思色の打掛 06

06

※一部残酷な描写があります

あらすじ
明治中期~後期にかけて忍の里を舞台にした物語。
帝都から里へ帰ってきた燐太郎《りんたろう》に、忍修行中の少女 鼓《つづみ》が一目惚れするところから始まる。洋装を着こなし、優しげに笑う燐太郎に心惹かれる鼓だが、程なくして姉のサヤと燐太郎が婚約したことを知らされる。ショックを受けながらも大好きな姉を祝福する鼓。けれど、幼い頃から鼓を気にかけて助けてくれていた蒲《ガマ》はサヤに対して懐疑的で……。
様々な思惑が巡りながら、才能とは何か、自分にとっての幸せとは何なのか、探し、悩み、苦しみながら美しい悲劇へと向かっていく。

   【6】 「ねぇ燐太郎、鼓を見なかった?」  忙しなくいつもより華やかな着物姿の人々が行き交う中、艶やかな紅を引いた唇が男を見上げて尋ねる。  彼は答える。 「いや、見てないな。今朝からか?」 「そうなの……昨日の夕飯の時はいたんだけど、きっと父さんなら知ってると思うけど忙しくて会えてなくて」 「分かった。サヤはその格好で動くのは大変だろうし、俺が探して聞いてくる」 「うん。ありがとう。ごめんなさい当日にこんな」 「大丈夫。すぐに見つけてくるよ」  そう言って黒い紋付袴を着こなした麗しい人を見送る。──今日、自らの夫となるその人を。  燐太郎はすぐに義父を見つけたが、鼓のことを聞いても探す必要はないと言われるだけでその理由も居場所も何一つ答えは返ってこなかった。サヤになんと伝えたものかと悩み、結局、具合が悪いらしいというなんともありきたりで嘘くさい理由をでっちあげるはめになる。流石に怪しまれるか、もしくは妹のことを心配して根掘り葉掘り聞かれたらどうしようかと考えたが、伝えるやいなや式の段取りを確認するためにまた呼ばれていって、それ以上の会話をすることすら出来なかった。  それが早朝の出来事で、そのまま来客の対応──燐太郎とサヤの学生時代の友人も遠くから来てくれたが、燐太郎の友人の中には日本語をまだ完全には習得していない者もいたため色々と気を使わねばならなかった──に追われて時間が過ぎ、あっという間に式が始まった。  そのまま、式の間も鼓を見ることはなく、滞りなく全ての儀礼が終了し二人は正式な夫婦となった。    *** 「サヤ、ちょっと外で涼んでくる。すぐ戻る」  儀式が終わり皆着替えて場所を神社から新婦の家へと移動して祝宴が開かれている。そこでごきげんな酔っぱらいたちがここぞとばかりに新郎へ酒を呑まそうとするのを何杯か受けての言葉である。顔に出ないから分かりづらいが燐太郎がそれほど酒に強くないことを知っているサヤは少し心配そうに「しばらく休んでて大丈夫よ。どうせみんなもう酔ってて分かんないんだから」と言った。 「まいったな……こんなに呑まされるとは……」  木陰で涼みながら、珍しく着ている着物の襟元を少しゆるめパタパタと扇ぐ。 「酔い覚ましによォく効く薬をやろうか?」  その声は、すぐ近くで聞こえた。目の前の斜めって生えた木くらいしか忍ぶ場所もない殺風景な屋外で。  先程まで肌にあたっていたなまあたたかい風が、急に冷え切って感じる。言いようのない不気味さに、すぐに気づく。目の前の木の影に、確かにそれがいることを。 「……蒲、式に来ていたのか」 「何言ってんだ。そんな暇ねェよ」 「仕事、だったのか?」 「まァそうさ。好きな女を慰めるっていう、責任重大な任務があってなァ」 「そうか……お前が側にいたのか。良かったよ。探していたんだ。義父とうさんも放っておけっていうし、探しにいく時間もなくて心配だったからな。お前が側にいたならなんの心配もないだろう」  本心から燐太郎はそう言って、後でサヤにも蒲が看病していたらしいと言えばいいだろうと思った。 「なンだ、あのクソジジイやっぱりお前にも何も言ってないのか」 「え……?」  含みのある言葉に一瞬神経が尖る。しかし聞き返すより先に蒲は丁寧にその意味を教えてくれた。 「そりゃァそうか。こんなめでたい日に、華の新郎の名前を──よりによって新婦の妹が泣きながら呼んでるなんて知られたら困るもんなァ。気づいてても黙ってるのが一番だろォなァ」 「……鼓は、まだ僕のことを……」  婚約してからもう三年経つ。その間、鼓は忍修行に勤しみ今年から正式に任務を受ける資格を持ち、すでにいくつか仕事を達成していると聞く。むろん、全てを完璧にこなしている、と。  そこまで忍として完成されていながら、恋心だけはまだあのころの幼い少女のままだというのか。心だけが成熟しないまま未だ姉の結婚を受け入れられないのか。  それは燐太郎にとってどこか信じがたくもあった。少なくとも、燐太郎やサヤと話すときの鼓は忍らしいどこか達観した冷ややかさはあったが、精神的に不安定な様子は一切なく、一緒に食事をとる時も穏やかな家族としての会話が出来ていた。 「まァでも、じきにオレの名を呼ぶようになる」  そうだ。ずっと彼女の側には蒲がいた。結局忍を辞めることは無かったようだが、頭領の采配で鼓の任務の補助も蒲が務めたときく。……それでも、ずっと支えている蒲よりも、自分へ想いを向ける鼓のことがもはや分からない、と思った。 「本当なら、アンタのことを殺しちまいたいくらいなンだがね。まァ今日はやめておこう。なんてったって、やっとアイツがオレのモノになったんだからな」 「……ちょっと、まて、なんだって?」  言葉の違和感に、その裏側にやっと燐太郎は気づいた。そうして気がつけば、先程から揺れる影を──逃げることなく悠然と笑う、ただの一度も姿を見せたことのなかったそれを捉える。 「よォ、面と向かって話すのは初めてだなァ」  薄汚れた浴衣一枚羽織った、思ったより随分と小柄なそれは腕を組み、厭らしく笑っていた。 「鼓に何をした!」  見下ろす形になって、薄い肩を掴み逃がすまいとする。 「今更、お前に何を心配することがある? オレが鼓をどうしようと関係ねェだろ」 「心配して何が悪い。鼓の気持ちに応えられないからと言ってどうでもいいなんて思ったことはない」 「ツマンナイ冗談だねェ。おニイサン? 結婚するオンナのこともどうでもいいと思ってるヤツが、なァんでその妹なんか気にかけるかね?」  ぴくりと燐太郎の眉があがり、蒲の肩を掴んでいる手に力が入る。 「俺が、サヤのことをどうでもいいって……?」 「まさか気づかれてないと思ってたのかァ? クソジジイだってとっくに、いや、最初から、というべきか? 気づいてるだろうよ」 「……まさか、そんな馬鹿な。それならなぜ俺との結婚を勧めたんだ。随分と、あの人は俺に親切だったんだ。気に入ってくれていたと言っても良い。大事な娘に好意がないと分かっていたならそんな風には──」 「そんなこたァどォだってイィんだよ。あのジジイは。お前もよく知ってるだろ? あいつは忍が好きだ。才能が好きだ。だからサヤに興味がない」 「……確かにあの人は才能のある子供を大事にする。だが、サヤのことだって」 「なンであんな凡庸な娘に、あのジジイが親切にするかって、鼓の母親代わりに丁度良かったからに決まってるだろ? オマケに鼓の恋敵になって見事に勝ってくれた。おかげで鼓は、自分から忍になる道を選んだんだ。もはや今のあいつに忍をヤめる選択はない。一度迷って、他の可能性を考えて、それでもこの道に生きると決めたから。選ばされたとも知らずになァ」 「馬鹿な……!」 「よォく思い返してみればすぐ分かるサ。全部が完璧だったからなァ。それに、あのジジイはお前とサヤの婚約を取り付けるためにイロイロといい条件を出しただろ。例えばお前の商売に少なからず支援する心持ちがあるとかネ。お前だって思ったはずだぜ。どうせ結婚相手なんて誰でもいい。それなら、少々賢くて仕事を手伝える程度のオンナの方が良い、そこにこの里じゃ一番良い支援者がつくってンなら、迷う時間は無駄だった。だからあんなに早く婚約を了承したんじゃないのか?」 「……確かに、条件は良かった。考えうる限り一番。今を逃して心変わりされるより、早く捕まえてしまうのが良いと」 「商才が裏目に出たか。見事な決断力だと思うぜ、確かにアンタは最高の状況を手に入れた。ぜェんぶジジイの手の平の上ってことを除けばだがネェ」  苛立ちと、恥の混ざった表情で燐太郎は蒲から手を離していた。鼓のこともサヤのことも頭の中でぐちゃぐちゃになって、吐き気がしてくる。 「そんな顔するなよ。カワイソウになってきちゃうだろォ。イイじゃねェか。これで一生安泰とおもやァ。少しはオレの気持ちも分かるだろ」 「お前の……?」 「いつだったかお前は言ったよなァ、忍なんかやめればいい。鼓がオレを見ない言い訳に自分を使うなってなァ。……なァ、なんでオレが忍をやめないと思う?」 「鼓の、ためか……義父さんは、鼓を盾にお前を忍にさせたのか……! 俺を操って鼓を忍にさせたように! だがどうやって!」 「カンタンさァ、アイツからすれば、鼓よりオレの方が欲しい﹅﹅﹅ンだ。オレの方が才能があるからな。だからオレの才能を手に入れるためなら、鼓を壊したって構わねェ。不快だろォ? ゼンブあのジジイの思い通りだ」  血の気が引いた。もはや酒の酔いなど覚めきって、ただ恐ろしさに脳をかきむしられるような心地がする。 「だからと言って、お前が……、お前自身が鼓を壊すのか!」 「三年待ったンだ!」  叫んだ。責められることを苦しんで、蒲は叫んだ。 「それよりずっと前から愛してた! オレにとって鼓だけが大事だった! だけどあいつは外の世界なんか見向きもしなかった。死んだ親父に捕らわれて、忍だけがあいつの生きる世界だった。だけど! アンタが現れて、あいつが初めて他人のことで真剣に悩んでた。初めて心に隙が出来たンだ。入り込めると思った。お前が他のオンナと番うなら余計に、あいつはオレを必要とするはずだった。でも違った……あいつは、ずっとアンタを呼んでた……今日、他のオンナのモンになるヤツを、分かってて、助けになんかくるハズないのに、ずっと、最後まで、涙が枯れても、呼んでいた……!」  まるで、自らが傷つけられているように、蒲は語る。 「カワイソウだったサ。バカなやつだ。一生手に入らないモノを、なンで苦しむって分かってて、諦められないかねェ……」  それは自身に向けられた言葉のようでもあった。  もはや蒲の視界には何も映っていない。赤い夕暮れだけが瞳に反射し、痛ましい独白が終わる。 「燐太郎。最初で最後の頼みだ。サヤを裏切れとは言わない。だが、せめて鼓に、言葉だけでも、嘘でいいから、慰めてやってくれないか。……今のオレには、あいつに出来ることがなンにも無いんだ。アンタだけが、きっと、鼓を正気でいさせてくれる」

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