02
※残酷な描写、性的な描写があります
あらすじ
人口の約30%が霊力を持ち、妖《あやかし》と呼ばれる人間とは異なる種族との共存が求められる社会。共存とは言うものの、霊力の少ない人間からすれば妖は脅威である。従ってそれらと対抗する術を学ぶための学校が存在する。──その中で名門校である土御門学園に所属する少年少女の物語。
本作は高校生編と中学生編で構成されている。
中学生編では、三幸が中学生の時に巻き込まれた事件から、生まれた時の話まで遡る。義妹、義母との確執、愚鈍な父、奸悪な祖父、誰一人味方とは言えない家の中で三幸が苛烈極まる精神を育てていく。
力はなく、美貌と話術のみを武器にする少女の、危うくもあり、どこか清々しくもある生き様を描きました。
【2】
「四辻、彼女は一体何者なんだ」
会長もその他のやる気のない役員も帰った後、青条の残業を手伝う四辻にそう尋ねる。けれどもその問いは純粋な疑問というよりも一種の疑念があって言ったものだった。
「言ったろう。僕のいとこさ」
四辻は得意の嘘くさい笑顔ではぐらかした。今更それに腹を立てることもなく青条は言葉を変えて再び尋ねる。
「彼女の発言であの顧問が顔色を変えた。それに、……良くないうわさもあると聞いたぞ」
ためらうような言葉選びに、四辻はニヤリと笑った。それは、彼が噂なんて曖昧なものでは人を悪く言わないひどく真面目な男であるのを知っていたからだ。つまり、彼がなにかを知ったことに、四辻は気づいたのである。そのうえで敢えて意地悪く返した。
「噂って、どんな?」
これに青条はムッとした顔で四辻を睨んだ。分かっているくせに、という気持ちもあっただろう。けれども根っから真面目な男であるから、問われたからには返答をせねばと思って一生懸命口の中で言葉をもごもごと選んだ。そして、ずいぶん間をあけてからこういった。
「複数の、異性と……親しい間柄であるとか。どうも、身分のある相手も、いるとか」
伝聞の形で話しているが確証もなく女性に対して、いかがわしい関係を持つような人間だと口にするほど思慮に欠ける男ではない。四辻の予想はあたっていた。
「三幸の正体に気づいたみたいだね。いつ感づいたんだい。君のことだ。僕にいうより相当前からあたりはついてただろう」
そう言うと、青条はますますしかめっ面になって口を目一杯への字に曲げながら話しだした。
***
最初に妙な場面に出くわしたのは、具合が悪くて授業中に保健室へ向かっていたときだった。頭がガンガンと割れるように痛むなかふらふらと歩いて、社会準備室の前を通りかかると声が聞こえてきたのだ。
「ん、いやだ、そんなに焦らないで」
どこか聞き覚えのある女性の声だと思った。一瞬、見知った女性教師の顔を数人思い浮かべどれも違うと頭を振った。
すぐに男の声がある。
「わるい、だが、滅多に会えないんだ……ここのところ忙しいせいで」
──あ。と思った
よく知っている
よく聞いている声
間違いなかった
間違いであってほしかった
頭が割れそうだ
いくらあの男が苦手な部類であるとはいえ
信頼などしていなかったとはいえ
鐘を力任せに叩きつけているようだ
あまりにもそれは低俗な行いではないか
吐き気がする
まだ幼い女生徒に
お前は何を──
次に目を覚ましたらそこは保健室で、男の先生が運んできてくださったのよと保険医に言われたその日から、あの顧問は俺を避けている。俺だってあんな穢らわしい男と話したくなどない。
そう思ってひと月ほど過ぎた頃に招待されたパーティーで再び彼女を見た。
パーティーと言っても、政治家やその支持者なんかが集まって腹にたまらない食べ物をつつきながら喋ったりするあまり面白くはないものだ。お互い探るような会話をして、牽制しあい、媚を売りながら大人たちが喋っているのを聞いていた。
「つまらなさそうね」
紺色の、夜空のようなドレス。首元はきゅっとしまっていて慎ましやかで、それでいて足元はすらりと長い脚が映えている。制服のときの幼さはまるでなく、五つは年上に見える女性がそこにいた。
「……君も、父親に連れてこられたのか?」
尋ねながらどこか後ろめたさを感じて目をそらしてしまう。
「私はお祖父様に。でも難しい話ばかりで飽きてしまったわ。青条先輩も退屈そうだったから、つい声をかけてしまったの」
おだやかな微笑みは、学校では見ることのない赤々とした口紅によって毒々しくも思え、俺は背筋が寒くなる。
彼女に手を出した一宮は屑だ。けれど、彼女は俺がそれを知っていることを、知っているはずで、その上でこうして平然と声をかけてくるのだ。一宮がクズなら彼女は一体なんだろう。
被害者と言うにはあまりにも悠然と──むしろ、彼女の方が一宮を……。
「あら、呼ばれてしまったわ」
彼女は遠くを見て言った。
「あ、お祖父様かい?」
俺の何気ない問に、少し口角を上げるだけで返事の代わりにすると、そのまま彼女は消えていった。
その時、一緒に会場を出ていった年配の男性が彼女の親族などではないことに気づいたのはパーティーの帰り際。
理由は単純で、彼女が車に乗るところを見たのだ。明らかに先ほどとは違う老紳士と共に。もしやと思って家に帰ってから御角家の当主を調べる。有名な人物だからインターネットで簡単に顔写真と経歴が出てきた。やはり、一緒に車に乗っていたのが祖父で間違いない。ではあのパーティーの途中で彼女を呼んだ男は?
彼女の祖父──御角 豊の画像を見ていると様々な催しに参加している中で、いろいろな業界の有名人と写真に写っている。もしやと思って画像を漁ると、すぐにあの老人も出てきた。今度はその画像からパーティーの名前を調べ、参加者を虱潰しに調べていくとあっさりとたどり着いた。
なんということはない。誰でも聞いたことのあるような会社の会長だ。俺だっておそらく今まで気にしたことがなかっただけで何度か見ているに違いない。これと彼女はどこへ消えていったのか。考えるまでもなく想像がついてしまった。
世界は、かくもおぞましいものか
俺は彼女の何を見ていたのか、四辻はなぜ彼女を紹介したのか。自分が恐ろしく無知なまま御角三幸という女を頼り、そして彼女の威を借りて目的を成したらしいことに気づいたときには、もう全て遅かった。
「四辻、俺は確かにお前に助けてくれと言った。でも、それは誰かの犠牲の上で楽をして得たかったものじゃない。そんなことは、お前には分かっていると思っていた」
恨み言、だった。安易に頼った己を恥じていたが裏切られたような気持ちもあった。けれど四辻は穏やかな微笑みを崩さず、言った。
「不快にさせたなら悪かったよ。でも、これは三幸の意志もあったんだ。あいつは将来有望なやつが好きだからね。あちこちに貸しをつくるのが趣味なのさ」
「不特定多数の人間と関わりを持ってまで、か?」
悪びれない四辻に苛立ちを覚えながら尋ねる。
「まぁ尊敬できるような方法じゃないかもしれないけど、味方を増やすのは悪いことじゃないだろう? 僕は今回それに協力しただけだよ。結果として君も良いツテが出来たしこれで無事に生徒会長になれればお互いにとって都合が良い。青条からすれば彼女のような……穢れた女は好きじゃないかもしれないけど、上にいくつもりがあるなら彼女とうまくやる方が賢いと思うよ」
微笑みながら、まっすぐにこちらを見て言う四辻の視線が不気味だった。口ではまるで御角三幸のことを卑下しながら俺にアドバイスでもくれているようだが、その実こいつは御角のことしか考えていないじゃないか。御角にとって俺が有益な存在だと思ったから快く彼女を紹介したのだ。俺が、彼女の女性性に惑わされないことを分かっていたから!
何も知らなかったとはいえ、助けてもらった以上彼女に借りが出来たのは事実。彼女がどんな所業で生きていたとしても、それを俺が少なくとも表立って蔑むことなど出来ないと知っているのだ。この男は、よくよく俺のことを分かっているからこそ、彼女を紹介したのだ!
卑怯なやつ。起こってしまったことは仕方がないがこのまま彼に満足げな顔をされるのも癪だ。
「そんなに彼女を助けたいなら、パイプ役なんかをするよりもう少し相手を選ぶように言ったらどうだ。どこぞの会長ならいざ知らず、一宮を選ぶなんて趣味が悪いと思うが」
「そこまで僕が口を出すことじゃないさ。彼女は好きにやってるだけなんだ。こうやって人を紹介したのも君が始めてなんだよ?」
「っ、そうかい」
ある程度は信頼されているらしい事実に、簡単に心が浮いてしまう自分が恥ずかしい。それすら彼の計算のうちだろうに、と考えてふと思う。これだけ優秀で他人を見透かしたような、実際その特異な能力によってある程度見透かしているであろう彼が手助けをする従姉妹というのは、いったいなぜ人脈を広げるためにそこまで努力する必要があるのだろう。家柄で言えば御角といえば誰でも聞いたことのある名家。放っておいても声をかけてくる奴が山ほどいるだろうに。実際、御角よりは格が下がる四辻の下でさえ媚をうりたい人間がわんさかやってくる。むろん、彼がS級であることもその一因ではあるだろうが……。
「あれ、そういえば、御角三幸の階級はなんなんだ? Aか?」
Sなら中等部であっても名前くらい聞いたことがあるはずだ。ということはAか、もしくは一番人数が多いBか。
そう思って尋ねると、四辻は微動だにしないまま答えた。
「Cだよ」
短く。感情のない声で。
俺は少し驚いた。Cは、ほとんど霊力をもたない、学校でのカリキュラムも他のクラスとは大幅に異なる。Sとは反対の意味で特殊な階級。他の学校ならいざ知らず、霊力者を養成する目的で設立されたうちの学校では浮いた存在だ。霊力は、遺伝的な影響も大きい。親の霊力が高ければ子供もそうなる場合が多いのだ。稀に霊力家系でない家から霊力の高い子供が生まれると養子に出す場合もある。だからこの業界は閉鎖的でしかし同時に機密性が保持される面も持っている。
名家なら尚更、霊力に問題のない者同士で結婚するのが普通だ。だからC級の子供が生まれることは少ない。一般の家でたまたま少し霊力のある子供がうまれるならいざ知らず、御角の家でそんな子供が生まれれば、家の中で居心地が良くないことはたやすく想像がつく。
「……彼女は、強いな」
とても、冷遇されているようには見えない、ともすればC級と言われても信じられないほど堂々とした女性だった。けれども、確かにそういう身の上ならば躍起になって自分の居場所を作ろうとするのも不思議では無いのかもしれない。
「野心家なんだよ」
四辻は遠くを見ていた。
「もともと正式な跡継ぎじゃなかったし、逃げることも出来たのにわざわざこの学校にはいったんだからね」
「……えっ?」
まてまてまて話が違う。
「どういうことだ?」
「あれ、知らない? 三幸がもともと正妻の子じゃないのは結構有名な話だよ。母親は御角の家に仕えてた使用人で、霊力も恵まれてなかった。まぁ、そういうのは珍しい話でもないけど相当いじめられたみたいだよ。でも結局、正妻とその娘は死んじゃって、今じゃ彼女が正当な跡継ぎだ。今まで自分を馬鹿にしてきた周りの人間が慌てて頭を下げてくるのはどんな気分なんだろうねぇ」
楽しそうに笑っていた。四辻は、彼女の復讐劇が見たいのかもしれない。力のない彼女がどこまで行くのか、なにを成すのか見届けるつもりなのだろう。
「青条も彼女の味方になってくれるよね」
笑っていた。怖かった。
俺は、彼女の味方でいたいと思った。でも、四辻と一緒にされるのは少し嫌だと思った。
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