06話 白い逢瀬
※残酷な描写、性的な描写があります
あらすじ
荒廃した世界でいくつか残っている人の密集した都市、そこで行われる内紛、歪んだ秩序の下にある治安維持。
堤《つつみ》は、現在の上司である男に強引に連れられて高級娼館を訪れるが、男娼のランファを見た途端どうしていいか分からなくなり店から逃げ出してしまう。しかし、しばらくしてもランファのことが忘れられず今度は自分で娼館へ向かう。
性的な関係を持たずに繋がれていく二人の関係。謎めいた男娼ランファの正体とは、そして二人の関係の行方は如何。
【白い逢瀬】
それほど広くはない無機質な部屋、一人暮らしの男の部屋としては綺麗に片付いていて物も少なかった。白を基調としたベッドに、カーテン、そしてあまり使われていないであろう背の低い小さなテーブル。
人が訪ねてくることなんてほとんど無い男の家に、今は他人の物音がする。
堤はタオルと着替えを用意して、シャワールームの中にいるランファに声をかけた。
「タオルと、あと服、俺のシャツじゃでかいと思うけど一応置いとくぞ」
そうするとシャワーの音が止まり、返事がある。
「あ、私のバッグの中に新しいシャツが入ってるんだけど、それを出してくれない? タオルは借りるね。ありがとう」
「オッケー、開けるぞ」
洗面台の上に置いてある小さなバッグは、防水らしく先程ランファが自分で水をかけて血を洗い流していた。かぶせを開け、ジジッ、とファスナーを開くとビニールに包まれた新品の真っ白なシャツが出てくる。そしてそれ以外にもなにやら書類のようなもの、そして変わった形のナイフ等々……色々と見えたが特に用がないのでシャツを取り出すとすぐ元に戻した。
「置いといた」
「ありがとー」
そのまま自分の脱いたスーツとランファの血まみれのシャツを絞ってから脱衣所をあとにし、手頃なハンガーを探して掛けておいた。
そういう汚れを落としてくれるクリーニングの店も知っているが、あそこまで染み込んでパキパキに乾いてしまっていたら洗うよりも捨てて新しいものを買ったほうが安いだろう。ランファもそのつもりであのシャツを着ていたのだろうが、勝手に捨ててしまうわけにもいかない。
「後でどうするか聞かないとな」
独り言を言いながら滅多に使わない小さなキッチンで湯を沸かし、だいぶ前に買ったティーバッグのお茶をいれる。
ベッドに座り、シャワーが流れる音を聞きながら待つ。不思議な時間。
他人が家に居るというのも不思議だった。
それがあの殺人鬼であるというのも奇妙で、しかしなにも恐れていない自分もまた、おかしいのだと感じる。
「あがったよ。堤もシャワー浴びるよね」
白いシャツから、細い足がそのまま伸びている。
「あっ、悪い、ズボンが……」
「いいよぉ、別に。それよりシャワー浴びてきなよ。堤の方が濡れてるんだから、風邪引いちゃうよ」
ランファはカッパを持っていたのでそれを着たため雨には濡れていない。加えてシャツ以外は防水のものを身に着けていたのでそれほど内側まで染みていないのである。
「……わかった。お茶、置いといたから飲みたかったら飲んで良いぞ」
「ありがとー」
シャワーを浴びに行った堤を待ちながら、温かいほうじ茶を飲む。
死体の心臓を抜き出して、二人目をバラそうかと思った矢先に堤が入ってきたのは本当に驚いた。驚いてどうしていいのか分からなくなり、あろうことかナイフを落とすほど狼狽えたのに、堤はまっすぐ私の方に歩いてきて抱きしめてくれたのだから、絆されないでいるのは不可能だろう。
獣のように純粋で、一途な欲が、私を刺したのだ。
そんな男に今から抱かれるのだと思うと、それだけで悦びに体が震える。
もう理性を壊しても良いとあれは言った。ならば、その言葉通り、私を本能のままに犯すのだろうか。組み敷いて、欲のままに、この体が悲鳴をあげるのも無視して、全てを自分のものにしてしまうのだろうか。
そうしてほしい。私は、それを求めている。誰かがこの心臓を抉り出し、愛撫して、その亡骸も飛び散った血飛沫すらも愛して欲しい。
お前は、私をどこまで愛してくれるだろうか。
「ランファ」
呼ばれて顔をあげる。
「ぼーっとしてたな」
愛しげに笑って、堤はランファの頭を撫でる。いつもなら湿っている風呂上がりの髪は、堤の家にあったドライヤーを慣れないながらに使ってみたので少し乾いている。
「堤、私はせっかく髪を乾かしたのに、お前の方が濡れてるじゃないか」
「あぁ、悪い、忘れてた」
「まぁ別にお前の家だから、私は構わないけれど」
「そうか。じゃあ、いいか」
そう言って、ランファの持っていたカップを取り上げるとテーブルに置き、向き直ると唇をかさねる。何度も、何度も柔らかく重ね、次第に深く……。
白いベッドの上に、ランファの体は一層冴え冴えと横たわる。その美しい肌に、ゆっくりとキスを落とし、愛撫する。
「あ、ぁ、そんなに、ねぇ、そんなにゆっくり、しなくても」
ふとももを舐めながらランファの秘部に触れ、揉むように撫でられると、疼いて仕方なかった。堤はランファを無視してじわじわと、全身を喰むように、時折歯を立てて痕を残す。
「あっ、ん、……ぁ、ねぇ、ねぇったら」
焦れるからだ、あたまが熱にうくように、段々とおかしくなる。
あめが窓に打ち付ける。ザァザァと随分つよく降っている。
あつい、あつい、はやく、もっと……。
「つつみ、も、いいでしょう……ほら、おまえもはやく、わたしのナカに」
腹を撫でさすって、ここにお前のをちょうだいよと啼いてみせるが、それにすら反応すること無くひたすら愛撫を続けた。
「あ、あぁ、あ、もう、もうだめ、はやく、はやくわたしを犯して、ねぇ、もう……」
「つらい?」
初めて堤は口をきいた。
「あぁ、つらい、つらいよ。どうして、そんなに、焦らすのさ」
「苦しそうにするお前が愛しくて」
「……なんてひどいひと、でも、つらいのは私だけじゃないでしょう」
その言葉に微笑んで、もう一度だけ口づけを交わすと、堤は限界までいきり勃ったそれをランファの体の中にいれる。
「あっ、あぁ」
堤の背中を強く抱きしめながら、しびれるような気持ちよさに腰を浮かす。
「つつみ、つつみ、ぁ、いい、きもち、い」
それは堤も同じだったが、彼は何も言わずただランファを折れそうなほど強く抱きしめて小さく押し殺したような息をもらす。
「あぁ、もっと、もっと……」
ランファの声に応じるように、堤は激しく腰を打ち付ける。
狭い部屋に水音が響き、ランファの嬌声はより興奮を煽る。その潤んだ黒い瞳も熱く火照るからだも、全てが艶やかで……どうしようもなく乱したい。
薄い腹を撫でてやればビクビクと体を痙攣させ、短く声を漏らす。その姿のなんと愛らしいことか。全身が快楽を享受し、悦んでいるのが分かる。唇や、首や、指先に痕を残すよう強く噛むと、その度に腰が跳ね、ナカが締め付ける。
これほどの快楽を、俺は知らない。
じわじわと脳が溶けていくような、何も分からなくなってひたすら目の前の美しい生き物と交わっている感覚──溺れそうだ。何もかもどうでも良い。
「ランファ、……楽しいか?」
「ぁあ、たのしい、たのしいよ、さいこうに」
「人を殺すよりも?」
「ああ、おなじくらいたのしいよ、でも、おまえがわたしを殺してくれたら、もっとたのしい」
ランファは朦朧としながらそう答えた。そしてその後すぐに気絶するように眠ってしまった。おそらく緊張の糸が切れたのだろう。なにせ興奮状態で何人も人を殺し、酒に酔い、そんな状態のまま行為に及んだのだから。
「……マゾヒストは理想のサディストに出会えないと、自らがサディストになると聞いたことがあるが、お前の欲も似たようなものかも知れないな」
眠っているランファを愛しそうに眺めながら、その狂った欲へ思いを馳せる──。
***
「ランファ! 遅かったじゃないね。連絡が来てるよ」
昼過ぎに娼館に帰ってきたランファが、キッチンで食べ物を物色しにやってくると、それを見つけた老婆が早口に捲し立てた。
「お前のお気に入りからだよ! 昨日の夕方に電話かけてきて、晩にわざわざ店まで来てお前を探してたみたいだからね、今日の夜には会える時間を作っとくって話しといたから、聞いてんのかいランファ!」
てっきり大喜びで食いつくかと思ったが、ランファはまだ眠そうに、よく開かない口でのんびりと答えた。
「うん……堤さんにはもう会ってきたよ……」
目を擦りながら情報を付け足す。
「あ、趣味のことバレちゃった、でもだいじょぶそーだったよ」
「は!? 何いってんだいあんた! 殺しがバレたのかい!?」
「うん。見られちゃったー。でもねぇ、そのあと盛り上がってそのままヤッてきた」
「ヤッたって!? 殺ったのかい??」
老婆はちょうど持っていた果物ナイフをぶんぶんと振って尋ねる。
「ん? 殺してないよ? したのはセックスの方ね。ちょーきもちかった。久々に失神したわー」
ぽやぽやと嬉しそうに言うランファは、老婆の心配など何処吹く風である。何はともあれ、八方丸く収まったようで何よりだった。しかし、あのランファを失神させるとは……。
「まぁ上手くいったんならいいさね。プラムも心配してたから早く電話しときな」
「はーい」
ペオニアが作っておいてくれた杏仁豆腐を冷蔵庫に発見し、それを取ってからランファは自室に戻った。
「──そういうわけで、堤とは仲直り出来たから心配しなくて大丈夫だよ、プラム」
『いきなりでビックリしたけどまぁ良かったよ。……でも、ランファの言った通りだったね』
「え? 何が?」
『堤がペオニアに似ている、という話や……狂気的だと言ってたこと。正直信じられなかったけど、ランファが殺してるところを見て怯えるどころか、見惚れてたんでしょう?』
「たぶんね。赤色が似合うって言われちゃったもの。ふふふっ」
『しかも……堤はボクたちと違って、自分自身に似たような衝動があるわけでもないみたいだし、それを考えるとペオニアを超えるかもね』
「どうだろうね。ペオニアもひとつ前では……いや、とにかく堤が私の薄い腹を見て裂きたいと思ったかどうかは知らないけど、もしもそうだったら私にとってこれほど嬉しいことはないよ」
『……そうであることを祈ってるよ。ランファの後片付けをする人間が増えると助かるからね』
「いつもありがとうプラム。愛してるよ! 早く元気に帰ってきてね」
『はいはい。じゃあまたね』
「うん。ばいばい」
電話を切ると、ちょうどよくタイミングを見計らったようにコンコン、とドアがノックされる。
「はいはい」
ペオニアか、もしくはお婆ちゃんだろうかと扉を開けると。
「ユーダリル! 起きたのかい? まぁとにかく入りなよ」
黙って頷き、部屋へ入る。
ユーダリルは長い黒髪で顔を隠し、感情も全く読み取ることが出来ないため男娼の仲間でもあまり積極的に関わる者はいない。そもそもユーダリルに会話をする気がなく、話しかけてもほとんど無反応だった。
その中でユーダリルを拾ってきたランファは唯一、意思の疎通が取れる人物だった。
「きのうのゆうがた チスのへやに きたでしょ?」
小さく、高い、子供のような声でユーダリルは言った。『チス』というのはユーダリルが子供の頃に呼ばれていた名前である。
「チス からだがうごかなくて だ だいじょうぶだ た?」
「あぁ、もう大丈夫だよ。ちょっと悩んでいたけど解決したんだ」
「かなしくない? いたくない?」
「うん。もう悲しくないよ。むしろとても幸せなんだ。心配してくれてありがとう、チス」
そう言うと、ユーダリルは嬉しそうに笑って──もっとも表情に変化は無かったが──どこか安心したように部屋を出ていった。
一応これで問題は落ち着いて、さて一休みしようかとベッドに寝転がった時、ドンドンドン、と強く扉を叩く音がした。
この強さで叩くのはラディしかいない。
「入っていいよ!」
ベッドから降りるのも面倒で、上半身だけを起こして言うとすぐに扉が開きラディが相変わらずのはきはきとした大きな声で話しかける。
「久々に仕事があるらしいぞ! ボスが一月後の会席に同行して欲しいそうだ!」
「へぇ、この一年何にも無かったのにねぇ。まぁいいや。一ヶ月後? 桜がいい感じの時期だね。会席はどこでやるって言ってた?」
「あぁ、ボスも桜の見える所が良いって言っててな景色の良い料亭だと言っていたぞ」
「何人で?」
「特に指定は無かったな。まぁでもランファと──たしかプラムは研究で忙しいんだったか? じゃああとはペオニアとオレで行くか」
「オーケー。じゃあまた近い内に三人で立地の確認と打ち合わせをしようね」
「そうだな! 疲れているところ悪かった! ゆっくり休んでくれ!」
バタンッと音を立ててドアがしまり、やっとランファは布団に潜り込むことが出来た。
「はぁ、本業の方も頑張らないとね……」
『ボス』というのは娼館の元締めでもあり、ランファ達を個人的に雇っている人物である。元よりこの娼館はランファの提案により建設されたもので、強い性的衝動また危険なデザイアーを持つ者への救済として衝動を吐き出す場所を作るために存在している。
最初はボスへ自らの有用性を示し気に入りになるまで、それはランファと、後にプラムが加わって達成された。ペオニア、ラディ、ユーダリルはランファとプラムが見つけてきてその異常性を認め、解放する場を与えた。娼館は彼らにとって安全な楽園であり、だからこそ全員が完全な自由意志を持って生活しているのだ。
「感謝はしてるんだけどね、楽しいし……にしてもあのボスも、いつまで保つかな」
ごろごろと布団の中で考える。
男娼達が殺人欲求等の異常なデザイアーを持てあましているとすれば、そのボスもまた権力を持ち他者を征服することに異常な執着を持っていた。全てを自分で支配しなければ気がすまないのである。
その性質自体はランファの好む所であったが、行き過ぎればいずれ身を滅ぼすのは分かりきっていた。所詮人間、どれほど才能があっても全てを手にすることは出来ない。
ランファが後押ししたことでボスの権威は盤石の物となりつつあるが……精神と肉体、どちらを先に壊すか。それはランファにも予測できないことだ。
「まぁ、もうしばらくは平気かな……」
結局、様子を見ながら少しでも問題を先延ばしにするくらいしか案は出てこないのだった。
***
「それでね、3月末は会えないと思うの」
いちごを練乳に浸しながらランファは話しかけた。
「そうなのか。でも丁度良かったかもしれないな」
いちごのヘタを几帳面に持ち、口に運びながら堤は答える。
「俺も3月の27日にちょっと用事があってな。その関連でしばらく忙しくなりそうなんだ。今日はそのことも伝えようと思って来たんだが、お互い被ってよかったな」
「そうだね。4月になったらまた会おうね」
「あぁ……その、それもちょっと、あー、渡したいものがあってだな」
「うん?」
少し照れくさそうにしながら、堤はポケットからゴソゴソと何かを取り出す。
「それ……くれるの?」
「あ、あぁ、いや、ランファが使いたくないなら別に、いいんだが、その、良かったら好きな時に、家に来てくれて構わない、から……あー、その、時間外でそういう事をしてくれたのは、そういう風に受け取って大丈夫、だったか?」
内心堤は不安だった。娼館ではなく自分の部屋でランファと夜を過ごし、秘密も共有している。男娼としてではなくランファ個人としての感情を持ってくれていると感じていたが、しかしこういった店には時間外でも営業をするという話も聞く……けれども、それを踏まえてもランファのそれは仕事の域を越えていると感じた。だからこそ、合鍵を渡そうと思ったのだ。
「うん。大丈夫だよ。嬉しい……じゃあ、4月になったら私から会いに行っちゃおうかな」
甘い、約束──。
「あぁ、待ってる……。なんだかやっぱり、慣れないな。こういうのは」
幸せの始まりは、柔らかな日常は、永遠に。
「私だって慣れてないよ、いつもは、そういうんじゃないからさ」
──彼らの元には訪れない。
「仕事がんばってね。最近は上の人にも認められてるんでしょ?」
「そのせいで忙しくて参ってるがな。まぁでも頑張るよ。ランファも、趣味の方は程々にな」
「うん、じゃ、またね」
「あぁ、また」
***
「ごめんね! ボク行けなくて!」
プラムは申し訳無さそうに手を合わせて謝る。
「いいよいいよ、今回は顔合わせだけみたいだし」
ランファはいつもとはまた違った服装で──というよりも、仕事に出かける3人が等しく黒一色の出で立ちをして──プラムと老婆に見送られて娼館を出発した。
「目的地までは俺とペオニアが交代で運転するよ」
「うん、ありがとう、ラディ、ペオニア」
ランファは後部座席に座り改めて会席を行う料亭の間取りを確認する。万が一、相手側やまた別の勢力から突然の襲撃があった場合に備えるためである。
「相手は、東の方の勢力なんだよね。比較的落ち着いてて武力もそれなりにある……ていうかまぁ堤がいるところだからさぁ、心配なんだよね」
書類をめくりながらぼやくと助手席に乗っているペオニアが答える。
「ボスは全部支配下に置こうとしてますからね。下手に抵抗しなければ特に何も起きないと思いますが、もし傘下に入るのを拒否したら面倒なことになりますね」
「まぁでも、ボスも潰すのが最適じゃないのは分かりきってるだろうし、ちょっとした小競り合いにはなるかもだけどそこまで長引かないよね」
「そうですね。他の街と比べてもかなり上手く回している組織みたいですし、実績も、周囲の評価も高いですから、出来るだけそのままの形で協力したいでしょう」
「そもそもうちと戦っても向こうの損害がデカすぎるからな!」
と言ったのはラディ。実際にその通りである。大陸で名を馳せるランファ達のボスと、東の街をいくつか持つだけの組織では比べようもない。けれども、優秀な人材が多く地元に顔の効く組織を配下に置くことで今後、東側の地域一帯を治めるのに上手く事を運べるため、こちらとしてもなんとか良い条件で協力関係を築きたいのである。
「ラディ、次のサービスエリアについたら私と交代しましょう」
「オーケー。ランファは? さっきから静かだが……」
「寝てますね。まぁ起こすのは目的地が近づいてからでいいでしょう。まだしばらくかかりますから」
「そうだな」
少し小さな声で話しながら、二人は延々と続く黒い道路にひたすら車を走らせる。
荒廃した世界において道路というのは過去の遺物のようにも扱われていた。整備が行き届いているわけはなく、ところどころひび割れていたがそれでも多くの人間が利用し、重要な道標として残っている。当然、サービスエリアも一定の需要があるため小さいながらも点々と存在し続けている。
「この道も、ボスが統治すればもっとマシになるだろうな」
運転を交代し、助手席に座ったラディが呟いた。
「そうですね。でも、サービスエリアで生計を立ててる人たちは……」
街をつなぐ道を整えるために、当然その中間地点として重要なサービスエリアも整えられる。そうなれば小さくてそれほど見栄えのない店をどかして、より大きい店を建てその場所自体を一つの名所にしようと考えるだろう。その方が街の行き来は活発になり、店自体も儲かり、結果として金が周る。そのためには邪魔なものを排除するだろう。
では、そのために追いやられた人々はどこへ行くのだろうか。
抵抗しても敵うわけはない。大人しくどこかの街へ行くのだろう。けれども、大した資金もなく知識もなく、いきなり大都会へやってきた人々がどれ程の暮らしを出来るのだろうか。
「栄光というのは虚しいものですね」
「仕方がない。愚かであることは人間の特権だ。オレ達だってその人間の中でも特に碌でもない部類だろう。だったら悩んでるより今を楽しく生きようじゃないか!」
「……私は貴方みたいに能天気にはなれませんよ」
「ラディは太陽だもんねぇ」
寝ぼけた声で後ろから声がする。
「ランファ、起きたんですか。ちょうどそろそろ起こそうと思っていたところです」
「うぅん、おはよう。あとどのくらいで着く?」
「三十分もしたら到着だ!」
「おっけー」
到着する頃にはランファも頭がはっきりしてきて、もそもそと荷物を取り出す。
「久々だね、この面するの」
ボスの最終兵器であるランファ達はその姿形が出来るだけ曖昧な印象であるべきだった。その方が普段の生活や諜報活動等においても色々と勝手が良く、会席の場でも普通ではないことを示すのに手っ取り早い方法だった。
出来るだけ不気味に、正体を曖昧にする。まるで黒ずくめのシスターのような格好をして、白い面を被れば誰が誰だか分からない。念には念をということで声色や仕草まで普段とは変えて行動する。
「じゃあボスが来るまで待とうか」
料亭の駐車場に不気味な面をしたシスターが三人立っていれば、それはさぞ近寄りがたいだろう。しばらくするとボスの車がやってきて、車から降りると満足そうにその三人を視界に入れる。
「相変わらず誰が誰だか分かりづらいな。はっはっはっ」
高そうな黒いスーツを着こなして、楽しそうに男は笑う。
「一番小さいのが青だろう。その次が……橙か、で一番背があるのが翠だな」
青がランファ、橙がラディ、翠がペオニアのことである。彼らの部屋の色と同じカラーでそれらを呼び分ける。
「今日は護衛だけで済むだろうから、まぁ退屈だろうが後ろに立っておいてくれ」
「かしこまりました」
アオが返事をする。仕事中のリーダーはアオであり、指示をしたりボスとやり取りをするのも基本的にはアオがメインである。
「じゃあ早速、中に入ろうか」
顔が見える護衛や秘書も引き連れて、料亭へと入っていく。
***
「いやぁ、今回はこうして話すことが出来て嬉しいよ」
穏やかな笑顔で、料亭の丸いテーブルを囲みながら組織を束ねる長である二人は話し始める。
「桜も綺麗に咲いて、晴れで良かったねぇ」
ガラス張りの窓から見える桜を眺めながら優雅に酒を飲む。後ろに立つ不気味な3人さえいなければ、もう少し景観も楽しめただろうに。
「……えぇ、桜は、いくら見ても飽きない美しさがありますからね」
「違いない。けれども、私なんかはその散り際により一層惹かれてしまうものだ。ここら辺ではそういう楽しみ方では無いかも知れないが……」
歓談を楽しんでいるようで、その実は腹の探り合いと遠回しな揶揄の掛け合いである。桜という植物を引き合いに他人の揚げ足を取ろうとする姿はアオから見れば醜く、桜を穢されているようで不愉快だったが会談というのはこういうものだと堪えた。
幸いにも、向こう側の長に護衛なのか、それともこれからを担う人物として勉強のためにと連れてこられたのか知らないが、後ろに立っている男が同じように眉間にシワを寄せ不快そうな顔をしていたので、苛立ちは少し紛れた。
「そうそう、私の特に重用している者たちでね、今は顔も分からないが実はこの桜に劣らない美しい者たちなのだよ」
何を思ったのか、ボスはアオ達を指して自慢気に言った。
「どうだいアオ、ここの街の桜と本国の桜はやはり違うかい?」
楽しげに問う声に、少し間を置いてからアオは答えた。いや、詠ったという方がふさわしかった。なぜならその内容はあまりにも不躾なことだったのに、彼の口から出てきたものはとても美しかったから。
「──さくら染む 醜き色は 血におなじ 散りて朱殷の 徒花となり──」
ボスが一瞬あっけにとられるも、すぐに愉快そうに笑い飛ばした。けれども向こう側の長はこれもアオの愛嬌と思ってくれるはずもなく、震える拳をなんとか抑えながらどういう意味か、と尋ねた。しかしアオはそれすらもするりとかわす。
「お二人は、どういう意味だと思われましたか」
「おや、二人ということは私の意見も聞いてるのかね?」
ボスがにこにこと尋ねる。
「えぇ。ここにいる、二人の長のお考えを聞いてみたく」
「そうかそうか。しかしはっきりと説明するのも無粋な気がするけれどねぇ。あなたは、どうですか。どう思われましたかね?」
「……っ、我々を! 殺してでも、この土地を奪う気か!」
声を荒げて男は言った。おそらく彼はこう解釈したのだろう。
桜の花を、お前等の醜い血で染めてやるぞ、お前たちがいくら足掻いたところで無駄だ、と。
「物騒ですねぇ。アオ、あんまり失礼が過ぎたようだよ」
「申し訳ありません。けれども、……重ねて失礼申し上げます。どうやらお二人共解釈を間違っておられるようで」
その言葉に、ボスの眉がぴくりとあがる。
「私はただ、桜の美しさを詠んだだけでございます」
「……醜い、という言葉が聞こえが気がしたが、気のせいか?」
長は苛立たしげに問う。
「いいえ、確かに申しました。ですがそうお怒りにならないで下さい。私は、主人に問われたようにこの土地に咲く桜と本国の桜は違うのかという問いに答えたつもりでございます」
「おやおや、雲行きが怪しくなってきたぞ。これはもしかして私もアオからお叱りを受けることになるのかな?」
「……私は、体から流れ出たばかりの冴え冴えとした血の赤も、桜の木を染めあげる淡く儚い赤色も同じくらい美しいと思っております。そして、それらどちらも時間が経つと、散り、落ちて、醜い色に変わっていきますでしょう。けれども、その朱でさえ美しいと感じるのです。地に落ちて遅れて咲いた、哀れな花──。お二方は、何を美しいとお考えでしょうか?」
「アオ、と仰るのでしたね。貴方は」
長が睨みつけながら、けれどもその目は先程のように怒りに染まってはいなかった。
「えぇ。そう呼ばれております」
「なるほど。では、アオ。貴方はつまり、咲いても散っても、枯れても、全ての桜が美しいと、そう仰るのですか」
「そう取って頂いて構いません」
「は、はははっ、面白い部下をお持ちだ。そうではありませんか、全ての桜が等しく美しいとは、なんとも贅沢な感性をしてらっしゃる」
それではきっと、ここの桜も向こうの桜もやはりどちらも美しいと感じるのだろう。
「あぁ、そうだ、紹介が遅れましたが私にも最近、優秀な部下を見つけましてね。そちらの方のように風流な心は持ち合わせて無いかも知れませんが、仕事はよくできますからどうぞお見知りおきを。ほら、堤、挨拶を」
「はい。堤恭兵と申します。……私も、道端に散って沢山の人に踏まれた桜の花びらを見て、なんとも、物悲しくなることがありますが……それすらも美しいと仰る心に少し、嬉しくなりました」
「嬉しく、とは? 面白いことを言うのですね。堤さん」
「……すいません。ただ、本当に何の意図もありません。でも、私の親しい人にもあなたように朱を愛する人がいるもので、私が勝手に救われたような気持ちになったんです」
純粋な賛辞を述べたのだ。この場にはあまりにも相応しくない、何の裏も揶揄もありはしないその言葉。けれども結果としてそれは場を和ませる手助けをした。
その後も、友好的にとはいかないがある程度は落ち着いて話し合いが進められる。この一回で全てがまとまるというわけにはいかないが、当初の予定よりもボスが譲歩した形で協定が結ばれる流れになって、今回の会席を終えた。これは堤がアオを賛辞したことによってボスが気を良くしたことがその一因だろう。
「では、また次回もよろしくお願い致します」
「えぇ。こちらこそ」
駐車場でも軽く挨拶をした後、それぞれ別れて車に乗り込む。窓の中からボスはアオを手招きした。
「アオ、今日はずいぶんご機嫌斜めだったじゃないか。なにか今回のことに不満でもあるのかい?」
「……いいえ」
黒い手袋に覆われた指をするりとボスの首に滑り込ませ、首筋をなぞり、まるで睦言のように囁いた。
「ただ、憂いているのです。あなたが徒花となることを」
「私がいつか狂って壊れるとでも思っているのかい?」
アオの手に自分のそれを重ね、応えるように男は言う。
「でもアオなら、それでも私を助けてくれるだろう? だって醜い桜も愛してくれるんだからね」
「えぇ……もちろんでございます。私は、いつ、どの朱をまとう桜も守り、愛しましょう。けれども我が君、お気をつけ下さい。いくら美しく咲いても実をつけない哀れなサクラが、ただの代替品ばかりをはびこらせるのであれば、私はいつか桜そのものに飽きてしまうでしょう」
「なるほど、肝に命じるとしよう。今日は楽しかったよ」
穏やかに言って、別れのキスを頬にひとつ。
「トウとスイもありがとう。また仕事の時はよろしく頼むよ」
そう言ってボスは帰っていった。
遠巻きながらその様子を見ていた別の車に乗っている堤と長は、何を話しているのだろうと思って少し気になっていた。
「お前、そんなにジロジロ見るなって」
「すっすみません」
長は堤に言いつつも自分も気になってチラチラと横目で見ながら、どうも親密な間柄らしいことが雰囲気から察せられると少しそわそわした。
「うぉっ、今、キスしたよな? ちょっと仮面ずらして……あんな不気味な格好してるから、中身は傷だらけのゴリラみたいなやつかと思ったが……まさかほんとに美人が入ってんのか?」
「隠されると気になりますよね」
「だよなぁ。あぁ、それにしても堤、お前があの仮面人間を褒めたのはお手柄だったな。おかげであちらさんも気を良くして随分油断してくれてるみたいだし」
「いえ、俺はただ本当に思ったことを言っただけで」
「いい、いい、それで良いんだよ。平津がお前を推す理由が分かった気がするよ。まぁこれからもその調子で頼む」
「はい。たしか次の会合は一ヶ月後、場所はこちらで用意するんですよね」
「そういう予定だがな。そりゃたぶん開かれないだろうよ」
「え……?」
「まぁまた帰ってから詳しく話そう。お前も気ぃ張ってただろ。しばらく休んどけ」
「はい」
もやもやとしたまま、けれども堤も慣れないことで疲れており、車の程よい揺れの中ですぐに眠ってしまった。
***
さて、会合から帰ってきたランファはプラムの研究を手伝って文献を読んだり、軽い食べ物を作ってやったりして過ごしていた。
「勉強ならオレも手伝ってやろうか!」
と、時々ラディもやってきて元気よく励ましてくれたりもする。プラムは寝不足でぼんやりしながらそれに反応した。
「いや、もうそろそろまとまりそう……って、ラディの方が忙しいでしょ!?」
「そんなことはない! オレは2月に試験は終わったからな!」
「そうだっけ、あれ、合格発表はいつなの?」
「3月16日!」
「ふーん。じゅうろく……え、もう過ぎてるじゃん!! どうだったの!?」
「むろん合格だったぞ」
「すごいじゃん! じゃあもう医者になれるってこと!?」
「いや! これから色々と研修を受けなければいけないな!」
「じゃあまだ生きてる人の体を切ったりは出来ないんだ?」
「うむ、カリキュラム的にはそうだが、まぁ元々まともな医者になる予定ではないから研修を受ける気はないぞ! 免許を取ったのも医者になるためでは無いからな!」
「……そうなんだ。前から思ってたけどさ、ラディは結局どうする気なの? 今はさ、ランファのおかげで色々と充実してるじゃん。ラディに限ったことじゃないけど、ここじゃなくても生きていけるでしょ?」
ペンを置いて、プラムは真剣な表情で尋ねた。ラディも側にあった椅子に座り、腕を組んで話し始める。
「確かにオレの食人欲求は満たしやすくなってきた。その手の店もボスのおかげで増えつつあるしな。オレはペオニアのように自分のこだわりが強い質でもないから、それを含めてここを出ていくことも考えなかったわけではない」
「……結局、出ていく気はないんだ」
「うむ。この店というより、オレはランファの居るところに居ようと思っているだけだ」
「あーあ、結局それ? ペオニアもユーダリルもみーんなランファが大好きなんだから!」
呆れたように言って、体を伸ばす。まったくどうしようもない、とでも言いたそうに。
「プラムだってそうじゃないのか? あぁでも、プラムは元からランファと知り合いだったのか。そう言えば二人のことはあまり聞いたことが無かったが、オレ達のようにランファに惹かれて側に居るわけではないのか?」
「うん、違う。ボクはランファの手伝いをしてるだけ。ほっとくと危なっかしいからさ」
「その気持ちは分かるぞ! オレもランファのことを見てると守ってやらねばと思う。逆に守られてしまうこともあるけどな!」
「……まぁでも、まだしばらくはこのメンバーのままってことかー」
「嫌なのか?」
「別に嫌じゃないけどさー。いつまで続ける気だろうと思ってね」
「オレはずっと一緒でもまったく構わないな!」
快活に笑って、ラディは出ていった。
「ずっと一緒でも良い、か。どうするのさランファ」
一人になった部屋で、カーテンの向こうに話しかける。そろそろと隙間から顔を出し、困ったような顔をしているランファは、キッチンに行ってお茶を淹れていたら自分の話になって出るに出れなくなったのである。
「どうもこうも……しばらくは今のまま続けるよ。気が向いたらまた別の場所で始めればいい。その内に彼らの私に対する執着も薄まるだろうから」
「でも下手したら思い出すんじゃない。前のこと」
「そうなったらそうなった時だよ。どうしようもない。また全てを壊そうとするなら、やはり同じように私が殺すしかなくなるけれど……まぁ彼らが同じ轍を踏まないことを祈ってるよ」
「……そうだね。ボクもそう思ってるよ」
二人を取り巻く影は、太古の昔から繋がる記憶の糸──絡まって、断ち切ることもかなわず今日まで続く五人を結びつける。全てを知ってなお逃れることの出来ないそれは、ランファにとっては重い鎖のようでもありながら、自らを縛り付けるそれすら愛さずにはいられないのだから。
「やっかいな性格だよね。さっさと見捨てちゃえばいいのに」
ぽつりと、本当にひとりだけになった部屋の中でプラムはつぶやいた。
***
3月も今日で終わるという日、ランファは上機嫌で服を選んでいた。
というのも、明日は堤に会いに行く予定なので折角だからちょっとおしゃれをしようと思っているのだ。黒か白の服ばかり着ているが、たまにはベージュなんかも良いかも知れない。全然着てないが深いグリーンのハイネックなんかもある。うーん迷う。こういう時はいつもオシャレにしているペオニアに意見を聞こう。
プラムもオシャレだが少しポップ過ぎるし、ラディは服よりアクセサリーが好きでいつも金のブレスレットやらイヤリングやらネックレスやらをジャラジャラとつけていて、似合ってはいたがランファの趣味とは違った。
ペオニアの部屋を訪ねるがどうも留守らしい。ということはキッチンに居る可能性が高いと踏んで今度はそちらに向かおうと廊下を歩いていると、走って誰かがこっちへ向かってくる音がする。
「ラディ、あんまり走るとペオニアに怒られ、る」
「ランファ! まずいことになりました!」
「ペオニア!?」
日本で言う大和撫子のような性格のペオニアが戦場意外で走ることは滅多になく、そのうえ大声を出すということは相当のことだった。
「どうしたんだ」
「東の、あの、向こう側が」
息を切らせて青ざめて言うその続きを、ランファは聞きたくなかった。
「協定を破って戦う気です!」
「なぜ……。まて、それでは、堤は……」
話をするためひとまずキッチンに集まり、ペオニアが走って帰ってきたことに気づいたラディ、プラムもすぐにやってきた。
「どういうこと? 協力関係を取るって話じゃなかった?」
青ざめて黙りこくってしまい使い物にならないランファの変わりに、プラムが尋ねる。
「そうです。こちらもそのつもりでした。ですが、向こうは最初からその気は無かったようです。すでに武器の類も整っていて、おそらくかなり前からそのつもりで用意していたんです。一時的に協定を結ぶふりをして油断させ、ボスが本国に帰る前に殺すつもりでしょう」
「愚かな! そんなことをしても、報復は免れないぞ! ボスが全てを決めているわけではないんだ。それに自分が死んだときのことを考えない人ではない! ボスが死んでもすぐに次が立つぞ! そんなことも分からないのか!?」
ラディは激しく怒り声を荒げた。
「分かっていても、他所のものに土地を乗っ取られるくらいなら、ということでしょう。サムライらしい考え方ではありませんか!」
ペオニアは顔を引きつらせて、まるでそれは笑っているようにも見えた。
「……ランファ、どうするのさ」
うつ向いて黙っているランファの前で、空気が張り詰めているのが分かる。
「別にランファの想い人を殺す必要はないでしょう」
ペオニアはその心情を察して優しく声をかける。
「彼だけ逃がすなり、もしくは、こちらに連れてきてしまえば良いのです。ランファが言えば付いてきてくれますよ!」
「そうだ! 一人くらい殺し残しても問題ないだろう! それにボスも、この間の会合で彼のことは好印象だったはずだ! しっかり我々が監視すると言えば認めてくれる!」
本来であれば、協定を破った罪は重く組織の人間を根絶やしにすることが求められる。そしてそれを行うのは他ならないランファを含めた娼館で働く五人に任せられる。
一切の慈悲もなく殺し尽くす武器として彼ら以上の存在はない。だからこそ重用され、そして自由に生きるために金も力も貸してくれたのだ。堤のいる組織の人間を殺すことに変更はあり得ない。けれども堤一人なら、ランファが言えば生かしてもらえるだろう。
けれど──。
「私はなにも失わず、彼には全てを失えと言うのか」
ランファは低く、感情もなく、言った。
「お前は全てを捨てて私を愛してくれと……そうでなければお前を殺すことになると、全て話して乞えば、それは、あまりにも……──まるで、残酷なプロポーズのようだ」
ランファは、泣いていた。それは、この恋の結末を予感して。
「明日の朝、少し、出かけてくる」
「ランファ!」
「安心して、仕事はしっかりやるよ。そのつもりで皆も用意をよろしくね」
そのままふらふらと自室へ戻っていくランファは痛々しかった。
「まさか、奪えないほど深く想っていたなんて」
ペオニアは悲しげに言った。その言葉は不気味な狂気に満ちている。
「逆だよ。ランファはきっと、殺せるのさ。だから奪えない」
プラムは正しく理解していた。ランファがかつてどんな風に人を愛したのか知っていたから。けれどもペオニアもラディもそれを知らない。
生きていればそれだけで良いのだと言い切って、狂ったように求め愛したならば、奪うことも出来ただろう。けれども、その存在が正しく自由であることを願う理性が残っているならば、それは出来ない。
きっとランファは何も言わずに自分の手で彼を殺すのだろう。
「全て打ち明ければ付いてくるくらいには堤も気が狂っているだろうけど、それが分かっているからランファは肝心なことは伝えずに終わるんだろうね」
裏切り者を殲滅するのは、明日。猶予はない。最期の逢瀬は短く、ともすれば諍いになって、そうしてあっけなく壊れるのだろう。
なんとも、儚く、醜い、散り姿──。
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