01話 導き
※一部残酷な描写があります
あらすじ
怪我をして森で倒れていた少年ルカは、シスターエベーヌに拾われて傷を癒やしながら小さな森の中の家で他の12人の子供たちとともに暮らし始める。
中世ヨーロッパ、魔女狩りが過激化していた中で、不可思議な行動をするエベーヌと病弱な妹の存在。そしてある日、妹の治療のため家を空けることになったエベーヌ。寂しさで泣く子供たちの中でルカの狂気が目覚める!
『エベーヌの虚城』
【プロローグ】
すさまじい雷鳴とともに森の空は何度も閃光に照らされる。鬱蒼とした木々の一つに光が落ち、それを引き裂いて燃やした。
同じ頃、同じ森の、ひとつの小さな教会で、木々の悲鳴とは比べほどにならないほど多くの、幼い、声が上がった。
それは真夜中の雷を恐れての事ではなかった。
それはおびただしい程の血に濡れた女によって。
女は、小さな教会の、小さな礼拝堂の中にある美しいステンドグラスから落ちる雷鳴の光を背に、その美しい金の髪と青い瞳を血に濡らし、ぎらぎらと一人の少年を睨みつけていた。手には、すでに事切れた幼い子どもを抱えて。女は確かに首から十字架をさげ、清廉さを象徴する修道服を着ていたが、衣服は乱れ、その瞳にはもはや神への愛は読み取れなかった。それでも彼女のこれまで生きていた軌跡を重んじ、あえてシスターと形容しよう。
シスターは、礼拝堂の中で自分と同じく血まみれてあり、かつ、生きて、立っている少年を睨みつけながら抱えていた幼子をゆっくりと床に下ろすと、側に落ちていた燭台を手に取った。血で濡れ、まだテラテラと光沢をのこすその手で少しばかり錆びついた金の燭台を持ち上げ、一歩、少年へ寄る。シスターは、並んでいる長椅子の背に手をかけてやっと立っていられるかのような、危うい足取りで更に一歩、寄る。
少年は動かなかった。彼女と同じ青い瞳を見開いて呼吸を荒くしていたが、彼女よりもしっかりと己の足で立ち、自らへ苛烈な殺意をあらわにしているシスターから目をはなさなかった。
【導き】
「あぁ、……死ぬにはまだ早そうだ」
低い女の声が聞こえた。なんとか意識を引き戻して、声の主を見ようと体をよじる。けれども、わずかに動かしただけで無理矢理に手当した体の傷──とくに左肩に負ったそれが痛んだ。
「動かなくていい。寝ていろ」
「ぁ、う……」
冷たい声に、どうしてか安心して。すぐにまた意識を失ってしまった。
次に目覚めた時そこは柔らかく清潔なベッドの上で、子供の頭が2つほど扉のむこうから熱心にこちらを覗いていた。俺が体を起こそうとすると、すぐに子供は姿を隠し、そのあと元気な声で彼らはある人物を呼んだ。
「母様! マモォ! 動いたよ! お客様が動いたよ!」
一人が大声を出し、もう一人が小声でそれを嗜める。
「バカっ、それじゃまるで死んでたみたいじゃないか。起きたってことを伝えなきゃ」
「あぁ、そっか。マモー! お客様が起きたよ!」
けれどもその元気な声に返事はない。
「聞こえてないのかな。俺が見てくるよ。ピリポはここで待ってろ」
「うん」
小さな足音が遠のいていく。そして再び、ひょこっと茶色いふわふわした頭が扉のむこうから覗いた。
「……君は、ピリポっていうの?」
尋ねると子供は一瞬ビックリして隠れてしまうが、すぐにひょこひょこと今度は頭ではなく全身が現れて少し照れたようにうなずいた。
「君たちはお母さんと一緒にこの森に?」
子供は首を振る。……確かにマモーと呼んでいたように聞こえたけれど。聞き違いだろうか。首をかしげていると子供は以外にもすぐそれを察したようだった。
「お母さんは本当のお母さんじゃないんだ」
とことこと近づいてきて、小さな声でそう教えてくれる。
「……そうか。でもお母さんみたいな人なんだね」
「うん! お母さんは、優しくて、きれいで、力持ちだし、ご飯もおいしくて……何でもできるんだ! 本当のお母さんのことは覚えてないけど、ボクらはみんな今のお母さんのことが好きだよ!」
自慢気にそういう少年から、彼らがこの場所で幸せに暮らしていることが分かった。
「そうなんだ。とてもすてきなお母さんなんだね」
「うん!」
「ピリポ」
ふいに、そう呼ぶ声があって子供は嬉しそうに振り返る。
「マモー!」
それは俺が気を失う前に聞いた冷ややかな、けれどもどこか落ち着く声の持ち主に違いなかった。美しい容貌は、どこか艶めかしく長い黒髪の間からのぞく両の瞳は一層深く、修道服に身を包んだ姿は雪山に迷い込んだ黒檀の彫像を思わせた。
真っ白い肌に、血の通っていない薄紫色の唇が静かに笑みを刻む。
「……目が覚めて良かった。怪我を、していたようだからね」
「助けてくれてありがとうございます」
礼を言うと、女はまた薄く笑って、それもどこか不器用そうに、努めて笑って、子どもたちに台所へ戻るようにと伝えた。
「……子どもたちに とても慕われているんですね」
こちらへ歩み寄る彼女にそう伝えると、それは優美な仕草で椅子を引き、座りながら答えた。
「他に頼るものがないからさ。食事を作って、寝床を与えてやるくらいしか、私はしていないよ」
その言葉が、褒められたことを照れくさく思ってのものなのか、それとも彼女が子どもたちに決して多くのものを与えられるわけではない現状を憂いてのことなのか、まだあったばかりの俺には分からなかった。
「……最近、この近くの教会で魔女が見つかったらしい」
女は言葉を選びながら、ゆっくりとした口調でいった。
「すでにその魔女は火刑になったが、しかし、傷を負った子どもたちの恐怖はそう容易く消えるものではないだろう」
だから無理に話す必要はないのだと続ける。俺の怪我の理由も、どこから来たのかも話す必要はないから、ここに居てゆっくり休めばいいと。俺にとっては願ってもない幸運だった。女の治療のお陰で怪我はほとんど傷まなかったが、この先行く宛などあるはずもない。もとより頼る家も人も、何もない。だから、素直に女の厚意に甘えてこの小さな山小屋のような教会の世話になることにした。
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