら、来てくれていたのね、千尋」
「話がある」
そう言って、腕を引きひとけのない場所まで連れて行かれると彼は泣きそうな顔をして彼女の肩に触れた。
「……なぜ」
そう一言だけこぼす。
「なにが?」
と笑って聞き返した。
すると、悲しげな顔はすぐさま憤りへとかわり、肩から離れた手は拳にかわってやはり震えていた。
「言ってくれれば一緒にいた! なんで逃げなかったんだ。あの男から……! なんであんな男の力を借りたんだ、付け込まれるに決まってるだろ! 一体いつからあんなやつと知り合いだったんだ!?」
従兄妹の体にまとわりつく青白い煙が通常人に見えるものではないそれが、彼女があの男と肉体的なつながりを持っていることを明白にしていた。彼女は憎い母娘を殺すために自分の純血を代償にあの男の手を借りたのだ──そう思った。けれど彼女は僕の言葉を聞きながら、あろうことか笑いをこらえる素振りを見せて、話し終わった途端我慢が出来ないというように声をあげて笑い出した。
まったく意味が分からなかった。数年前に会ったとき、彼女はそんな人ではなかった。無理して笑顔をみせるようになってから心配していたけれど、こんな人を嘲るような、そんな笑い方をする人では、なかった。
「千尋って、あんな家で育ったのにけっこう素直なんだね」
それが称賛の意味でないことはすぐに分かった。黙って次の言葉を待つ僕を見て、彼女はなおも引きつった笑いのまま続ける。
「なんで逃げなかったかだって? 本気で言ってるの? 一緒にいたのにだって! あの日来てくれなかったくせに!」
──それは、狂気を思わせた。怒りと悲しみを内包した笑顔。
「あのひ、って……」
「教えてあげる。私がいつからあの男に関わるようになったか。2年前だよ! 分かるでしょう? 母さんが死んだ日。あの日、私は今日と同じようにしたんだよ」
すぐに、彼女の言葉を理解した。心臓が、自分のそれが潰れるような気がする。その笑顔を前にして、全身から汗が吹き出して耳鳴りが頭の中に大音量で響き始める。
喉はカラカラになって、何か喋らなければと、なぜか分からないがとにかく声をかけなくてはいけないと思ったのに、開いたままの口は金魚のようにぱくぱくと動くだけでなにも出てはこなかった。
目を細めて彼女は笑う。きらきらと黒い瞳を輝かせ、カトレアの芳香を漂わせながら。
「あの日は、彼から誘われたの。でも、今日は私から誘った。でもね、こんなことはなんてことないの。だって私、気づいたから」
無垢な唇が、恐ろしい言葉を刻む。
「私はね、三つの幸を持って生まれたの」
「みっつの、さいわい……?」
思わずオウム返しにした僕を、もはや彼女は視界にすらいれず楽しそうに長い黒髪をいじりながら告げる。まるで歌うように、舞うように。
ひとつめは この容姿 美人でしょう?
ふたつめは 運の良さ 私ってタイミングが良いの
みっつめは ほんの少しだけの霊力
「みんなね、私が自分よりずっと弱いと知ってるから、だから絶対こわがったりしないの。弱くて、なにもできない綺麗な生き物だと思っているから、ね?」
お前だってそうでしょう、と言われた気がした。
「だから、あの運転手もあっさり騙されたよ。まさか自分がエサにされてるなんて思いもしないで一生懸命なぐさめてくれた……かわいそうに、一番喰われてたんだって。当然だよね、一番強く匂いがついてたんだから! なんにも知らずに抱きしめてくれたよ、あの人! ふふ、あはは、はははははっ」
彼女は笑っていなかった。
もしかしたら、この2年間、笑っていたことは一度も無かったのかもしれない。
葬儀の時に、彼女と親しくしている侍女たちから三幸だけが死んだ運転手のことを気にかけていたと聞いた。数週間前に行われたそれの葬儀では涙を流し、両親に何度も頭を下げたと。けれども彼女は一度だって泣いていないし、謝ってなんかいないんだ。それは彼女の外側の殻がやったことで、彼女自身はただずっと、あの小さな家で母を探し続けている。
「あの使用人の女の人たちは、君のことを心配してるように、見えたよ」
無駄と思いながらそう言ってみる。
「知ってるよ」
予想通りの返事、けれどもすぐ後に続けていった言葉はまたしても僕の想像を裏切った。
「誰一人許してやらないけどね」
どこも見ていない、誰も見ていないその目は、不思議と生気に満ちあふれている。
「誰も、私を助けはしなかった。それなのにまるで味方みたいな顔をして当たり前みたいに私に優しくするの。ずっと前からそうだったみたいにね。笑っちゃう。忘れるわけがないのに」
あぁ、彼女はあの運転手を利用して、巻き込んだんじゃない。死んだことに何も思ってないわけじゃない。
殺した。
憎しみゆえに、殺意をもって計画をたて惨たらしく殺されることを期待して、そうした。彼女は誰一人許さない。自分と母親を苦しめた人間も、それをまるで過去のことかのように平気で親しげに振る舞う人間も、何もかも許さず、そして全てを裁くことこそが彼女にとっての生きる意味なのだ。
だからこそ、彼女は憎しみを口にするときだけは、生き生きと前を見据えているのだろう。
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