04話 夫婦
※小児加害など一部残酷な描写があります
あらすじ
近代ヨーロッパを舞台にした復讐劇。
ある事件により、車椅子での生活をおくることになった少女イネスは、その事件に関わった人間を探し出して自らの手で復讐することを願っている。唯一の味方である元奴隷のルイに協力してもらうが、なかなか犯人は見つからないまま、親の勧める実業家イーザック・フォーゲルの元へ嫁ぐことを決める
最初は互いに利害関係のみで成り立つ冷え切った夫婦関係だったが、ある出来事をきっかけに仲が深まり、やがて復讐へ協力してくれることになるが……。
【夫婦】
結婚が決まってから、瞬く間に準備は進められ、式は滞りなく行われた。イネスの家に関係のある多くの貴族たちが祝いの言葉を述べ、また、フォーゲルも顔の広い人物であったために、式に来る人はかなりの数になった。イネスはあまりにも退屈で思わず微笑みを崩しそうになったが、ベールがあったおかげでそれを知られずに済んだ。
フォーゲルと関りのある、大企業の重役たちとも挨拶を交わす必要があったが、イネスは終止微笑んでいるだけで十分だった。後はフォーゲルが上手く話して、適当に紹介しておけば丸く収まった。
「こんな素敵な女の子が息子と結婚してくれるなんて、嬉しいわ!」
心の底から嬉しそうにそう言うのは、イーザックの母親である。大事な一人息子が、いくら貴族の娘とは言え、満足に歩くことすらできない女と結婚したというのに、ずいぶんと能天気なことだ。もう一つのキズについては言ってないにしろ、あまりにもお粗末な頭だと思った。けれどもイネスはいつも通り微笑んで、私もイーザック様のような素晴らしい殿方と出会えて、本当にうれしく思っております。どうぞ、末永く宜しくお願い致します。と、見本のような挨拶をしておいた。
「母さん、イネスも今日は疲れているだろうから、挨拶はそこら辺にして」
「あら、そうよねぇ! ごめんなさいね、私ったら……イネスちゃん、あの息子は不愛想だけれど、根は優しい子だから、あんまり怒らないでやってね、それじゃ、私はもう帰るわ。あとは二人で仲良くするのよ」
「はいはい。母さんも体に気を付けて下さいね、それから父さんにも酒を飲みすぎるなって言っておいてください」
「えぇ、えぇ、分かったわ。じゃあね」
そうして全ては問題なく終了し、『イネス・リシャール』は『イネス・フォーゲル』となった。
「イネス、いくつか確認しておきたいことがあるんですが、良いですか?」
「はい」
帰りの馬車の中で、相変わらずぴくりとも笑わないイーザックは、これから一緒に暮らすうえで気を付けてもらいたいことをつらつらと読み上げる。
それは、書斎に勝手に入らないで欲しいだとか、書類には触らないで欲しいだとか、当たり前のようなことから、食事は別々に取りましょう、互いの部屋への行き来は極力控えましょう、そして後継ぎは必要ありませんなどという、あからさまに冷え切った内容のものもあった。けれど、全ての要求はイネスにとってはむしろ好都合だったので、なんの抵抗もなくそれを受け入れた。
「あなたが物わかりの良い方でよかった」
「私も、同じことを思っていますわ。イーザック様、どうぞ、これから宜しくお願い致しますね」
とても結婚初日とは思えない雰囲気の二人は、簡単に屋敷の説明を済ませたのち、別々の部屋へと帰っていった。
朝になると、別階に住んでいるルイが起こしにやってくる。
「イネス様、失礼いたします」
イーザックは、身の回りの世話をする侍女をつけることも提案したが、イネスはそれを断り、全てルイに任せることにした。両親と住んでいた時でも侍女はいたのだが、足が使えないからと、あれやこれや必要以上に世話をしようとするものは、彼女からすれば邪魔でしかなかった。
「せいせいしたわ。これで『押し花』も作らなくていいものね」
「そうですね……もう、その合言葉も必要ないのでは?」
「それもそうよね。まったく、馬鹿馬鹿しいったらないわ。ま、もう関係ないからいいけれど」
「旦那様がお仕事に熱心な方で良かったですね」
「ほんとうよ。セックスだって興味ないって言ってたし。願ったり叶ったりだわ」
男に抱かれるということは、彼女にとって屈辱以外のなにものでもない。『あの日』から、男という異性を、自らの女という性を、憎んで生きてきたのだから。肌を見せて良いのは、あの時助けてくれたルイだけであり、たとえ同性の者であっても、近くに置くのはおぞましい。
「お嬢様……そのような言葉づかいは……」
「あら、ごめんなさいね。だって人目を気にしないでいられるのなんて、久々なんだもの。ちょっとくらい昔に戻るのも許してちょうだい」
「……そうですね」
「さ、そうと決まれば、お屋敷の中を探検するわよ! 見取り図は昨日もらったから、お仕事の邪魔をしなければ好きにして良いって言われたし、うふふっ、知らない場所って楽しいわね!」
「はい。書庫もかなり大きなものがあるようですし、庭も、昨日見回りましたが、かなりの広さでした。ご実家のように山を所有しているわけではないので、ある程度限られてはいますが、それでも充分楽しめるかと思います」
「そうね。あとで庭師が来る時間も聞いておいた方が良いかしらね」
「執事長のアダルフォに使用人の勤務時間を聞いておきます」
「うん。お願いするわ」
ひとまず今日は、屋敷を見回るだけで一日が終わるだろう。
イネスの住んでいた家は、家柄にしてはかなりこじんまりとしていて、旧式の建物であったが、イーザックの屋敷はどこもかしこも近代的で、いかにも金持ちなのが分かる。古いしきたりを重んじる貴族からすれば、成金趣味だと言われるかもしれないが、イネスはそういったことには頓着しなかった。見たことの無い仕掛けは、心躍らせる遊び道具であり、きらきらと輝く飾り物たちは、庭の薔薇ばかり眺めているよりずっと楽しかった。
「まぁ、あそこに飾ってあるの、近くで見たいわ、とってちょうだい」
「はい」
それは美しい装飾の施された剣だった。派手さが目立つが、中身はしっかりと実用的な剣であり、応接室においてあるのを考えると、護身用でもあるのだろう。
「装飾の分、重くなっているので、お嬢様が使うには向きませんね」
「そうよねぇ……剣って、重いのよね……はぁ、もっと軽いのないかしら」
「探してみます」
「うん……良さそうなのがあったら教えてちょうだい」
剣をもとの飾り棚に戻すと、ふたたび探索を続ける。気になっているのは庭だ。実家の庭はとても広く、一面に薔薇が咲いていたが、この家もかなりの面積があり、色とりどりの花が咲いている。
「迷路みたいね」
「そうですね……綺麗に刈ってあるのでタイヤに草がかむ心配はなさそうです。庭師はいい仕事をしていますね。お嬢様が一人で巡っても大丈夫だと思います」
「それは嬉しいわ」
短く刈り揃えられた芝生の上を、静かに車いすが進んでいく。イネスは花を眺める趣味はない。けれども、草花の匂いは好きだった。刈りたての草の青臭さと、花々のほのかな甘い香りがまざった、自然と人工の入り混じる匂い。
「良い庭ね」
「はい。そうですね」
ひとしきり庭を堪能すると、室内に戻り、ルイがケーキと紅茶を用意してくれる間に、イネスは書庫に向かった。折角なので紅茶を飲みながら本を読もうと思ったのだ。
カラカラと、車いすを動かしていると、少し離れた所から足音が聞こえてくる。すぐに足音の主はイネスに気付き、にこやかに、そして実に丁寧に挨拶をしてから、彼女の様子を伺った。
「奥様、書庫へ向かうのなら、案内いたしましょうか?」
執事長のアダルフォである。いかにも経験豊富そうな、落ち着いた年の取り方をしたこの男は、おそらくイーザックが最も信頼している人物だろう。そんな男が、こんなところで何をしていたのか。書庫は屋敷の中でもはずれの方にあるというのに。仮に、この近くの部屋に用事があったというのなら、随分と身軽な成りではないか。もし、イネスの予想が当たっているのならば、断るのも失礼というものだろう。
「……お願いしますわ」
「では、後ろを失礼いたします」
アダルフォは丁寧な所作で車いすの後ろに立って、静かに押し進める。慣れないと意外と力加減が難しいのだが、彼は不快感など欠片も感じさせずに、無事、書庫へたどり着くことが出来た。
「読みたい本がお決まりでしたら、持って参りますが、いかがいたしましょう」
「そうね、特に決めてはいないのだけれど……あなたのおすすめの本はあるかしら?」
「私の、ですか。私の読む本はどうにも仕事の本ばかりでして。……こちらはいかがでしょう」
そういって差し出されたのはこの国では有名な冒険譚を集めた子供向けの本だった。
「……なつかしいですわ」
「実はこの本、旦那様のお気に入りなんです」
なるほど……それは少し、いや、かなり意外だ。けれども、当たり前か。いくら今は小難しい経済学ばかりにかまけている彼でも、子供の頃もあったのだから、誰もが憧れる冒険の物語に目を輝かせた時期もあったんだろう。想像しづらいが……。
「読んでみます」
そう答えると、アダルフォは満足げに笑った。どうも、この執事は私達の夫婦仲を取り持ちたいようである。
無駄な努力だ。
「お嬢様、面白そうな本は見つかりましたか?」
紅茶をカップに注ぎながら、ルイが尋ねてくる。
「えぇ、旦那様が気に入っていたという本を借りてきたわ」
「それは……」
それ以上、口に出す前に彼は私の持っている本を見た。
「……お嬢様も、その本はお好きでしたね」
「えぇ。お母さまは、嫌がったけれどね。私は好きよ。お姫様が夢見る物語よりも、少年がドラゴンを倒す話の方が、ずっと楽しいもの」
子供の頃は、本気で自分もドラゴンを倒したいと思ったものだ。
「冷める前に、いただきましょうか」
温かい紅茶を一口。
光の入る窓際で、深窓から抜け出した令嬢は少しばかり親しみのこもった表情で、冒険譚をめくり始めた。
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