08話 悪あがき
※残酷な描写、性的な描写があります
あらすじ
荒廃した世界でいくつか残っている人の密集した都市、そこで行われる内紛、歪んだ秩序の下にある治安維持。
堤《つつみ》は、現在の上司である男に強引に連れられて高級娼館を訪れるが、男娼のランファを見た途端どうしていいか分からなくなり店から逃げ出してしまう。しかし、しばらくしてもランファのことが忘れられず今度は自分で娼館へ向かう。
性的な関係を持たずに繋がれていく二人の関係。謎めいた男娼ランファの正体とは、そして二人の関係の行方は如何。
【悪あがき】
いつもは我儘を言っても甘えていると分かる範囲で、本当に困るようなことは一度も言ったことのないランファ。
あれほど取り乱すなんて、何があったのか想像もつかない。
「とにかくさっさと仕事を終わらせないとな」
急いで職場に行き、待っていた幹部たちに謝罪しながら会議の席につく。
「現在、標的は我々の本拠地から北東部に位置するホテルに滞在しており──」
なかなか終わりそうもない議題にイラつきながら、もはや部下を犠牲にすることに躊躇いもなく案を出す。本当なら今すぐここを放ったらかして家に帰りたいくらいだった。
──ランファはどうして急に仕事を辞めてくれなんて言い出したんだろう。危ない仕事だから……、というのは取ってつけたような理由だと思った。そもそも、一人で人殺しを楽しんでいるランファの方がよっぽど危なっかしい。もちろん実力があっての凶行だと分かってはいるし、辞めろと言うつもりもない。ランファにとってはあれが楽しみであり生きがいなんだろう。しかしそれを言うなら俺の仕事だって、生きる上で重要なことだ。
ランファがそれを理解してくれないとは思わない。今まで仕事の話をしたこともあったが、むしろ楽しそうに聞いてくれていた。疲れた時は寄り添ってくれたし、成功した時は一緒に喜んでくれた。
それがなぜ……?
切羽詰まっている様子だった。今すぐ辞めてくれないと、殺してしまうだなんて。……ランファが、俺を? あのバーで殺した男のようにランファの嗜好の糧になるのか?
そういえば、鞄の中を少しだけ見た時に何かリストのようなものがあったな。もし、殺された者はランファの気まぐれではなく、意図的に選ばれた人間を殺しているのだとしたら……? もし、ランファが『一人』で殺しを楽しんでいるだけではないとしたら……──。
「おい、ボーッとすんなよ」
平津に肘でつつかれて、まとまりかけた思考は霧散する。
「すみません」
そうだ。今ここで延々と考えたって答えは出ない。とにかく早く帰って直接ランファに話を聞くのが一番だ。
「ターゲットには常に護衛が近くにいますが、その中でも仮面をした者には注意が必要です。情報によるとその五人は人間離れした身体能力を持ち、隠密行動にも長けているようです」
「……五人? ということはこの間いた三人以外にも、もう二人いるってことですか?」
「おそらくそうだ。だが、流れている情報がフェイクでないとは言い切れない。はっきりしたことは言えんが、少なくとも五人以上だったことは今まで無いらしい」
「一応それぞれ役割があるらしく、五人で小隊のようなものとして機能していると言われています」
資料を見ながら秘書が説明を続ける。
「武器が判明しているのは二人、一人は拳法家で基本的には素手です。しかし相当な怪力らしく頭の骨を叩き割られている死体も見つかっています。それからもう一人は青龍刀を所持しており、かなり好戦的な人物のようです。おそらく彼がリーダーではないかと……。それから、未確認ではありますが狙撃手、電子系統に長けたクラッカー、毒物に長けた者もいるとされています。しかし注意していただきたいのは、彼らはいずれも得意分野はありますがそれ以前に全員がほぼすべての分野において高い能力を持っているということです。西大陸を収めるものが側において気に入っていると公言するだけある、戦闘のスペシャリストと思うべきでしょう」
「そんなヤバい奴らが、少なくとも今も三人はこっちに来ているわけだろ? いくらこっちから奇襲をかけるとはいえ大丈夫なのか?」
「いくら相手が天才でも、こっちには数がいる。犠牲は少なくないだろうが、それでもこちらに有利な条件だ」
その言葉に幹部たちも頷く中、秘書は異を唱える。
「しかし、その確実なはずの状況を覆す能力があるから、恐れられているのです」
「……君はこの奇襲に反対なのかね?」
「あ、いえ……そういうわけでは……」
「とにかく情報収集はご苦労。おかげでかなり作戦が練りやすくなった」
秘書はなにか言いたげに口を開いたが、堪えてそのまま席に戻った。
会議は長時間に渡り、一度小休止が持たれる。その時、先程の秘書が堤に話しかけてきた。
「すみません。堤さん、とおっしゃいましたよね」
「あ、あぁ、はい。そうですが」
組織の長に直接仕える秘書官は、立場で言えば堤や平津よりも上である。今まで話したことは一度だけあったが、それもほんの伝達事項を一方的に聞いただけで会話と呼べるものではなかった。そんな相手に突然、休憩室で一服をしている後ろから話しかけられ堤は少し驚きながら煙草の火を消した。
「あ、そんなにかしこまるようなことでは、少し気になることがあっただけなので」
「なんでしょうか」
「……失礼ですが、会議の時、ずっと時間を気にされているようでしたので、何かあるのかと」
「あぁっと、それはその……すみません。ちょっと……」
「何かお急ぎの用事が?」
「いえ……その、こんな大事な時にアレなんですが……どうしても気になることがあって……」
「プライベートなことですか? 私は気にしませんので、よければお話してくれませんか。なにか力になれるかも知れませんし」
「……実は、今朝、その、付き合ってる人がいるんですが、そいつの様子がおかしくて、いつもは落ち着いてて我儘を言ったりするタイプじゃないのに、どうも切羽詰まった様子で」
「その恋人を置いてきてしまったんですか?」
秘書官はどこか非難するような言い方だった。
「えっ? それは、その、はい。……ただごとでは無かったのでゆっくり話をきいてやりたかったんですが、会議の時間もあって……。とりあえず家から出ないで待っといてくれと言ったんですが……正直心配で、もう一刻も早く帰りた──あっ、いやっ、すいません。もちろん会議は真剣に聞いてますよ!?」
「なるほど……。きっとその彼も、あなたが真剣に心配してくれていることは伝わっているとおもいますが、やはり心細いでしょうねぇ。辛い時に恋人が側にいてくれないというのは」
「う……それは、そうですよね。俺がしんどい時はいつも寄り添ってくれてんのに……」
「仕事を大事にする気持ちは立派ですが、人の心は仕事と違って取り戻せませんから」
「え、いや、仕事も……」
「会議くらい、あなた一人いなくてもなんとかなりますよ。処罰があったとしたって殺されるわけじゃないんですから。ね? 恋人のところに行ってあげたらどうです?」
「いやいやいや、流石にそれは! もちろんあいつのことは心配ですけど、だからって仕事投げ出す訳にはいかないでしょう。あいつだって確かに今朝の様子はおかしかったけど、時間が経てば多少落ち着くでしょうし、会議が終わってから帰ってゆっくり話しますよ」
「……そうですか。では、……そろそろ会議に戻りましょう」
「はい」
なんだか妙だ。こんなことを言う人だとは思わなかった。もちろん人柄を知るほど話したことがないのは事実だが、もっと冷徹で仕事に命を懸けているような人に見えたが……。まさか恋人のために会議をサボっていいだなんて。
いやしかし自分の仕事に自信があるからこそ、あぁいったことが言えるのかも知れない。先程の会議でもターゲットについて調べ上げていたことに長も驚いていたし、あの仮面の護衛については他の組織でもこれほどの情報は持っていないだろうと幹部連中が褒めていたからな。
「では、会議を再開しよう」
全員が再び席に付き、ホワイトボードに書かれた文字を今一度見直した時だった。
「ん? 一人足りないな。秘書官がいないじゃないか」
誰かが言った。確かに席が一つだけ空いていて、先程の彼がいない。
「あれ、俺とさっきまで話してたんですけど……」
「私のところにもさっき来て、会議を再開しますと声をかけてきたんだが」
長も首を傾げている。他の者もきょろきょろとして、普段遅れるようなことがある人物ではないだけに何かあったのではないかとざわつき始める。
「堤君、悪いけど探してきてくれないか」
この中では一番下っ端の俺に声がかかり、会議が再会されるなか一人建物内を走り回って探す羽目になった。
会議が行われている階は最上階、もちろん最初に探し回ったが秘書もその他の人影も見当たらず少しずつ下の階へと降りながら探していく。組員達にも聞いて回っているが誰も秘書官を見ていないという。階段を使っているため大分疲れながらビルの中間階までたどり着いたがどこにもいない。息を切らしながら聞いて回っていたせいで、流石に一度休んで下さいと後輩に言われお茶をもらって礼を言った時だった。
ジジッ、と部屋の中のスピーカーに電源が入る音がして、それはすぐに話しだした。
「東部組織の皆様、突然の放送失礼致します」
それは、俺が今まさに探している人物の声だった。
「会議中の方もいらっしゃるかと思いますが、お時間を頂戴したく存じます。先日、協定を結びました我々の首領からの言伝でございます。『こちらとしては血を流さずに済むのがお互いにとっても良いだろうと考えた上で、そちらへの礼を尽くすために遠く出向いてあのような場をもったが、無駄に終わって大変残念に思う。しかしそちらの桜は大変に綺麗であったから、全て散る前に見ることが出来てよかった』以上が首領のお言葉になります。そして、ここからは粛清および殲滅の命を受けました我々五人が皆様方のお命を頂戴したく存じます。抵抗なさる方は存分にどうぞ。放送は以上になります。……あぁ、申し訳ありません。もう一つ。放送は録音ですのでこちらの放送室にいらっしゃっても、本来の秘書様のご遺体があるのみですので、ご足労いただく必要はありません。それでは、どうぞみなさま、良い最期を」
プツ、と切れた音がして、誰も彼もが呆然とスピーカーを見上げる中、すぐにその放送がたちの悪い冗談でないことを知る。それは激しい爆発音と、階下から聞こえる悲鳴とも怒号ともつかない叫びによって。
「急いで武器を取れ! 戦闘準備をしろ!!」
堤はとにかくその場にいる後輩や部下たちを何とかしなければと、指示を出す。
「状況が分かるまではその場で待機だ! いいな!」
そう言い捨て、自分は様子を探るため廊下へ飛び出した。爆発音は上も下も問わず聞こえ始める。
秘書官が既に殺されているということは、つまりとっくの昔にビルに侵入されているわけで、もはやどこから敵が飛び出してきてもおかしくない。
あちこちから煙が出て、あっという間に疑心暗鬼になった組員達が騒ぎ始める。
「下の階に仮面をつけた悪魔がいた!!」
「さっき目の前で撃たれたやつが居る! どこから撃ってるのかわからない! 突然倒れたんだ!」
「窓には近寄るな! 姿勢を低くしろ!」
「ビル内の防衛システムはなぜ作動しない!? 監視室の人間は何をしてるんだ!!」
怒号が飛び交う、全てが後手に回っているのは明らかだった。
「助けてくれ! 逃げようとしたやつが、でっかいナタみたいなのを持った奴に次々殺されたんだ! あっという間だった! 一瞬で何個も首が飛んだんだ!!」
泣き叫びながら階下からなんとかエレベーターに乗り込み上がってきた男が言う。
「すぐにこっちに来る! 殺される!! いやだぁあああ!」
血まみれで、もはや正気も失って、窓から飛び出そうとする男をなんとか止めながら、その常軌を逸した様子に誰もが戦慄した。何が起こっているのか分からなかった。
手を出してはいけない何かに、触れたのだ。
震える手でなんとか拳銃を握りしめ、部屋にもどり机でバリケードを作るとその影に隠れる。敵が入ってきた瞬間めちゃくちゃに発砲してやろうと思って構えていたが、なかなかその気配はない。
***
戦闘開始 5分前
「まだランファは戻りませんか?」
携帯を手に眼鏡の男は苛立たしげに連絡をする。
『まだ来てない! どうしよう……そろそろシステムが作動する時間なんだけど』
「遠隔で操作出来ないんですか?」
『そこまでするには時間が無かったんだよ! 情報が足りないんだ。多少なら誤魔化せるけど、すぐにボロが出る』
「私の方も会議を抜けてきてしまいましたからね。ちょうど堤さんが探しまわっていますが」
『堤の居場所は?』
「確認できます。先程話した時にGPSをつけたので。位置情報送りますね。全員に共有お願いします」
『了解。助かったよペオニア。これで少なくともユーダリルやラディがうっかり殺す心配はなくなる』
「ユーダリルはもう位置についていますか?」
『うん。位置情報は指定した位置に来てるから。たぶん大丈夫』
「堤さんも馬鹿ではないので、簡単に狙撃できるような窓際には来ないと思いますけど、誤射を防ぐために付近の人間も狙わないように言っておいて下さい」
『了解』
室内の時計を見てため息をつきながら、ペオニアは既に仮面をつけて言った。
「……わざわざあれだけ情報を教えてあげたんですから、狙撃、毒物、システムエラーには対応していただきたいものですが」
『ペオニアの説明ボクも聞いてたけど、ウケたよ~めちゃくちゃ喋るじゃん! まぁ外部に漏れる前に全部殺すからいいけどさー。特にボクの情報なんか、どうやって手に入れたのって感じだよね』
「いいんですよ、そんなことは。それにあなたも戦闘に参加して直接セキュリティールームを血の海にしながら遊んでたこともあったでしょう」
『見た人も情報も全部壊してるのに誰が知ってるのさ。いやいいんだよ。責めようっていうんじゃないよ。今回はそれで堤が少しでも生き残ればなんでもいいんだからさ』
「そうです。それで肝心のランファは──」
『あっ! 通信入った!』
『全員、聞こえているか』
冷たい声でそれは告げた。冷静というよりも、凍りつくように静かなだけの、感情のない声。
『システムダウンまで残り2分、プラム、予定通りで問題ないな』
『はい』
『ペオニア、宣告の用意は』
「放送室に既に、問題なく」
『では放送終わり直後、ラディが正面扉を破壊、そのまま上へ進む形で手当たり次第殺せ。殺り残しは私が片付ける。ペオニアは最上階から幹部を捕獲、見せしめのために終わり次第吊るすから顔の形が変わらない程度に痛めつけろ』
「了解」
『ユーダリル、お前は撹乱と逃亡者の駆除を』
『……』
『残り1分、戦闘態勢に入れ。いいか、いつもどおりの殲滅作戦だ。例外はない。一人も逃さず全て殺せ』
「『『了解』』」
***
通信機器は全て遮断され、情報は何一つ入ってこない。
近づいてくる足音に怯え、滅茶苦茶になった建物の中で自分が何を撃っているのかわからないものがほとんどだった。敵を認識したつもりで銃口を向ければ次の瞬間には自分の首が潰れている。
「ば、け、も、の──」
「だからそうだとペオニアが散々説明していたんだがな! 君たちにまでは届いてなかったか!」
死体に話しかけながら猛進する男はその拳を血まみれにしながら突き進む。それでもいつもよりは少し丁寧にゆっくり殺していた。少なくとも殺す前の一瞬、相手の顔を認識していた。
「うぅむ! どこにいるのやら。誤って仲間を撃っている者も多く見受けられる。まさか彼もそんなことで死んではいないだろうな!」
『はーい、ラディ、その心配は無さそうだよ。さっきからちょっとずつ移動してるからね』
「そうか!」
『それより間違えてその通信、ランファの方にのっけないでよ?』
「気をつけている!」
『ならいいけど』
「こちらペオニア、とりあえず全員寝かせておきました。あと、何人かいませんね。逃げたのか……まぁどの道外には出ていないでしょうから時間の問題です。ただ、一つ気になることが」
『なに?』
「平津がいません。まだ、くまなく探したわけではないのでどこかに隠れているのかも知れませんが──」
『ちょっとまって! ユーダリルから通信入った!』
「……!」
ユーダリルは仕事中も一言も発したことはない。念のため通信機は持たせているものの、ほとんど意味のないものだった。ランファとだけは通信で会話している可能性もあったが、全員の通信で喋ることは絶対にない。
『きこえてる の? さんにん とも』
「ペオニア、聞こえてます」
『プラム、OK』
『オレも問題ない!』
『 ランファ つつみのいる階に はいった 予測 一分後 接敵 総員 警戒態勢 目標の部屋はブラインドが下りているため援護不能』
聞き慣れない低い声で告げる。それは今までにない最大の警報だった。
──二本の青龍刀で舞うように、血飛沫をあげながら首を飛ばす。鋼が赤く染まりそれはまるで紅蓮の翼のようだった。
「せ、せんぱい、段々、こえが、ち、近づいてませんか」
震えながら、立てた机の裏に隠れる後輩が言う。彼の言う通り、先程から悲鳴が近づいていた。聞こえるのは短い断末魔と発砲音。
泣き叫びながら撃ち続ける音がするけれど、なぜか、そのうちの一つも相手にはあたっていないだろうと思った。
きっとあの仮面をした美しい生き物は、返り血だけを全身に浴びて、この部屋のドアを開けるのだろう。あの時、料亭で見たうちの誰かかも知れない。もしかしたら、桜を詠んだ、彼かも知れない。そんなことが頭をよぎった、次の一瞬──。
全ての音が止まり、完全な静寂が訪れた。
堤はそれで、この階にはもうこの部屋以外は生き残りがいないことを悟り、叫んだ。
「来るぞ! 構えろ!」
号令と同時にドアは勢いよく開け放たれる!
恐怖しながら、何人かは開くよりもわずかに早く引き金を引いたが、そこには何もいない。
「上だ!」
全員が呆然と何もない空間を見つめて動きを止める中、天井に這う黒い影を見留めて堤は叫んだがそれは既に遅く。
声もなく首ばかりがいくつも飛んだ。
自分の真横にいた後輩の首が飛ぶ直前に机を蹴飛ばし、壁に背をあて、二発撃った。
「せん、ぁ、い──」
机を蹴ったことでわずかにそれを避けようと動いた仮面の男の刀は、後輩の首を半分だけ切り損ねて、だからその死体は俺のことを恨みがましい目でみながら倒れた。
銃口は仮面の男に向いている。弾も残っている。けれども、それが何だというのか。一瞬でこの部屋を血まみれにした化け物に、なんの抵抗になるというのか。
けれども、彼はどうしてか、静かに俺を見下ろしていた。だから俺は震えながら、顔を引きつらせて無理やりな笑顔を作りながら一言だけ尋ねた。
「桜を詠っていたのは、あんたか」
答えが返ってくるとは思っていなかった。ただ、ほんの遺言代わりのつもりで、尋ねただけだというのに。
「……そうだ」
彼はなぜか答えた。それどころか、まるで、悲しそうに、話しかけるのだ。
「……朱を愛する友がいると、言っていたな」
「あぁ、言ったな」
「……親しい仲なのか」
「恋人だよ」
「……、……命乞いを、しないのか。……恋人に、手紙を残すくらいの時間はやろう」
「随分と親切じゃないか。俺の部下を首なしにしておいて、どういう気まぐれだ」
「……お前は、私の謡を、褒めてくれたから」
「そうかい。そんなに嬉しかったなら良かったが、あいにく何も残す気はないんだ」
「……なぜ」
「お前も男なら分かるだろ。死んだ恋人に手紙なんか残されちゃ、生きてる方は、いつまでたっても先に進めない。だったらいっそ、潔く死んだほうがカッコがつくってもんだろう」
「……そういう、ものか。ならば、せめて苦しむことのないよう、その首、落としてやろう」
「俺がこの手に持ってるもんが見えねぇのか」
「あと8発で何が出来る。その手で私の頭を狙えると思っているのか」
震えて、なんとか力いっぱい握りしめることで持つことが出来ている拳銃を指差して。静かに彼は言った。その通りだ。何も出来ないだろう。けれども。
「……当たんなくても、俺は足掻くぞ」
「苦しんで死にたいのか」
「それが最期まで生きたってことだろうが!」
その声が、彼にはどう感じられただろう。仮面の男は、どうしてか、ひどく悲しそうに、佇まいだけでまるで、泣いているのかと思うほどに──。
「いいだろう。そう望むのなら、苦しんでくれ」
言いながら、彼は左手に持っていた青龍刀を床に投げ、利き手のそれのみを構える。
「それで哀れんでるつもりなのか!」
手加減をされるような、そんな生ぬるさに怒りをこめて叫んだが、彼は応じないまま、床を蹴る。
上に、くるな、とおもって。適当に真上に何発か撃った。もはや残りの弾数も分からない。けれどもそんな思考は一瞬の内に無駄になる。
キンッと金属同士がぶつかる音がした後、手に持っていた拳銃を弾き飛ばされて床の上をくるくると回りながら遠くへ行く。取りにいける、わけもない。
風を切る音がして、あぁ、結局、首を綺麗に落とされておわりか、と思った。
けれども、一瞬、それは本当に一秒にも満たない時間だったが、ありえないことが起こった。
パンッ──乾いた音とともに、自分の頭上に血飛沫が舞う。
「ぁ、あ」
短く、啼いて、それは肩から血を流して持っていた刀を落とす。
視界はスローモーションのように、ゆっくりと、音は消えて遠くの方で刀が床に落ちる冷たい音が響いているような感覚だけがあった。
それは、その真っ白で無機質な仮面をつけた男は、そのまま二発、三発と撃ち抜かれ、黒衣に包まれた体から血が舞って、ぐらりと傾くと、倒れた──。
激しく床に打ち付けられた体。その拍子にカンッと妙に鈍く、軽い音がした。
それは、表情のない不気味な白面が、床にあたった音。
倒れた衝撃で少しひび割れ、斜めって、顔から外れて、ついでカラカラランッと少し床の上で回ってから動かなくなった。
「……な、ん、で──! なんで! お前が、ここにいる!!」
堤は叫んだ。倒れた青年の側にかけより、ひざまずき、驚愕した。
それは、間違いなく自分のよく知る、愛しい青年だった。
「ランファ!! 起きろ! 起きてくれ!! なんで、なんで!」
その声に堤を間一髪で助けた──つまり、ランファを撃った男は、血まみれの体を引きずって震えている。
「つつ、み、何を、言っている。そいつは、敵だ! ランファなわけがない! 俺はこの目で見たんだ! その仮面の男が仲間の首を次々に飛ばし、切り刻んでいく様を! 騙されるな! それは化け物だ!」
「で、でも、この顔は、確かに、ランファじゃないですか。他の、誰だって言うんですか!」
「違う! 違う、違う!! 俺はランファを殺していない!! そうだ! ランファならお前を殺すわけがない!」
狂ったように平津は叫んだ。いや、ように、ではなく、真実、彼は狂ったのだ。もはや耐えられなくなって。
「それは化け物だ! 殺せ! はやく殺すんだ! まだ息がある! 目を覚ます前に──!」
先に銃を取ったのは、堤だった。
「堤、おい、なぜ、俺を見ている。なぜ銃口を俺に向ける! はやくその化け物を殺すんだ!」
「出来ません。平津さん」
「まさかそれがランファだと本気で思っているわけじゃないだろうな!」
「そのまさかですよ。こいつは間違いなくランファだ。なぜなら、あなたの言う通り、彼は俺を殺せなかった」
「俺が撃ったからだ!」
「いいえ、その前に、一瞬こいつは躊躇った。この首を正確に落とせるところで、あまりにも隙だらけになって! そうでなければ、俺もあんたも死んでたんだ!」
「なにを……」
「こいつを殺す気なら、俺が、あなたを殺します」
涙を流しながらランファの体を抱きしめて、堤はしっかりと平津の眉間を狙っていた。
「……、……そうか、……もう、いい。それなら、殺してくれ。それで、救われるなら、いいんだ」
疲れ果てた狂人は悲しく呟いて、力なく項垂れる。
「『お前が壊れて 私を引き裂いて犯したくなったら それを享受しよう
お前が壊れて ばらばらになりたいと望んだら 私がそれを叶えよう』」
歌うような声で、血濡れた体を引き起こしながらそれは言った。その声に平津はぼんやりと顔をあげて、目の前の奇妙な光景を自然と受け入れた。それは狂った大脳のみせる幻覚か、それとも目の前の悪魔が夢でも見せているのだろうか。
「『お前はどちらを望む 殺したいのか 死にたいのか 憎みたいのか 愛されたいのか』」
歌い続ける美しい化け物は、その綺麗な顔から血を流し、優しく微笑んでいた。
「……俺は、もう、つかれた。なにもかも、ぜんぶ、おわりにしたい」
「『そうか、では叶えよう。私がお前を殺してやろう! 私がお前のばらばらになった肉片まで愛してやろう! 一度きりの美しき徒花よ!』」
みしみしと骨の軋む音をさせながら、撃ち抜かれたはずの右腕で刀を振り上げ、一刀──。
コメント