05話 秋休み
あらすじ
高校生になり、友達と部活動見学に向かった一信《かずのぶ》。弓道部に入ろうかと考えて、人だかりが無くなっても見学を続けていると優しげな部長から声をかけられ道具を見せてもらえることに。そこで遅れてやってきた三年生の先輩 高木(たかぎ)と出会う。
物憂げな表情で無口な高木は、冷たい印象を受けるが一信は次第に彼の優しさに気づいていく。弓を引く姿の美しさに惹かれ、高木自身へも惹かれていく一信。最初は困ったようにしていた高木も少しずつ心を開くようになり、明かされていく高木の危うさ。人間の醜さ、鬱屈を想いながらも、少年たちが愛とは何なのか考えていく物語。
【秋休み】
二人は普段の生活圏を離れ、弓を引いていた。
遠方に住む高木の友人宅へ数日間遊びに来ているのである。都会から少し離れた山の多い土地で、敷地も広く家で道場を開いているため、立派な弓道場があった。
「蘭丸くんが友達を連れてくると言ったから驚いたが、なるほど、中々筋がいい」
道着を着こなした老人はにこやかに言った。
「お世話になります。師範」
蘭丸──もとい、高木は深々と頭を下げる。
友人の祖父、というのは今の関係だが、元はと言えば三味線弾きであった高木の祖父の友人がこの穏やかな老人である。弓道の師範であり、彼もまたテレパシーについて知る数少ない人物だった。
「政は大学ですか?」
政──これが友人の名である。
「あぁ、奴め早く帰ってこいと言うたのに、忘れ物をしたとかでまた往復しておる」
すまんな、と老紳士はため息を付きながら。
「三日間だけだが、ゆっくりしていきなさい。この近所は大したものもないが、自然は多いから良い息抜きになるだろう」
家と家の距離も遠く、人口も少ないため出歩いて人に会う確率は非常に低い。どこにいても人の思考が入ってくる都会とは違う気楽さがそこにはあった。
「本当に広いお家ですよね」
練習を終え、着替えながら一信が話しかけてくる。
「都会でこの敷地もってたらとんでもなく金持ちじゃないと無理だろうな」
金銭の話は下世話だろうと友人の政にしたことは無かったが、内心ずっと思っていた高木は気軽に返した。
そしてすぐにもう一つの一信の意識に気づいたが、いつも通り素知らぬ顔で会話を続けようとした時。
「……先輩は、やっぱり将来はこういう土地に引っ越したいとか、思ってるんですか?」
彼は不安げなのを隠すでもなく尋ねてきた。口に出されてしまったら、答える権利が生まれる。
「いいや」
高木は静かに言って、首を振った。
「田舎っていうのは、確かに俺の頭はずいぶん疲れなくてすむけど、リスクもでかいんだ。一度ミス──つまり、うっかり能力がバレてしまうと一瞬で町全体に共有される。あっという間に異常者扱いだ。どこまで誰が信じるかというのは微妙かもしれないが、田舎の噂は都会よりも息が長い。とうぜん居心地は悪くなる。かといって、こういう土地で近所の人間と関わらないというのも難しい。都会ならやりようもあるけどな。だから、こうやってたまに遊びに来るくらいが丁度いいんだよ」
妙に真実味を帯びた言いように、一信はすぐに察した。
「……こっちに住んでたんですか?」
「ここではないけどな。似たような田舎町にいたよ。こっちの方がまだ都会に近いかな」
静かな口調で、目を伏せて喋る時、それはこの人が努めて穏やかにあろうとしている時だ。おそらく、口に出すより遥かに多くの苦痛がそこにはあったのだろう。
「もうすぐ政が来るだろうが、気さくな奴だから緊張しなくて良い。それから、政も俺のテレパシーについては知っている」
なるほど。休みの度、頻繁にこちらへ来るのは単に都会の人混みから逃げるためだけではなく、そもそもここに住む人間に居心地の良さを感じているからか。能力について知っていて、かつ気さくなと紹介するということは本当に心根の明るい人物なのだろう。
着替え終わり道場を出るとそれはすぐに聞こえた。
「蘭ちゃーん! 遅れてごめんなぁ!」
車から降りて走ってくる男は、秋にしては少し薄着だった。
「いやぁ大学の部室に道着忘れてしもて、慌てて取りに行ったんよ。せっかく蘭ちゃんが来とんならやっぱ家で引きたいしなぁ」
快活に笑いながら男はよく通る声で話す。それは少々うるさいほどに。
「そっちが例の後輩の子? えらいイケメンやなぁ! 目ぇ茶色いやん!」
圧に押されながらも僕は返答した。
「父がイギリス人なので、少し色素が薄いんです」
「ハーフか! かっこえぇな!」
飾り気のない言葉。高木が良く思う理由が分かる気がする。
「まぁ立ち話もなんや。家ん中案内するわ。蘭ちゃんには今更やろうけど一応な」
車の鍵を無造作にポケットへ突っ込むと、彼は笑顔で先を歩き始めた。
「じいちゃんのことや、真っ先に稽古場案内して肝心の寝室やらは何も言わんかったやろ? あん人はいつもそうやねん。根っから弓のことしか考えてへんのや」
意外にも静かな足音で、長い廊下を進んでいく。
「ほい、ここがお泊り用の部屋。広いからもう一組お布団持ってきて、三人で寝よや。楽しいやろ」
「そんでもってこっちの更に奥の廊下行くと突き当り、こっちが風呂場! 五右衛門風呂じゃないから安心してな。こっちも広いから一緒に入れる。合宿みたいで楽しいやろ!」
うきうきした様子で次々説明していく。
「服は浴衣あるから、夜はそんまま花火でもしょーや。夏休みに蘭ちゃんとやろー思っとったのがまだ残っとるんや」
「ほいで明日の昼はバーベキュー! 三人でやるんはちょっと寂しい気ぃするけど、そのぶん高い肉たくさん食えると思えばええやろ」
「あっ、もちろん弓も引こうな! 一信くんの射も見たいし!」
臆面もなく喋り倒す彼は、心と言葉の乖離が少ないのだろう。一信も比較的思ったことはそのまま口に出すタチだと思ってはいたが、それでもこれほど明け透けに話すことは出来ない。
きっといい人なんだろうと思いながら、羨ましさと妬ましさが頭の中をちらついた。
「……源元さんは高木先輩のことずっと蘭ちゃんって呼んでるんですか?」
僕は笑顔で聞いた。
「そうや! ちっちゃいころ初めて会ったときになぁ、女の子かと思て。蘭ちゃん蘭ちゃん呼んどったから、中学生ん時に学ランで会いに来よった時は脳ミソおかしなったわ。
流石にちゃん付けは嫌かなー思ってな、一時期蘭丸くんって呼んだんやけど、気にせんでえーて言ってくれて、ほいで今は蘭ちゃんが定着したっちゅうかんじ」
現在でも中性的な美しい顔立ちをしているのだから、幼い頃は確かに少女と見紛うのも頷ける。
「政は呼び方を変えた時に、毎回『らんちゃ、まるくん』と言っていたからな、あんまり変だから元のままで良いって言ったんだ」
当時のことを思い出しながら、少し笑って高木先輩は補足した。
──この広い家の中で、先輩はマスクをしていない。長い前髪をできるだけ耳にかけて、表情豊かに、よく笑った。
嬉しさと共に、この人にとってこの場所が特別であることが……。
僕は再び頭の中を砂嵐のチャンネルに切り替えた。
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