03話 祭壇
※一部残酷な描写があります
あらすじ
怪我をして森で倒れていた少年ルカは、シスターエベーヌに拾われて傷を癒やしながら小さな森の中の家で他の12人の子供たちとともに暮らし始める。
中世ヨーロッパ、魔女狩りが過激化していた中で、不可思議な行動をするエベーヌと病弱な妹の存在。そしてある日、妹の治療のため家を空けることになったエベーヌ。寂しさで泣く子供たちの中でルカの狂気が目覚める!
【祭壇】
「ルカ、眠っていたもう一人の子を紹介しよう。二階へおいで」
ここにきて十日ほど経った頃そう言われて、俺は初めてこの家の二階に足を踏み入れた。弟たちや俺のベッドがあるのも、キッチンや食卓があるのも全て一階だったからそこへあがる必要はなかった。時折、気になって掃除のついでに探検しようかと思ったこともあったが、元気のありあまる弟たちがそんな暇を与えてはくれなかった。
ミシミシと軋む古びた木の階段を上っていくと扉がひとつだけある。
「静かにね」
そう言って開かれた先には質素な祭壇と天蓋付きのベッドが一つ。そのカーテンの内に少女が眠っていた。
手入れの行き届いた美しい金の髪にほんのりと桃色に色づいた頬と艶のある唇──真っ白な毛布が重ねられた小さな体躯はゆるやかに胸を上下し、呼吸する。
ひやりと首筋に汗が伝う。眠っている幼いそれがじくじくと俺の記憶を刺激する。
「っ、か、母さん……この、子どもは……」
狼狽する俺に気づかない母さんは穏やかな表情で眠る少女の頭をなでながら言う。
「まだ体が安定していないけれど、じきに目を覚ますはずだ。この家の中で一人だけの妹だから、起きたらルカも気にかけてやっておくれ」
「……かあさん、この、子供は、誰の……」
孤児ばかりの子どもたちがいる家で聞いてはならないそれを口にしたのは、それだけ俺が平静ではなかったからだろう。けれども、かの母親は変わらず穏やかに答えた。
「他の子達と同じだよ。みんなかわいい、私の子どもなのだから」
それはいつもより僅かに自然な微笑みで。
愛しげに子どもたちを守り、俺もその慈愛を享受している以上はその答えを否定してはならなかった。
「そうだね。母さん」
血の気が引いた頭で答えた。
「大事な、妹だから、ちゃんと俺が面倒を見るよ」
そのまま母さんの部屋を後にする。石でも飲み込んだような胸の痛みを抱えて、俺は気づかなかった。
たった一度きり
それ以降決して入ることのできないその部屋にあった
伏せられた写真立てに居た二人の女のことを
母さんが眠る子どもの隣で眺める写真の中に居た
少女に瓜二つの女のことを
そして その隣で柔らかく微笑む彼女自身のことを
俺は知るべきだった
程なくして、少女は弟たちと同じ食卓につくことが出来るまでに回復したようだった。森で遊ぶことが好きなシモンや生傷がたえないヤコブとはそれほど仲良くしていなかったが、明るくて天然のピリポとは気が合うようで、その二人のドジをバルトロマイがなんとかしているというのがお決まりだった。だから俺がわざわざ少女──名をスーシと言った──の面倒を見る必要もそれほどなく、なぜかピリポとバルトロマイ以外はスーシにあまり関わろうとしなかった。
俺はそれにホッとしながら、少し遠巻きにスーシのことを見守っていたある日だった。
小腹が空いて何気なくキッチンへ行くと金の髪がゆらゆらと揺れていて、すぐにそれが子どもたちの中で一番小柄な少女であると分かった。俺が迷いながらも声をかけようと近寄ると、すぐにその後ろから駆け足で小さな足音がやってくる。
「スーシ! 何してるの!」
少し驚いて振り向くと、黒髪のどこか母さんに似た目つきを持つ──生傷が絶えないヤコブではない方の──ヤコブがいた。スーシがそれに明るく返す。
「果物を洗おうと思ったの。でもひねるところが思ったより高くて」
「そんなら裏の井戸を使えば良かったろ。キッチンまで来なくたって……。一人なの? ピリポか、バルトは?」
尋ねながら俺のことなど視界にないように、ヤコブは歩いてスーシの手を引くと、さっさとキッチンから出ていった。ヤコブは口数も少なく誰かの面倒を見てやるタイプでもなかったから意外だと思った。それに、まるで俺からスーシを引き離したいというように現れたことも。
俺は弟たちと仲良くしていたが、決して全員から好かれるなんてことは出来なかった。先のヤコブとはあまり関わりが無いだけだったが、トマスはあからさまに俺のことを避けていたし、マタイとタダイはいつも二人で本を読んでいて俺には関心がなかった。
関心がないということで言えば、ヨハネに至っては母さんのことが大好きで他の兄弟たちともほとんど話さず、もちろん俺のことなんてちっとも興味がないようで、ずっと母さんの側についてまわっていた。
だから俺が仲良くしていたのは外で遊ぶのがとにかく好きなシモンとヤコブ、そして探検好きのペテロと弟のアンデレだけだ。彼らは体を動かすのが大好きで、すぐに木に登ったり蔓にぶら下がったり虫を捕まえたりした。とても子供らしくて俺は彼らと遊ぶのが楽しかったから、他の子らと無理に関わろうとも思わなかったし、関わりづらいと思ったのも事実だった。
それでもスーシが起きるまではピリポやバルトロマイとは遊んだりもしたが、次第にそれもなくなって食事のときに少し話すくらいになっていた。とは言っても、皆と仲が悪いということはなく、あからさまに俺を避けるトマス以外とは母さんの家事を手伝うときに自然と話したりしてうまくやっているつもりだった。
だからヤコブにまるで逃げるようにスーシを連れて行かれたことは少し不安だった。たしかに俺はスーシが苦手だ。でもそれは、あの少女があまりにも、似ているから。
そう 似ているから いけない
少女は、あの嵐の夜を思い起こさせる。
雷鳴とともにいくつもの悲鳴があがり、シスターが、いや、おぞましい魔女が、血まみれになって怒り狂ったあの夜を!
似ていた。あまりにも。
髪の色も、造作も、その美しい青い瞳の色も……優しくて転がるように愛らしい声すらも! なにもかもが、あまりにもあの魔女に!
言葉や仕草さえ、あの女を彷彿とさせた。かつては俺たちの母親代わりであった、健気で優しいはずだったあの女に。
けれども関わりなどあるはずがないのだ。魔女は全ての罪を背負って火刑に処され、そして魔女の子どもなど生きていられるはずもなく、シスターとして教会から離れることのないあの女が隠れて子どもを生むことなど出来るわけがない。それもあんなに幼い子だ。俺が教会に捨てられるよりずっと後に生まれたのに違いないのだから。
──分かっている。分かっているのに恐ろしかった。スーシがいつか、あの魔女のように俺を──。
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