思色の打掛 09

09

※一部残酷な描写があります

あらすじ
明治中期~後期にかけて忍の里を舞台にした物語。
帝都から里へ帰ってきた燐太郎《りんたろう》に、忍修行中の少女 鼓《つづみ》が一目惚れするところから始まる。洋装を着こなし、優しげに笑う燐太郎に心惹かれる鼓だが、程なくして姉のサヤと燐太郎が婚約したことを知らされる。ショックを受けながらも大好きな姉を祝福する鼓。けれど、幼い頃から鼓を気にかけて助けてくれていた蒲《ガマ》はサヤに対して懐疑的で……。
様々な思惑が巡りながら、才能とは何か、自分にとっての幸せとは何なのか、探し、悩み、苦しみながら美しい悲劇へと向かっていく。

   【9】 「洋装もよく似合っていますね」  黒髪を後ろ一本でまとめ、前髪で少し目元だけ隠した男装姿の鼓を見て燐太郎が言う。派手ではないが仕立ての良いシャツに、ウエストは──おそらく本当はもっと細いのだろうが、男装のために布を巻いているのだろう──ほどよく絞られ、黒いスラックスで足の長さがよく栄えている。  見送りのために来ているサヤも鼓の姿を見て嬉しそうに言う。 「本当、よく似合ってるわ! とっても格好いい! 女の子の格好じゃないのがもったいないわ! もっとかわいいお洋服もきっと似合うのに……! でも、今はしっかり男の子に見えるわ。さすがね、鼓。お仕事頑張ってきてね」  忍としても、妹としても褒められる。それは鼓としては嬉しいことのはずだったが、もうそれらが表情に出ることはなかった。かわりにごく丁寧にそれは返される。 「ありがとう姉さん。姉さんも体に気をつけて」 「えぇ」  少し寂しげな表情とともに二人は送り出され、里をあとにした。 「鼓、僕の手伝いをしてもらう間は、他の名前で呼ぼうと思いますが、かまいませんか」  馬車を乗り継ぎ少しずつ帝都へ近づきながら、やっと汽車へ乗ったところで燐太郎は提案した。 「分かりました。俺もその方がやりやすい」 「では、きよしと呼びましょう」 「清?」  長い前髪の隙間から、化粧で描かれ既によく馴染んでいる眉根がピクリとあがる。それは不快さを伴って。 「よくあなたに似合う名前だと思って、ここに来るまで考えていたんですよ」  けれども燐太郎は視線を車窓に移し、ゴトゴトと線路を走る音の中で穏やかな顔をしている。 「名前なんぞなんでも良いが、考えてそれとはあなたのセンスが疑わしいところですね」 「気に入っていただけなくて残念です」  ちっとも残念ではなさそうな、にこにことした顔で言われてしまい鼓は呆れる。そういえばこの男はいつだってこんな感じだった。表面上は穏やかで物腰やわらかなのに、この綺麗な顔で優しい言葉を吐きながら、内情は決して清らかではないのだ。姉も、里の女たちも皆この男の上辺に騙されている。きっとこいつの両親すら騙されているに違いない。けれど何よりも忌々しいのは、それを分かっていながらなおこの男を嫌うことの出来ない自分自身だ。 「……にしても、清は西洋文化に大してよく馴染んでいるね。服を着るのもあまり迷わなかったようだし。汽車を見ても驚かなかったね」 「当たり前だろう。今や忍を雇うのなんて都会の金持ちばかりだ。今回の付き人みたいな仕事も始めてじゃない。もっとも護衛としてだからあんた──旦那様の相手するみたいにのんびりとはしていませんがね」 「まぁ僕はまだ命を狙われるような仕事には手を出してないからね。お義父さんが言っていたように清もあまり気をはらずに楽しむと良い。それに、具合が悪くなれば言ってくれていいからね」 「仕事はきっちりやらせていただきますので、ご心配なく」  鼓は気づいていなかったが、実際のところ今回の出張を燐太郎はそれなりに楽しみにしていた。もちろん久々に里から出て色々な人々と交流できるのも彼としては嬉しいことだし、仕事が順調だからこそ帝都までくる必要があるのだから、そういった意味でも彼の機嫌を良くするには充分足りるのだが、なにより鼓の部屋を見たときから──いや、もしかしたらそれよりもっと前から、彼女ときちんと話がしてみたいと思っていた。  西洋文化を恐れるどころか、よく馴染んで自分の部屋を整え、外来語を難なく理解し自分でも自然と使ってしまう。それは忍としての技能を超えていた。忍として必要な範囲で使いこなすだけならば生活の中にその色を取り入れる必要はないのだから。 「あ、そうそう。今回は商談は一つだと言いましたが、その後しばらく下見をかねて店を回る予定なんです」 「分かってます」  でなければなぜ一件だけで一週間という中途半端な滞在期間が必要なのか意味が分からないだろうと鼓は思ったが、燐太郎の要点はそこではなかった。 「その時に、鼓──じゃない。清が欲しいと思うものがあれば教えて下さい」 「は? まさか買う気ですか?」 「はい。それくらいの旨味はあって良いでしょう。ただでさえ今回はあなたの報酬は多くないんですから」 「旅費は全て旦那さまから出ております。それに付き人としての役割に見合った報酬はいただけますので充分です」 「おや、では言い方を変えましょうか」  雇い主を眼光鋭く睨みつける付き人に、愉快そうに彼は言った。 「僕はあなたの目利きの腕を見込んでいます。だからあなたが欲しいと思う品を知りたい。その報酬として品物は差し上げます」 「目利き? なんでそんなもの……──まさか、あの一瞬で、俺の部屋の品定めをしたんですか? 流石ですね。旦那様」  心底忌々しそうに言うが、もちろん目の前の男はそんなことで気を病んだりしない。 「不愉快だったらすまなかった。職業病でね。でも本当にいい品ばかりだった。小型の置き時計なんかあれは値も張るだろう」 「期待なさっているところ申し訳ありませんが、いくつかは蒲の趣味ですよ。西洋かぶれはむしろあいつの方だ。俺も嫌いじゃありませんがね」 「へぇ、そうだったのか。彼がそういったことに興味があるとは」 「……大きな鏡があったでしょう。里ではまず見ないような」  燐太郎が敢えてその品に関して──明らかに部屋の中で最も目に付く、かつ高級なものであるにも関わらず──避けたことを知ってか知らずか、鼓は話題をもちかける。 「あぁ。ありましたね」  ──頭の中に、先日の蒲の言葉が思い出される。    『この前みたいに鏡の前で犯してやったっていいんだぜ!』  思えば、初めて彼女の部屋に足を踏み入れたときも鏡の前でうずくまっていた。蒲はおそらく、自分に犯される彼女を見せつけることで逃れられないことを、自分のものであるということを彼女の意識に植え付けようとしているのだろう。物を選ぶ趣味は良いようだが、そういった幼稚な感性は信じがたいものがある。 「あれも蒲からの贈り物です。いつの間に部屋にあんな大きな物をいれたんだか、仕事から帰ってきたらあれですから随分驚いたんですよ。最初のうちは部屋に入るたび自分がいるものだから気味が悪くてね。今はもう慣れてしまいましたけど」 「無断で部屋に突然置かれたんですか?」  サプライズにしてはあんまりなやり方だ。 「えぇ。あいつはいつもそうです。でも、旦那様の言う通りどれも良いものだし、悔しいことに俺の好みをよく知っているから突っ返すこともしたくなくて。結局毎回貰っている」 「彼は……本当に不器用なんですね。仕事以外では」  もっとマシな好意の伝え方というものがあるだろうに。なぜそう、いつも強引なやり方しか出来ないんだ……。 「そうでもしなければ受け取らないと思っているんでしょう。あいつの目利きに興味があるなら、あいつの部屋に行ってみればいいと思いますよ。俺の部屋より整理はされてないですが」  その言葉を聞いて、燐太郎は愕然とした。なぜなら今まで蒲の部屋など、見たことも聞いたことも無かったから。家のことも親のことも、誰も知らない。そもそも忍は任務で全国各地を飛び回っているため里の家は意味をなさないことも多い上に、正式に忍になった者のことをあれこれと詮索するのはむしろこちらが何か情報を売ろうとしているのではと疑われかねないために、里では暗黙の内に禁じられていた。 「蒲の家に行ったことがあるんですか?」  思わず馬鹿みたいな質問をしてしまう。 「は? ありますよ。あぁ、里の方にではなく、こちらの家──というか部屋ですが。あいつは仕事で帝都に来ることも多いので、部屋を借りているんです。狭いですが日当たりが良くていいところですよ」 「それは、ぜひ見てみたいものですが、おそらく鼓以外は入ることを許さないでしょうね……」 「そうかもしれない。残念でしたね」  言って、鼓は少し笑った。  ──そうして、道中は僕が想像していたよりも穏やかに過ぎていった。  帝都についてからも、やはり鼓は特に驚いたり物珍しがったりすることもなく、荷物を守る。 「時計台の下でということだったんですが、まだ来てないようですね」  帝都にいる間の宿は、燐太郎の学生時代の友人が面倒を見てくれるようで、商談に関しても協力してくれるらしい。 「ブロンドの髪だからいたら目立つと思うんだが……」  あたりを見回しながら待っていると、程なくして金色の髪を風に煽られながら手をぶんぶんと勢いよく振りながら走ってくる人物が見える。 「Hi! 久しぶりだなphos phor!」  そう言いながら燐太郎に飛びつくような抱擁をして、すぐに鼓の方へ視線を向けた。 「君が例の見習い少年か! 俺はRobert! よろしく!」 「ロバート様、お世話になります。どうぞ清とお呼び下さい」  出しゃばりすぎず、かといって卑屈に見えないように。侮られてはいけない。背筋を伸ばし表情は柔らかく、動作はひとつひとつきちんと止まって。そういった鼓の細部にわたる少年像がどうやらロバートはお気に召したらしい。考え込むような姿勢をとってから、明朗な声で言い放つ。 「フーム……燐太郎も燐太郎だが、君もなかなか……beautiful!!」 「恐縮です」  礼を言い、浅く口角を上げる姿がまた絵になった。 「リンタロー一体こんなかわいい子どこで捕まえてきたんだい?」  肩を組みぐいぐいと顔を近づけて絡むと、いささか面倒くさそうな顔で燐太郎が答える。 「手紙に書いたろう。妻の弟だと。それから近い、相変わらず、暑苦しいからやめろ」 「フフン、それに賢そうだ。いいねぇ好きだよこういう子は」 「清にあまり妙な絡み方をするなよ」 「やだなぁ俺はただ仲良くしたいと思ってるだけだよ」  綺麗なウィンクをして、対照的に燐太郎は怪訝そうな顔を隠すことなく向ける。それだけで彼らが友人として互いに気を許しているのがよく分かった。里でこんな表情をする燐太郎を見たことは無かった。それとも、自分が知らないだけだろうか。 「いやぁにしても、もっとcountry boyだったら先に仕立て屋に寄ろうかと思っていたんだが、その必要は無さそうだ! 早速俺の家に行こう! 荷物を置いたら夕食だ。ぜひ紹介したいレストランがあってね」  明朗快活に喋る男の発言は、おそらく善意の塊なのだろうが燐太郎と鼓を少しひやりとさせた。仕立て屋なんかに連れて行かれたら面倒なことこの上ないのだから。もちろん鼓はあらゆる事態に備えてあったが、それでも厄介なことに変わりはない。  この美的意識の高く親切で鼻の利く男の前で、これから一週間気を抜く暇は無さそうだ──と、三人で馬車に揺られながら鼓は思ったのだった。

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