08話 花は花でも
※小児加害など一部残酷な描写があります
あらすじ
近代ヨーロッパを舞台にした復讐劇。
ある事件により、車椅子での生活をおくることになった少女イネスは、その事件に関わった人間を探し出して自らの手で復讐することを願っている。唯一の味方である元奴隷のルイに協力してもらうが、なかなか犯人は見つからないまま、親の勧める実業家イーザック・フォーゲルの元へ嫁ぐことを決める
最初は互いに利害関係のみで成り立つ冷え切った夫婦関係だったが、ある出来事をきっかけに仲が深まり、やがて復讐へ協力してくれることになるが……。
【花は花でも】
今回の商談は、以前から個人的に付き合いのある友人とのものである。そのため特にこじれるという事もなかった。
「お前もさ、もっと大都市に引っ越したらどう?」
商談は終わり、友人が気軽に食事でもと案内してくれたレストランで、そんなことを言われる。
「今のところでも仕事に差し支えない」
「そうはいってもさ、やっぱりこっちの方が店も多いし、遊ぶとこだって沢山あるぜ? なんだったら俺が良い物件紹介しようか?」
「興味がない、結構だ」
新しいもの好きで、遊び好き、けれどもそこが彼の場合は商才につながっているのだからケチをつける気はないが、巻き込むのはやめて欲しい。
「そういえば奥方とはどうなんだ? お前が結婚すると聞いた時は天変地異の前触れかと思ったが、確かにあれだけ美人なら分かる気がするよ。人妻だと分かってても口説きそうになったぜ」
「お前の妻も充分美人だろう」
「そりゃもちろんそうだけどさー。厳しいんだもん。怒った時なんてもう、悪魔だって逃げ出すレベルだぜ」
「お前にはそれくらいでちょうどいいな」
「ひどいなー。まぁ、俺のことは良いんだよ。イーザックの奥さんのことを聞かせてくれよ。まさかまだ何もしてないなんてことないだろ? 正直なところ、どうなんだよ」
少し声を小さくして、にやにやしながら聞いてくる。何を聞きたいのかはすぐ分かったが、思わず呆れてしまう。
「下世話なことを言うな。彼女とは今もこれからも、そういう関係になるつもりはない」
「へ? なんだ? どういうことだ?」
きょとんとして、まったく意味が分からないという顔である。
「言葉通りだ。そもそも、結婚したのもお互いの利害が一致しただけで、お前が考えているようなストーリーなど何もない」
「え、じゃ、まさか、あれか? お前は相変わらず仕事大好きキチガイ野郎で、あの超美人な奥さんとはなんにもないってことか!?」
「……仕事を好きで何が悪いんだ」
「だっておまっ、そんなの……まてよ、彼女はなんで結婚オッケーしたんだ!? あんだけ美人なら、そりゃ足は不自由かもしんないけど、そんなの大したハンデにならねぇだろう。よっぽどいい相手も選べたんじゃ……」
「顔だけじゃなく、心まで人形のようだと思って、飾り棚だけ用意してくれると嬉しい……と、言っていた。詳しいことは知らん。男が嫌いなんじゃないのか」
「ひえぇえ、なんだよ。美人だけど性格はあんがい、きついんだな、勿体ないなぁ。まぁ、お似合い……? いや、どうなんだ? でもあんな美人だったら、性格悪くてもちょっとお近づき願いたいけどな。そうだ、お前の代わりに、俺が彼女の心の氷を溶かしてやるってのはどうだ?」
「……そんなことをしたら、彼女の従者に殺されるぞ。今朝、ちょっと話しかけただけで、ものすごい睨まれたからな。そもそも、彼女は別に冷たい人間というわけではない。少しばかり、その、なんだ、感情の起伏が穏やかなだけで、ちゃんと優しいところも……」
いや、感情を悟られないようにしているだけで、彼女自身の中には、剣に対する熱い思いや、様々な葛藤もあるようだった。しかし、そんなことをわざわざこいつに説明する必要もないか。
「とにかく、彼女は人間的で、優しい人───なぜそんなにニヤついているんだ?」
「いや? なんだかんだ、上手くやってるみたいで安心したよ」
イーザックには、まったく自覚がなかったが、執事のアダルフォからイネスの報告を聞くたびに、まるで会ったことのない相手と文通をするような、ある種、幻想ともいえる妻の姿をみていた。そこへ、思いがけない優しさや、激しさを知ったことで、その幻想が現実のものとなり、ほのかな愛情のようなものが芽生え始めていたのだ。
「そうだ、土産にうちの宝石でも買ってくか? 花だと帰るまでに痛むかもしれないからな」
「いや、宝石の類は、あまり興味がなさそうなんだ」
「ふーん? あ、じゃあ、こういうのはどうだ? 花なんだけど、これなら───」
───屋敷に帰ってきたイーザックは、庭へ向かった。
「あら、イーザック、帰って来たのね」
「はい。……庭から、楽しそうな声がしたので来てみたのですが、今日はケーキパーティーですか?」
テーブルの上に並んだ色とりどりのケーキと、それを楽しそうに食べようとしている妻の姿は、なんとも可愛らしく思えた。
「そうなの! うふふ、ちょっとずつ食べ比べるのよ」
「それは良かったですね。ケーキには合いませんが、こちら、お土産を買って来たので、好きな時に使って下さい」
「え、あ! これ……!」
「ご存知でしたか?」
「だって、すごく高いって……」
「あぁ、えーと、友人がこの類の商売をしているので、少し安く譲ってもらったんですよ」
本来なら、高いけど君のために買ったよ、ということをそれとなくアピールするべきなのかもしれないが、彼女はそれを喜ばないだろう。
「そ、そうなの。じゃぁ……ありがとう。……この花は、ほんとに嬉しいわ」
イーザックが彼女にプレゼントしたのは、フルール・ド・セル(塩の花)と呼ばれる高級な塩である。生産に時間がかかり、作れる場所も限られているため希少価値が高く、なかなか手に入らないと言われているのだ。肉や魚の料理にはもちろん、大粒の結晶は見た目も美しく、スイーツのトッピングにも使われる。グルメなら一度は味わいたいと思う有名な品である。美味しいものに目がないイネスからすれば、嬉しいお土産だった。
「では、ケーキパーティーを楽しんで下さい」
そう言うと、イーザックは屋敷に入っていった。
「帰ってきて着替えもせず、最初にお土産を渡しに直行するくらいには、奥様に早く会いたかったんでしょうかね?」
「ルイ……なんだか言い方に棘があるような気がするのだけれど」
「いえ、そんなことは。少し驚いただけです」
もちろん、目いっぱい警戒しているし、裏があるのではと疑っている。イネス奥様となにかあったにしても、距離を近づけようというのは、その先を考えてのことだろう。もし、奥様の意思を無視して手を出そうとするのなら、例え自らが殺人の罪を負うことになってでもそれを止めるつもりだ。
───こうして、それぞれの意思が交錯したまま、けれど確実に、イネスとイーザックの仲は深まっていった。
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