03話 十二月
あらすじ
高校生になり、友達と部活動見学に向かった一信《かずのぶ》。弓道部に入ろうかと考えて、人だかりが無くなっても見学を続けていると優しげな部長から声をかけられ道具を見せてもらえることに。そこで遅れてやってきた三年生の先輩 高木(たかぎ)と出会う。
物憂げな表情で無口な高木は、冷たい印象を受けるが一信は次第に彼の優しさに気づいていく。弓を引く姿の美しさに惹かれ、高木自身へも惹かれていく一信。最初は困ったようにしていた高木も少しずつ心を開くようになり、明かされていく高木の危うさ。人間の醜さ、鬱屈を想いながらも、少年たちが愛とは何なのか考えていく物語。
【十二月】
街はクリスマスの用意を始め、けれどもちらほらと受験を間近に控えた学生たちのうめき声が聞こえてくる季節。
「先輩はセンターは受けないんですよね」
塾のとなりを通るたびに顔をしかめる恋人に話しかける。
「ん、いや。一応受ける。学校で強制なんだ。お前も三年になったらどういう進路でも受けさせられるだろう」
「え、でも受験料かかりますよね?」
「まぁな。推薦で既に受かってるやつとかもいるから無駄だなと思うが、まぁそういうもんだからな」
「うわ、それ、進路がかかってる人たちにとってもけっこう邪魔じゃないですか。同じ試験会場にやる気のない人もいるってことですよね?」
思いの外辛辣な言いように高木は少し動揺しながらもうなずく。
「学校って無駄なことが好きですよねー」
明るい口調で。一信は怒っている時でもあまり重々しい雰囲気を出さない。それが返って不気味さを煽るのだが、本人は無意識に少しでも内容のキツさを消そうとしてのことだった。
「学校に無駄が多いのは同意だが、その無駄のおかげで大切なことを知ったり出来ることもある」
「そんなことあります?」
「あるよ。例えば、お前だって」
心底分からないという顔で口を尖らせる後輩に、珍しく俺はキザなことを言った。
「うちの高校は、部活動は強制でどこかに所属しないとダメだろ。俺は面倒くさいと思いながら、渋々弓道部に入ったんだ。本当は部活なんか入らずに道場で射つほうが余計な気疲れも少ないし、効率は良いんだが。でも、部活に入っていなければ、お前が俺を見ることも、話すことも、無かったわけだ。部活強制という無駄なルールのおかげでお前と出会えた」
言っていて恥ずかしくなりながら、ごまかすように続けた。
「要は、無駄かどうかは本人がその経験をどう活かすか次第だろ。お前の方がそういう発想の転換は得意なんじゃないのか」
「そうですね……」
照れている高木が珍しく、確かにこれを見れただけでも無駄な試験の話をしたかいがあったと感謝し、一信は上の空で返事をした。
「そうそう、弓の話だが、一月の初めに新年射会ってのがあってな。お前は部活でもやるだろうけど、道場でも結構やるんだよ。俺は行こうと思ったら流石に師範に止められて……だから今年はあれだが、来年は出るつもりなんだが、良かったらお前もその時は一緒に来ないか」
「良いんですか⁉」
「あぁ。その頃には今より上手くなってるだろうし。俺も道場に顔を出す回数も増えて……そしたらお前も引きに来るだろ? すぐ管理人に顔を覚えられてどうせ誘われるさ」
──この人は、なんと甘美な傲慢さで言うのだろう。自分がいるなら僕も来るに決まっていると思って、恥ずかしげもなくそれを口にした。
このところ、先輩はそういう甘さを頻繁にのぞかせる。
それに僕がどれほど脳を、思考を融かしているか知らないだろう。喉の奥まで甘い蜜が垂れてくるような高揚と享楽は、今に僕の臓腑を焼き尽くす。
出会えたことを運命のように言うのは恥ずかしがるくせに、これから先、あなたが大学生になってもこの関係が続くことを宣言するのはちっとも恥ずかしくないと、照れくささすら無いほど当たり前のように思っている自分に、あなたは気づいていますか。
そして、僕がその甘さに触れる度、歓喜と共に焦燥を感じていることに。
あなたが僕へ向ける優しさは、友人にむけるそれと同じものですか?
本当に?
自覚がないんですか?
確かにあなたの目には未だ、僕の欲と同じものは宿っていない。けれども、その愛情に満ちた眼差しは、誰にでも向けられるものですか?
だとしたら僕はあなたの友人、あなたに許された全ての人間を嫉妬のあまり殺してしまう。
もしも、自覚があるのなら、どうしてそれを言ってくれないんですか?
それはやっぱり、気づいていないから……?
あなたへ自覚の催促をしないように、思考を真っ白に染め上げるのが今の僕に出来ることです。焦りも欲も嫉妬も覆い隠して。
「──そうだ、先輩はクリスマスとかって空いてますか?」
「ん? 特に予定はないな。でも一信は家でちゃんとするんだろ?」
一信の父親はイギリス人で、熱心なクリスチャンであると聞いている。外国ではクリスマスは家族で過ごすものだと何かの記事で読んだ。
「はい。なので、先輩も呼びたいなと思うんですけど。あと、良ければイブに教会に行きませんか? 賛美歌を聞いたりするんですけど、すごく綺麗ですよ」
「……クリスマスは家族で過ごすものなんじゃないのか?」
「いえ、家族というか、親しい人と過ごすものですかね。でも知らない人と過ごしたって良いみたいですよ。とにかく皆が祝って祈る日なので」
「えっ、そうなのか⁉」
何事もやはり聞きかじっただけでは分からないものだ。
「むしろ、こういうお祝いの日に一人で寒い思いをしている人がいたりする方があまり良くないみたいですね。僕はイギリスにいたわけではないのであんまり知らないですけど、そんな感じのことは父が言ってました。みんなで祝う日だって。だから、ぜひ先輩のことも誘うようにって言われたんです。もちろん無理にではないですけど。どうですか?」
「じゃあ、行くよ」
「本当ですか! やった! それじゃ、イブの礼拝の方はどうですか?」
「あぁ、それも」
「礼拝も来てくれるんですね! 近くなったらまた待ち合わせ場所と時間を送ります」
嬉しそうに飛び跳ねる一信を見て、俺は自分があっさりとOKの返事をしたことに驚いていた。
今まで、誰からどう誘われても頷いたことは無かった。勝もクリスマスは家で盛大にパーティーをするからどうだと再三誘ってきたが、俺は断っていた。政は家では特に祝わないが暇なら一緒に出かけないかと言ってきたが、それも断った。
明確に断る理由があったのではない。ただなんとなく、一人でいたかった。一人でいつも通りに食事をし、いつも通りベッドに入って、サンタクロースはやってこない。小学四年生までしか、俺は良い子でなかったから。
とはいえ、行事に疎く般若心経をしっかりと覚えていた祖父と過ごした普通の十二月二十五日も俺にとっては幸福な思い出である。
だから自分がクリスマスの誘いにのったことに驚いた。
──白状してしまうなら、祖父と過ごした何もないその日を守り続けることで俺は矜持を保とうとしたのだろう。仕方なく一人で過ごすのではない。俺にとってはただの平日だから当然のように一人でいるのだと。それを、誰かと共に特別な日として過ごしたら、その意地は崩れてしまうような気がした。
なのに、俺は気がつけば一信の誘いに応じていた。それほど強く乞われたわけでもなかったというのに。
そういうことがじわじわと重なって、自分の感情を自覚していく。
それでも俺は、未だ触れたいと思わない。
愛している証明が欲しかった。
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