思色の打掛 14

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※一部残酷な描写があります

あらすじ
明治中期~後期にかけて忍の里を舞台にした物語。
帝都から里へ帰ってきた燐太郎《りんたろう》に、忍修行中の少女 鼓《つづみ》が一目惚れするところから始まる。洋装を着こなし、優しげに笑う燐太郎に心惹かれる鼓だが、程なくして姉のサヤと燐太郎が婚約したことを知らされる。ショックを受けながらも大好きな姉を祝福する鼓。けれど、幼い頃から鼓を気にかけて助けてくれていた蒲《ガマ》はサヤに対して懐疑的で……。
様々な思惑が巡りながら、才能とは何か、自分にとっての幸せとは何なのか、探し、悩み、苦しみながら美しい悲劇へと向かっていく。

   【14】  蒲も鼓も、もう三ヶ月近く声を聞いていなかった。  長期の任務でいないのか、それとも家に帰ってきても会わないようにしているのか、それすら分からなかった。  義父の言っていた通り、蒲の気を引くのは難しい。せいぜい鼓に話しかけるくらいしかないが、その鼓にも会えていないのだから為すすべもない。  どう手を打ったものか、サヤが子供を産めばまた帰ってくるようになるのだろうか、と考えながら自室で書類整理をしていた時それは聞こえた。  チャリ、と軽い金属の触れ合う音。  反射的に音のした方を振り返る、が、何も姿はない。だがあからさまな気配だけがある。 「……蒲?」  里の忍ならこんなに分かりやすい存在感はない。そして、里の中に他所の低俗な忍が入れるはずはない。だとしたら、それは敢えて存在を主張していて俺に用事がある里の人間だ。 「よく、分かったねェ」  ケケケッという笑いとともに、窓の外からチャリ、と先ほどと同じ金属の音がして、黒塗りの懐中時計が覗く。 「良いモンを貰った。だから一つだけお前に忠告をしてやろう」 「忠告……?」 「あァ。ハッキリ言うぜ。早いとこ商人なんて辞めちまえ」 「どういうことだ。何か販売ルートに問題が?」  蒲や鼓のように様々な情報を持っている人物なら俺より早く重要な情報を掴んている可能性は充分にある。 「今は、ない。今はな」 「今は……?」 「これは、オレの個人的な助言さ。お前は商人に向いてねェ。一番必要なもんが足りてねェからなァ。致命的だぜ。必ずいつかデケェ取引で取り返しのつかないことンなる。その前に辞めることをオススメするぜ」  そう言うと、窓の外にブラブラと見えていた懐中時計が引き上げられたので、帰るのを引き留めようと咄嗟に言った。 「手鏡を……!」  ギシ、と窓枠に重みがかかる音がする。 「……手鏡を最近、入手したんだが、欲しくないか? 小さいサイズで写りの良い硝子鏡はなかなか手に入らないだろう?」 「オレが鏡を見てめかしこむようにでも見えるカ?」  そう言いながらも、立ち去らないところをみると興味を示したようだった。 「お前が化粧をする時に使ったっていいし、いらないと言うなら鼓にあげたって良い。あの部屋のデカい鏡を贈ったのもお前なんだろう」 「……まァいい。何が聞きたい」 「俺には、何が足りない?」  商人としての才能は充分にあると自分では感じていた。現に家に戻って数年でかなりの売上を出し、出張に行ったあとの数ヶ月の伸びは凄まじいものだった。一生これを続けるつもりはないものの、あの義父さえ認めたというのに。 「ハッ! 気づいてないのか!」  鼻で笑うそれは、心から俺を馬鹿にしていた。けれど不思議と腹立たしさはない。そんなことより蒲の意見を聞いてみたかった。だから黙って待つと、それはすぐに答える。 「お前には商人として必要なが備わってないンだよ。確かにお前は賢いサ。売り方も、売れるものもよォく分かってる。だがそれは人よりチョット物知りなだけ。商人としての才能があるからじゃァない」 「……勘、か」 「そうさ。それだけは望んで手に入れられるモンじゃない。そんでお前は絶対に無理だ! 哀れなお前に良いことを教えてやろう」  窓の外から、ハツラツとした声でそれは言い放った。 「の正体はなのさ! お前が永遠に探し求めているそのものだよ!」  その言葉に、俺は全てが腑に落ちたような気がした。 「さァ、はやく鏡をよこせ!」 「分かった分かった、すぐに出すから待っていろ」  異国の品が積み上がった部屋の中でどこにしまったかといくつか箱を開けて中身を確認しながら探していると。ガチャガチャと音がして風が入ってくる。蒲が窓を開けたのだ。 「あぁ、あった」  手だけが伸びて、よこせと動かす。 「はい」  渡されたものを蒲は確認して言った。 「……お前、鏡は?」  そこそこの重みのある酒瓶を窓からぶら下げながら、苛立たしげな声で問う。 「その酒、鼓が気に入っていたんだがあの時は仕事中だったのもあってあまり飲めなかったみたいなんだ。一緒に持っていったら喜ぶんじゃないかと思ってな」  ちゃぷちゃぷと揺れていた酒瓶は、するりと上に持ち上げられた。 「……それで、他に何が聞きたいんだよ……?」 「鼓の父親についてだ」 「……なんだと?」  先程までわずかにあった友好的な声色は消え去り、そこには強い警戒が滲む。 「お前は、鼓の父の死について、知っているのか?」 「……事故で死んだんだろ」 「それを信じているのか?」 「そんなこと聞くために呼び止めたのか? くだらねェ。どう死んでたってオレには関係ないね。どうしても知りたいってんなら鼓に聞いたらいいさ」 「いや、真相を知りたいわけじゃない。ただお前がそれを知っていて側にいるのか聞きたかっただけだ。それに鼓は何も覚えてないんだろ?」  反応からして、蒲が知っていることは間違いなさそうだ。そうなってくると、蒲の鼓への執着の理由がよけい気になるが、今はこれ以上聞き出すことは難しいだろう。  そう考えて、やっと本当の鏡が入っている箱をもち蒲に渡そうとした。その時。  キィイと音をたててそれは家守やもりのように窓枠を這い、部屋の中へと降り立った。  一言も発さないまま射殺すような視線を向ける蒲に本能が恐れを感じた。このまま殺されるのではないかと思った。俺が真相を知っていることが万一にでも鼓に漏らさないように、全てを葬り去るために。  弁明をしなくてはと思った。誰にも言う気はないのだと、けれど、部屋の空気そのものが俺の首を締め上げるように重苦しく、ほんの僅かにでも動けば次の瞬間にはこの首が落ちている姿がありありと想像できて、声を発することすら出来なかった。 「そう怯えるなよ」  静かな声で、笑顔をたたえ、それは言う。 「何も殺そうっていうんじゃねェさ。ただちょっと、オレもお話がしたくなったんだ」  言って、一歩寄る。草鞋わらじをはいた足は軽やかに音一つたてず。 「お前、あの男の死について、誰から聞いたァ?」 「……っ、頭領、から」  筆舌に尽くしがたい威圧感、知らず額を汗がつたい、部屋の温度が上がっているのかと錯覚するほどの気配。 「フゥン、何を聞いたら教えてくれたンだィ?」 「あの人の、才能に対する執着は、いつから持っていたんだ、と」 「そしたら?」 「鼓が、八歳で父親を殺した瞬間を、見たんだと。その時に、強く、才能を開かせたいと思ったと……」 「……あァ、そうだったのか。……良いことを教えてくれてありがとう。オレもすっきりしたよ」  そう言うと、空間を支配していた禍々しさは消え、やっと冷たい空気が肺を満たす。緊張がとけ、思わず膝をついた俺を見下ろしながら蒲は愉悦とともに、優しさの膜を張った声で言う。 「怖がらせて悪かったなァ。場合によっちゃァ鼓に気づかれないようにお前を処理しなきゃなんねェと思ったら、オレも思わず焦っちまってよ」  焦ると人が動けなくなるくらい殺気がダダ漏れになるのかと思うとつくづくこいつは忍むきなのかもしれないと思いながら、安堵のあまり俺はつい、こぼした。 「どうして、お前はそんなに鼓にだけ執着するんだ……」  蒲がここまで顔色を変えることなど、きっと他にないだろう。想像がつかない。 「どうして?」  笑っていた。なぜそんな当然のことを聞くのか分からないというように。 「そうか、それはあのクソジジイから聞いてないんだなァ。なに、簡単なことさ! 鼓とオレは魂を分け合っている。鼓がいなければオレは存在しない。そして鼓も、オレがいなければ存在できない!」  血走った目が真実を語っているのか、俺には分からなかった。ただ、否定してはいけないことだけが確かだった。 「鏡は貰っていく。酒もな。きっと鼓が喜ぶ」  嬉しそうに俺の手から箱を取り、酒瓶を抱えながらやつは消えた。  残すところは鼓がどうやって道を見つけたのかということだが、鼓はそれを諦めていると言った。下手な聞き方をして彼女の傷を深めるようなことをすれば今度こそ命は無いだろう。  その上、義父や蒲と違って鼓が何に対して身を滅ぼすほどの執着を持っているのか俺は知らない。かつては俺のことを好いてくれて、会話にも応じてくれることが多かったが今となってはそれも無く、他に話す方法としては仕事を依頼するくらいだろうか。  それも、この間のように彼女に不調が無い限りはやすやすと雇えるような忍ではない。彼女を必要とする者で、権力と富を俺よりはるかに有する者たちなどいくらでもいるのだから。

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