思色の打掛 08

08

※一部残酷な描写があります

あらすじ
明治中期~後期にかけて忍の里を舞台にした物語。
帝都から里へ帰ってきた燐太郎《りんたろう》に、忍修行中の少女 鼓《つづみ》が一目惚れするところから始まる。洋装を着こなし、優しげに笑う燐太郎に心惹かれる鼓だが、程なくして姉のサヤと燐太郎が婚約したことを知らされる。ショックを受けながらも大好きな姉を祝福する鼓。けれど、幼い頃から鼓を気にかけて助けてくれていた蒲《ガマ》はサヤに対して懐疑的で……。
様々な思惑が巡りながら、才能とは何か、自分にとっての幸せとは何なのか、探し、悩み、苦しみながら美しい悲劇へと向かっていく。

   【8】  里のお祭り騒ぎも次第に落ち着き、サヤと燐太郎は正式な夫婦となり暮らしぶりは少しづつ変わっていった。ただ、燐太郎は仕事のために自分の家に居ることが多かったが、サヤも体のことを考えて家にいることが多かったので、完全に生活が変わったわけではなかった。そんな中で家へ人の出入りが増えたことは変化だろう。燐太郎の母親や、子育てを経験した母親がサヤのために色々と教えに来てくれていた。  つわりが始まったこともあり、辛い日も多かったがそれらを里の女衆が皆で支えてくれている。燐太郎も出来るだけサヤの家へ通い、仕事の時以外はほとんどサヤの家に来ていた。そうこうする内にサヤは安定期に入り、つわりも落ち着いたため少しづつ外へでることが増え始めた時期だった。 「鼓、燐太郎の出張について行きなさい」  頭領からそう言われて、鼓は眉一つ動かさないまま応じた。けれど、驚いたのは燐太郎である。確かに先日、帝都まで行くのに少し手伝ってくれる人がいればと口にしたが、忍をという意味では無かったし、ましてや里で五指の指にはいるような有力な者を雇うほどの用事では無かった。 「お義父さん、そこまでしていただく必要はありません。というか、荷物を持ったり急ぎのやりとりをするのに人手が欲しいだけで、戦力が必要なわけではありませんし……困ります」 「荷物持ちくらいなら丁度いい。見習いのフリでもして行け。女を使うのが評判に関わるなら変装すればいいだけのことだ。どうせしばらく仕事はできん」  仕事はできない、と聞いて燐太郎は隣にいる鼓が怪我をしているのではと思う。 「鼓、大丈夫なのか?」 「頭領が言っただろう。荷物持ちくらいなら問題ない。アンタが仕事で恨みを買ってないといいけどな」  平坦な声で答える。それはこちらの心配の意図をあえて無視してのものだった。──鼓は、あの日のことを覚えていない。あのあと、蒲とは何度か話すこともあったが鼓は俺が家にいる時は気配すら感じさせなくなった。サヤとは一応話していると聞いているが、それも随分減ったようだ。サヤ自身の体調が悪いことや、鼓の仕事が忙しいせいだと思っていたが、いざ鼓に会ってみると以前川辺で話した時と同じ人物とは思えなかった。  しかし、怪我をしているというのなら確かに里にいても彼女にとっては苦痛なだけだろう。 「分かりました。では、鼓をお借りします」 「あぁ。鼓も、少しのあいだ休暇のつもりでゆっくりしてきたらいい。燐太郎、美味いもんでも食わせてやってくれ」 「はい」  一礼して鼓とともに頭領の部屋を出る。 「鼓、どこを怪我したんですか」  もう一度尋ねる。 「怪我はしていない」  憮然とした態度で、目も合わないまま返事が返ってくる。 「え? 怪我でしばらく仕事を休むんでしょう」 「違う。お前には関係がないし、頭領が過保護なだけだ。出来る仕事が限られるとは言えよりにもよってこんなぬるい上に金にならんものを……。まぁいい。手伝いで覚えることがあれば出立の前日までに言え」 「……分かりました。それじゃあ別件で聞きたいんですが、かまいませんか?」  既に立ち去ろうと背を見せる鼓を呼び止める。 「なんだ」  振り返らないまま、それでも聞いてくれる気はあるらしかった。 「最近、薄荷ハッカを使った薬を作ったりしましたか」 「薄荷?」  聞き返しながら振り返った鼓は、訝しげにこちらを睨んでいる。 「そう、それと鬼灯ホオズキも。こっちはまだ採取したばかりの状態で包んで置いてあっただけですが」 「薄荷に、鬼灯? そんなの普通にあ、る……」  鼓は目を見開いて、即座に踵を返し音もなく廊下を駆け抜けていく。おそらく、彼女は何もしていないのだろう。それでも、彼女にこういう言い方をしなければそいつは更に危険な行動をしないとも言えない。鼓には悪いが、もう一度あの日のことをむし返してでも話をつける必要がありそうだ──。    *** 「蒲! 何を考えてる!」 「なンのことだィ」  鼓の部屋から戸を一枚挟んで聞こえてくる二人の声は、幸いサヤがちょうど燐太郎の母とともに実家へ行っていたため、聞かれる心配は無かった。おそらく蒲には燐太郎の気配など簡単に悟られているだろうが、激昂している鼓は気づいていない。 「何のこと、だと? 分かってるだろ。あの人に聞かれたんだ! 薄荷と鬼灯に覚えはないかと。妙な聞き方だった。そんな普通の薬草、なんで確認するんだって思った」 「その通りだねェ。変なヒトだ」 「普通じゃない置き方でもしたんだろ! わざとらしく違和感を持つように! 両方ともはらの子に悪いものだから!」  蒲の、あの特有の笑い声が漏れる。 「そうさァ! そうだよオレが置いた! だってお前もホントはそうなったらイイと思ってるだろ?」 「違う! アタシはそんなこと望んでない!」 「そうか。それならイイさ。どのみちオレはあのオンナのガキに死んでほしくて仕方ねェからなァ!」 「やめろ……! やめてくれ蒲! そんなこと、しないでくれ……」  怒りから、悲しみへと変化していく声。そしてそれは一つの決意へと変わる。 「蒲……これ以上、姉さんに何かするつもりならアタシは、この腹を割いたって良いんだよ」  鼓の言葉に部屋の空気が震える。蒲の恐怖とも怒りともとれない感情が、壁を隔てたこちらまで伝わってくるようだった。けれど爆発のような感情は一瞬で凪ぎ、そして静かに告げられる。 「やれるもンなら、やるがいいさ」  冷たく、そう言い放った。 「アタシが、出来ないと思ってるんだろ。いつだってお前に頼ってきたアタシには……だけど、これ以上アンタに誰かを傷つけさせるくらいなら──」 「出来ないなんて思っちゃいねェよ。お前は弱くない。オレが誰より知ってる」  ミシ、と床がなり、声がささやくようなものへと変わったので、蒲が鼓に近づいたのだと想像する。 「だが、オレのほうが強い」  ミシリ、ともう一度。 「──何を……!」  キギィッ──金属の擦れる音と共にそれは暴れるような、苦しむような声へ。 「やめろ!」 「オレから逃げられると言うならやってみろ」  キィ、キィと金属のベッドが軋んでいる。 「あぁ……! 蒲……! や、ぁ……あ!」 「どうした。ほら、かわいい腹だ。これを割くなんてとンでもねェ」 「ぁ、う……」 「逃げられねェよ。お前は死ねない! お前の体はオレのもンだ! よォく知ってるだろ? またこの前みたいに鏡の前で犯してやったっていいんだぜ!」 「……やめて、やめてくれ……。蒲……」  懇願、それは聞いたことのない鼓の声だった。  蒲は確かに鼓を愛しているはずなのに、こんなやり方では鼓が心を許すはずがない……。本当なら蒲が一人になったところで話をするつもりだったが、やり取りを聞いてしまった以上無視はできない。 「鼓! 大丈夫か!」  ゴンゴンと強く戸を叩き、彼女が乱れた着物を正すのに十分な時間を置いて再度叩く。 「鼓? 聞こえるか! 返事がないならこのまま開ける」  そこまで言えば蒲もこれ以上手はだせまい。そう思っての言葉だが、すぐにガラリと戸が開いた。 「聞こえてる。何のようだ」  襟元を抑えた鼓は、見上げる視線は真っ直ぐに、けれどわずかに声が震えていた。 「……蒲の声がしました。話がしたいと思って来たんですが」 「蒲なら、もう逃げた。あいつはあんたに会いたくないみたいだね」  確かに部屋の中を見ても蒲の姿は無かった。 「そうですか。それなら仕方ない。日を改めます」 「薬のことは、アタシからもやめるように言うけど、一応気をつけてやってくれ。たぶん、本当に気づかず飲んじまうような仕掛けはしないと思うけど」 「……鬼灯は、確かに分かりやすく置いてありました。でも薄荷は、すり潰して匂いを消すための他の薬草と一緒に煎じて置いてありました。確かにあのくらいの量じゃ危険は少ないかもしれない。ですが妊婦に心労をかけるには充分でしょう。悪いけど、僕は蒲の良心を信じる気にはなれないな」  そう言うと、彼女はうつむいてそうか、とだけ言った。弁明も驚きもなく、ただ小さく返事をしただけ。 「きつい言い方をしてすまない。蒲のことで鼓が責任を感じる必要はないから、鼓は自分の体だけ大事にしなさい」  今度は返事すら返ってこなかったが、ともかく蒲がいなくなったのなら用事は済んだと思い鼓から一歩離れた時、違和感に気づいた。 「つ、鼓!」  思わず鋭い声を出したので、驚いて彼女は燐太郎を見上げる。そしてすぐに彼の目線からなぜ焦ったような顔をしているのか気づいた。  白い足をつたい 床を穢す 赤い──……鼓は思わず着物の裾を押さえ後ずさった。  けれども、燐太郎は無言のまま鼓を持ち上げて横抱きにすると風呂場へ向かった。 「おい! 降ろせって! あんたの服に血がつくだろ! おい!」  鼓は勝手に降りて逃げようと思えばもちろん出来るのだが、動揺からかそれとも未だ消えぬ淡い好意からか腕の中で少し暴れるくらいしか出来なかった。  風呂場についてからやっと降ろされて、その頃にはやはり燐太郎の白いシャツの袖には血が滲んでいた。 「冷たい水では体を冷やしてしまう。今、沸かして来るから鼓はこのまま浴室を使いなさい。替えの着物もすぐに持ってきます」 「良いって別に! 水でもなんでもこんなの……」 「温めたほうが痛みが和らぐはずです。……後で逍遥散しょうようさんも煎じてあげましょう」 「え……」  それは薄荷を使用した薬のひとつである。 「蒲ほど完璧な調合は出来ませんから、不味くても我慢してくださいね」 「なんで……」  呆然と鼓は問うた。あまりにも尋ねたいことが多すぎて何を聞いていいか分からなかったから。 「考えてみれば鬼灯があれほどあからさまだったのに、薄荷はずいぶん巧妙すぎた。最初は鬼灯で気を引かせて薄荷を気づかせないためかと思いましたが、この屋敷にくる女たちは一つ見つかったから他は大丈夫だろうと安心するような阿呆ではありません。あれは本当にただ薬として煎じておいただけなのでしょう。……蒲が、あなたのために」 「蒲のことを、信じてくれるのか……?」  震える声で見上げ、瞳は濡れ、しずかに涙をこぼす。 「サヤへの害意が見せかけだけとは思っていませんよ。ただ、あなたに対する想いだけは絶対にゆるがないだろうと思っています」  そう答えたときの彼女の安堵は、微笑みは、あまりにも明白に蒲への愛情を示していただろう。関わり方さえ間違えなければ充分に可能性があるだろうに……と、思わずにはいられなかった。

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