02話 麗人との出会い
あらすじ
高校生になり、友達と部活動見学に向かった一信《かずのぶ》。弓道部に入ろうかと考えて、人だかりが無くなっても見学を続けていると優しげな部長から声をかけられ道具を見せてもらえることに。そこで遅れてやってきた三年生の先輩 高木(たかぎ)と出会う。
物憂げな表情で無口な高木は、冷たい印象を受けるが一信は次第に彼の優しさに気づいていく。弓を引く姿の美しさに惹かれ、高木自身へも惹かれていく一信。最初は困ったようにしていた高木も少しずつ心を開くようになり、明かされていく高木の危うさ。人間の醜さ、鬱屈を想いながらも、少年たちが愛とは何なのか考えていく物語。
【麗人との出会い】
新しい校舎!
新しいクラスメイト!
新しい教師!
新しい教室に教科書!
見たことのない科目!
なんて楽しそうなんだ‼
少年は胸を踊らせて、高校生活が始まった。何もかもが新しく興味深かい。既に何人か友達もでき、放課後は部活動見学に行くことになった。なんとこの学校には弓道部があるらしく、当然ながら少年は見学先として一番に弓道部を口にした。
弓道部のある高校は珍しく、中学までは触れる機会も一切なかったような分野だ。友人達もそれは同じで、皆が少年の提案に賛成した。
わらわらと部活棟に向かい、人だかりを発見する。どうやら新入生の多くは同じことを考えるようで、皆弓道部へ見学に来たらしかった。入部するかどうかはいざ知らず、一度は見ておこうと思うのだろう。
誘導してくれる先輩方も慣れているらしく、新入生に向かって簡単に弓道場について説明をしてくれる。
「射つ場所を射位と言って、ここから的までは二十八メートルほどあります。今から三年生の上手い人たちが手本を見せてくれるので、新入生のみんなは静かに見ていてくださいね!」
よく通る声でそう言った部長らしき人物に従って、矢をつがえる──袴を着て構える姿は、男女ともに5割増はかっこよく見える効果があるように思えた──順に、タンッと音がして気持ちよく的にあたってゆく(外れていることがあっても興奮気味の何もわからない一年生は気づかなかっただろうが)。
しばらくデモンストレーションが続き、なんとなく雰囲気を味わって満足した新入生たちは数を減らし、他の部活の見学へ行くものも現れ始めた。
少年と一緒にいた友人達も、弓道部は一つの候補にしておいて他の部活を見ようと言う者や、他に本命の部活があるのでそっちも見に行きたいと提案し始めたが、少年はそれらを断り部長へと話しかけた。
「君は……新入生代表で挨拶をしてたよね。独特で面白い挨拶だったよ。一年生はまだ道具に慣れてないから、すぐに三年生みたいな練習ができるわけじゃないんだけど、ちょっと触るだけなら教えられるよ。興味があるならやってみる?」
人好きのする笑顔でそう言われ、少年は大きくうなずいた。
初めてもつ弓!
弦を引っ張る感覚!
全てが新鮮だった!
「君は弓道部に入ろうと思っているの? 嬉しいけど、意外とお金がかかったりもするし、もちろん貸し出したりもしているけど、一応親御さんに相談してみてから入部を決めたほうがいいかもしれないね。もちろん僕らは大歓迎だよ! 弓道部員はほとんどが高校生から弓道を始めた初心者だからそんなに緊張することもないし、頑張れば大会に出る機会もあるよ」
両親が反対することはまず無いだろうし、むしろ日本文化が大好きな父親なんかは大喜びするかもしれない──そんなことを考えていると、ふいに後ろの方で苛立たしげな声を聞いた。怒鳴るという程ではなく、けれども明らかに怒りがあるのだと分かる声色に少年は振り返る。
すぐに部長は焦った顔で「少し待っていて」と言い、小走りで少年の横を抜けた。
「どうしたんだい。何か起きた?」
「部長! こいつ今日、わざと遅れて来たんですよ!」
指差された先には、黒髪の麗人がいた。
長い前髪を無造作に垂らし
憂いのある瞳は どこか鋭く 深い悲しみを秘めているようにさえ見える
自分のことで揉め事になっているのに 他人事のように視線をさまよわせ
「新入生のデモンストレーションに出る必要は無いと、僕が言ったんだ。高木君を怒らないでくれ。もともと彼には無理を言ってこの弓道部に所属してもらってるんだし、毎日来る必要もないと先生も言ってる。それなのに基本的にいつも来てくれてるじゃないか。それで充分なんだよ」
どうやらあの麗人もなにか問題児らしい──と少年は察した。
麗人は退屈そうにしばらく部長が部員を宥めるのを聞いていたが、ふとさまよっていた視線を留めて──それは僕の方をまっすぐに見ていた。
ややあって、彼の木槿色の薄い唇は重々しく開いた。
「入部希望者か」
それは誰にとも無く
尋ねるようでも断定するようでもない 不安定な響きを帯びて
「あぁ、そうなんだ! まだ入ると決まったわけではないけど、興味を持ってくれたみたいでね、軽く説明をしてたところだったんだよ」
話題が変わったことに安心した様子で部長は答えた。
そのまま話の流れは少年の方へと移り、麗人は静かに更衣室へと消えていった。
僕は再び部長から弓道場の使い方や道具の名前などの説明を受け、今週中に入部届を提出することを伝えた。
「今日は他の部活は見に行かなくていいのかい? 入部する気がない部活でも一度見に行くと、この時期はどんな部活でも親切にしてくれるから楽しいと思うよ」
少し小さな声で話す。けれども僕は弓道部以上に惹かれる部活はないと確信していたし、それよりも早く矢をつがえて的を狙ってみたい気持ちでいっぱいだった。
「もしこのあとも時間があるなら、このまま見学していってもいいよ。たぶんこれから高木君も練習を始めるし……。あ、高木君っていうのはさっき遅れてきた人のことでね。あまり大きな声では言えないんだけど、彼はこの部では珍しく弓道歴が長くて、有名な師範について習ってるんだ。それで顧問の先生が名前だけでもと無理言って彼を入部させたんだよね。やっぱり長くやってるだけあってとても綺麗な射だからぜひ見ておくといいよ」
程なくして更衣室から出てきた袴姿の麗人は足音もなく
気がつけば 射位に立ち矢をつがえていた
「あ、」
思わず僕は声をもらした
その姿勢 表情 視線 纏う空気
全てが一瞬で浄化されるような感覚
カロン──と矢が放たれる音がして ずいぶん遅れて タンッ──と中る音がした
もちろんそれは一秒にも満たない時間だったのだけれど どうしてか 長く……
「きれいだろう?」
部長は少し微笑んで言った。憧れ、のような視線を向けながら。
「彼が中てる一瞬の間、道場が静まりかえる、その時間が僕はけっこう好きなんだ」
今度ははにかみながら。
それで分かった。この部長を始めとする弓道部員の多くはあの高木と呼ばれる麗人のファンなのだ。彼の射を見るために、足繁く弓道場に通い、部活動にいそしむことで堂々と特等席でそれが見れるのだ。
「なるほど。最高の特権ですね」
僕の独り言は、ちょうど高木へ話しかけにいった者の声によってかき消された。
「あぁ、副部長の彼は普段は悪い奴じゃないんだけど、どうも高木君にはすぐにつっかかっていくんだよ。困ったな。ごめんね、恥ずかしいところを見せて」
慌てて仲裁をしに行く部長の背中を見ながら、僕は座ったまま先程の動きを頭の中で反芻する。
矢をつがえ
呼吸を整え
静かに的を見る
体の芯が一直線になり
きり、と腕を引く
そして一瞬 矢が放たれ 風を切るのを 聞いている
切り取って額に入れたくなるような数秒間だ、と思った。
やはり部活はここにしよう。
──にしても、あの速度で放たれる矢なら、あたればひとたまりもないだろう。矢じりは決して殺すためのつくりではないけれど、あれほど正確に心地よく射てるならば簡単に──。そんなことを頭の中で想像した時、ふいに視線を感じて僕は意識を頭の中から現実に引き戻した。
鋭く、それは射るように僕を見ていた
黒い瞳が煩わしげに僕を見、そしてすぐに視線をそらすとまた静かに部長の方へと戻った。三人は何かを話しているらしかったがそれは僕の位置からでは聞き取ることが出来ず、もしかしたら部長が僕について何かしら言ったのだろうかとも思ったが、まだ僕が嫌悪されるほど情報はないはずだ。
彼がイギリス人に恨みでも無い限りは、名前だけで蔑むことも出来ないだろうから。
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