【5】~【9】
あらすじ
殺し屋の男が疲れ切った顔をした女に助けられる。男は自分が殺し屋であることを知られてしまった以上、何かしらの対処をしなければならないが、出来ないまま助けてくれた女の家を去る。しかし、再び仕事で怪我をしたところ女に出くわしまた助けられてしまう。
お人好しと言うには愛想の無さすぎる女が何を考えているのか分からず、けれども助けられた以上、恩を感じてしまう男はある日、女が拐われるところを見てしまい……。
【5】
病院からの帰り道、医師免許のない医者に法外な、本当にそれは法外な値段を取られて、それでもやっと怪我のない体で歩けるのが嬉しくて、包帯のない足を見て身軽だなと思いながら歩く夜。
コンビニでビールを買って、人気のない坂道を下っていたらそれは見えた。
高架線の下、フェンスの向こう側。
白いワゴン車にはナンバープレートが無い。
マスクをした男たちと──髪の長い女……!
ガシャンッとビールの缶がフェンスにぶつかりながら俺は身を乗り出した。
いや、まて助けるのか? やっと怪我が治ったのに。死にたがっている変な女を助けるためにまた病院通いか。
そもそも、あの女が危ないことに首を突っ込んでくるのが悪いだろう。しかも、危機感もなくこんな夜中に出歩いたりなんかして。
第一、本当はとうに殺されているはずだった。俺が最初に会った時に殺さなければいけなかった! なにせ、あの女は目撃者なのだから。それを思えば、あの女がこれからどうなろうと知ったことではない。むしろ俺の変わりに殺してくれれば手間が省けてありがたいというものだ。
いやしかし、今日まで誰にも何も言わずにいるのだから、わざわざ殺す必要もないんじゃないか?
いやでも、俺がわざわざ助ける理由だって、二回も助けられたくらしかないじゃないか。
そう、二回も……。
──坂道に置いていかれたビニール袋の中には俺の大事な224円たちが入っている。走り去った白いワゴン車を追いかけるのに、ビールはあんまり重くて邪魔だった。
【6】
全力疾走は仕事柄めずらしくはないのだが、オペレートもなしに車の行き先を予測しながら走るのは流石にめずらしい。頭も身体も重労働だ。このへんの地理と、そういうことをするのに向いてそうな建物なら一通り頭に入ってはいるものの、武器は心もとないし、果たして無計画に突っ込んでどこまでやれるか。しかし用意している時間はない。
そう思うとそれは角を曲がった瞬間とびだして来た。正確には、俺が走っていたので飛び出したように感じた。けれども相手は律儀に謝りながらこちらを見上げる。
「──おまえ!」
見上げた女は、びっくりしながら少しだけ安心したように笑っていた。
「すごい勢いで飛び出して来たから驚きました。お仕事中だったんですか? 邪魔してしまって申し訳ありません。怪我は無いのでお気になさらず」
スカートについた汚れを払ってから荷物を持ち直して、あっという間に驚いた表情も消えてそう言った。理解は出来ないながら安堵した。けれど、ふと気づく。女の上着を見て。
「おまえ、ボタンかけちがえてるぞ」
薄手の上着は妙な方向によれている。
「え……?」
女が確認するよりも先に俺の手は薄い上着をひっつかんでいた。
ぶちぶちっ、と音をさせながら無理な勢いで開かれたボタンがはずれる。
あらわになった白い鎖骨と中に着ていた桃色のシャツ。薄暗い街灯の下でも、なんのアトもないらしいことは分かった。
思わずホッと息をつくと、女の胸元に注いでいた目線のちょうどすこし上からため息をつくための息を吸う気配があった。顔をあげると、女は案の定ため息をひとつ。
「どうして走ってらしたんです」
「え……どうして、って……」
「そんなに血相を変えて、こんな小さな掛け違いを気にするのは無理があると思いませんか。私の態度からでは、異変は分からなかったでしょう?」
どこか不気味に、女は薄く笑いながら首をかしげた。
「……あぁ。びっくりするほど、いつも通りだったな。拉致されたとは思えない落ち着きだよ」
「連れ去られたところをご覧になって、そこから追いかけて来てくれたんですか。それで走っていて、私にぶつかったんですね」
どこか苛立たしげにも見える、いつもより早口な様子でつらつらと推理を述べた。
「そう、だよ……」
「ご心配おかけしまして。私はご覧の通り何事もありませんので安心してください」
そう言って平然と立ち去ろうとするのを見送りかけてあわてて引き止める。
「おい、ちょっ、何事もありませんってことはないだろ! 怪我はなさそうだが……抵抗しなかったんだろ? それは賢い選択かも知れないが、何をされ、あ、いや……」
それを言わせるのは可哀想だ……かといってこのまま引き下がっていいものか……。
「勘違いなさってるようですけど、少しお話ししただけで皆さんご理解くださったので本当になにもされていませんよ。ボタンがズレていたのは車にのせられた時に少々乱暴だったので上着が乱れただけです。暗い中で止め直したのでズレてしまったんです。あなたが想像なさってるようなことはありませんから」
淡々と説明されても、本当にあの状況から何事もなく帰ってくるなんてことがあるだろうか。
「信用できないなら、お調べになりますか」
女はあやしく笑った。俺がそれをしないと当然のように思っているのだろう。だから俺の返事を待つこともなく、軽く頭を下げると「では、また」と言って立ち去った。
今から走って戻れば、まだあの置き去りになったビールは残っているだろうか。
残っていたとしても、飲む気にはとてもなれそうにない。
俺は、女のことを信じられなかった。
【7】
「加瀬、次の仕事だがお前には新しく出来る病院に行ってもらう」
妙に威圧感のある、サングラスを絶対に外さない上司からそう言われ、病院の情報が書かれている書類を渡される。
「これって……潜入、ではない、ということですか?」
いつもなら用意された偽名やその他、設定が書かれているが今回はそれらがなく、勤め先の病院だけが書かれており、ずいぶんと情報がない。
「そうだ。その病院はいわゆる裏、専門だ。ただ、院長である医者は医師免許をもってる正規の医者だ。お前にはその院長の警護をしてもらう」
「わっかりましたけど、正規の医者がなんで闇医者なんかするんです? 変じゃありません?」
いまいち納得のいかない辞令だ。命令である以上文句を言える立場ではないが。
「行けば分かる。さっさと挨拶してこい」
「っす」
腑に落ちないまま書類を見ながら部屋を出ようとすると、後ろから一言足された。
「お前、昨日の晩飯なに食った?」
「はぁ? 昨日は……チンジャオあっためて食いました」
「そうか。俺も今日はチンジャオロースにしようかな」
「あーいんじゃないすか」
意味の分からない会話に意味はなく、そのまま俺は部屋を出た。
あの人の天然にイチイチつきあう神経は持ち合わせていない。
【8】
ぴんぽーん、と古そうな建物のインターホンを鳴らす。おそらく付け替えたばかりであろう看板には『柳病院』の文字。柳の字だけ汚れていないからそれ以外は前に使われていたのをそのままなんだろうな。病院でも居抜き物件というのはありなのか。あまり気にしてみたことはないが、まぁイチから建てるより早いだろう。
それは良いにしても、出てこない。
もう一度インターホンを鳴らす。今度はザザッと音がはいる。
[はい。加瀬様ですね。今そちら開けましたので入ってきてください]
どうやらもう看護婦はいるらしい。
見かけによらずハイテクな玄関を通過して、キョロキョロと間取りを確認しながら進んでいくとすぐ先に気配のある部屋がひとつ。
「すみません。加瀬ですが」
そう挨拶した先には、白衣を着た女がいた。
「あぁ。こんにちは。片付けで手が離せなくて出迎えも出来ず申し訳ありませんでした。私がこちらの病院の医院長を勤めることになりました柳かすみです」
「あ、あんた……!」
「早速ですみませんが、こちらのダンボールに入っている書類を棚に移すのを手伝ってもらえますか?」
俺が驚くのはそっちのけで、さくさくと片付けを進めようとする女に思わず声が大きくなる。
「あんたこんなとこで何やってんだ! 医者って、いや、この際こまかいことはどうでもいい。この病院を開くのに、なんの力を借りたか分かってんのか!」
「どういう意味でしょうか」
書類を引っ張り出しながら、片付ける手を止める気配はない。
「『裏』の息がかかった病院をやるってのがどういうことか分かってんのかっつてんだよ!」
「どこにいても私がやることは変わりませんし、これで三度は申し上げているかと思いますが、私は私がどうなっても構わないので、この仕事が危険なのはどうでも良いことなのですよ。それより、もう同僚の男どもに嫌味を言われなくて済むと思うと気が楽です」
「同僚はいなくっても患者はろくなもんじゃねぇだろうが!」
「病人や怪我人なんて似たようなものでしょう。患者ではない人が来た時はよろしく頼みますよ。そのためにあなたを雇っているのですから」
淡々と、本当に淡々と。作業をしながら言って、疲れたようにため息を一つついた。けれど、そのため息は、いつもより少し軽やかに思えた。
女にとっては命の危険よりも、心労のほうが重かったらしい。
「……、……こっちのダンボールも、片付けるんですか、先生」
【9】
病院が開院して、まだひと月も経たないうちから患者はチラホラとやってきた。ほとんど看板もなく、宣伝もなにひとつしていないが先生は暇なくらいが丁度いいと言ってダンボールで届いた業務用の消毒液を面倒くさそうにしまっていた。
いよいよ暇だと、先生は俺に応急処置の手ほどきをしはじめる。最近は日に二、三人くる患者の相手をして、それ以外の時間は医療の知識を教わるか、模型を使ってそれらの実践練習をするか……。あとは、たまに先生の書類整理を手伝ったり、俺の武器の手入れを先生がながめていたりもする。
「拳銃って案外パーツが多いんですね」
キィと椅子を鳴らしながら退屈そうに言われる。
「まぁ物によりますけどね」
「そういうものですか」
「興味があるなら今度、撃ってみますか」
どうせ断られるだろうと思ったが返事は意外なものだった。
「いえ、撃ったことはありますので。下手なのであまり楽しくもありませんでしたけれど」
俺は思わずギョッとして手元から顔をあげる。
「撃ったことが!?」
「えぇ。ロスに研修で行った時に。折角なので友人と行ってみたんですよ。射撃場」
平然と言っているが、もしかしてこの先生は実は結構ちゃんとした偉い先生だったりするのだろうか? 医者というのはそんなにポンポン海外に行くものなのだろうか。
「ていうか……先生っていま歳いくつなんですか?」
医大は卒業に時間がかかるらしい。医師免許をとってそんな研修まで行ったらそれだけで何年かかるんだろうか。
「私は今年で32です」
年下か……いや、見た目からしてそうだろうとは思っていたのだが……。
「あなたは?」
「あっ、俺は36になります」
「ふぅん。そうなんですね」
心底どうでも良さそうに相槌をうつと、女──ではなく、先生は会話に飽きたのか書類整理に戻っていった。
先生はいつも何を考えているか分からない。
表情も変わらなければ声の抑揚もほとんどなく、驚くと少しだけ動きが止まるらしいことには気づいたが、それ以外の感情は見えない。大体いつも疲れたようにため息をついているか、明らかに愛想笑いだと分かる笑顔を患者に向けてたまに浮かべるくらいだ。
あまりにも冷静な対応に、患者は威圧感を通り越して尊敬をし始める始末。この間はどなり散らしていた怪我人にまったく表情を変えないまま淡々と説明をし続けるので患者の方もなんだか静かになってしまって最後には頭を下げて礼を言っていたのだから、俺まで先生は案外この業界に向いているのかもしれないと思い始めている。
けれど、本当ならこんないつ命を狙われるか分からない世界にいていい人じゃない。初めて病院に来た日は思わず怒鳴ってしまったが、考えてみればすぐに分かる話で、先生は黙っているが、白いワゴン車に連れて行かれた日になにか取引をしたのだろう。そしてそのきっかけはおそらく俺と関わったせいだ。
だから俺は、先生に足を洗ってもらおうなどと思ったところで、それを口に出せる立場ではない。先生とてそれが出来るならばしているだろう。所為、俺のせいでこの業界に入り、そして抜け出す手段はないというのが現状だ。
「……俺を恨んでもおかしくないはずなのにな」
俺に関わらなければ今も心労を積もらせながらも普通の病院で普通の医者として働いていたはずなんだから。
「恨んでませんよ」
ハッとして振り返ると、いつの間にか先生が立っていた。
「気配も確かめず気を抜いて独り言とは、珍しいですね」
言いながら、先生は両手に持った湯呑を机の上に置いた。
「どうぞ」
「……あ、りがとうございます」
書類整理に戻ったのではなく、この緑茶を淹れるために席を立ったらしい。わからない。この人のことが分からない。
「あの、……さっ、きのはなしぃなんですけどぉ……」
緊張してびみょうに間延びした喋り方になってしまう。が、先生は特に気にすることもなく視線だけをこちらに向ける。
「……言っちゃあなんですけど、俺のせい、っすよねぇ」
「随分しおらしくなりましたね。最初に銃を向けてきた時はまさに殺し屋という感じで怖かったものですけれど」
そう言って、湯呑に近づいた口元は少しだけ笑っていた。
「怖かったって、全然そんなふうには見えませんでしたけど? そもそも、俺はホントは脅したりとか、そういうの得意じゃないんですよ」
「人殺しは平気なのに」
「それは……」
紛れもない事実なのに、この人に『人殺し』と言われるとその言葉がどうしようもなく鋭く聞こえる。
「それは?」
「……生きてる人間のが、怖いじゃないですか。殺す時は、別に、コミニュケーションなんて取らなくていいし、普通に? ってか、まぁバレないように気をつけて、仕事して終わりですよ」
「じゃあ私を殺さないで見逃してくれたのは随分と面倒だったでしょう」
実を言うと殺さないといけなかった。と伝えるのは無意味だろう。
「そうっすね殺す方が簡単だったかもしれないです」
先生は珍しく優しそうに笑った。
「私は運が良かったんですね」
もしかしたら、先生はすべて気づいているのかもしれない。
本当は先生を殺す必要があったことも、それをしなかったことで先生が今の仕事を強いられていることはもちろん。
俺が、人を殺し逃したのはこれが初めてではないことすら。
だから、人の命を救って生きている先生とは正反対のところにいるのに、まるで蔑んだりしないで、恨むことすらしないでいてくれるのかもしれない。
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