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※残酷な描写、性的な描写があります
あらすじ
人口の約30%が霊力を持ち、妖《あやかし》と呼ばれる人間とは異なる種族との共存が求められる社会。共存とは言うものの、霊力の少ない人間からすれば妖は脅威である。従ってそれらと対抗する術を学ぶための学校が存在する。──その中で名門校である土御門学園に所属する少年少女の物語。
本作は高校生編と中学生編で構成されている。
中学生編では、三幸が中学生の時に巻き込まれた事件から、生まれた時の話まで遡る。義妹、義母との確執、愚鈍な父、奸悪な祖父、誰一人味方とは言えない家の中で三幸が苛烈極まる精神を育てていく。
力はなく、美貌と話術のみを武器にする少女の、危うくもあり、どこか清々しくもある生き様を描きました。
【10】
御角の家から侍女が二人消えてから、ちょうど一年が経つ。
白石三幸はまだ名前をそのままにしていたが、実質的な跡継ぎとして邪魔をされることなく教育を受けることが出来るようになった。そして女主人が不在になり、しばらくの間は侍女頭が近しい役目を勤めるはずだったのだが、それに関してはほとんど三幸がこなしていた。というより、侍女頭が他の業務で手が回らなかったと言うべきだろうか。
侍女頭を含めもとは女主人に仕えていた者たちは皆、当主──つまり父親の手助けをするようにと命じられていた。命令を下したのは他ならぬ父である。しかし、二人が死んでから父は気分の浮き沈みが激しく、言動も行動も危ない時があり目を離せない状態だった。当主としての仕事は祖父が変わりに片付けられるからどうにかなっているものの、御角家は崩壊寸前とも言えた。
けれどもそんな不安とは裏腹に、使用人たちの顔は明るく、特に三幸の世話を任されている者たちは何か頼まれるよりも先にあれこれと世話を焼いた。
もう間もなく喪があける。そうして三幸が正式にあとを継げば自分たちの天下がくると信じて。
「少しお父様と話してくるよ」
度々そう言っては父親の体調を心配し、話し相手になってやる三幸のことを使用人たちはこのうえなく信頼していた。三幸と話したあとの当主は比較的おだやかで仕事もいくらかこなせたし、むしろ女主人の顔色を伺っていた頃より堂々としているようにすら見える。
そうして、やっと喪があけたころ。三幸が父親のもとへ行ったあと程なくして白石三幸が御角三幸となるためのいくつかの手続きが進んでいきそれは滞りなく完遂された。
「お父様、これで私も本当にお父様の娘になったのですね」
目を伏せて嬉しそうに三幸が言う。
「私、妹の分まで頑張ります。きっと立派にあとを継ぎますから心配なさらないで」
「ところでお父様、お気づきですか。最近お庭の紫陽花がすごく綺麗に咲いていて。あとでご覧になるとよろしいですよ。青い紫陽花が本当に見事ですから」
「それから最近、学校で一宮様の弟君にお会いしたんです。お二人共顔立ちはよく似ていらっしゃるのですよ。残念ながら中身はあまり似ていないようですけれど、やはり霊力が異なると人というのは性格まで変わってしまうものなのでしょうか。兄上をコンプレックスに思っているのがよく伝わってきました」
「私も千尋などから見たら色々なものに囚われて、滑稽で不自由に見えるのでしょうか」
「お父様はどう思われますか? 私は愚かな娘でしょうか」
「……あ、あー……。ぅうー……」
「えぇ。そうですね。どう思われても、愚かだと分かっていても、それでも生きていくしかないのですものね。私たちは」
大げさにも見える相槌をうち、宙を見つめる父と会話をする。心を壊した父親は極稀に正気を取り戻したが、ほとんどの時間は言葉を話すこともしなかった。調子の良い時はずっと眠っていて、悪い時は自傷や他害にはしった。三幸がいる時は大抵の場合落ち着いて座って言葉に合わせて反応を返すことが出来たのだからかなり調子が良いと言えるだろう。
「そうだ、お父様、私ね、少し困っているんです」
「死んだお母様のことを悪く言う人がいるんです」
ぴくり、と虚ろな目は動き、びくびくと痙攣するようにめちゃくちゃな動きをし始める。
「私の周りにいる侍女たちも、他の使用人も。ほら、お父様についている方たちは皆、お母様のためによく働いていたからそんなことは言わないでしょうけれど、他の方たちは少し……」
体は動かさず大人しく三幸の話を聞いているが、目は血走って瞳孔が開き、手は自分の膝をかきむしる。
「でもねお父様、私が悪いんです。お母様に仕えていた侍女たちとうまく話せていないから。彼女たちはやはり私があとを継ぐのが許せないのです。だから冷たくあたるんだわ……私、どうしたら良いか分からなくて」
悲しげな声色で話す娘に、父親は焦点の定まらない目でそれを呼ぶ。
「みゆき、みゆき、みゆき、みゆき、みゆき……」
繰り返し、繰り返し口の中で何度も呼ぶ。
「えぇ。みゆきです。お父様。私のことを助けて?」
そこまで言うと、父親は立ち上がり、足を引きずるように動かしながら乱暴に襖を開け、部屋を出ていく。何か、言葉であったり無かったりするものを叫びながら。
「見事なものだな」
開け放たれた襖からそう言って顔を出したのは、狂った男の実の父親。
「……お祖父様。聞いてらしたの」
三幸は姿勢を変えず、見上げることもせず父の居た場所をまっすぐ見据えたまま言った。祖父の方からでは逆光になり、彼女がいつものように笑っているのか、それとも実の息子を操っているのを見られて少しは動揺しているのか、分からなかった。
「これで、家の人間は総入れ替えが出来るというわけか。考えたもんだな。嫁についてた使用人をあれにつけたのもお前の差し金だろう。これで、死んだ奴らを悪く言ってると吹聴したのは当然、その使用人たちだと思うだろうな。うまいこと考えたものだ」
珍しくそれは本当に感心しているように言って、自分の息子が狂っていることには心底興味が無いことが分かる。
「申し訳ありません」
三幸の平坦な声に祖父は首をかしげる。
「何が」
「新しく雇う使用人の目処も無いというのに辞めさせる算段など」
それは初めて聞く感情のにじまない声。祖父を前に取り繕う気が無いらしかった。
「それくらいは儂が手伝ってやろう。これから名実ともにこの家の家長になるのだから、そのために必要なことくらいは教えてやる」
なぜか機嫌の良いらしい祖父の発言が三幸にとっては意外だった。絶対に手を貸してくれることなど無いと思っていたから。
「お祖父様はこの家が潰れてもどうでも良いのですね」
「よく分かってるじゃないか」
この人は、自分が死んだあとのことなど興味はなく、生きている間は面白そうな方に手を貸すだけなのだ。才能の無い息子と、それに執着する死んだ女たちのことなど興味はなく、それよりは復讐に身をやつす三幸の方が見ていて面白いらしかった。
「これからも儂の想像を裏切ってくれ。今回の母殺しは中々に愉快だったからな」
聞いたことがない楽しそうな声で言って、その男は帰っていった。
間もなく使用人の総入れ替えが行われ、一斉に首を切られた者たちがどうなったのか。恨みを買った侍女頭たちが何事もなく次の生き方を見つけることが出来たのか。私は知らない。
正式な跡継ぎとなってから、祖父と共に様々な人間と関わることが増えた。着物は慣れたしドレスも化粧も社交界で顔を覚えてもらうための仕草も身につけた。
ほとんど廃人となった父に変わり当主としての仕事をこなす祖父を手伝い、仕事も少しづつ覚えている。
そうやって忙しく過ごすうちに、また一年が過ぎ私は千尋の紹介で青条考二と知り合い、彼の弟を助けたことで重症を負い、そのおかげで牛宿との出会いがあった。そして高校へ入学して三丿神公々と関わり、その終着として、私はやっと失う恐ろしさというものを思い出すことになる。
***
「三幸ちゃんの怪我、大したことなくて良かったな!」
祖父の意向で入院となり、関係者以外面会を禁じられたため比較的おだやかな生活を送っている私のもとへ生徒会の顔ぶれが変わる変わる見舞いにやってきて、毎回高価な品を持ってくるのでそんなに気を使わなくて良いと言っているが、誰も聞かない。
「三丿神君のお家へは、退院したらご挨拶をしに行くね」
「えっ?」
「今回、三丿神君の力にとても助けてもらったから。もしかしたら親御さんは嫌がるかもしれないけれど、今回だけは何もしないというわけにはいかないから」
「嫌がるなんてそんな! むしろ喜ぶって! おもてなしの用意しとかないとな~」
相変わらず自分の家の立ち位置を分かっているのかいないのか、他家との関わりを可能な限り断ち、閉塞と癒着を嫌う最も潔白と名高い三丿神家の跡継ぎとして、こいつは大丈夫なのだろうかと思いながら、そのカラッとした性格にいくらか救われている自覚がある。
「……三丿神君」
「ん?」
「ありがとう」
「おう!」
なんの気なくお礼を自然と受け取って、笑ってくれる彼がこの先も幸せであれば良いなぁと思って、私も少し笑った。
【エピローグ】
「とうさま、とうさま、きょうは早くかえってくるんでしょう?」
朗らかに笑う幼い子どもは今年小学生にあがる。この世で一番かわいくて大切な娘。母親によく似た艶やかな黒髪に、黒い瞳。けれどもその霊力はまごうかたなき父親のものを受け継いだ呂色の煙を纏っている。およそ純粋な人ではありえないほどの霊力。
父は愛娘に優しい声で言う。
「あぁ。早く戻るよ。今日は千尋おじさんが来る日だろう。確か子どもの、えー……」
「さねゆきくんね、お父さんもうなんども会ってるのにぃ」
「あぁ、悪い、つい」
つい──どうでもよくてとは娘の手前口に出さず、実際のところ妻と娘以外になんの感情もなかったが、それをこの娘に悟られては妻に怒られてしまうだろう。
彼女は、自分の娘が愛されて育つことを願っていた。健やかに、幸せに、まっすぐに人を愛せる人に育って欲しいと言った。俺はそれを守りたい。
「私を生き直させてあげると思って」
それが彼女が俺に課した存在し続ける意味。願わくば育っていく娘がこの育つ場所のせいで、親のせいで何かを背負うことなく自分で生きる道を決められるようにと、名前に想いを込めずにあっさりとそのとき視界に入った綺麗なものだからという理由で決めてしまったあの哀しい女の姿が今も鮮明に焼き付いている。
「空、じゃあ父さんは言ってくるけど、ひいお祖父ちゃんと仲良くするんだよ。困ったら明子さんを呼びなさい」
「うん!」
まだ子供だが、賢く育っている。人間は確かに不可思議で行動の理由が分からないことも多いが、育児書は全て覚えたし、大体のことは俺とは全く違う人間独自の精神構造、精神的、身体的成長を遂げることによるのだと理解できた。どうやら比較的育てやすい類の子供らしく、あまり手がかからない。アレが心配していたように何かを我慢させていないかが気がかりなのだが、頻繁に遊びに来る公々にはこの間もよじ登っていたし、何より普段よく面倒を見てくれている侍女頭が大丈夫だと言っていたからそれをひとまずは信じている。彼女は三幸が育った時代の御角を知っている数少ない人物だ。きっと同じ過ちは犯さないだろう。
「学、出れるか」
「はい。お車の用意は出来ております。今日は雨の予報ですから傘と着替えを一式積んでおりますが……降る前に帰ってこれるといいですね」
朗らかにそういう青年は、顔は瓜二つの兄より柔らかい声と性格をしていて、話しているとつい気が緩むそんな人間だ。
「やはり、三幸がお前を救ったのは正しかったようだ」
「えっ」
学は一瞬驚きながら、すぐに微笑んで答えた。
「そう思っていただけるようにこれからもこの家のためにできる限りのことをさせて下さい。……三幸さんには、心から、今でも変わらず感謝していますから」
「あぁ……。行くか」
「はい」
一時期は衰退も噂された御角家は現在、二十四代目当主──御角牛が収めており先々代御角豊の代よりさらなる繁栄を成していた。一宮家を始めとする名のある家が傘下に入りその力は盤石のものとなっている。
同じく霊界において強い影響力を持つ四辻家の当主四辻千尋もまた頻繁に跡継ぎである四辻護幸と共に御角家と交流を持っている。
青条考二は大学進学後、大学院に進み現在は博士課程で研究を続けている。当初は父親に反対されていたが、弟が高校卒業と同時に御角家に仕えることになったため霊界との繋がりは充分だと考えたのか真意は不明だが現在は和解している。
三丿神公々は父親と共に家を継ぐための修行中の身であり、今は渡米して様々な人脈を築くとともに妖に関する知識と経験を積んでいる。
これら全ては、三幸の望み通りに進んでいるといえるのだろう。
もしも自分が霊力を豊富にもって生まれていれば、もしも自分を護ってくれる存在がいれば、もしも暖かい家庭で育っていれば、もしも人のことを信頼できていれば。尽きない望みを全て飲みこんで生きた彼女の執念が、愛が、御角空に残した全ての正体であろう。
唯一、母を失わせることだけを自らよりも早くさせたことだけが、叶わなかった。
けれども私はいつまでも見守っています
この地獄で鬼となり 憎いヒトを裁きながら元気にやっているから 安心して
そして
愛しい罪深き人々よ 決してこの地底に空を堕とさないで
それだけが私への罰であり 希望であるのだから
「お前に会うのを楽しみに待っているよ。牛宿《いなみぼし》」
「妖の寿命を待つ気か、その間に俺に気移りするんじゃないか」
「……その間に、お前への憎しみは薄れるかもしれない。けれど、覚悟したほうが良い。あれは全てを知っている。あれは、私たち人間と違って感情が薄れるなどということは、ないのだから──」
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