03話 家
あらすじ
高校生になり、友達と部活動見学に向かった一信《かずのぶ》。弓道部に入ろうかと考えて、人だかりが無くなっても見学を続けていると優しげな部長から声をかけられ道具を見せてもらえることに。そこで遅れてやってきた三年生の先輩 高木(たかぎ)と出会う。
物憂げな表情で無口な高木は、冷たい印象を受けるが一信は次第に彼の優しさに気づいていく。弓を引く姿の美しさに惹かれ、高木自身へも惹かれていく一信。最初は困ったようにしていた高木も少しずつ心を開くようになり、明かされていく高木の危うさ。人間の醜さ、鬱屈を想いながらも、少年たちが愛とは何なのか考えていく物語。
【家】
高木の両親は既に離婚しており、親権は父親へ移っている。とは言え、父親との関わりはほとんど無い。両親は小学校四年生まで育てた後、父方の祖父へ引き渡した。
これには彼のテレパシーが大きく関わっている。高木は幼い頃から容姿につけ、勉学につけ非常に優れていた。周りからの評判もよく、気を使える子供で幼稚舎でも手のかからない子と褒められた。
両親はその頃まだ、勘の鋭い子供だと思う程度だった。幼さ故、様々に聞こえてくる言葉を全て理解していた訳ではなかったこと、そして考えたことを自分の言葉で表現するのも難しい歳だったことが、その異常性に気づくのを遅れさせた。
少しずつ、違和感を感じながらもまだ子供特有の言動とごまかされて、それは小学校の入学式で発覚した。
式の途中、彼は突然吐いて、倒れた。
今までと比べ物にならない思考の量に、脳がクラッシュしたのだ。
目が冷めた子供は必死で何が起きたのかを説明したが、医師や両親は最初のうちひたすら困惑していた。そこまできて、やっと幼い子供は自分が異常であることに気づき、そしてその説明をするに至った。
一年生のうちはまだ、普通にクラスメイトと過ごすことが出来た。幸いにもクラスメイトの大半は入学式で誰かが倒れたことを曖昧にしか認識していなかったために、からかわれることもなく過ぎていった。しかし、能力は健在であり、子供の脳には限界があった。
大量の生徒、理不尽な教師、強制的な活動、全てが幼い彼を圧迫していった。
それでもまだ、楽しいこともあったし友人もいた。それに家に帰れば優しい両親が出迎えてくれる。彼は少々大人びた子供というだけだった。
本格的に変わり始めたのは二年生に上がり思考能力、語彙力が向上してきた段階。更なる試練に見舞われた。
それは思考と言動の区別がつけられないことだった。今までは自分もうまく喋れなかった。けれども既にはっきりと意味のある会話を行えるようになり、周囲の人間も思考を明確にし始めたことによって、ミスが増えた。
思わず思考に返事をしてしまうことが重なったのである。
最初のうちはやはり勘が鋭い程度で済まされた。けれども、気味が悪いと言われるようになるまでそう大した時間はかからなかった。
悪意ある思考が、幼い彼を傷つけた。
学校へ行きたがらない少年に対して、両親は保健室登校ということで手を打った。無理に行かせる必要が無いと思ったから? 我が子を心配して?
それも理由ではあっただろう。けれども、その頃すでに両親は彼の能力を恐れ始めていた。
それを悟られまいと必死になり、余計に苦しんだ。
次第に歪んでいく家の中。
母親は責任と愛情と恐怖の間でゆるやかに壊れ、父親は恐怖と、妻を狂わせた元凶への憎しみと、それでも確かにあった愛情故に距離を置いた。
何もかも、壊れていった。
母親が精神病院にいる時間に比例して、彼が祖父の家へ預けられる時間は長くなっていく。皮肉にもその時間が、彼を救った。
祖父は奇妙な人間で、三味線を教えているらしかった。
遠くの部屋から聞こえてくる三味線の音を聞きながら、生徒たちが帰ると同じように三味線を教えてくれたり、勉強を見てくれたり、ともかく色々なことをした。
祖父は黙っていると少し怖い顔をしていたが、よく笑う人だったのですぐに打ち解け、両親にきつく口止めされていたテレパシーのことを話してしまった時も一笑に付されて終わりだった。黙っていることが後ろめたく思われての行動だったが、その素直さが結果的に自身の心を救った。
祖父は色々な音楽に触れさせ、心を守るために様々なことを教えてくれた。
中学一年生で祖父が亡くなるまで、多くの愛情を与え続け、ただの一度も自分を恐れなかったその人を今も尊敬している。
なお、もしも能力がなければという仮定は無意味であるが、どちらにせよ息子夫婦は上手くいかなかったのだと祖父は繰り返していた。
それが事実かは勿論分かり得ないが、少なくとも本心であったことは高木にとって淡い救いであると同時に、ありもしない平行世界に責任を押し付けて安堵する自分を嫌悪する結果となった。
祖父の葬式以後、父親とは会っていない。それでお互いに平穏が保たれていた。父親は少なくない量の金を高木が自由に使えるよう取り計らっていたし、祖父の家や財産はひとまず自分が管理しているが、いずれ息子であるお前に渡すつもりであると書面にまでしてよこした。
穏やかな拒絶に、傷つかないわけではなかったかもしれない。自分でも意識しないほど僅かに、幼い頃のように何も思わず話が出来るようになるかもしれないと期待していたような気もする。今の自分は、能力を悟らせることなく会話するだけの技術を身に着けたのだから、と。
けれども、喪服を着た父親は、既に自分のことを我が子とは思っていないようだった。
今は一人で暮らしながら、時折、壊れた母親の見舞いに行く。会うことはなく、ただ様子をきくためだけに。
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