白い背中 エピソード1

作品
エピソード1 夏

あらすじ
穏やかな高校生活をおくる少年。警察組織に所属している父親を持つ彼は、幼い頃親しかった少年と再会するが、少年の父親は暴力団関係者であり、互いに成長した今となってはかつてのように会話をすることはない。しかし彼は思わず少年のことを目で追いかけてしまって……。
四季を象徴としながら二人の関係が変わっていくストーリーになっています。わずかに『薔薇色の男娼』と繋がっている部分がありますが、直接関係はないので片方だけ読んでも困らないはず。

【エピソード1 夏】  平凡な学校、平凡なクラスメイト、なんの変哲もない高校生活。そんな楽しくもあり退屈でもある日々に、彼の存在が時折気にかかる。  少し長く伸ばした黒い髪、ありきたりな眼鏡の上に少しかかる前髪は彼の表情を隠す。同性とも異性ともろくに喋ることがなくずっと窓際で本を読む彼。白いカッターシャツが嫌というほど似合っている、雪のように白い肌。  俺は時々、彼を盗み見ては気づかれない内に急いで目をそらす。見なければ良いと分かっているのに気がついたら目で追っている。  彼はそれに気づいているかもしれない。でも、本に夢中で何も知らないかもしれない。そうだと良いなと思う。クラスメイトにいつもチラチラと見られているのは良い気がしないだろう。それに俺と彼とは住む世界が違うのだ。  俺みたいにうるさい友達が多い奴は、彼からしたら疎ましいかもしれない。きっと本に集中できなくなるだろうから。彼の静かな時間を壊してしまうだろうから。  でも、気づいて欲しいような気もしたんだ。  なぜならこれは、俺にとって一種の贖罪でもあったのだから。  彼は時々、クラスメイトに絡まれていた。あまり素行の良い奴らじゃない。俺とも彼ともまた違ったグループで先生も手を焼くような、不良と言うほどではないけれど、他のクラスメイトからは疎まれるような奴らだった。  何度かしつこく絡まれているのを見かけて、俺は止めに行こうとしたこともあるが「やめておけ」と友達に言われた。「なぜ」と言えば、「お前が今度は狙われるぞ」と。「放っておけばそのうちやめるだろう」とも。確かに奴らはしばらく絡むと飽きてどこかへ行った。今の所、彼があからさまな暴力を受けたり何かを盗られたりというわけではなく、ただ静かな読書の時間を邪魔されているくらいだった。  俺は友達の忠告を聞き、彼に関わることはしなかった。  彼と同じクラスになってからしばらく過ぎ、本格的な夏が始まる頃。  その日の体育の授業は屋外でのサッカーだった。俺は子供の頃から体を動かすのは好きだったから、体育の授業もいつも楽しみで浮かれた気分で着替えていた。  ふいに、視界の端に彼がうつる。いや、ふいにというのは間違いだろうか。やはり意識していたのだろう。けれども俺は、努めて彼を見ないようにしていた。俺が彼の着替えを見てしまうのは、女子更衣室を盗み見るのと同じくらい浅ましい行為だと思っていたから。  しかしその日、俺はいつものように目線を自分の荷物だけに固定させて脇目も振らず着替えて、すぐに校庭へ行こうとしたが、一瞬見えてしまった彼がまだ制服姿だったので思わずそのまま凝視してしまった。  彼はいつもの無表情で、うろうろと何かを探していた。『何かを』ではない。間違いなく体操服を探していたのだろう。すぐに俺は教室を見渡し、いつも絡んでいる奴らを見止める。奴らはうろうろとする彼を見て笑いながら、ひそひそと何かを言い交わす。  しばらくすると彼は探すのを諦めたのか、制服のまま教室を出ていった。それを見て奴らはつまらなさそうな顔をして、そのまましばらく喋りながら他のクラスメイトが出ていくのと同じくらいの頃合いで校庭へ行った。   *** 「体操服を忘れた? そうか、なら見学していなさい。その格好じゃ暑いだろう。学ランは脱いであっちに座ってなさい」  体育教師は特に怒るでもなく、木陰にあるベンチを指差してそう言った。 「では出席をとる」  順番に名簿をつけていき、返事がないと視線を生徒たちに移して少しうなった。 「いつもやかましい奴がおらんな。夏風邪でもひいたか?」  体育が好きで人一倍元気よく、目つきが悪いわりに愛想の良い君は教師の覚えもめでたかったから、それは少し残念そうな口調だった。そしてすぐに君の友達が教師に向かって言った。 「さっきまで普通に元気そうでした」 「いつもどおり一番に着替えて出ていったよな?」 「そうそう。トイレでも行ってんじゃないですかね。そのうち来ると思いますよ」  それを聞いて教師は首を傾げながら名簿に三角をつけた。 「遅刻だな」  と言いながら。  そのうち来るだろうと思って特に誰もそれ以上は言及せず、そのまま体育の授業が始まった。炎天下の中、土埃にまみれながら楽しそうにサッカーをする。体育教師はしばらく審判をした後、暇そうな生徒にその役目を渡した。全員が一度に試合をするわけではないので意外とわらわら周りでふざけあっている生徒も多く、丁度良かったのだろう。  しかし審判を任せて何をするのだろうと思ったら、教師は僕の方へ歩いてきた。 「学ランは脱がんのか」 「はい、あまり暑くないので」 「そうか。まぁ構わんが。……あー、念の為聞くが、体操服は本当に忘れたのか?」  教師は少し不安そうに尋ねた。 「はい。実は今朝、家族が僕の置いておいた体操着を間違って汚してしまって。時間も無かったので慌てて置いてきてしまったんです」 「そうかそうかっ。それならいいんだ。変なことを聞いて悪かったな。お前は少し大人しいから何かあったんじゃないかと心配になったんだ。気にしないでくれ」 「はい」  口元だけは少し微笑ませて、僅かばかりの愛想笑いを湛えると教師はホッとしたように審判をしに戻っていった。  そうして授業の半分が過ぎた頃になっても君はやって来なかった。流石に心配した教師がどうやら探しに行こうとしているのが分かったから、僕は木陰から出て自分が探しに行きましょうかと申し出た。 「あぁ、頼めるか。一応保健室と教室を見に行ってくれるか。それでいなかったら、先生に教えてくれ」 「分かりました」   ***  校庭から楽しそうな声と得点が入ったらしいブザーの音が鳴るのを聞きながら、俺は体操服のまま学校の中を走り回っていた。  それほど人数の多くない学校、少し気をつければ先生と出くわすこともなく校舎裏にある焼却炉へたどり着いた。 「……あった」  息を切らせながら、焼却炉の隣に青い体操服袋が置かれているのを見つけてやっと安心する。どうやら奴らは中に入れてしまうほどの度胸は無かったらしい。ゴミまみれになっていたらどうしようかと気を揉んだが、これなら何喰わぬ顔で彼の机に置いておけば誰も不審には思わないだろう。  そう思って、教室へ戻るためにもと来た道を引き返そうと振り返った。けれども次の瞬間、俺は思わず呻いて目をつぶった。正午を過ぎてきつい日差しに目がつぶれそうになったからだ。  眉間にシワを寄せながら、腕で光を遮ってそろそろと目を開ける。すると人影があるのに気づいて息を呑んだ。  先生だと思ったからだ。けれどもこんな時間に、こんなところに用があるだろうかと思い直してもう一度よく見ると、それは暑苦しい真っ黒な学ランを着ていた。  彼だ、間違いない。  逆光で顔は見えなかったがすぐに分かった。  俺は緊張で体に力が入らなくなるのを感じながら、なんとか、歩いた。彼は動かない。けれども近くまでくれば、その表情は僅かに微笑んでいると分かった。 「あ、その、これ……」  俺は目を泳がせながら体操服袋を差し出した。 「探してくれたんだ。ありがとう」  そう言って受け取った彼はやっぱりほんの少しだけ微笑んでいた。ますます俺は挙動不審になりながら話しかける。 「おう……。あ、あのさ」  しどろもどろになる俺をまっすぐに見て、彼はどこか柔らかい表情を湛え待っていてくれる。 「が、学ラン、あつくねーの?」 「いや、暑い。かなり」 「え、じゃ、じゃあなんで着てんの?」 「これを脱ぐと中に体操着を着ているのがバレるから」 「え?」 「この袋にはジャージの方しか入ってないんだ」 「あ……、れ、もしかして、その……、汗かくと、見えるのか……?」  彼は答えずに、微笑んだ。  間違いない! 彼の背にはあるのだ! 彼の家ではおそらく当たり前の、しかしごく一般的な家庭からすれば異質極まりないそれが! 「た、大変だな」  俺は必死で愛想笑いを浮かべた。 「そうだね。暑くて仕方ないよ」  彼も笑う、優しく、その首筋には汗をつたわせて。  『キニナルノ?』と、聞こえた気がした。『僕ノ背中ニ在ル絵ガ、気ニナルノ?』と。俺は硬直したまま黙り込んだ。彼の黒い瞳が俺の頭の中を全て見透かしているようで、恥ずかしくてどうしていいか分からなかった。そうすると彼は、言った。  幻聴ではなく、本当に。 「見たい?」  笑っていた! 彼は楽しそうに笑ってその薄い唇から声を発し、まるで蛇が獲物を狙っているような目で俺を見つめながら! 「ち、ちがう!」  俺は真っ赤になって否定した。必死になればなるほど、気になって仕方がないことを白状しているようなものなのに。 「冗談だよ」  彼はくすくすと笑っていた。 「それより君、言い訳は考えてあるのか? 授業の半分もサボってしまって。お友達が心配していたよ」 「え、あ、なんにも……」 「僕から具合が悪そうだったので教室で休んでいたと伝えておこう。その代わり、僕の体操着を教室の後ろにある棚へ入れておいてくれないか?」 「わかった。あ、でも、あそこだと荷物見えるだろ。また盗られないか……?」 「あぁ、そうだな。じゃあ廊下にあるロッカーの方にいれておいて欲しい。これ、鍵。たのんだよ」 「わかった」  返事をして体操服袋と鍵を受け取ると、彼はやはり微笑んで、そのまま校庭へと戻っていった。  教室へ戻り、迷いなく彼のロッカーの前へたどり着く自分にまた顔を赤くしながら鍵を差し込む。開けると、自分とは大違いの整頓された中身になんだか見てはいけないものを見たような気分になって、あわてて体操服袋をいれるとすぐに閉じた。  ──彼とは、実は初めて話すというわけではない。  むしろ子供の頃はよく遊んでいたし、親友だと思っていた。一緒に川遊びをしたり夕暮れまで遊んでいて親に注意されたこともあった。  変わったのは6年生の夏。  それは偶然であり突然だった。何気なく夜ご飯を食べながら今日学校であったことを話して、どういう流れでそれを言ったのかすら今では覚えていないが、いつもは家でも外でもあだ名で呼んでいた彼のことをその時は名字で呼んだ。それだけだった。  けれども父親はそれを聞いて烈火の如く怒り、母親も青ざめて、彼と遊んではいけないときつく言われた。  その時は意味が分からなかったし、反発する気持ちもあって俺は親の言いつけを守らなかった。家では彼の話しを一切しなくなったので、親はそれで安心していたようだった。しかしそれからまもなくして俺はそのことを彼に話してしまった。  彼は俺と違って大人びていて、賢かったから。彼なら何か教えてくれるかも知れないと無意識に思っていたのだろう。当時はそれほど考えてその話をしたわけではなかったが、結果として俺はかけがえのないたった一人の親友を失った。  彼は理由を教えてはくれなかった。その代わりに、二度と俺の前に現れなくなった。  中学生に上がる頃になってやっと暴力団とはどういうものか、父親の職業はそれと仲良くしてはいけないものなんだとか、そういう事を知った。  だから高校生になって父親に進められて特に何も考えずそのまま入った学校でまさか彼と再び会い、しかも同じクラスになれるとは夢にも思わなかったのだ。  俺は少しでも彼と話せたことが嬉しくて仕方なかった。いつも無口で無表情な彼が微笑んでいた。あの大人っぽい落ち着いた話し方、時折射るように鋭くなる目、昔と何も変わっていない。  唯一違うのは  あの頃はまだ真っ白だった小さな背中に  今は色鮮やかな絵が彫られていることだけだろう  小学5年生のとき、川で遊んで濡れた服を脱いだ彼は、まるで人魚のように青白く輝き水を弾いていた。今はその背に、何が棲んでいるのだろう。きっとあの雪のような肌に冴え冴えとそれは美しく在るに違いない。  ──そう思って、白いシャツを脱いだ彼を想像し、欲情している自分を自己嫌悪で殺したくなりながら、それでもやめることは出来なかった。   ***  彼に対する嫌がらせはそれからも続いていたが、それはある日を堺になりをひそめた。残念ながらその日ちょうど俺は学校を休んでいたので又聞きになるが、どうやら絡んでいた奴らはあまりにも無反応な彼にイラついて読んでいた本を奪って窓から投げたらしい。  彼は驚くでもなく、ただ無言で立ち上がり窓から飛び降りた。  教室は二階にある。クラスメイトも、絡んでいた奴らも真っ青になって窓から身を乗り出して下を見たが、そこには平然と本を拾い上げ、砂を払っている彼がいたという。 「マジでびっくりした! すげぇフィジカルだよな!」  友達は興奮気味にその話を俺にしてくれた。 「それ以来、ご覧の通りあいつらすっかり大人しくなってんだよ」 「良かったな。お前けっこう心配してたじゃん」  やっと彼が平穏を手に入れたことに安心しながら、俺はその日休んだことをひどく後悔した。

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