09
※残酷な描写、性的な描写があります
あらすじ
人口の約30%が霊力を持ち、妖《あやかし》と呼ばれる人間とは異なる種族との共存が求められる社会。共存とは言うものの、霊力の少ない人間からすれば妖は脅威である。従ってそれらと対抗する術を学ぶための学校が存在する。──その中で名門校である土御門学園に所属する少年少女の物語。
本作は高校生編と中学生編で構成されている。
高校生編では、新しく生徒会に選ばれた高校一年の三丿神《さんのかみ》が、同じく一年生で生徒会に選ばれた三幸《みゆき》と出会い、どこか陰のある美しさに惹かれながら彼女の心を知ろうとする。様々な男を翻弄し、従えるために手段を選ばない三幸の真意とは……?
【9】
『一宮の兄さんを殺してよ』
霊札を通して声が聞こえてくる。間違いなくあの娘の声。まだあの娘の使鬼も札に気づいていないはずだから、これが俺に聞かれていると知っての演技ではないはずだ。
「裏切るのか、三幸……」
男の目は虚を見ていた。怒りとも悲しみとも取れない声が部屋に消える。
「ゆるさない……俺を捨てようとするなんて、他の男を頼ろうだなんて、駄目だ。そんなことはあり得ない。三幸、みゆき……」
血走った両眼は、既に術の使いすぎで限界だった。S級は特異な術式を持ち霊力が他より強いとはいえ、決して無尽蔵に使い続けられるわけではない。けれども彼はここ数日、三幸が離れていく気配を感じて彼女を痛めつけるために数体の妖を一時的とはいえ服従させていたし、牛宿に気取られないほどの霊札、それも遠くの声を拾えるほどの精度を持つモノを作るのには相当な労力が必要だった。
少なくとも、部屋の外で聞き耳を立てていた弟の存在に気づかないほど、彼は消耗していた。
「四辻、四辻! 嫌な予感がするんだ。兄さんの様子がおかしくて、三幸の名前を呼んでるんだ。お前なら何か分かるだろう!」
兄に見つからないように家の外から電話をかけると、恐ろしい返答がある。
「分かってるから急いでるんです! 怒鳴るな!!」
一宮の声よりはるかに大声でそう言われて思わず携帯を取り落としそうになる。けれども彼がここまで焦っていることなど見たことが無い。ということは事態は相当最悪な方向に進んでいるのではなかろうかと思うと、暴言を吐かれたことなど気にしている場合ではない。
「ともかく僕は三幸に連絡とりますから、あなたは公々──三丿神に連絡して簡単でいい、事情を説明してください! あなたの兄の能力についても!」
それだけ言うとブツッと切れる。
慌てて電話番号を検索し、とにかくはやく出てくれと思い携帯を握りしめる。幸いにもそれはすぐに応答があった。
「もしもし、三丿神です」
「出た! 一宮だ! 今どこにいる!」
突然の顧問からの電話、それも様子のおかしなそれに困惑しながらも公々は答える。
「今、電車降りたとこで」
「外にいるんだな!?」
「そうですけど、何事ですか? 生徒会で問題でも?」
「三幸がまずい! 俺の兄が、兄は、S級で、妖を酩酊状態にさせて暴走させる力がある! 四辻がそれの説明をお前にしろと言ったんだ。だから最悪、それを使って三幸を捕まえようとするかもしれない。でも兄さんの様子がおかしい。加減が効かないかもしれない。俺の、A級の俺では太刀打ちできない。三丿神、お前も一応三幸が気になってるなら協力しろ!」
兄の恐ろしさを知っているがゆえに、それは焦りとなって支離滅裂な言葉としてしか出てこない。けれども状況は三丿神にも伝わった。
低く、冷たい声が機械ごしに聞こえる。
「すぐに三幸を追います。場合によっては交戦になりますので先生は学校に協力要請をお願いします。一般人が巻き添えを食わないように」
「わ、わかった」
対妖に関して即座に対応できるのは、さすがハイクラスの優秀生徒といったところか。実習以外では現場経験のない一宮よりも冷静にやるべきことが判断出来ている。
三丿神は即座に家に連絡を取り自身の霊具を持ってきてくれるよう頼むと、踵を返し来た道を戻る。想像したくはないが、三幸の話を聞く限り一宮の兄というのはCクラスだろうが一般人が相手だろうが簡単に手にかける。なにせ、幼い彼女を己の欲のために傷つけるような外道なのだから、何をしてもおかしくない。
しかし、なぜ今、突然暴走するような事になったんだ……と考えて、彼女の使鬼が別れ際に言った『嫌な気配』というのがよみがえる。まさか、まさか自分と話したせいで彼女が狙われるような、そんなことが……。
──一宮が必死で学校へ連絡を取ろうとして、電波がイカれたことに気づいた頃、千尋は家を出て三幸の元に向かいながら何度も携帯をならしていた。
「いいのか。狙ってくれと言っているようなものだろう」
牛宿の忠告を聞きながら三幸は歩き続ける。
「人混みでもあのひとは躊躇しないよ。いくらでも後で言い訳が出来るもの」
言いながら、トンネルを抜けた。
ぴろろろろ、ぴろろろろろ、ぴろろ──ピッ
「もしもし? 三幸です。どうしたの千尋」
「今どこにいる!」
切羽詰まった声、すぐに自分の置かれている状況が思っているより悪いことは察しが付いた。
「東山の方。トンネルを抜けたばかりだよ。やはり、あれが鬼たちを向かわせているんだね」
「すぐに僕も行く、それまでなんとかにげ────」
ザザザ、という音とともに電話が切れる。周囲の妖の発する霊気が電波を阻害しているためだった。
振り返れば、濃い霧のようなものがひどい臭気を放ちながら私達を飲み込もうとしていた。
「抱えて走るぞ」
牛宿はそう言って、言葉通り三幸を脇に抱えて影から剣を創り出すと追いついてくる霧を警戒しながら疾走した。
霧は、ところどころ集まって塊になるとひとつの妖として形を取った。そうして何本か生えた足でけたたましく地面を蹴りながら追いかけてくる。牛宿より遥かに体躯のある妖が二体、三体、と増えていくのを見て、三幸は一宮が自分を本当に殺すつもりなのだと悟った。ただ辱めるだけではなく、ただ自由を奪うために四肢をもぐのでなく、跡形もなく潰れた死体にしてその執着を終わらせようとしている。そのためにはまず牛宿を滅っさねばならない。だから自らをも滅ぼす覚悟でこれほどの妖にたいして術を使ったのだ。
優れた術者であっても複数体の妖を扱うのは簡単ではない。霊力が高く強い妖になるほど、術者自身も霊力をすり減らさねばならない。
──霧が、四体目の妖に変容する。牛宿はそれを睨みつけながら闇色の剣を振りかざし三幸を守りながら戦う。四方に妖が立ちふさがりすでに退路は断たれたも同然だった。
ふいに、思う。
私がいなければ彼は難なくこの場から逃げることが出来るのに
闇に通ずる彼ならば一瞬で影の中へ消えられるのに 人の身であり体の形を変えることも出来なければ霊力を使って彼に加勢することも出来ない私がいるせいで
「三幸、結界を張る、動くなよ」
いよいよ私を抱えたまま片腕で戦うのは難しくなってきたようで、牛宿はアスファルトで舗装された道の上に私を座らせると何か唱えた。結界を視認することも難しい私には、それがどのようなものかさえ分からなかったけれど。
「い、牛宿……、無理、しないで」
馬鹿なことを言った。分かっている。彼は私の使鬼で、私を守るのが仕事なのだから。千尋、はやく、はやく来て、助けて、お願い。私では、なにも出来ない。
本当の暴力の前では、私はなんの役にもたたない。
私のせい、私が怒りで隙を見せたから。あれに死んでほしいなんて望んだから。もしかしたら、誰かが私を自由にしてくれるかもしれないなんて一瞬でも考えたから。だから、たったひとりの私の、私の──。
黒い霧が、彼の周りに散る。それは彼の霊気、彼の血液に等しい。醜い妖の大きな爪が彼の躰を傷つける。劣勢なのは明らかで、戦いながら結界を張り続けるということがどれだけ彼に無茶をさせているのか……。
恐怖が、震える喉が、土で汚れた指先が、揺れる視界が、私を叫ばせる。
「牛宿! 支配権を返還します! 逃げなさい!」
──同時刻、死ぬ気で彼女を追いかけてきた千尋は彼女の言葉を聞いた。
即座に自らの使鬼を彼女を守るために向かわせる。当然だ。牛宿がいなければ彼女は一秒だって生きていられない。巨躯の妖に叩き潰されて、そうなればもう打つ手はない。生きてさえ入れば何があっても助けてやれる。
けれども、使鬼に遅れて三幸のもとに辿りついた千尋が見たものは、想像していた惨状ではなかった。結果として、ひどい有り様ではあったのだけれど。
泣き叫ぶ三幸は、必死で乞うていた。
「牛宿! お願い、逃げて! 逃げて!! もう戦わないでっ!!」
その声を無視して彼女の使鬼は玄色の血を流しながら戦い続ける。どこか、笑っているようにも見える表情で、それは剣のような鞭のような形をした闇を操り四体の暴走状態にある妖と渡り合っている。妖は既に一宮の術式で自我を失い、腕を吹き飛ばされても物ともせず牛宿に襲いかかり続ける。
三幸を守るよう命じられた千尋の使鬼は牛宿の張った結界の周りをくるくると困ったようにまわっている。臨機応変に、などという言葉は通じないのが使鬼の一般的なレベルなのだから仕方のないことだと分かりつつも千尋は舌打ちをして、牛宿にむかって叫ぶ。
「三幸をつれて行く! 持ちこたえてくれ!!」
一瞬だけ、牛宿は千尋に視線を送りそれに答える。
千尋が自らに結界を巡らせて三幸もその中に取り込むと、泣きじゃくる彼女を抱きかかえて走り出す。
「千尋、千尋! やめて、牛宿が、牛宿が死んじゃう! 牛宿を助けて!」
耳を疑うようなそんな言葉を聞きながら、少しでも遠くへ離れようと走る。
三幸の言う通り、このままでは牛宿は死ぬだろう。けれども支配権を返還されて、つまり本来であれば彼女を守る義務はどこにも無いのにそれをし続けているということは、牛宿は自らの意志で彼女のために死のうとしているのだ。今この場において、それを利用しない手はない。牛宿が逃げてしまえば、あの妖はすぐにこちらを追いかけてくる。そうなれば千尋一人では彼女を守ることは出来なかった。
「牛宿!! いやあぁああ!」
千尋は背後で霊気が飛び散る気配を感じ、牛宿がもう長くはもたないだろうことを悟って結界をより強めた、その時──ひとつの怒号とも言える声が轟いた。
「伏せろ!!」
反応して、すぐさま知能のあるものは体制を低くした。刹那──。
「紫電一閃──万象を斬れ」
──紫の稲妻が横一直線に飛び、四体の妖を真っ二つにした。
衝撃波で千尋はよろめきながら三幸を下ろし、振り返る。
「間に合った……」
心底安心した千尋の声に、答えるのは、鈍色に光る日本刀をかたどった霊具を鞘にしまい、こちらに向かって走ってくる男。
「三幸ちゃん! 怪我ない!?」
目を真っ赤にした彼女の前に跪くが、視線は合わない。
「千尋先輩、三幸ちゃんは、これ、だ、大丈夫なんですか? え、怪我は!?」
「大丈夫だけど、うーん。残念だね」
千尋の言葉に青ざめる公々を無視して。
三幸はふらりと立ち上がると、公々の横を通り過ぎ、ふらふら、ふらふらと真っ二つになって動かなくなった妖の側を歩き、よろめいて、中央に佇んでいるソレの袖を掴んだ。
「牛宿、牛宿……ねぇ、どうして……」
かすれる声で彼女は問う。
「やっぱり、あの糞祖父から命令されていたんでしょう。死んでも私を守れって、あのひとは、使鬼の一人や二人、どうだって良いんだから……。だから、ごめんなさい。私なんかのせいで……」
膝をつき、彼女は黒衣の彼へすがるようにして泣いた。無事だったことに心底安堵しながら。
「……あまり泣くな。明日、顔が腫れるぞ。俺も力を使いすぎたからしばらくは、お前の傷を治してやれないんだ。気をつけろ」
彼の言葉に顔をあげる。
「必要ない。祖父にはお前を私の守役から外してもらう」
「馬鹿なことを」
「何が! 次は本当に死んでしまうかもしれない! 私では、その時、足手まといにしかならない……! 私は、いつ死んだってどうでもいいけど、そのせいで私の大事な人が死ぬのは耐えられない」
それは、母を失った少女の、助けることが出来なかった後悔の、心からの叫び。
熱を持った濡れた頬に、人ならざるモノの体温のない指先が這う。
「それは無理だ。俺は既に、お前から逃げる気などないからな。次があっても、お前のために死ぬだろう。それが嫌だというのなら、もう少し早いうちから他人に頼ることを覚えることだ」
冷たい手が、三幸の顔をすっぽりと包み込み、腫れて熱をもつ眼下に触れる。暗い眼差しが優しく見つめている。
──「あーぁ。せっかくバッチリのタイミングで助けに来たのに残念だったね公々君」
千尋は、膝についた土をはらいながら、未だに状況が飲み込みきれていない公々を慰める。
「え、どう、どういう、三幸ちゃんは、え?」
「三幸の一番大事な人は、使鬼だったってこと。そりゃあ、他のなにから言い寄られたって本気にならないはずだよ。あれだけカッコいい人がそばにいればね」
「え、だって、使鬼と、そんな……そんなんアリですか……」
動揺する三丿神だって知らないわけではない。妖と人間が主従関係を持つ中で契約以上の関係をもってともにいるのは珍しいことではない。友情を築くことは難しくはあったが使鬼との関係性の一つとして理想とされていたし、もっと違う関係になることは……さすがに珍しかったがそれでも歴史をさかのぼれば無い話ではない。
「三幸が支配権を放棄したときは終わったと思ったけど、よく考えたら、最初から牛宿が三幸を手放すわけないもんね。わざわざ三幸を騙して契約したんだから。さて、僕たちはのんびりしてられないよ。一宮の家も今頃大騒ぎだ。当主がこれだけの醜聞を出したとなればただでは済まない。御角の跡継ぎだけじゃなく、四辻、三丿神の家を巻き込んだとなれば、有耶無耶にも出来ないからね。公々君にももう少し働いてもらうから、覚悟してね」
「了解です、けど、なにをするんですか?」
片眼鏡をかけ直した千尋は悪巧みをするときの顔になっていた。ここから先は千尋の得意分野である。
「そりゃあ、二度とこんなことが無いように、徹底的にね……」
そこから生徒会顧問が辞職し、一宮家の新たな当主となるまでそれほど時間はかからず。また、力を失った前当主が衰弱した後死亡したと報じられるのも事件からすぐのことだった。表向きは一宮前当主が術の研究中に妖を暴走させたことになっているが、幸いにも市民に被害はなく、偶然その場にいた土御門学園の生徒会が鎮圧したとしてニュースになった。真相は、闇の中へ──されど、確かにひとづてに残り、噂は三幸を守る盾の一つとなった。
コメント