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※一部残酷な描写があります
あらすじ
明治中期~後期にかけて忍の里を舞台にした物語。
帝都から里へ帰ってきた燐太郎《りんたろう》に、忍修行中の少女 鼓《つづみ》が一目惚れするところから始まる。洋装を着こなし、優しげに笑う燐太郎に心惹かれる鼓だが、程なくして姉のサヤと燐太郎が婚約したことを知らされる。ショックを受けながらも大好きな姉を祝福する鼓。けれど、幼い頃から鼓を気にかけて助けてくれていた蒲《ガマ》はサヤに対して懐疑的で……。
様々な思惑が巡りながら、才能とは何か、自分にとっての幸せとは何なのか、探し、悩み、苦しみながら美しい悲劇へと向かっていく。
【11】
「おはようございます、義兄さん、ロバート、今日はお早いんですね」
螺旋階段を下りながら鼓は階下の二人に話しかける。ソファの上で頭を抱えている燐太郎と、食卓で呻くロバートに、だ。
「昨夜は随分と遅くまで呑まれていたようで」
ピッチャーから水を注ぎ、二人のところへ持っていきながら、鼓は敢えて刺々しく言う。
「お二人共、商談がうまくいって浮かれるのは結構ですが、お酒はほどほどになさって下さい」
差し出された水を受け取りながら燐太郎は眉間にシワをよせたままうめいた。
「……サヤみたいなことを言う」
ピクリ、と鼓の瞳が収縮するのに、燐太郎は気づかない。
「誰でも言うようなことですよ。それとも、もっといつもみたいな言葉をかけてさしあげましょうか?」
「それは興味深いな……」
そう言ったのはロバートである。椅子に座り先ほど鼓から貰った水をもう飲み干している。
「すまないキヨシ、おかわりをもらえるか?」
「はい。すぐに」
トトト、と歩いて行って水を注ぐ。
「ありがとう。……それで、いつもみたいだと一体どんな言い方になるんだ?」
早くも調子が戻ってきたのか、それとも好奇心が人一倍強いせいか、ニヤリと笑ってきいてくる。
「旦那様がお許し下さるなら、聞かせてさしあげます」
「だってよ! リンタロー!」
ソファの方へ向かって声を投げるが、燐太郎は頭を抱えたまま。
「うるさい……」
と短く唸っただけだった。
鼓はため息をつき、ピッチャーを置くと薬を取ってきますと行って二階へ消える。
「リンタロー、普段のキヨシはもっと厳しいのかい?」
相変わらずのニヤニヤで、それでも頭は痛いようで少し眉間を押さえながら尋ねる。
「……いや、どうだろうな」
「はぐらかすなよ~」
「そうじゃない。実をいうと、俺とキヨシは今までそんなに話したことがなかったんだ」
「え? 家族なのにか?」
「家族だからって別に四六時中一緒にいるわけじゃないだろ。それに、たぶんキヨシは俺とサヤに気を使って、色々と我慢してくれている」
「フーン。まぁでも確かに! キヨシはリンタローのこと大好きみたいだもんな!」
「……は?」
思わず抱えていた頭をあげてロバートの方を見る。
「あれ、気づいてないのか~? キヨシっていっつもリンタローのこと見てるぜ? ありゃあ愛だな、やっぱり。『amour』だよ!」
「急に仏語になるな。むかつく顔だな」
ロバートなりの『amour』の表現がムカついたらしく冷たく言われて、ショック! という顔をしてみせるが、無視される。もうさっきと同じうつむき顔だ。
「義兄さん」
次に顔を上げたのは鼓に呼ばれた時。気配もなく立っていたので少し驚きながら、差し出された薬を飲む。ロバートも急に現れたことに驚いたらしく。
「まるでニンジャみたいだ!」
と言っていた。むろん、鼓に軽く笑われて「実はそうなんです、内緒ですよ」と言われ、その話はおしまいになったのだが……。
***
「無理して今日の予定を敢行しなくても良かったんじゃないですか」
ガタゴトと馬車に揺られながら、向かい合って座る燐太郎と鼓。店を回るだけなのと、ロバートはもう少し寝たいとのことだったので今日は二人だけだ。
「いや、折角こっちに来ているなら出来るだけ色々と見ておきたい。暫くは来れないだろうからな」
姉さんの子供が生まれれば、また家の中は慌ただしくなる。父親はさして子育てに関わらないとはいえ、そう頻繁に、それも一度に長いこと家を空けたくないと思うのは自然なことだろう。
「……そうですね」
知らず仄暗い気持ちになり、車窓へ目を移す。
「そういえば、朝言ってたいつもみたいにってやつ、何を言うつもりだったんだ?」
「今ですか?」
「ん? だってロバートの前で聞くわけにいかないだろう」
「……別に改まって言うほどのことではないです。ただ鼓だったらもう少し言い方が違うというだけで」
「あぁ。だからその鼓の本心が聞いてみたいんだ。思えばこの旅の間、清とはよく話しているが、鼓とはあまり話せてないからな」
「わざわざ聞いてどうするんですか。反省でもしますか?」
わずかに表情をもどして、それは目線を鋭くしながら言う。
「場合によっては」
まっすぐ視線を返されて、いつもの薄っぺらい微笑みもなく言われてしまうと、鼓はもうこの言い合いに勝てるはずはなかった。
「……では、言って差し上げます」
一つ息を吸い込んで、鼓は押し殺していた苛立たしさを包み隠さず言葉にする。
「あんた、本当は昨日の商談がまとまって、大して喜んでないだろう。あの男につられて酒だけ呑んで、無意味なことだ」
燐太郎は、目を見開いて鼓のことを見た。
「気づいてないだろう。あんた本当に嬉しい時は酒も食事もあまりとらないのさ。あんたは自分が思うより饒舌だ。嬉しいことはよく喋る。それで食べたり飲んだりする回数が減る。昨日、ロバートは嬉しそうに商談でどの話で相手が笑ってたとか、なにがきっかけで話題が広がったとか、話していたけどお前は聞いてばかりだったな」
心臓が、バクバクと耳元でなっている気がする。鼓が次に言う言葉が恐ろしくて、真実を暴かれてしまうのが恐ろしくて。けれど、恐ろしいはずなのに、目を離すことが出来ない。もういい、と言えばきっと言わないでくれるのに。それが出来ない。
「あんたは三年前からまるで変わっていない。今でも無いんだ! あんたが自分で『情熱』と呼ぶべきものが!」
──詳らかにされた真実は、全て正しかった。そして、出来ることなら気づきたくない事だった。
鼓の言った通り、商談が成功して喜ぶロバートを横目に見ながら思ったことは、こんなものか、ということだった。達成感や、やりがいを期待していたのだ。それを感じるには充分な相手と取引が出来るのに、嬉しいはずなのに……──空虚だった。
落ち着いていると言うにはあまりにも何も感じていなかった。そもそも、商談の用意をしている時からどこか冷めた自分がいた。冷静さも必要だろうと気にしないことにしていたが、ずっと、何も感じていないだけだった。取り繕われた必死さだけがあった。手を貸してくれる友人に対して責任を果たそうと思っているくらいで、自分が何かを成したいわけではなかった。
そうである自分が、一番、苦しかった。
「……鼓は、変われたのか?」
うつむいて、燐太郎は聞いた。
「分からない。でも、気づいたことはあった」
「気づいたこと……?」
さまよう視線が、車窓を眺める鼓の横顔を追う。ふいにそれはこちらを見て、また、目線が合った。
「あんたも今日気づいただろう。これで、忍も、勉強も、商売も、三つともあんたが求めてるものは得られなかったって。そしたらまた新しいことを探すしか無い。理由もなく好きになれる何かが欲しいんだろ? そんなの諦めて程々に姉さんと幸せに生きればいいのに、自分勝手な男だよな。お前は」
「鼓はそうじゃないのか……?」
「アタシは、……諦めるために、選んだ」
噛みしめるように、絞り出すように言う。
「気が狂うほど好きで追いかけたいものを見つけてしまったから。それを諦めるために。だからお前とは違う」
「なぜ……。なぜ見つけたものを諦めるんだ? 進めば良いだろう」
燐太郎は、鼓が何を言っているのか心底分からなかった。自分と違って、進むべき道を見つけたということだろう。なのになぜ、それを諦める必要がある。
「進んでも、手に入らない」
「そんなことはやってみなければ分からない」
「手に入ってもきっと嬉しくない」
「なぜ!」
「なぜ? ──……じゃあ、お前は手に入れたもの以外の全てを失うとしても、変わらずそれを欲しいと言えるか?」
「あぁ。言うよ」
迷わず、彼は答えた。
「……だから、アタシとお前は違うんだ。ほんとに身勝手なやつ! お前なんかあのクソジジイと変わらない! 最低だ馬鹿野郎!!」
捲し立てるように叫ばれて、けれどもその言葉もまた正しいと思った。俺はきっとあの残酷な頭領と変わらない。あの人は才能を愛した。それを手に入れるためなら実の娘も、鼓の気持ちも蒲の気持ちも踏みにじった。
あの人のしてきたことを知っていながら、それでもなお、それだけ気を狂わせられるものを見つけられたことが羨ましいとすら思う。
欲しい。欲しい、何を犠牲にすることになっても、いや、むしろそんなものこそ欲しい。
俺は、なにかに人生を賭けてみたいと思っていた。
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