テレパシー 1章05話

05話 弓道大会

あらすじ
高校生になり、友達と部活動見学に向かった一信《かずのぶ》。弓道部に入ろうかと考えて、人だかりが無くなっても見学を続けていると優しげな部長から声をかけられ道具を見せてもらえることに。そこで遅れてやってきた三年生の先輩 高木(たかぎ)と出会う。
物憂げな表情で無口な高木は、冷たい印象を受けるが一信は次第に彼の優しさに気づいていく。弓を引く姿の美しさに惹かれ、高木自身へも惹かれていく一信。最初は困ったようにしていた高木も少しずつ心を開くようになり、明かされていく高木の危うさ。人間の醜さ、鬱屈を想いながらも、少年たちが愛とは何なのか考えていく物語。

【弓道大会】  6月──高校弓道部の全国大会が開かれる時期である。  団体、個人、どちらも出場するが本高校はそれほど成績を残せたことはない。去年から団体戦にのみ高木が参加し皆中したが他の選手が奮わなかったためやはり結果は変わらなかった。 「今年も高木先輩は大会に出るんですか?」  隙あらば話しかけてくる後輩──一信に面倒臭さを感じつつも、高木はなんだかんだ答えてやる。 「出るよ」 「個人ですか? 団体ですか? それとも両方ですか?」 「……団体の方だけ」 「見に行っていいですか⁉」  良いも悪いもなく、一年生は半強制で見に来いと言われるものだ、と説明するのも面倒で高木はただうなずいた。  この言葉足らずのせいで一信が、案外先輩に嫌われていないかもしれないという疑念を確信に近づけていることに気づいたが、それを否定しようが肯定しようがこの好奇心旺盛な少年が行動を変えないことも分かっていた。 「ていうかお前、練習してんのか」  一信は高木が休憩しているのを見ると自分の練習を中断してすっ飛んでくるため、同じ一年生の部員からも冷たい視線を向けられはじめていたし、先輩達も若干の苛立ちを覚えていた。話しかけている相手が高木であるせいで注意もしずらいのが、大会前で気の立っている二年、三年からすれば鬱屈した感情を加速させることになった。  まだしも、高木の練習の邪魔をしてくれればいくらでも叱りつけることが出来たのに、と。  そんなことはつゆ知らず(もちろんこの場合も、知っていたから行動を変えることはないのだろうが)一信は陽気に答えた。 「もちろん練習はちゃんとしてますよ! 家でも自主練してます!」 「……そうか」 「嘘じゃないですよ? ゴム弓毎日引いてます! 徒手練習もしてるし、ただあんまり楽しくないんで……ゴム弓ばっかりやってますけど」 「ゴム弓も楽しくはないだろ」 「そうですか? けっこう楽しいですけど。僕、早く高木先輩と同じ景色が見てみたいんです! この間かけも買っちゃったんですよ。まだいいって言われてたけど我慢出来なくて」  その言葉に、耐えられなくなった三年の女子部員が口を挟んだ。それはかなり刺々しく。 「やる気があるのは結構だけど、一年が的前に立つのは8月まで無理だって分かってる? 部長も言ってたでしょ。ちゃんと聞いてた?  道具買わなくていいって言われてるのもそれまでに辞める子も多いから無駄になるって意味だから。そもそも弓道って遊びじゃないの。あなたみたいにいい加減な気持ちで皆やってるわけじゃないの。部活中はもっと真剣にやってくれる? 高木君も一年のこと甘やかさないで」  一信はこれに首を傾げて返事をした。 「どうして僕がいい加減な気持ちでやってると思うんですか?」  心底分からなかったのだ。なぜなら彼はこのうえなく真剣に弓道に取り組んでおり、一年の中で、どころか二年や三年よりも自主練習に励んでいたから。  その上で、早く高木と同じ場所に立ち、まっすぐに的へ向かって飛んでいく矢を射てるようになりたいと思っていた。更に言うなら、それはまだ許されていない的前へ立ちたいという意味ですらなかった。  もっと、遥かに先、美しく弓を引けるようになれば、きっと高木のあの完璧な瞬間を自分も知ることが出来るだろうと思っての言葉だった。  遥か高い理想のために日々練習し、かつ尊敬する高木を邪魔しないように気をつけながらも少しでも話をしたいと思った結果が、今の彼の行動だった。  それ故に、その先輩から言われた言葉は一信にとって理解しがたいものだったのだ。  大きく見開かれた一信の淡い茶色の瞳が、彼女には自分が責められているように見えた。  すぐに凍りついた空気を感じた部長がどこからともなく飛んできて、まぁまぁまぁまぁ……とその場を収める。きっと口論を始めてしまえば負けていたのは彼女の方だろうと思うと、つくづく高木は部長に頭が上がらない思いだった。  そうして度々、部長に心労をかけながらも、あっという間にその日はやってきた。 「いやぁ、長かったこの二ヶ月……。二回目でもやっぱり緊張するね」  普段は柔らかい口調で比較的よく口の回る彼も、今日は硬い表情で言った。 「秋の大会も入れたら三回目だろ」  訂正した高木の方を少しばかり恨めしそうに見て。 「君はいつでも落ち着いてるね。正直羨ましいよ。僕ももう少し早く始めてれば、そんな風になれたのかな」 「……そうかもな」  袴の紐をきり、と締めて静かにそう返すしか出来なかった。 「そうだ、一年に大会中の注意は伝えたか?」 「あぁ、大丈夫。特にあの子には念入りに言っといたよ。間違っても声を出したり変に拍手しないようにって。あと身を乗り出さないようにっていうのもね。彼、君が弓を引いてるのを見るのほんとに好きだよね。あれだけ分かりやすいと、逆にかわいく思えてこない?」 「……別に。それより俺は手洗いに行ってくる。先に向かっといてくれ」 「えぇ! 着ちゃったのにトイレ行くのかい? 先に行っとけばよかったのに」 「忘れてたんだ」  短く返し、そのまま控え室を後にした。  高木は青ざめた顔で洗面の白い台に両手をついていた。鏡を見上げることもせず、何回か深呼吸をする。  耳鳴りが 頭を貫き思考を渋滞させる  吐き気と目眩が唾液の分泌を促して  嫌に 寒く感じた 「先輩?」  混線した脳は人の気配に気づかず、声をかけられてからやっと顔をあげる。青白い顔を。 「先輩、体調悪いんですか⁉」  ふたつ下の後輩は、純粋に心配していた。そして返事をしない先輩にかけよってなんの打算もなく言った。 「休んだほうが良いですよ」  ──団体競技に欠員が出てしまうことも、それによって予選を勝ち抜けない言い訳が出来ることも、今までの練習が無駄になることも、一信は何一つ考えていなかった。  ただ、目の前の高木が苦しそうで、横になれば少しは楽だろうか、とだけ。 「……大丈夫だ」  それは彼にしては珍しく、笑顔を作って発せられた。  その言葉に、一信はすぐあらゆることを理解した。高木が無理をして大会に出ようとする様々な背景を。理解したうえで、重ねて言った。 「休んだほうが、いいですよ」  大会の結果も、他の選手の感情や、ともすればそれらを高木が気にしていることさえ、何の価値もないと思ったから。  それは一種の狂気ですらあったが、彼のルールには反していない。だからためらいもなく言うのだ。 「棄権しましょう」  端的に。  混迷にゆらぐ高木の目を映して。 「もう出番までそんなに時間もありませんよね。僕が先輩たちに伝えてきます。高木先輩は医務室に行ってください」  大きく見開かれた彼の目は瞬きすらせず、高木から逸らされなかった。頷くのを待っていたのだ。けれども、高木はゆっくり目を伏せて首を横に振った。 「よく聞け、俺は、人混みでは、いつもこうなる。でも、射を外したことはない」 「今は弓道の話はしていませんよ、先輩。あなたの具合が悪いことが問題なんです」  先輩はきっとその言葉に偽り無く見事に中てるのだろう、と思った。最悪のコンディションでも寸分の狂いなく中てる精神力──それはまるで武人のようだ。さぞかし、美しいのだろう。見てみたい……とも、思う。  けれども、けれども……、その発言は、大会の時はいつも具合が悪いまま出場していることになる。  これほど蒼白に、ひと目見て倒れそうだとかけ寄ってしまう程に辛そうなこの人に。  誰一人、気づかなかったか?  誰一人、止めなかったのか?  一信はふつふつと怒りが湧いてくる。あの人達は、この静かで優しい先輩を、決して自分たちと同じものとは見ていないのだ。天才だから、自分たちには理解できないから、そんな心の声が聞こえてきそうなよそよそしさが常にある。それは尊敬でもあり、嫉妬でもあっただろう。そういう感情を抱いてしまう気持ちが分からない訳ではなかった。けれども彼らは自分よりずいぶん長い間、彼の近くにいたはずだ。それなら本当に気づかなかったのか?  この人が目を伏せる時、いつも誰かに心を割いている。  無理に笑う時、開きかけた口を閉じてしまう時、静かにほんの少し言葉を紡ぐ時、いつもいつも誰かが傷つかないように心を砕いているのを、僕はこの一ヶ月で分かったというのに。  あの人たちは──。  怒りが思考を染める中、ふいに冷たいものが一信の手に触れた。  それは、氷のように冷え切った指先。  驚いて二の句を告げない一信に、少し微笑んで言った。 「寒いんだ……。これでは、うまく弓が引けないから、少しだけ」  その微笑みと、白い手が、一信の思考を吹き飛ばしてしまったことは言うまでもないだろう。  やっと脳味噌が正常に動きだした頃には、なぜか自分は客席に大人しく座っていて、的場に立つ高木を見ていた。  宣言の通り、彼は一本も外すこと無く自分の役目を終えた。

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