03話 決め手
※小児加害など一部残酷な描写があります
あらすじ
近代ヨーロッパを舞台にした復讐劇。
ある事件により、車椅子での生活をおくることになった少女イネスは、その事件に関わった人間を探し出して自らの手で復讐することを願っている。唯一の味方である元奴隷のルイに協力してもらうが、なかなか犯人は見つからないまま、親の勧める実業家イーザック・フォーゲルの元へ嫁ぐことを決める
最初は互いに利害関係のみで成り立つ冷え切った夫婦関係だったが、ある出来事をきっかけに仲が深まり、やがて復讐へ協力してくれることになるが……。
【決め手】
お屋敷に行く仕事がない日は、街で調べ物をしたり、必要な日用品を買ったりすることもある。たまにバイトをすることもあったが、お屋敷から貰っている給金で生活には充分だったので、無理に働くこともしなかった。たまに手伝いで、知り合いの店で働くことがある程度。この日はそれもなく、本を読んだり勉強をして過ごし、明日はお嬢様の屋敷で押し花の次に何をしようかと考えて、色々と用意をしてから、少しばかり早く眠りについた───。
「おはようございます」
屋敷につくと門の管理人に挨拶をして。
「おはよう、ルイ君。今日も早いねぇ」
最初は僕が元奴隷だということもあって、酷く素っ気なかった門番も、今では笑顔で簡単な挨拶を交わすくらいに打ち解けていた。
薔薇の庭園を、石畳にそって歩いていくと、真っ白い大きな屋敷の玄関が見えてくる。その扉を、コンコンコン、と叩いてから、押し開けて、キッチンにいる夫妻に挨拶をしてから、お嬢様の部屋へ向かうのが僕の仕事の始まりである。
「おはようございます。旦那様、奥様」
いつも通り丁寧に、頭を下げてそう言うと、夫妻は……。
「あらっルイ! 早かったわね。丁度良かったわ。今からイネスをよんでくるから待っててちょうだい!」
「え……」
それは、予想しなかった返事だった。いつもなら、あら、おはよう。とそれだけなのに、今日は随分とにこやかで、それは、なにか、浮足立っているような───。
まさか、と思う。昨日の、相手が……? と、考えて、あのイネスお嬢様が、受け入れるはずはないと考え直し、かぶりをふる。
けれど、そんな考えは、すぐに打ち砕かれた。
いつもどおり、なんら変わらぬ、あの微笑みで、カラカラと車いすを動かして、降りてきた彼女は、柔らかな声で告げた。
「イーザック・フォーゲル様と結婚することになったわ」
その時、自分がどんな顔をしていたか分からない。きっと酷い顔をしてしまったに違いない。しかも、交際や、婚約ではなく、結婚……!? あまりに急では無いだろうか。良い相手が見つかったのだと喜ぶべきなのだろうか? 様々な疑問が浮かんでは消え、祝いの気持ちなど欠片も無く、僕は、やっとのことで声を絞り出し、おめでとうございます、とだけ言った。
どのような経緯であれ、結婚するとお嬢様が決めた以上、それが変わることは無いのだろう。ならば結果は決まっている。
「これで、お嬢様とも、もうお別れですね」
声が震えないよう、必死に笑顔を作りながら。
「長い間、本当にお世話になりました」
どれほど取り繕っても、お嬢様には分かってしまうだろうけど。
「この御恩は決して忘れません。イネスお嬢様、どうか、お幸せに……」
そう言って頭を下げた。
「何言ってるの? ルイ、あなたも来るのよ」
「は?」
「イーザック様のところで誰が私の世話をしてくれるのよ」
「え、それは、旦那様が当然用意なさると……」
「いやよ。私、一人だと心細いもの。お父さまとお母さまも良いって言ってくれたわ」
「それは……しかし……」
「これからも私の傍にいるのはいや?」
「決してそんなことはっ! た、ただ、フォーゲル様は、良く思われないのでは……」
いくら昔から仕えているとはいえ、妻の傍に若い男を置いておきたくはないはずだ。
「大丈夫よ。イーザック様はとっても優しくて、お心の広い方だから、許して下さったわ」
「そ、れ、なら……。分かりました。お供致します」
「よかった」
そう言うと、お嬢様は珍しく、少しだけ元気に笑った。
「さ、そうと決まったらイネスの結婚準備をしなくてはいけないわね! ウェディングドレスも早く仕立て屋に頼まないといけないし、向こうのご両親に改めてご挨拶に向かわないといけないわ。あぁ、やることがいっぱいあって、忙しくなるわよ」
嬉しそうな奥様は、念願のイネスの結婚相手にも満足しているようだし、これでいいのだろう。旦那様も、感慨深げに微笑んでいる。
けれど、やはり信じられない。あのイネス様が……女騎士になりたいのだ、男に守られてやる気なんてない、と笑顔で言い放った、彼女がこんな形で男性との婚姻を受け入れるなどと……。
「ルイ、少しは喜びなさいよ。お母さまが不審がるわよ?」
小声で言いながら私を小突くお嬢様は、ちっとも辛そうではなかった。むしろ晴れ晴れとしているようにすら見える。
「……お嬢様、本当に、よろしかったのですか……お嬢様にとって、その、男は、憎むべき生き物でしょう。それを、無理に……」
「ひどい言い草ね。けれどその通りよ、私はあれ以来、男はみんな大嫌い。だからどんなに幸せにすると言われたって、どんなに紳士的な男だって、断り続けてきたのよ。でもね、ふふっ、イーザック様はね、私に向かって言ったわ、たった二言」
『人形のように美しい方だ』
『私は、私の仕事を理解してくれる女性を探していたんです』
「丁度良かった、と眉一つ動かさずに言うものだから、あんまり面白くてね、私も言ってあげたの」
『お褒めにあずかり恐縮ですわ。実は私、見た目だけでなくて、心まで人形のようなの。飾り棚だけ用意して下さったら嬉しいわ』
人の営みなど興味がないから、どうぞ好きなだけお仕事に打ち込んで下さいな、形ばかり愛でるふりをしてくれたなら、文句はないから、と伝えたのだ。幸いなことに、二人の『利害』が一致したわけである。そこには愛などかけらもなく、けれど互いにそれこそが最も面倒だと思っていたために、この婚姻は成立したのである。
「素敵な方でしょう? イーザック様となら、上手くやっていけそう」
「……そういう、ことでしたか」
僕を屋敷に置くことを許すのも、納得がいく。仮にそこでなにか、いわゆる『間違い』が起きたとして、彼からすればどうでも良いのだろう。
あまりにも、温かみの無い関係だと思うけれど、お嬢様自身がそれを望んでいるのならば、愚かな僕に出来るのは、それを精一杯手助けすることのみある。
「どこまでも、ついてまいります。イネス様───」
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