どうぞ、私を殺して 03話

【10】~【11】

あらすじ
殺し屋の男が疲れ切った顔をした女に助けられる。男は自分が殺し屋であることを知られてしまった以上、何かしらの対処をしなければならないが、出来ないまま助けてくれた女の家を去る。しかし、再び仕事で怪我をしたところ女に出くわしまた助けられてしまう。
お人好しと言うには愛想の無さすぎる女が何を考えているのか分からず、けれども助けられた以上、恩を感じてしまう男はある日、女が拐われるところを見てしまい……。

過去

【10】 「なんで黙ってたの……!」  いつもより上ずった声でそう詰め寄る女がいた。 「言ったらお前、怒るだろ」  面倒くさそうに男が答える。長身で顔立ちも整った、白衣を着た男。  よく見ればふたりとも白衣を着ていた。 「当たり前でしょう……! 知ってたら付き合わなかった。二股なんて、……最低」  女は蔑みを込めて男をにらみつけるが、まるで意に介した様子はなく薄ら笑いのままその発言を訂正した。 「二股っていうか、何人か分かんないけど。まぁ浮気してたのは悪かったよ。でも珍しくもないじゃん。ただでさえ俺らモテるしさ。お前も同じ業界にいたら分かってるだろ?」 「他の医者が浮気してるのは知ってるわよ! あんたが浮気してるのは知らなかったって言ってんの!」  消灯後の院内の一室で話す二人の様子は対称的だった。 「まぁさ、本命はお前だから。やっぱり話してて会話のレベルについてこれんのはお前だけだし、仕事でも頼りになるし。他の子とは別れるから許してくれよ」 「許すわけ無いでしょう。私は二度とあなたを信じられなくなったんだから」  男は内心、少し焦った。 「二度となんてそんな大袈裟なこと言わないでくれよ。悪かったって。これからはお前ひとりだけにするから」  女の手に触れてわざとらしく甘えてみせる。 「お願いだよ、かすみ」  優しい声で名前を呼べば、この鉄面皮の女は絆されるだろうと思った。なにせ、美人なのに性格のキツさと感情表現の乏しさのあまり周囲から距離を取られているような可哀想な奴で、女医という立場も相まって頭の良すぎる女は恋愛経験も少なく、付き合うまでも簡単だった。 「な、信じてくれよ。もうしないから」  常套句、でもこの寂しくて優秀な女は騙されるだろう。 「いいえ、どうぞ」  女は短く言った。男は言葉の意味が分からず一瞬の間があったので、丁寧に付け足した。 「どうぞお好きなだけ女の人と遊んでください。もう私には関係のないことだから」  赤くなった目で男を一瞥だけすると、女はくるりと背を向けた。  そのまま部屋を出て、静かに扉が閉まってから男はやっと言われたことの意味を理解した。手遅れになってから急に現実味が降ってきて、部屋の中で一人、頭をかかえる。 「え、俺、振られたのか?」  男は、彼女のことを愛していなかった訳では無い。  本命だと言ったのは真実で、大事に思ってもいたのだ。それよりも、他の女と遊ぶことを軽く見すぎていた。これは遊びだから、たまの気分転換くらい大目に見てくれるだろう。なにせ彼女も俺のことが好きだから。 「今なら、今ならまだ……」  男はボソボソと呟きながら部屋を出る。 【11】 件名:これで最後にする 本文:かすみ、お願いだ。今夜もう一度だけ話をさせてくれ。    そしたらもう電話もメールもしない。このまま終わりたくないんだ。    今日の十一時にいつもの資料室で待ってる。 「当直は真面目にやりなさいよ……」  呆れながら、携帯を閉じる。  このままこれを見ないふりをしてしまうのは簡単だ。でも、私だって未練が無いわけではない。彼が女性に人気なのは知っていたし、告白されたときは信じられない気持ちだった。  今の病院に配属になったばかりのとき、緊張してミスをしてしまった時も他の男には、やっぱり女の医者なんてと言われたりしたものだが、彼はそんな中で顔色を変えずにフォローしてくれたし、別け隔てなく優しい人だと思った。  好きになるのに、時間はかからなかった。  だから彼から告白された時は本当に嬉しかったし、彼に浮気をされていると知った時も、本当に悲しかった。  これで終わりなんて、と思う気持ちは同じだ。でも、何度も私を愛してると言った口で、優しく触れてくれた手で、平然と他の女性にも同じことをしていたのだろうかと思うと、もう彼がどんなに言葉を尽くしてくれたとて、信じることはできない。  でも。  最後、最後に、一度だけ……。  そう思って。  十一時を少し過ぎてからあの人の待つ部屋へ行った。  そこで見た。愛しい人の業。 「待ってくれ! じょ、冗談だろ!?」  叫ぶ彼の声が聞こえて、驚いて明りの漏れている部屋の方へ走るとパンッと乾いた音が聞こえた。  灰色の床に散った赤い──。 「見られたか」  振り返った男は、マスクをして帽子を目深に被っていた。黒く、重い銃を右手に。くすんだ緑色のジャケットには、目立たないがよく見れば返り血が飛んでいる。 「悪いが、目撃者は殺すことになってる」  向けられた銃口に、私は何も出来なかった。目の前で殺された恋人と、突然目の前に迫った自分の死に頭が働かない。  立っていられなくなって、壁を背に、そのままずるずると座り込む。  ここで、死ぬのか。恋人の浮気のせいで、最後に話そうと思ったことで。そんなことで。そんな、私を裏切った男のせいで死ぬのか。  引き金にかけられた手はなかなか動かなかった。床に座り込んだ女の額を正確に狙いながら。両目を見開いて銃口をにらみつける女を撃ち抜けずにいる。まるでひどく悔しそうとも思えるその目つき。涙をこぼしながら、それでも瞬きすらせず生気あふれる目をした女が、これから死ぬとは思えなかった。 「……ここで、俺を見たことを誰にも言わないと誓うか」  尋ねると、女は静かに瞬きをひとつした。  俺は、女を信じることにした。

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