思色の打掛 10

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※一部残酷な描写があります

あらすじ
明治中期~後期にかけて忍の里を舞台にした物語。
帝都から里へ帰ってきた燐太郎《りんたろう》に、忍修行中の少女 鼓《つづみ》が一目惚れするところから始まる。洋装を着こなし、優しげに笑う燐太郎に心惹かれる鼓だが、程なくして姉のサヤと燐太郎が婚約したことを知らされる。ショックを受けながらも大好きな姉を祝福する鼓。けれど、幼い頃から鼓を気にかけて助けてくれていた蒲《ガマ》はサヤに対して懐疑的で……。
様々な思惑が巡りながら、才能とは何か、自分にとっての幸せとは何なのか、探し、悩み、苦しみながら美しい悲劇へと向かっていく。

   【10】  食事を終え、再び屋敷に戻ってくると燐太郎と鼓は荷解きのため用意されている客室へ向かった。 「清、今日一日お疲れ様。俺はこのあとロバートが酒を呑もうとしつこいから暫く起きているけど、清はもう寝るか?」 「そうですね。軽く外を見て回ってからすぐに寝ると思います」 「そうか。じゃあおやすみ」 「はい、旦那様もどうぞご友人とごゆっくりお過ごし下さい」  凛とした微笑みを崩さないまま軽く会釈をすると、鼓は寝室へ消えていった。  気を張らせているな、と思う。里での無表情な鼓も見ていて楽しいものではないがまだ見慣れている分マシだ。常に微笑んで時折リラックスしているフリまでしてみせるのは、見事ではあったが形容し難い居心地の悪さがある。  おそらくこれからこの屋敷の内部と、周辺の地理を確認するために出かけるのだろうが、そうして忍ぶ時の方が彼女にとって一番気楽な時間なのではないだろうか。 「phos phor! 荷解きは終わったか?」  何も知らない陽気な男は意気揚々と酒とつまみの用意をしている。 「お前、そのあだ名はやめろ」  ため息をつきながらソファに腰を下ろす。 「いいじゃないか! 格好いいだろう? お前も気に入ってたし」 「……学生時代の話だろ」  グラスにワインを注ぐロバートを睨みながら、またため息をひとつ。 「お疲れみたいだな。まぁひとまず、乾杯といこう」 「あぁ」 「それじゃあ、今夜の出会いと、これからの三人の繁栄を願って──」 「「Cheers!」」    *** 「おはようございます旦那様」  朝食の用意をする手を止めて、螺旋状の階段を降りてくる燐太郎へ一礼する。 「おはよう。早いな」 「ロバート様がお目覚めのようでしたので、一緒に朝食の用意をと思いまして」  すでに身支度を整えてテキパキと紅茶を注ぐ鼓。 「Good morning リンタロー! 眠そうだな。昨日は酒を飲ませすぎたかな?」  あくびをして目をこすりながら食卓につく姿を見て、鼓も声を掛ける。 「宿酔に効く薬をお持ちしましょうか」 「ハイ、キヨシ、シュクスイってなんだい?」 「hangover二日酔いのことです。旦那様はあまりお酒に強くありませんし、商談の席では飲むこともあるかと薬はいくつか持ってきております。一日目から必要になるとは思いませんでしたが」  笑顔のままロバートへ視線を向けると、慌てたように手を顔の前で振り弁解をする。 「いや、確かにちょっと調子にのって飲ませすぎたかもしれないが、言ってもそれほどじゃない! 途中で水も飲んでたし!」 「清、大丈夫だ。酒が残っているわけじゃない。慣れない所で寝たから少し眠りが浅かっただけだ」 「そうですか」  疑いが晴れたロバートは胸をなでおろし、三人は食卓について朝食をとりはじめる。 「にしても、キヨシは真面目だな! 俺は事情を知ってるんだしこの家の中でくらい使用人みたいな真似はやめたらどうだ? 俺のことも『様』なんかいらないよ! 友人の家族なんだから気軽にロバートって呼んでくれ」 「……分かりました。ロバート。お言葉に甘えて家の中では旦那様のことも義兄にいさんと呼ばせてもらいます。いいですか? 義兄さん」 「あぁ、もちろん構わないよ」  余計なことを、と燐太郎は思ったかも知れない。ただでさえ違和感のある鼓の態度で、長らく呼ばれていなかった義兄さんという呼称はよけいその違和感に拍車をかけるだけなのだから。 「さぁ、食べ終わったら気合を入れろよ! 今日のためにわざわざ時間をかけて出てきたんだろう。最初の挨拶が肝心だからな!」  早々に気合充分なロバートの言葉と共に、燐太郎は重そうな頭をあげて目に光がやどる。 「分かっている」  この日の商談のために準備をしてきたのだ。あとの日程はそのオマケに過ぎない。先程まで寝起きの顔をしてパンを食べていた青年は、身支度を整えて静かに変様する。 「行こうか」  穏やかで、冷徹な微笑みの麗しい人へ。  ──三人で向かった商談は、結果としてロバートの力添えもあり双方にとり良い形でまとまった。先方がロバートと同じ英吉利イギリス出身だったこともあり話が盛り上がり、燐太郎も学生時代に各国の文化を勉強していたかいもあって日本人だという疎外感を感じさせずに話がはずんで、想像していたよりあっさりと、というよりしっかりと気に入られ、帰り際には抱擁とともに異国の酒を渡されて別れた。 「いやぁ、良かった! 今夜の酒は美味いぞ!」  馬車の中で表情豊かにロバートが言う。 「また飲ませる気か、勘弁してくれ」 「いや、今夜は三人で呑もう! なぁキヨシ! 今日の成果はキヨシのサポートもあってのものだからな!」 「そんな、大したことはしていませんよ」  ただ相手が前に仕事で見たことのある人物で、食べ物の好みを知っていたから手土産の助言をしただけだ。二年ほど前の情報だったから変わっていなくて幸いだった。 「いや、本当に助かったよ。あれで話しやすい空気になった。ありがとう清」 「……義兄さんの役に立てたのなら良かったです」  鉄の笑顔が崩れそうになるのをこらえながら鼓は言った。  嬉しいなどと、思ってはならない。役に立てるなどと思い上がってはならない。この人はいくらでも優しい言葉を吐けるのだ。  側にいれるのは、ほんのいっときのこと。この仕事の間、たった一週間だけ。里へ帰ればまた姉の夫に過ぎない。アタシも、帰ればまた、ただの忍に過ぎない。闇に潜んで、血と嘘と害意にまみれて生きる、濁流の中でもがき続ける醜い道具──。本当に、なんでこの人はアタシに清だなんて名前を付けようと思ったのか。穢らわしい内側を、せめて名前だけでも取り繕ってやろうと思ったのかもしれない。だとしたら、わずかばかりでも均衡を保つ力があるのだと思いたい。……それも、あとほんの数日で消えてしまうのだけれど。  ロバートは馬車で宣言した通り、家につくと早速貰った酒の味見をしながらそれにあった料理を作ると言い出し、鼻歌を歌いながら夕飯作りに取り掛かった。  酒に合う! と豪語していただけあって、料理の腕前はなかなかのもので確かに美味しかった。 「さぁキヨシも呑め呑め」 「おい、ロバート、あんまり飲ませるな。清もこいつの酒なんか適当に断って良いから」 「折角なのでいただきますよ。量は呑みませんから」  淡い金色の液体がグラスに注がれて、三人で乾杯をし、めいめいに食事とともに酒をあおる。 「美味いか! キヨシ!」  誰よりも上機嫌なロバートがくるくるとグラスを揺らしながら、いつもより大きな声で言う。 「はい。すっきりした味わいで呑みやすいですね」 「そうだろう! ははははは! It’s fun!楽しい thank the world世界に感謝!! hahahahahaha!!!」 「……義兄さん、ロバートは昨晩もこんな調子で?」 「そうだ」  呆れた顔で、ため息をつきながらそう言ってグラスの酒を飲み干す。 「注ぎましょうか」 「あぁ、ありがとう」  どうやら燐太郎もこの酒を気に入ったらしく、飲むペースが早い。これは明日の予定は無くなる可能性も考えておいたほうが良いな、と思いながら、酒を注いだ。 「清も遠慮しないで飲みたかったら呑んでいいからな」 「ありがとうございます。でも俺はこの辺で、あまり飲み慣れてもいないので」 「そうか、そうだな。その方が良い」  酔っているのだろう。いつもより少し柔らかく微笑みながら彼は言った。気遣うように。  二人を席に残して、自分の使ったグラスと食器を洗ってから。 「義兄さん、少し、外の風にあたってきます」 「あぁ、分かった」  ロバートと楽しげに話す燐太郎に一言伝えてから、黒い羽織を一枚持って屋敷を出た。    ***  束ねた髪が風になびいて横一本、夜景にかかる 「夜のほうが落ち着くね」  高くそびえる時計塔の屋根の上、まだ煌々と光る街が見下ろせる。 「ここからじゃあお前の部屋までは少し遠いから今回は寄れないな。そろそろ埃がたまってそうで気になるんだけど。まぁ、またすぐ来ることになるだろ」  行き交う人々は誰も彼も、前を見て、何をそんなに急ぐのだろうかと思うほど足早に荷物を持って歩いていく。  誰も、上を見上げはしない。 「にしても、頭領も初花はつはなくらいで大げさだよなぁ。そりゃあ同じ忍相手となれば血の匂いはご法度だけど、普通の人間が気づくわけがねぇのに。面倒だよなぁ、蒲。この先ずっとこれと付き合ってかなきゃいけないなんてさ」  びょうびょうと風が吹き、雲が流れて月を隠す。 「いっそ男に生まれたかった。そうすれば、あの人を好きになんてならずに済んだかもしれない。もっと早く諦められたかもしれない」  少女の独白を、蒲は知っている。 「いっそ、アタシの何もかもを、お前にあげてしまいたい」

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