『黄色の信仰』

作品

掲載日 2024/11/27

読了目安 5分

【あらすじ】
父親の目の前で自殺を図ろうとする少年。生きるということは他人に迷惑をかけることだと考える少年と、性善説を元にした考えをもつ父親とのすれ違いにより悲劇をたどる。

『黄色の信仰』  彼は叫んだ。 「俺が死んだらもうアンタに迷惑のひとつもかけやしない! だからそれでいいだろう!」  街が一望できる大きな窓ガラスの前で、それはビルの一室。彼は広い背景に背を向けて、自らの頭部に拳銃を当てる。その手は震えていない。けれども、彼の唇は僅かに震えていただろう。 「まて! なんで、なんでお前はそんなに私を困らせるんだ……! やめろ! すぐにその銃を置きなさい!」  男は困惑していた。しわの無いスーツに身を包んでいたが、冷や汗でシャツは体に張り付き、喉はカラカラに乾いている。 「お前は大人しく、私の言う事を聞きなさい! そんなことをしても何にもならない」  その言葉は、愛情だったろうか。けれども、彼はそうは受け取らなかった。 「無理だよ。俺はアンタみたいにヘラヘラ作り笑いを浮かべて、敵にも味方にも優しくなんて、そんな生き方出来ないから……だから、俺が生きてると、父さんは迷惑だろ? こうするくらいしか、俺には人に迷惑をかけないで生きることなんて出来ないんだ。死体なんて、アンタならどうとでも出来るだろ? 適当に沈めといてくれればいいからさ」 「っ、死なれても私にはいい迷惑だ! どうして、そんな事しか出来ないんだ!」  生きてくれと、言いたかったのかもしれない。けれども彼はそうは受け取らなかった。 「じゃあ、アンタも一緒に死んだら良いじゃないか」  そうすれば少なくとも、アンタには迷惑がかからないだろう? 後始末は部下にでも任せればいい。二人分の死体の片づけはなんとも面倒臭いだろうけど。 「仕方ないさ。生きてる限り、人間って言うのは迷惑をかける生き物だからな」  笑っていた。哀しそうに、苦しそうに、狂ったように。 「そんなことはない! 私の言う事を聞いていれば、誰にも何も迷惑なんかかけない。だから早くその銃を置いて、戻って来なさい!」  男は本当にそう思っている。そう信じている。彼にとってそれは、おかしな冗談だった。 「ハハハハッ、じゃあアンタは誰にも迷惑をかけずに生きてるっていうのか!?」  あまりにもおかしな事を言うので、腹の底から笑ってやった。そうしたら、あいつは真面目な顔で言い返したんだ。 「当たり前だろう!」  こんな面白いことがあるだろうか? 彼はあまりにも面白いので、思わずこめかみに当てていた銃を離し、ぶらりと重そうに持つだけにした。その時のあいつの安堵した顔と言ったら、これまた絶望的に面白かったのだが、それにはひとまず触れずに、尋ねた。 「正気か?」  人はこの感情を、失望とか、諦めとか、言うのかもしれない。 「俺なんて、生まれた時には母親を殺したって言うのに、俺のせいで死んだ母親に、どうして迷惑が掛からなかったなんて言えるんだ? 生まれてきただけで大迷惑さ。そうだろう?」 「母さんは、迷惑だなんて思っていなかった!」  それはきっと真実だったろう。けれども、彼はもう信じられない。 「じゃあ、アンタは迷惑に思っただろ!? 俺のせいで大事な人を失ったんだからな!」 「そんなことは───!」 「知ってるか! 世の中には道端でちょっとぶつかったくらいで、邪魔だ、迷惑だって睨みつける人間がいるんだぜ? 俺だって道をふさいでるクソジジイを蹴り飛ばしたくなったことがあるからよく知ってるよ! そうなったらもう、仮に完璧な聖人君子だって、恨まれずには生きられないのさ!」 「それは……!」 「かの有名なインド独立の父、非暴力主義のガンジーだって死因は暗殺だ! あんなに精一杯生きたって、殺されたんだぜ? 俺みたいになんにも成さずに生きてても、神様みたいに素晴らしい生き方をしても、結局は迷惑かけて恨まれて憎まれて、もう耐えられないんだよ!」  『だから一緒に死んでくれ』  それはまさしく血を吐くような叫びだったろう。けれども男には伝わってくれなかった。 「人間は、生きてるだけで、罪を重ねてるんだよ」  それは真実だったろう。けれども、なにを迷惑と呼ぶかは、自由なのかもしれない。父親は、彼に返す言葉を持たなかった。 「さよなら、これが最期の迷惑だから、好きなだけ恨んでくれて構わないよ」  止める間もなく、持っていた拳銃を頭に当てて一瞬。  疲れたように微笑んで、彼は引き金を引いた。  さて、父親は彼の後を追ったのだろうか。彼は地獄に落ちたのだろうか。神はいるのだろうか。許されるのだろうか。生きることを嘆いた息子の一生には、一体どんな意味があったんだろうか。  どうすれば僕は死なずに済んだのだろうか。なんで誰もその方法を教えてくれなかったんだろう? これでよかったのかなんて、もう一生分からなくなってしまった。                        【『黄色の信仰』終】

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