13
※一部残酷な描写があります
あらすじ
明治中期~後期にかけて忍の里を舞台にした物語。
帝都から里へ帰ってきた燐太郎《りんたろう》に、忍修行中の少女 鼓《つづみ》が一目惚れするところから始まる。洋装を着こなし、優しげに笑う燐太郎に心惹かれる鼓だが、程なくして姉のサヤと燐太郎が婚約したことを知らされる。ショックを受けながらも大好きな姉を祝福する鼓。けれど、幼い頃から鼓を気にかけて助けてくれていた蒲《ガマ》はサヤに対して懐疑的で……。
様々な思惑が巡りながら、才能とは何か、自分にとっての幸せとは何なのか、探し、悩み、苦しみながら美しい悲劇へと向かっていく。
【13】
少しずつサヤの腹は大きくなっていく。そしてそれに重ねるように、鼓はサヤの前に姿を見せなくなっていった。同時に、蒲も声すら聞くことはなくなっていた。
サヤの近くに堕胎薬になりえる植物を置いた人物に関して、サヤは蒲を疑っていたがはっきりとした証拠はなく、また本当に飲ませるつもりがあったのかも分からないため責任を追求されることはなかった。けれども、蒲が姿をあらわさないことにサヤは安堵していた。
「お義父さん」
夜半に仕事から帰ってきた家の主人を呼び止める声がある。
「燐太郎か。どうした」
「少し、お話したいと思いまして、どうです、一杯」
手にある一升瓶が中々に良い品であることはすぐに分かった。
「ふむ……そうだな。付き合おう」
むろん義父の酒の好みは調べ済みだ。加えて仕事に影響を出さないように普段は呑むのを控えているため、誘われると「それなら仕方がない」とばかりに断らないことも。
「では、縁側で月でも見ながら」
「あぁ」
普段は機嫌の良し悪しなど感じ取らせない男が、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気ではないか。ここまで効果があるとは。
縁側に並び、月を眺める父親と義理の息子。
「こうやって二人で話したことは無かったな」
酒を注がれながら言う。
「そうですね。見知らぬ間柄でもありませんし、義父さんも忙しい人ですから」
「私の仕事はせいぜい他の者の仕事を確認するぐらいだ。暇になったものだ。それより忙しいのはお前だろう。ずいぶん繁盛しているようだな」
「えぇ。おかげさまで」
「今じゃ忍はみんなお前の売っている懐中時計を持っている。小さいのに正確だとな。唯一色が剥げやすいのが難点だそうだが」
「そうなんです。商品によって少し個体差があるんですよね。仕入先を変えたいのですが店を探すのに苦労していて、今後の課題です」
「酒の方は、販路はどうなんだ」
「もちろん抜かり無く。運搬方法は秘匿してありますし、販売元も分かりません」
「ふふふ、面白いことを考えるものだ。なりそこないの忍を足に使うとは」
「この里は優秀な人材がたくさんいますから。彼らも楽しそうですよ」
「……順調そうに見えるがな。私に相談することなどあるようには見えん」
「お見通しですか」
先程から相変わらずの浅い笑顔が張り付いたままの燐太郎の猪口の中身がほとんど減っていないことを義父は気づいているのか。
「わざわざ酒まで用意して、それ以外にないだろう」
「では、単刀直入に伺います。義父さんは、いつ、自分が命を賭けられるものに出会いましたか?」
義父は口をつけようとした猪口を離し燐太郎を見た。
「仕事かサヤのことかと思えば、随分と……青臭いことを聞くものだな」
「これでも、結構真面目に考えているんですよ。商売は、上手くいってます。でも俺は正直これ以上稼ぎたいとも思っていない」
「欲がないことだ。いいんじゃないか、その方が。大抵、仕損じる者というのは欲をかいた者だ」
「そうです。俺には欲がない。昔からです。だからあなたのことが羨ましい」
「私は欲深に見えるのか?」
くっくっと笑う。違いない、とでも言うように。
「あなたは、鼓や蒲の才能を手に入れるためなら命を賭けられるでしょう」
「……そうだな」
「いつからです。昔から才能のある人間に惹かれていたんですか? それとも、教育する立場になってから、そういう欲を持つようになったんでしょうか」
「なるほどな。聞きたいのはそういうことか。良いだろう酒の礼に教えてやろう」
ぐっと呑み干して、また並々注ぐと義父は語りだす。
──最初に、兆しを感じたのは私がまた基礎の忍修行を受けていた頃だった。その頃から、才能のあるものはすぐに分かった。それがある者は最初から目線の動き一つとってもまったく違う。教わる前から気配の消し方も、足の運び方も知っているのだ。
私は上手いやつを真似るのが精一杯だったが、持っている者は違う。なにか、他の人間とは異なる、まるで山犬のごとき警戒心と野生の勘が奴らには備わっている。
ちょうど私の三つ下の忍見習いにもそういった男がいた。私は間違いなくその男が里一番の忍になると信じていた。
だが、そいつはある出来事があって突然忍をやめたのだ。あっさりと。
子供が生まれたからだった。私は必死になって説得した。まだ若く、これからもっと活躍するに違いないと思ったからだ。だが、奴は絶対に応じなかった。母親が病弱だったのもあっただろう。そして奴の恐れていた通り程なくして母親は死んだ。その時の奴の憔悴具合といったら見るに耐えないものだった。
だが、私はこれを良い機会だと思った。父親ひとりで生まれたばかりの赤子を育てられるわけがない。子供は他に預けて、その子の将来のために稼ぐと良いと言った。何が何でも忍として復帰させたいと思っていた。
しかし、奴の考えは変わることはなかった。
「死んだあれの忘れ形見だ。俺が育てる。俺が誰よりも強い子にしてやる」
そう言って、あいつは赤子を誰にも触らせようとしなかった。
だから、私も四歳からの基礎修行でその子供を見るまで気づかなかった。その子供は、既に才能の片鱗を見せ始めていた。そして、それは父親の虐待同然の教育によって磨かれたものだった。
体中に痣があり、人の気配への異常なまでの過敏さからすぐに分かった。だが、俺はそれを止めなかった。あの男なら、この子供を殺しはしないと思ったからだ。目も鼻も効く優秀な男だった。見極めはできるだろう。それならこの子供は、あの男を超えるかもしれないと思った。
月日が経つにつれ、その子供の才能はますます明らかなものになっていた。そして、それが八歳の誕生日を迎えて少し過ぎた頃……本格的な修行が始まる一年前に、私はあの男に子供の修行を他の子供達と別にするべきだと話そうと家に行った。叶うなら、私がこの手で育てたいと思ってな。
だが、すぐに私は思い直すことになる。
家へ近づくと怒号が聞こえてきた。あの男が子供の名を呼びながら叱責していた。頃合いが悪かったかと思いながら、私が窓から家の中の様子をうかがったその瞬間だった。
先程まで体を丸めて暴力に耐えていた子供は突然、姿を消したのだ。この私がそうとしか思えないほど、一瞬で、それは男の背後にまわっていた。
──八歳の子供が、私が里一だと思っていた実力のある男の首を、一瞬で落とした。
「つ、づ──……」
血しぶきとともに、男はおそらく子供の名前を呼びながら、死んだ。
それが、間違いなく私の目覚めだった──
「私は、あの瞬間から才能というもののためなら、どんな手を使ってでもそれを開花させたいと思うようになった」
「それは、待って下さい……その親殺しは、まさか……!」
「私は全ての事実を隠蔽した。本人も、覚えていない。だから知っているのは私とお前だけだ」
「……サヤも、何も知らないのですか」
「知るわけがないだろう、アレが。凡庸で、用意された幸福という形にはまることしか考えていないつまらん娘だ」
「では、蒲は、あいつは知らないんですか」
「……さぁ。気になるなら本人に聞いてみたら良い。答えるかは知らんが、あれは私のように酒では釣れないだろうからな」
そう言いながら、一升瓶に残った酒を呑み干すと上機嫌のまま義父は自室へと戻っていった。
ちょうど、蒲にも話を聞いてみたいと考えていた。蒲もまた異常なまでに鼓に執着し、鼓のためならサヤも、俺も、頭領すら殺すだろう。鼓が家族の死を悲しむから、生かしているだけで、なにかの拍子にその天秤が傾けばあっさりと俺たちの首も落ちるに違いない。
コメント